1章 【出会い とまどい やっぱり後悔】その二
さて俺こと、風間 恭介は静かな場所が好きである。
人が居なかったらそれはもう最高で、そこでのんびりできたなら至福以外の何ものでもない。
うん、なんで突然こんなことを言いだしたのかというと――
「は~、極楽極楽」
――その至福を、現在進行形で満喫中しているからだったり。
場所は第二美術教室。
主に『絵』を描くために使われているこの教室には、机やテーブルと言ったものが存在しない。
あるのは、椅子、イーゼル、そしてデッサンのモチーフになるもの――鳥の剥製、コップ、傘、ワインボトル……等と言ったもの。
それらは、この教室で授業が行われている場合は教室の中央に配置されているが、そうでない場合は教室の隅に置かれている。
現在は、どの学年にもこの教室は使われていないらしい。
だからただでさえ広い教室が、端にしか物が置かれていない事により、より一層広く感じる。
「――」
その教室の隅で、寝転がっている俺。
ちらりと時間を確認するとどうやら現在十一時を過ぎた所。
ということは、現在二限目の真っ最中と言ったところか。
「あと一時間もしたら、十二時か。 んー、風景画は午前中にやってしまおうかと思ってたんだけど……」
――まっ、いいか。
現在授業中の連中にご愁傷様と思いつつ、HR中に考えていた本日の予定をあっさり変更する。
だって、心地いいんだぞ?
太陽の光が入り込む箇所が限定されているせいか、寒いときは入り込む日の光の周辺がぽかぽか暖かくて気持ちいいし。
現在のように暑いときは教室の空気が程よく冷やされていて、なおかつひんやりとした床がまるで俺を誘うかのように存在していれば――
――もうこれは寝そべるしかないでしょう!
『キョウさんは、もう少し予定通りに行動することを覚えたほうが良いんじゃない?』
以前瑞希にそう言われた事なんだけど。
これは自分で言うのはなんだが、直らないんだろうなー。俺基本めんどくさがりだし。
「さて、あと一時間ゆっくりと寝て過ごしますか」
そう言って鞄からイヤホンを取り出し耳に装着。そして鞄をがさこそとあさり、教科書やら筆記用具の中に埋もれている音楽プレイヤーを発見する。
今回は何を聞こうか、数秒悩み、決めた。
後はお目当ての曲をセットリストから選択し、スタートボタンを押せば準備完了。
「おやすみなさい」
再び寝転がる。
数秒後にはイヤホンから歌の前奏が流れ出して、それにひたりつつ目をつぶれば完璧。
いざ夢の世界へっ――
「あれ、風間先輩じゃないですか」
――とはいかないらしかった。
「中村君も今空き時間か。っで、ここに来たって事は絵でも描きにきたのか?」
「いや、そういうわけじゃないんですけど。そうですね~、何となくって感じです。ぶらぶら歩いてたまたま通りかかったっていうやつで」
「まっ。そういうこともあるか」
「先輩はどうなんです? 絵でも描きにきたんですか?」
「あの姿を見て、『絵を描いてた』っていう風に見えたか?」
俺の言葉に、先ほどの俺の姿を思い浮かべたのだろう。
それはないですね、と中村君は笑った。
「空き時間になるとここによく来てるんだよ。ほら、ここってあんまり人来ないだろ? のんびりまったり過ごすには俺にとって、ここは最高の場所なんだ」
中村君は俺の言葉に納得したかのように頷いた。
「先輩は、人がたくさん集まる場所って、あんまり好きじゃないですもんね」
「そうそう。だから空き時間は大抵人が来ないような場所で過ごしてるよ」
「いつもですか?」
「うん? いやたまに図書室とか、同じ空き時間の友人がいたら一緒に過ごしたりはしてる」
人付き合いは基本苦手だ。
さっきも最初は寝たふりをしてやり過ごすか、起き上がってそのまま立ち去るかで悩んだくらいだし。
ただ、そんな俺にも、友人と言えるべき人間はいる。
瑞希もそのうちの一人。
そしてこうして横で駄弁っている後輩、中村君こと 中村 一真もその一人だ。
俺は自分の事を先輩らしくないと思うし、ほとんどの後輩も俺を先輩扱いしないが、中村君はそんな俺をちゃんと先輩として見てくれる子で、いい子だなーと常々思う。
趣味もあうので、この中村君は非常に付き合いやすい。
俺、友人には恵まれてるよな。うんうん。
「そういえば先輩今日昼飯一緒にどうですか?」
ふと思いついたように、中村君が尋ねてきた。
俺としては、今日は誰とも食べる約束をしてなかったので、何も問題はない。
「いいぞー。最近中村君と食べてなかったし、一緒に食べようか」
そう言って頷く俺。
「それまではどうする? 俺は昼飯まではここで過ごすつもりだけど、中村君は何かやりたいことがあるならそっち行ってもいいぞ」
「特にやることもないんで、先輩が良ければここで先輩と話をしてようと思います」
俺は一人で過ごすのは確かに好きだ。
でも、こうして仲の良い友人と過ごすのは、嫌いじゃない。
だから中村君の言葉を否定することなく。
「了解。じゃあ、十二時になるまで、話でもしようか」
「はい。何について話しますか?」
「そうだな……おっ、こんなのどうだ?――」
俺はしばしの間、中村君と過ごすことにした。
「そうそう、それでその時俺が『あれ何かおかしいな?』って思ったわけだよ。特に理由はなかったんだけど、違和感ていうのか? まあとにかくそういう風に感じたわけだ」
「ふんふん。それでどうなったんです?」
「ああ、それで俺の勘が的中――この場合は運悪くな。当たっちまったんだよ。最初バスが変な音を出し始めたと思ったら、次にがくんと揺れて、次第にスピードがどんどん落ちだして最後は――」
「……止まった、と?」
「その通り」
うむ、と言った感じで頷く俺。
あれから色々と会話していたら、不意に中村君が『最近何かびっくりするようなことありましたか』と尋ねてきたので、俺は数ある中の体験談のうち、その一つを現在語り中。
自慢じゃないが――本当に自慢になりはしないが、そういう体験ならいくつかしたことがあるので、話題には困らなかった。
「はあ、漫画みたいなことがあるもんですね~」
「だな。体験しておいて何だがびっくりだよ。路上でバスが止まるなんて」
そう、この話は要約すると俺が乗っていたバスが、路上で突然止まったという話なのだ。
数年前、駅前に向かうために乗ったバスが止まるなんて、あの時は思いもしなかった出来事。今思っても漫画みたいな話だなーって思う。
「ただ、唯一の救いは止まった場所が目的地のすぐ近くだった事だな。そのおかげで特に時間に遅れる事もなく目的地に着いたし」
不幸中の幸いとはこの事だろうと言った俺に、全くですねと中村君は返した。
そして雑談の区切りがついた所で、中村君は携帯を取り出して。
「あっ、先輩そろそろ時間ですよ」
「ほんとに? おっ、確かにもう昼時だな。じゃあ食堂行くか」
はいと中村君は頷き、よっこらせと立ち上がった。
俺もそれに習うように立ち上がり、パンパンと服についたであろう汚れを落とす。
「しかし、あれですね~」
「どうした?」
「ここ、確かに過ごしやすいんですけど、ちょっと油絵の臭いがきついですね」
「そうだな――俺は気にならないっていうかむしろ好きな部類なんだけど、中村君はこの匂い駄目か?」
「う~ん、駄目とはまでは言わないんですけど……」
苦笑する中村君を見て、この匂いはあんまり好きじゃないんだな、と察した。
「まっ、仕方ないよな。人にはそれぞれ好みってもんがあるし」
だから、そんな申し訳言う必要はないんだぞ、と言っておく。
中村君はあれだなー。
俺を先輩扱いしてくれるのは好ましいんだけど、先輩扱いしすぎというか、人に遠慮しすぎな所があるんだよな。
俺としては俺みたいな人間には、必要最低限の礼儀ぐらいで全然OKなんだけど……って――
「中村君。ちょっと聞いてもいいか?」
「はい、何ですか?」
「君は今、いったい何してるんだ?」
中村君は俺が少し思いにふけっている間に、俺達学生が描いた作品が置かれている棚に伸ばしていた。
しかも、そこは俺のこの前描いたもんがあるとこなんですが?
「いや、先輩達がどんなモノ描いているかという好奇心が抑えきれなくて、つい」
「――まあ、見ちゃ駄目っていう決まりはないんだけどさ。何ていうか気恥ずかしいですけどね。こっちは」
「いいじゃないですか。先輩絵が上手いんですし」
いやー、そういう問題ではないのですよ?
やっぱり見られることに慣れてないというか。
それに、俺より上手い人だって何人もいるわけでして。
今君が見てる人のも俺より数倍上手いし。
何より今回の課題が『あれ』で俺が描いたのが――
「先輩ちょっと質問いいですか」
「ん、まあ何となく察しつくけど何?」
「この時の課題ってなんだったんです?」
俺の予想通り、中村君が質問してきたのは、とある課題で描いた作品についてだった。
まあそう思うのも無理はない。
一枚見るだけならそう思うこともないだろうが、数枚めくってみると疑問にも思うだろう。
あるものは風景画。
あるものは人物画。
あるものは抽象画。
描かれたもののほとんどに共通性は感じられない。
だから中村君の疑問はもっとも。それについては答えることにする。
「『心象風景』――ようは自分心の中にあるものを絵にしてみましょうってやつだよ」
「ああ、なるほど……」
こくこくと頷いてまた画用紙をぱらぱらとめくっていく。
中村君がどんな気持ちでみているか、それはわからないが、俺としては興味深いものではないかと思っている。
その描かれたものが、その人の心象風景というのなら、そこに描かれたものはどういった意味があるのだろうか――なんて考えてみるとこれがなかなか面白い。
「って、そんな事悠長に考えている場合じゃねぇ!」
「せっ先輩? いきなり叫んでどうしたんですか?」
俺が急にどなったので、驚いたんだろう。
中村君がぽかんとした表情でこっちを見た。
「なあ、中村君?」
「はっ……はい」
そんな中村君の肩をつかみ、じっと見つめてゆっくりと言葉を吐き出す。
「やっぱり、俺のを見るのはなしっ! このまま食堂に行こうぜ?」
「えっ? でも……」
中村君は俺の言葉に納得がいっていないようだった。
呟いた言葉はどことなく不満そうだ。
だが、悪いが、俺はそれを気にしない。
「見るな、とは言わない。ただ、今見るのはやめてくれ」
「見てもいいなら、今見ても別に構わないんじゃ――」
それは正論だ。
だがな中村君。
この気持ちは理屈から生まれるものじゃない。
一言でいうなら、そう。
気分の問題だっ!
俺はたじろく中村君から画用紙をひったくり、元あった棚へともどす。そしてぐいぐいと中村君の背中を押し、この部屋から出ようとする。
「ちょっ、ちょっとこれは強引すぎなんじゃ?」
「問答無用っ!」
二の句を継がせない俺に対して、見ることをあきらめたのか、中村君から抵抗する力が消えた。
「わかりました。わかりましたから、押すのはやめてくださいっ」
「本当に?」
「さすがにここまでされて無理に見ませんよ。それに後でなら見ても構わないんですよね?」
「ああ。ちなみにもう一つ付け加えておくと、その後俺に感想を述べない。俺に意見を求めないってなら、見てもいい」
「……そこまでしますか? まあいいですよ。見れないよりはマシです。その条件呑みましょう。」
だからそろそろ押すのをやめてください。と言われたので、言われたとおり押すのをやめた。
そして俺は中村君の横に並び歩き出す。
「……」
「……」
扉の前まできたとき、ちらりと中村君を見ると、『なんでそんなに嫌なんですか』的な目で俺をみるが、無視。
ガチャリと扉を開ける。
とにかく、目の前で見られたくない。
恥ずかしいという気持ちがあったから。
普段ならそんな事はないんだけど、あればっかりはなぁ。
何て言うか、できれば俺の知っている人間にはあまり見られたく――いや知らない人間にもできれば遠慮してほしいもんだ。
やれやれ、やっぱり――
「……思いつきだけで描くんじゃなかった」
第二美術室を出た辺りでぽつりと、そんなことを呟いた。
「どうかしましたか?」
「あ、いや。なんでもない。……あー今日の昼飯ってなんだっけ?」
どうやら俺の言った事が聞こえてしまったらしいが、ごまかすことにした。
中村君は最初疑問に感じたのか、怪訝そうに眉をひそませるが、特に追求することはなく、俺の質問に首をかしげながらも答える。
「ええと、メニュー表見てないんでわからないです」
「そうか、じゃあ食堂に着いてからのお楽しみってことか」
「そうですね」
そんなことを喋りながら廊下を歩き、食堂へ向かう。
当初はやはり中村君は俺の絵が気になってたんだろう。 どこか会話がぎこちなかったが、学校を抜け、学生寮につく頃には自然と喋り、その会話を楽しんでいるようだった。