外伝【名前で呼び合う時】表
※彼らがまだ、一年生の頃のお話
「キョウさんてさ、他人の事を全員名字で呼んでるよね」
この学生寮は、二年に上がる前に、部屋替えをする。
一年と同様に、二年生も二人部屋を、同学年の誰と一緒になるか、本人達の希望で決めるのだ。
だから今度入学してくる後輩達のために、前いた部屋を引き払い、新しい部屋に移ったのだが。
俺は二人部屋を”一人”で使用する事になった。
これは単純に、同学年の男子生徒が奇数しかおらず、組める相手がいなかったからだ。
そのため、俺は同級生達と違い、二人分のスペースを使う事ができる。
『ほほうっ』
萩村は、そこに目をつけたみたいで。
『じゃあ、これからちょくちょく遊びに行くねっ』
『――遊びに行くってお前、男子寮だぞ?』
『ふっふっふ、甘いなぁキョウサン。ルールで禁止されていても、方法がない、なんて事はないんだよ?』
『……さいですか』
当り前にぶっ飛んだ事を言うのに、慣れてしまった。
これは喜ぶべきなのか、そうでないのか。
そんな事を思いながら、萩村の笑顔を眺め。
そうして、あいつは有言実行し、今俺の部屋に遊びに来ていたのだが。
あいつは唐突にそんな事を言い出した。
「はい?」
「んー、だからさ、誰に対しても名字で呼んで、男だったらそのまま、女の子だったらさん付け、仲良くなったらさんをとる、という何とも代わり映えもしない呼び方してるよねーて」
部屋の絨毯に置かれたポテチの袋から、一枚ずつ取り出して食べて、俺はベッドの上で雑誌を拡げ、それぞれの時間を過ごす。
そんな時に、ふと思いついたように言われたのだ。
「別に可笑しい事じゃないだろ?」
雑誌から顔を上げて、萩村を見る。
「別に可笑しくはないよ。ただねー、なんていうのかな? 親しくなってもその代わり映えのない呼び方ばかりだから「あーこいつ、人付き合い苦手なんだなー」って思っただけよ」
「……さらりと毒吐くのやめてもらってもいいですかっ? いや、否定できないけどさ」
「否定せずに自覚できているのは流石だね~」
ケラケラと笑う姿に「こいつが女じゃなかったらっ」と内心で毒を吐きつつ。
「俺が人付き合い苦手なのは、もういいよ。んで、それが何だって言うんだ?」
「それだけ……だったんだけど、ちょっと気になる事が出来たら聞いてもいい?」
「何だよ?」
「キョウさん、ていう呼び方はあだ名みたいなものだけど、それよりも前はどうだったのかな? って思ってさ、小学校や中学校の時とか」
そんな事を言われてから、当時の記憶を思い返しながら答えていく。
「えーと確か、小学生の頃がキョウちゃん」
「ほうほう」
「中学生の頃がカザキヨ」
「ちょっと面白いじゃない」
さいですか。
「んで、今がキョウさん……あと地元の中の良いグループは俺の事を「キョウちん」と呼んでる」
「……キョウさんてさ、人付き合い苦手なのよね?」
「そうだけど?」
「にしては、呼ばれ方バリエーションありすぎでしょ。そりゃあさ、仲良くなくても名前を呼ぶ時はあるわよ? けど仲良くないなら特別なあだ名なんてつけないし、仮につけたとしても名前からじゃなくて、見た目の、しかも端から聞いたら悪口に聞こえないようなヤツになるような気がするんだけど」
「……それを俺に言われても困るんだが」
「何だか肩すかしというか、予想が良い意味でも悪い意味でも外れたと言うか……ある意味さすがキョウさんと言ったところか……私もまだまだ修行不足と言ったところね」
「……なんだろうな~? この一切悪口言われていないのに、妙に腹立だしくなる奇妙な感覚は?」
「あらやだ、一体どうしたのかしらね。性根がイカレタ根暗ノッポ君」
さらりと、とてもいい顔で萩村がのたまう。
「俺が今まで聞いた中でお前の呼び方が一番酷いぞ!?」
「もうっ、キョウさん、そんな褒めないでよ、照れるな~」
「褒めてないからな!?」
すらすらと悪口をいった挙げ句、照れたように笑う萩村に突っ込みを入れる。
本当にこいつは一体どういう神経しているんだか。
「……」
「ふふっ」
半眼で萩村を見るが、それを気にすることなく俺をじっと見つめ、数秒の時間が流れてから口を開いた。
「……ねえ、キョウさん」
声のトーンを変化させた事で、部屋の空気が変化する。
「……何?」
「ちょ~っと、お聞きしたい事がありまして」
「急に何だよ、気持悪い」
にこりと笑って敬語を使う萩村に、全身に鳥肌がたった。
「わたしってキョウさんにとってお友達?」
「はっ?」
「だから、私とあなたはお友達?」
妙に甘ったるい声で、こてんと首を傾げる萩村。
その仕草は破壊力抜群で、萩村以外の誰かがやればドギマギしたかもしれないが、こいつの内面を知っている身からすれば。
――こえぇ。
以外の感情が浮かばない。
そう思いながらも、繰り返される質問は至ってシンプル。
――萩村の事を友人と思っているのか?
その質問に対し普段なら「知らねーよ」と返すだろう。
俺と萩村の関係は、この学校の特性の一つとして、「全校生徒」の人数が極端に少ない事で、どんなに仲が良くなくても、時間が経てば顔と名前を自然に覚える事、そして人数が少ないため、関わる機会が他校と比べて多い事、会えば挨拶を交わすというこの学校独自のルール。
それらの要因が重なって“知り合い”にはなった。
ただ、それ以上の関係になることはないだろうなと思っていたんだ。
萩村の事は、「嫌われてるなー」と言うのが第一印象で、それなら関わりあうのは避けるかーと思って、一歩線を引こうとしたら、何故だか向こうから近寄ってきて。
そうして関わり出来て……やっぱり嫌われているな、なんて思っていたから、これ以上の関係はないと思った。
けれどある時を境に、こいつの見る目が「面白い玩具を見つけた」に変化してから……色々“ありすぎた”。
顔が良い、頭が良い、そんな曖昧な印象では想像できないような経験を得て、その結果良くも悪くもこいつに対して変な遠慮はいらないと結論づける。
最低限、女子という気遣いはしても、お互いに言いたい事を遠慮なくぶつける事ができる、俺にしては珍しい交友関係。
萩村は、今までの人生の中で得た、数少ない仲の良い友人達とも違う。
そんな萩村との関係を、あえて言葉するなら“悪友”だろうなと思っている。
だからそんな風に、「私達仲良しだよね♪」と聞かれても素直に返事などできようはずもない。
「……」
ない、のだが。
「……」
「……」
俺の第六感が警報を鳴らしている。
――今は正直に答えておけ、お前も命は惜しいだろう?
普段は自身の勘なんて当てにならない、なったためしなどほとんどない。
けれど、この勘に逆らってはならない、という妙なプレッシャーを感じる。
そのため、ぎこちなく口を動かして。
「せ、世間一般では、ゆ、友人と呼んでも、差し支えないかと」
「ふーん……それってさ、つまり仲が良い、って事でOK?」
「……」
「……」
表情に変化が全くない。
ないのがとても恐ろしい。
俺は今、こいつが何を望んでいるのかさっぱりわからなかった。
よくある、恋愛漫画の王道で友人関係から一歩踏み出すとかそういう――いや、ないな。
最初の頃を思い出せ、俺。
萩村が俺を見ていた“あの”表情をっ。
コロコロと笑いながらも、目だけは冷めきって「お前が嫌いなんだ馬鹿野郎」と圧をぶつけてきたあの時の事をっ。
そんな目をしていたヤツが、何をどう心変わりしたのか「面白い玩具を見つけた♪」と悪戯で好奇心旺盛な態度に変わったとしても。
俺に対して、異性としての――
「あのさ、キョウさん?」
「は、はい?」
「今、もの凄~く、不愉快な事考えてない?」
部屋の空気が凍った、気がした。
「ははははっ、何言ってるんだ? そんなバカな事あるわけないじゃないか、はははははっ」
こいつ、何? 人の心でも読めるの?
どうしてそんなにピンポイントで、人の心の声遮れんの?
こいつ、やっぱりおっかねぇわ。
そんな風に思いながら乾いた笑いを浮かべていると。
「ま、そっちはいいや。それで?」
「それで、って?」
「だから、仲が良いかどうかって所よ」
またそれか。
……仲が良い、ねぇ。
素直に「はいそうです」という柄ではない事はお互いわかっていて、何故それを改めて聞くのか。
考えた所で、結局答えはわからないまま。
ならば、と俺はこれ以上考えるのをやめた。
答えはでない。
ならもう、こういう時は。
思った事をありのままに告げた方が、早いか。
そう結論づけて、俺は口を開く。
「お互いに仲良しこよしでやっているわけじゃないけど、思っている事をこうして遠慮なしに言って、それを苦痛だと思わない。だから」
悪くないんじゃねーの、とそっぽを向いて答えた。
「……」
萩村はすぐに返事をしない。
なので俺は選択を間違えたか? と萩村を見る。
すると。
「なるほど、ね。了解。キョウさん”も”そう思ってるんだ」
くすりと、萩村には珍しく、優しく笑った。
俺の前では滅多に浮かべない表情に、呆気にとられる。
「何か、お前にそんな顔でそんな風に言われると調子が狂うな……」
「そう? こういうのって、時には確認することも大事よ? なぁなぁの関係もあるにはあるけど、私そういうのキョウさんには求めていないし、「口にしなくても伝わる」っていうのは、それだけの積み重ねがあってこそだけど、まだ私達そこまで親睦を深めたわけじゃないからね」
「――さいですか」
「そうそう♪」
何か、こそばゆいなぁ。まぁ悪い気はしない、でもない。
そんな風に「ようやく、変な空気とはおさらばだ」と思っていると。
「それでここからが本番なんだけど」
「えっ」
本番って何が?
「いや~そうやってさ、仲が良いって思ってくれているなら、当然変えるべきよね?」
「何が?」
「よ・び・か・た」
「……何の?」
「私の」
「誰が?」
「キョウさんが」
「……どんな風に?」
「んー最低でも名前呼び、後はキョウサンのネーミングセンス次第。あっもちろん変な名前だったら……」
「だったら?」
ダラダラと冷や汗を流しながら訪ねると、萩村は答えず、ただニコリと笑うばかり。
え、何これ?
どうしてえっちらおっちらと壁を上ったら、今度はドデカい山がそびえ立ってんの?
四苦八苦して安堵した瞬間に絶望に叩きつけられるとか、何、何なの、今日は厄日か何かですか?
そんな風に現実逃避をしていると。
「キョウさんっ」
「……はい?」
「ごー」
へ?
「よん」
まさかのカウントつき!?
「さん」
まてまてまてまて。
「にー」
まだ、まだ心の準備ができて……
「いちー」
ああ、ぐちゃぐちゃ考える時間さえないだとっ。
そう思ったのと同時、俺は萩村の――――。
“瑞希”の名前を、ゼロと告げる瞬間に呼んでいた。
その時の瑞希は、それはそれは楽しそうに笑っていて。
俺はそんな笑みを見つめながら項垂れた。
もう、勘弁してください。
余談として語るなら、学園でも屈指の美少女なる瑞希の名前を、俺のような人間が、人前で呼ぶようになった事で、様々な人種から目を付けられることになり、そしてその目に付けた殆どの人間をあの手この手で黙らせていく瑞穂を見て「やっぱりこの女は怒らせたらいけない」などと思ったのは、ここだけの話である――――。




