第十三話 ごめんなさい
ザックガード辺境伯騎士団は王家騎士団に次ぐ実力だと言われているが、現状、騎士団が必要とされる機会は、昔に比べると相当減っている。
これはまだ祖父母と暮らしていた時に、外で騎士を見て、あの人達は何をしてるの? と尋ねた私に、祖父が教えてくれたことだった。
祖父も、曽祖父から聞いた話だけど、と教えてくれたのだが、曽祖父がまだ幼い頃は国土争いが激しく、ザックガード辺境伯騎士団も多くの騎士が戦場に駆り出されていたという。
しかし、このままではどの国も民が疲弊していく一方であるとして、周辺国の国王が集まり、この争いを止めるべく話し合いの場を設けた。
その話し合いは長期間に及んだが、見事、各国にとって納得できる形の友好条約を結ぶことに成功し、国同士の争いは徐々に収まってきたのである。
その時に結んだ条約の中で、各国、騎士団の保有は認めるが他国への侵攻は禁止する、というものや、騎士団を動かす際は正当防衛が認められる場合のみ、というものがある。
現在では、友好条約により国同士の争いはなくなったが、反乱や野盗に備えて国は騎士団を有し、国内外での合同訓練なども行っている。我が騎士団も、その合同訓練の際は多くの騎士が周辺国に行ったり、逆にこちらに来て訓練をされることもある。
また、領地周辺の野盗の討伐であったり、王家騎士団からの要請があれば王都に赴いたりと、騎士達もずっと領地にいるわけではない、のだけど。
この度、エリゼオとラフィクが二人揃って、野盗の討伐部隊に参加することが決まった。
この日程が、お嬢様の誕生日パーティーと重なった。
しかもお嬢様が、
「お父様、私のお誕生日パーティーはエリゼオにエスコートしてもらいたいの」
と、朝食時に頬を染めてお願いした後のこと。
旦那様が言いづらそうにしながらも遠征のことをお嬢様に告げた直後、お嬢様は泣き始めた。
そして荒れた。
お父様なんて大嫌い! と叫んで出ていったお嬢様に、呆然とする旦那様と奥様。
……こればかりは、事情が事情なだけに旦那様が不憫に思えた。エリゼオとラフィクがここに来て数ヶ月経ち、二人の実力を団員たちも把握し、連携が取れてきたのでそろそろ実戦を、という話が上がっていたらしい。
彼らは騎士だ。いくらお嬢様の誕生日パーティーで、お嬢様がお望みだからといって、討伐部隊を外されるのはおかしい話である。
旦那様もそこは理性的で、だからエリゼオを部隊から外す、とは言わなかったのだろうけれど。
今回は、タイミングが最悪過ぎたのだ。せめてお嬢様がエスコートの話を出す前だったら……
いや、やっぱりあまり変わらないかもしれない。どちらにしても、たぶん荒れていた。
荒れたお嬢様の対応は私にやってくる。案の定、私はお嬢様をなだめることと、当日までに機嫌を持ち直らせよ、と命じられた。
泣いて自室へと戻ったお嬢様は……ベッドに伏せって悲しさと怒りを込めて泣いていた。
「ジェイラ! 今からお父様のところに行って、エリゼオの部隊参加を取りやめさせて!」
「申し訳ございません。私は旦那様に意見できる立場にございません」
「行ってきなさいよ! あなたの主は私よ! 私が行けと行ったら行くのよ!」
お嬢様の怒声の直後、飛んできたのはクッションだった。
思わず受け止めたら、お嬢様は忌々しい、という顔を私に向けた。
「何を受け止めているのよ!」
立ち上がったお嬢様が大股で近寄ってきて、バシン、と頬に一発。左頬だった。叩かれた頬に手を当てて、お嬢様を見る。
「最低! 最低! お父様なんて大っ嫌い! 役に立たないジェイラも大っ嫌いよ! 出ていきなさい!」
それまでは何ともなかったのに、頬の痛みとともに、父親を大嫌いと泣きながら言うお嬢様の姿に、ぐらりと視界が揺れた気がした。
これは……だめだ。考えてはいけない。思い出してはいけない。
私は急ぎクッションを元の位置に戻し、礼をして部屋を出た。やけに鼓動が速くなって、胸が痛かった。
だめだ、だめだ、と何度も自分に言い聞かせた。
思い出すな。痛くなんかない。動け。忘れろ。
お嬢様のお茶の準備をするために行動に移った。とにかく今は、忙しくしたかった。
お嬢様をなだめることが最優先、だから。
大丈夫。体は無事だし、頬も少し冷やせばいつも通りだ。
自分を捨ててお嬢様のことだけを。そうしている方が、ずっと楽だった。
お嬢様の説得は、私だけではどうにもならなかった。
旦那様、奥様、そして使用人達も代わる代わる機嫌を取りに来た。貴族教育はなんとか受けていたが、課題はする気分じゃないとすべて私に回された。励ましに来ていた使用人もその現場は見ていたが、何も言われなかった。
課題を連日全部やる、というのはこれまでさすがに経験がなく。しかも貴族教育は既に最終段階に入っており、これまでの総復習のような課題ばかりでとにかく時間もかかった。
私が過去にやっていない部分などもあり、お嬢様の部屋から本を借りながらどうにかこなすしかなかった。
一週間程かかってやっと、お嬢様の機嫌は上向きにはなった。
なんでも、誕生日パーティーに招待したご友人方に、エリゼオの話をして外堀を埋めていくことにしたらしい。よくそんなことが思い浮かぶなぁと感心すらしつつ、お嬢様が元気になるならそれでいいだろうと思った。
私はこの一週間、お嬢様から泣かれ怒られ、あらゆるものが飛んできていたので本当にホッとした。耳鳴りすらしそうな疲れではあったが、これからは落ち着いてくれることを期待するしかない。
明日はエリゼオ達が出発する。どうか何事もありませんように、と願わずにはいられなかった。
騎士の出発前には、旦那様から激励の言葉を述べることになっている。
しかし本日は旦那様と奥様は来客の対応があったため、この場にはザックガード家を代表して、お嬢様がその役割を務めることとなった。
その一連の手順が終わり、いざ出発、となったところで、お嬢様は目に涙をためてエリゼオへとすがりついた。
「エリゼオ……どうか、どうか無事で……」
涙ながらに体を寄せられ、エリゼオはしばらく驚いた顔をしながらも、お嬢様の両肩に手をおいて体を離させた。
「激励のお言葉、大変ありがたく思います。我々討伐部隊は、無事に帰ってきますので、ルシールお嬢様は明日の誕生日パーティーを楽しんでください」
と返したのだが、お嬢様はこれでは満足できなかったようだ。
「ねぇ、お願い、エリゼオ。どうか無事で帰ってきて。そして私の誕生日をまたお祝いして……」
お嬢様が目を潤ませ、上目遣いで言う。エリゼオはそれに困り顔で頷くだけだったのだが、後ろから来た騎士がエリゼオに何かを耳打ちした。
「はぁ!? 何で!?」
「いいからっ!」
騎士がエリゼオの背中を叩く。
エリゼオは、いやでも、と言っているが、寄ってきた騎士が、早く、と急かしていた。何を話しているのかと思ってみていたが、騎士が離れたところでエリゼオがしばらく視線を彷徨わせ、長く息を吐き出した。
次に顔を上げたエリゼオから、覇気がなくなったように感じた。
「……ルシールお嬢様、失礼いたします」
一気に静かになった印象を受けるエリゼオは、片膝を地面につき、お嬢様の片手を取ってその甲へと口づけをした。
それは騎士の忠誠の証とされる行動だ。
「……必ず、無事に帰還すると、お約束します」
「嬉しいわ! 絶対に、無事で帰ってきてね!」
立ち上がったエリゼオに抱きつくお嬢様。エリゼオの手は下がったまま、拳が握られていた。
本来ならば、美しい光景であるはずなのに。どうしてこうも、虚しい場面にしか見えないのだろう。
叙任の儀式にはないこの動作だったが、騎士が忠誠を誓う場合に行われることもあると、知識としてはあった。けれど実際に見るのは初めてで……
それを、エリゼオがしたことに……いや、しなければならなくなったことに、唖然とした。騎士の忠誠というものは、他者が強制すべきものではない、と思う。
きっとエリゼオに耳打ちをした騎士からの命令があったのだろう。
いつものお嬢様優先の現場に、何か言いしれないぐしゃぐしゃとした思いが込み上げてきていた。
そんな時……ラフィクと目が合った。ラフィクは少しも笑わず、視線を私からエリゼオへと戻す。いつも目が合えば笑みを浮かべてくれる彼が笑わないことで、やはりこれは決して良いことではないのだと悟った。
エリゼオは変わらず直立不動だが、いつもの鋭さのない、静かな冷たい眼をしている。
けれどラフィクとエリゼオ以外の騎士とお嬢様は皆、笑顔で満足気だ。この異常さに……どうして誰も、気づかないのだろう。
「エリゼオ、約束よ。帰ってきたらすぐにそのお顔を見せてね」
「……ええ、必ず」
何の温度もないような声をしたエリゼオの返答に、お嬢様は顔を赤らめて喜んでいた。
運命の相手に忠誠を強制させることが、美しい愛の物語ならば。
そんなものは一切見たくもないし、聞きたくもなかった。
エリゼオの気持ちが伴っていれば良いのだろう。しかし私からはどう見ても……お嬢様が思い描くような物語にも気持ちにも沿っていないものに映った。
そしてこの行為は……
彼が夢だと語っていたかっこいい騎士、ではないことは、明らかだった。
「……ごめんなさい」
気づけばそう……呟いていた。
彼らには彼らの考えや意志があるのに。夢があるのに。それを無視して進むことを美徳とする空気に息苦しさを感じた。
もしかしたら、エリゼオは内心で喜んでいるかもしれない。しかしそう見えないから、私の心は痛むのだろうか。
それとも……諦めるしかない状況を作り出されていることで、過去の自分と重ねて、同情めいた気持ちが出てきているのだろうか。
謝ったのは、彼らに対してか。過去の自分に対してか。
どうか……彼らを巻き込まないでほしい。彼らから自由を、笑顔を、奪わないでほしい。
そう願ってしまうけれど、ただ見ているだけで何もできない私は、彼らにとって、ここにいる大勢と変わりのない人間で。
私は今この瞬間に、あの頃の大人と同じ立場になってしまったのだ。
……いや、違うな。私はずっと、あの頃の大人と同じことをしていた。だから謝る資格なんかないのに。
見ないふり、気づかないふりをしてきた景色が。
お嬢様の言うことなのだからこれが正しいと、押さえつけて捨ててきた自分の中の感情が。
音を立てて、心の隅を削っていく。
私自身、これから自分はどうなっていくのか。どうなりたいのか、何にも、分からないのに。ただひたすらに、ここにいることが苦しかった。




