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5章 【If】その一 


 俺が好きだと言った時に華彩が入ってきて、頭が真っ白になっている中。



「じゃあ、後は2人でゆっくりね?」



 瑞希は立ち上がって、入り口まで移動していた。


「はい。今回は色々……本当にありがとうござました。みぃ先輩」


 入り口に立っていた華彩は、隣までやってきた瑞希に向かって声をかける。


「いいのいいの、全部私がやりたくてやった事だし、それに、余計な事も聞かせちゃったかなぁ~も思っているしね。……あ、でも、良ければ中村君にはお礼を言ってといてあげてね?」

「勿論です。あと、みぃ先輩の話は、正直、今まで教えてもらった事も含めて、驚く事ばかりでしたけど、それでも聞けてよかったって思ってるんです。だからありがとうございました」


 華彩は何故か頭を下げて、瑞希は「ここは素直に受け取ったほうがいいかな……どういたしまして」と華彩の言葉を受け取っていた。


 そんな2人のやりとりを理解できないまま。


 俺は瑞希に向かって話しかけた。


「あ、えっ、お、……おい。お前まさかこんなタイミングでいなくなったり……とかしないよな?」


 本音とは言え、俺まだ断るつもりで、好きだと言ったんだけど?


「あっはっはっはっは、キョウさん――」


 俺の慌てぶりがよっぽど可笑しかったのか、瑞希は大笑い。


 そして。



「グッドラック☆」



 グッと親指を立てて、ウインクしたかと思えば。


「さらばだぁ!」


 芝居がかった台詞と共に、扉を閉めて本当に去って行ってしまった。


 ……おい、瑞希、お前っ!


 肩を震わせながら、心の中で絶叫する。



 あいつ、爆弾ばらまくだけばら撒いて、いなくなりやがってー! 


 

 いや、爆弾ばらまいたのは俺だけどもっ!


 けど、爆発させてはいけない場所に誘導したのはあいつで間違いない。


 だというのに、そんな事知ったことか言わんばかりにいなくなってしまった。


 そんな状況で、華彩と2人きりって。


 え? 俺どうすればいいの? 


 華彩に対して正直に本音を言えば正解?


『お前のことは好きだけど、俺みたいなやつだと駄目だと思うから、付き合えない』


 ――それって、駄目じゃないか? 


 幾らなんでも。


 でも、「じゃあ付き合うか?」って聞かれたら。首を縦には触れないし。


 そもそもに「好きだ」と聞かれたのが一番の問題なわけで。


 ああ、そうかっ。

 

 じゃあ時間を撒き戻せば全部解決……


 ……って。


 できるわけねーだろ、そんな事っ!


 いや、混乱している場合じゃない。


 落ち着け……とりあえず、とりあえず落ち着けっ。


 落ち着いて今の状況が万事解決するとは思えないが、けど混乱している状態じゃ事態は何も変わらない。


 なので。


「な、なぁ華彩?」


 まずは話を。そう思い華彩に声をかければ。


 じっとこちらを見つめた後ににっこりと笑い。


 とことこと俺の近くではなく、入り口から一番近い席に移動。


 その行動に疑問に思いつつ、真ん中の席に座っていた俺は華彩に近づくために立ち上がって華彩に近寄っていく。


 すると。


「あぁ――何だか懐かしいですね」


 距離がある程度近づいたところで、華彩はそう言って目を伏せた。


 それはまるで、何かを思い出す仕草。


「懐かしい? 一年もこの教室は使っているから、別に懐かしいとかは、ないんじゃ?」

「違いますよ。私が懐かしいと言ったのは、ここで初めて風間先輩と会って。そして今こうして、また一緒にいるから、懐かしいと言ったんです」


 そうやって、悪戯を思いついたような笑みで俺を見た。


「えっ」

「先輩。覚えていませんか?」


 そう言って、腰まで届く長い髪を左右に分けると、肩辺りの位置で、髪が前に掛かるようにして、両手で握った。


「今より髪は短くて、肩辺りまでだったんですけど。こんな髪型をした女の子のこと覚えていませんか?」



 普段とは又違う髪形に一瞬どきりとしながらも、華彩が言っている髪形の女の子。


 それが初めて会った時の華彩の髪型だというが、今いちピンとこない。


 でも何か頭に引っかかりを覚えているので、心辺りが全く無い、というわけでもなさそうだ。


「じゃあ、次。去年の体験入学。先輩いましたよね?」


 俺が思い出せていないのが表情に出ていたのだろう、華彩は、握りしめていた髪を離して。


 いつもの髪型に戻した後、楽しそうに次のヒントを出す。


「ああ、いたけど」

「じゃあ、その時に、1人の女の子に話しかけませんでしたか?「大丈夫か?」って」


 去年の体験入学。


 すでにこの学園に入学していた俺が、手伝いの生徒の人数が足りないと夢野先生に言われて、渋々手伝いに駆り出されたあの日。


 言われた通りに、黙々とこなしていって。


 そしてある程度それが終わって手持ち無沙汰だった時に「見回ってアドバイスしてやってくれ」と体験入学を受けに来た学生達の描いている絵を見て回って。


 そして。


 絵を描いている最中に、手を止めて俯いている子が1人。


 華彩の言った通りの髪形をした少女が。


 体調が悪いのか、それとも描いている絵が上手くいってないのか。


 どっちかはわからなかったけど、それでも何かあったのかと声をかけた。


「――っあ」


 考え込んでいたため、いつの間にか俺は俯いていたようで。


 思い返して、当時の事をある程度思い出してきた時に顔を上げれば。



「その女の子が、私です」



 悪戯が成功したような笑みを浮かべて。




 あの時、あの子が描いた絵を。まるで宝物を自慢するかのよう広げていた。



「あ、あぁ……ああ! あの時のっ!?」


 絵を見て、あの時の女の子の顔と、今の華彩の顔が重なり。一気に思い出した。


「思い出してくれました?」

「えと、思い出したけど、でもあの時のが、華彩? えと……いや、本当に?」

「私、髪型以外はそんなに変わっていないと思うんですが」


 首を傾げながらそんな事を言っているが。


「いや、顔が変わっているから、とかじゃなくて。あの時の子と華彩が同一人物である。ってことを頭が処理しきれていないっていうか……あぁ、でも確かに言われてみれば。確かにあの時の子、なんだよな?」

「はい」


 当時の華彩と、今の華彩が同じ人間だということを、上手く処理できていないのは、多分当時と今では華彩との関係が全く違うモノになっているせいだろう。

 

 当時の俺にとって、あの時の華彩は体験入学を受けに来ただけの女子生徒で。

 

 今の俺にとっては、華彩は後輩の女の子。

 

 その事実が、同一人物であるということがわかっても、どこかふわふわとした感覚が残している。

 

 けれど、それも最初の間だけ。


 事実がわかれば、だんだんと華彩の言葉に納得できる俺がいた。


「そっか、いや、何ていうか不思議な気分だよ。あの時の子が華彩だって。でも、体験入学の時に会っている可能性って、普通に考えれば全然あり得る事か……」


 言われてみれば、入学前にここの学校に興味があったら一度見に来ると思うし、その時に手伝い駆り出されれば、そうやって顔を合わすことだって十分ありうる事。


「いや、人が苦手だと思って、基本避けていたのに、そんな所で出会うなんて、人生ってわからないもんだな」

「確かにあの時の先輩は、どこか人に対して固くなっている所がありましたね」


 傍から見ても、わかるぐらいの表情をしていたんだな……と少し気恥ずかしくなった。


 それを振り払うように、というわけでもないが。華彩が広げている絵。平坂先輩をモデルとしたクロッキーを見て。


「あの時、持って帰った絵、まだ持ってたんだな」


 その台詞と共に、当時の事を振り返った。













 当時体験入学の授業が終わり、体験を受けに来た学生達を見送った後、片づけを終えたら、寮に帰るだけ。


 そんな時に当時の華彩が俺に声をかけてきた。


『あの……この絵って持って帰っても大丈夫ですか?』

『別に構わないけど、いらないなら、こっちで片付けるだけだし』


 あの授業で描かれた絵は、邪魔になるならこちらで片付けておく。と言っていただけで、持って帰りたいのであれば、別にこちら側からそれを拒否する理由など無い。


 現にほとんどの生徒は、自分の描いた絵を持ち帰ることはせず、指定されて机に置いていった。


 だから、持って帰りたいという台詞に軽い驚きはあれ、断る理由もない俺は華彩の言葉に頷いたのだが。


『そうですか。よかったです』

 

 華彩は本当にその絵を気に入ったようで、俺の言葉に心から喜んでいた。


 その姿を見て。

 

 ああ、よかったと。


 最初は俯いて手が止まって、顔を上げれば泣きそうな顔をしていたから。


 だから結果として満足できたのなら、本当に良かった。


 そう思ってその姿を見ていたが――


『――喜んでいる所悪いんだけど、早く行かなくて大丈夫か?』

『あ、本当だっ。みんな行っちゃった。じゃ、じゃあ先輩私はこれでっ』


 俺の台詞で、他の生徒がいなくなった事に慌てた華彩は、ぱたぱたと教室から出て行こうと走り出した。


『あの……えっとっ』

『んっ?』


 けれど、入り口で足を止めて振り返る。


『私、最初、ここに来たのが間違いだと思ってましたけど。今は逆に来て良かったと思います。だから本当にありがとうございましたっ』


 そう行って頭を下げたかと思えば、今度こそ振り返ることなく走り出した。


 華彩の走りだす姿を見て。


 喜ぶのはいいんだけど、あんなに慌てて転んだりしないだろうか? と少しだけ不安に思いつつ見送っていた。













「あの時の絵をまだ持っているなんて。相当気に入ったんだな」

「そうですよ、この絵は私が今まで一番楽しく描けて、今まで一番上手くできたもので――」


 俺の言葉に、広げていた絵を大切折り畳んで、ポケットにいれた。


 そしてその部分を優しく撫でた後、俺を見てふわりと笑う。




「私が先輩を好きになるきっかけを与えてくれた大事な思い出の証ですから」                                    



 そんな風に言われて、何も感じないわけがなく。


「え、俺のことを、好きになった?」

「はい、私が先輩を好きになったのはあの時です」


 顔を赤くした俺の言葉に、しっかりと頷く華彩。


 混乱しそうになる自分を、どうにかして、立ち直らせる。


 今までのように固まるな、話が進まなくなる。


 そう思って、華彩を見れば。


 華彩は笑って俺を見つめていた。


「驚きましたよね?」


 その言葉にどう反応できたらいいのか。


 それがわからずに、けれど頷くことしか思いつかなかったので、素直に「驚いた」と答えれば。


「ですよね。ああ別にその反応が駄目だとか、そういう事を言いたいわけじゃなくて、ただ知って欲しかったんです」

「知って欲しかった?」



「先輩を好きになったのは『たまたま』『偶然』『行った事』が『好意的』に映ったからじゃ、ないんです」


 華彩の言葉に、昨日自分で言っていた台詞が思い返される。


「みぃ先輩に相談してから、今までずっと先輩の事を聞かされて、ただ告白しただけだと、何だかんだ言って素直に受け取らないと言われたから、まずは先輩の事を理解したと思ってもらえるよう時間かけてから、その後で告白するつもりでした」


 相談ということは、昨日の事は勿論、相談を持ちかけてずっと。俺の話を聞いていたということだろう。


 だから、今の華彩は俺のことを、俺の予想以上に知っている、のか。


「昨日の告白は、突然のアクシデントが重なって、このまま黙っていたら先輩は私のことをずっと”後輩”としか見てくれないんじゃないかって、怖くなってしまって思わず言ってしまったんです」


 華彩の声が、少し震えていた。


「最初はやってしまったと思ったけど、『なかった』事にしたくなかったから、私はこの気持ちが届いて欲しいと願いながら、何度も告白したんです」


 華彩は、声が震えるのを抑えながら、自分の思いを教えてくれた。


 先輩の事が好きだ。


 付き合いたい。


 一緒にいてほしい。


 ―-と心の中で何度も願っていたと。


 時々声の震えが収まらなくて、それを止めるために、言葉を止めて。


 そして又少し経てば口を開いて続けてくれた。


 でも、先輩は答えてくれなかった。


 それは正直寂しかった。と。

 

 ――けれど、それよりも告白の後、事情を聞いてくると出て行ったみぃ先輩が、先輩と話を終えて戻ってきた時に教えてくれた、告白の返事をもらえないこと以上に悲しかった事実は――

 

 ここで華彩は俺に近づいて、ぎゅっと俺に体を預けて。


 声が震えながらも、俺の顔を見上げて言った。


「先輩が私の事を好きとか嫌いとか、そんな事を思うよりも。私の気持ちが何かの間違いで起ったモノだと。そして……そして先輩と私が付き合う事が間違っていると、先輩がそう思っている事が、一番いや、でした」


 それから華彩は。


 だから。


 だから、だから、だから――と。


 何度も同じ言葉を紡いでいく。


 それだけ感情を出して、それでも出し足りないんだと思った。


 そうして何度も繰り返し後に。


「だから、付き合う、合わない、の話よりも。まず何より知ってもらいたかったのは、私のこの気持ちは、誰が何と言おうと、例え先輩が言ったって、間違ってません。と言うことです」


 誰にも、この気持ちを否定して欲しくない。


 そう強い意志を瞳に乗せて見上げる。

 

 そんな華彩を見て。


 きっと、あの夜、俺は瑞希にもっと罰を受けるべきだったと、思った。

 

 こんな風に傷つけたかったわけじゃない。


 こんな風に言ってほしかったわけじゃない。

 

 ただ、いつも浮かべていたあの笑顔を絶やすことなくいてほしい。と。


 それが俺の傍ではなくとも。

 

 自分が好きになった女の子が、隣にいなくても。


 せめて幸せな姿でいて欲しい。


 そんな俺の願いは。

 

 他の誰でもない俺自身が、自分の手で壊していた。


 それが理解できたから。

 

 だから、今すぐ自分が許せなくて、壊したくなった。


 ぐちゃぐちゃになっていなくなってしまえばいいと。

 

 けれど、そんな俺を華彩は優しく抱きしめる。


 俺の表情は今の華彩からは見えていない。

 

 だというのに、華彩は抱きとめ、優しくなでる――まるで、泣いている子供をあやす、そんな仕草で。


「だって、先輩は、あの時たまたまあそこにいただけかもしれないけど。困っている私に声をかけてくれたじゃないですか」


 さすっている手を止めて、背中に回した腕でぎゅっと少しだけ強く抱きしめる。


「あの時、困っていた私に、何も感じていなかったなんて、そんな事はなかった。先輩は、まだ何の関係もなかった私を心配して、声をかけてくれた。下手だと、上手く描けないと悩む私に、真剣になって上手く描ける方法を教えてくれた。上手く描けたと喜ぶ私を見て、自分の事のように喜んでくれた」


 当時の事を振り返って、愛しいものを抱きかかえるように、華彩は言った。


「人が苦手だと、そう言っていても、困っていたら見知らぬ人間でも思わず手を差し伸べられる優しさが、先輩にはある。」


 そして確かめるように、言葉を紡いでいく。


「自分が嫌いだと、そう思っても……お願いですから、そうやって、自分を傷つけないでください。それは私や、みぃ先輩や、中村君が悲しむことです」


 一つ一つ、自分の言葉と気持ちが俺に伝わるようにと。


「思わず、他人を傷つけてしまった事に、囚われ続けないでください。先輩の言葉や行動が、結果的に人を傷つける事があっても、それ以上に先輩は、差し伸べた人間が喜んだ時に、まるで自分の事のように笑うことができる、とても素敵な人です」


 そう思って、言ってくれていることが伝わり、心の中がじんわりと温かくなった。


 傷つけたはずなのに。


 それもきっと俺が知らないだけで何度も。


 それでも俺に向けられる言葉が優しくて。


 視界が滲んでいくのを感じる。


「ねぇ、先輩?」


 そうやって、何とも言えない気持ちになっている時に、華彩はゆっくりと腕を離し、一歩だけ距離を開けて、俺を見た。


 華彩の温もりが離れていくことに名残り惜しいと、そう思った時。


「一度だけでも、難しく考えるの、やめてみませんか?」


 そうやって、今度は俺の右手を両手で優しく包み込む。


「私、別に自分に自信があるから、好きだと言っているわけじゃありません」


 少し照れくさそうに笑いながら。


「でも先輩の事が好きです」


 昨日の時と同じように。


「先輩は素敵だと思います」


 何度も。


「私では、釣り合わないかもしれません」


 何度も何度も。


「それでも一緒にいたいと思っています」


 繰り返して、くれる。


「人が怖くて、結果的に人を傷つけてしまう事があっても、他人の事を、当たり前のように気遣える、そんな先輩の優しいところが好きです」


 自分の想いを、俺に。


「苦手だと言って、距離を置こうとしても、それでも手を伸ばさすにはいられないあなたは素敵だと思います」


 言葉と、態度と、行動。


「苦手だとか、自分が嫌いだとか、距離を置いたほうがいいとか、釣り合わないとか、付き合わないほうがいいとか、全部抜きにして」


 自分が使えるであろう全てを使って。


「どうでしょう? 先輩――」


 華彩は俺に。 



「――私と付き合ってみませんか?」


 

 二度目の告白をしてくれた。


「……」


 あの時と違うのは、笑ってくれている、という事。


 俺が、いつも目にする。


 俺が好きな表情で。


 俺を好きだと言ってくれた。


 それを見て、俺は。


 ああ、やっぱり好きなんだなと自分の気持ちを再確認する。


 実感できたのは、つい先ほどの事だけど。


 けれど、一度気づいてしまえば。


 俺は、きっと――この表情を見たときから。


 華彩の事が好きだったんだ。


 そう思う。思うことができる。


 それが泣いてしまいそうになるくらい嬉しかった。


「あの、さ」


「はい? 何でしょう?」


 首を傾げても、表情を変えずに華彩は俺を見ていた。


「俺も、言いたい事が、あるんだ」


「はい、何ですか先輩?」


 泣きそうになるのを堪えながら華彩に声をかける。それについて何も言わず。ただ俺が出す答えを待っていてくれている。


 華彩がここまで、本心をさらけ出した事は、多分ない。


 こんな風に自分をさらけ出して、それでも、手を差し伸べられる人を俺は知らない。

 

 否定されて、傷ついて、それでもこんな笑みを俺に浮かべてくれる存在。

 

 そんな子は多分きっと二度と出会えない。

 

 だから、俺も。

 

 答えないと、という義務感からではなく。

 

 答えたいという願いから。

 

 震える左手を。華彩の手に重ねて。


「……に、い……」


 本心を口にしようとした。


 でも、やっぱり怖くて、漏れた言葉は形にならない。


「先輩?」


 当然、それでは届かない。


 だけど、恐怖も、震えも一向に収まってくれなかった。


 だって、初めてなんだ。


 こんな風に――


 自分の思いが、相手に届いてほしいと。

 

 そう願って、誰かに言うのは。


「聞こえなかったので、もう一度、お願いできませんか?」


 だから怖い。


 言ってしまうのが。


 けれど、怖くても、それでも言わなくちゃいけない。


 華彩はきっと俺なんかよりも、悩んで、怖がって、迷って。


 それでも勇気を出して言ってくれたのだから。


 だから、俺も思うだけじゃなくて、きちんと言葉に出そう。


 そう思って。一度大きく息を吸ってから。



「おれ、も。いっしょに、いたい……です」



 恐怖に震えながら、最後何故か敬語になってしまったが、それでも言う事ができた。


 そして、その瞬間。


 全身の力が抜ける。


「せ、先輩っ?」


 お互いに両手で相手の両手を包みこんでいたせいだろう。


 多分、体の力が抜けたことで、床に倒れそうになった俺を抱きとめようとして、それでも、それができなくて。


 両手を握りしめたまま状態で、俺が床に座りこんだから。


 軽く腰を曲げた状態の華彩が、俺を心配そうに見上げていた。


「なあ、華彩、ちゃんと、聞こえたか?」


 そんな華彩に、俺は確認のため、口を開くと。


「ちゃんと、聞こえましたけど、だ、大丈夫でしたか? ケガとかしてないですか?」


 笑顔から、一転しておろおろとする華彩。


 心配かけてしまったことは、悪い事をしたと思っても。


 きちんと、自分の気持ちを伝えることができて、それがとても嬉しくて。



「そっかぁ。よかったぁ」



 俺は笑った。


 多分この時の俺は、とても情けない姿を華彩にさらしていた。


 声は震えたまま。


 体の力は抜けて、色んな感情が駆け巡ったせいで、顔は火照り、視界は涙で滲んでいる。


 男がこんな姿を晒すのは情けないことこの上ない。


 でも、その表情が、今の俺のありのままの姿だから。


 だから、俺は笑ったまま華彩を見つめる。


 きっと、華彩はそんな俺を見ても、受け止めてくれるとは思うし。


 そう思っていたら。


「~~~っ!!」


 何故か、華彩も顔を赤くしていた。


 今、華彩が顔を赤くさせる出来事なんてあったろうか?

 

 不思議に思う間もなく。


「せ、先輩っ!」

「う、うん?」


 そして、何故か急に声を張り上げて俺を呼ぶので、俺はわけのわからないまま返事をする。


 更に。



「私、絶対に――先輩のこと離したり、しませんからっ」



 わかるような、わからないような事を強く宣言した。


「え、と、う、うん?」


 正直、言葉の意味がわからない。


 だって、ついさっき俺達はお互いの気持ちを伝えて、受け取った。


 つまり、俺達は彼氏、彼女の……世間で言うところのカップルになった。


 それは、わかるのだけど。離したりしない、ってどういうこと?


 俺も一緒にいたい=離したりしない。


 ――って流れは世間では普通なの?


 いや、まったくかけ離れているとは思わないけど。


 でも、あの流れで、何故その宣言がでるのか、しかも華彩の声は力強いものだったし。


 恋愛事に聡い人間なら、「そんな事もわからないのか、これだから鈍感は」と今の俺に呆れたりするのだろうか?


 考えてみても、よくわからなかった。


 ただ。


「まあ、なんだ? これから先輩後輩としてでなくて、その……こっ、恋人しても、よろしくな?」


 それでも、付き合う事に変わりはないのだから、そういうことも追々わかっていけばいい。


 そう思って、俺が笑って言えば。


「そうやってっ、またそんな風に笑ってっ。先輩、その笑顔は、反則ですよぅ!」


 何故か、顔を赤くさせて。そんな事を言う。


「笑顔? 笑顔なら、華彩の方が可愛いと思うけど」


 俺の笑顔、そんなに駄目かな? 


 いや駄目なのか。


 情けないもんな今の俺。


 そう思っていたら、顔を赤くさせた華彩は俺の懐に飛び込んできて、トントンと両手で叩く。多分自分の気持ちを表現しているんだろうけど。


 俺を傷つけないように配慮しているためか、何か小動物がじゃれているみたいで可愛らしい。


「そうやってっ、先輩はっ、また私の心を揺さぶるような事を言ってっ」


「俺、思った事を言っただけなんだけど、何か嫌な気分にさせたか? それだったら直したいんだけど?」


 付き合う事になったばかりの女の子を傷つけたくないと。


 そんな気持ちで。


 俺の胸に収まっている華彩に向けて言えば。


「もう、先輩は、もう、本当に、こんなにも当たり前みたいにっ!私を可笑しくさせる事ばかり言ってっ――先輩。もう、私、先輩なしじゃ生きていけないっ」

「ええっ!?」


 だから、何故そんな事になるのか。


 それが分からずに、動揺していると。


「先輩、責任、とってくださいね?」


 更に俺に衝撃を与える一言を言う華彩。


 何、この流れ?


 まじで、なんなの?


 困惑する俺をよそに華彩はじっと俺を見つめて。


 返事を待っている。


 ああ、もうっ。


 何が何だかさっぱり分からないけど。


 それでも、そんな風に言われたら。俺の言えることなんて、たった一つしかない。


「わ、わかった」


 多少どもりながら、ではあったものの。そう返事をした。


 そうしたら、華彩は嬉しそうに笑った。


 そんな華彩の顔を見て。

 

 俺は、多分、一生この子に敵わない。

 

 瑞希の時のように、瑞希とはまた違った理由で。

 

 そんな事を思うのだった。

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