4章【返答 会合 本音の後に】その一
「ごめん、って一体どういう事かな? とりあえず一発殴らせろ!」
消灯の時間になり、先生の見回りも終わった後。
いつものように窓から入ってきた瑞希は、出会い頭に、俺の顔面を思いっきり殴りつけてきた。
「ぐふぅっ!」
「ああ、先輩! 大丈夫ですかっ!?」
無防備にベッドに腰かけていた俺が、そのまま吹っ飛ばされ、床のラグに座っていた中村君は慌てた様子で俺に近寄って来て、声をかけてくれる。
「あの、は、萩村先輩? 僕もまだ、ちょっと話しを聞いている最中だったんで、あれなんですけど。何もいきなり殴らなくても……」
「中村君、ごめんね? 私さぁ、今、色々抑えている最中なの。もうね、すぐにでも爆発しそうなの。できれば、無関係な君を巻き込みたくないの。だからさぁ――」
――引っ込んでてくれない?
強烈な怒気を撒き散らして、吐き捨てる瑞希に、中村君は「ひっ――」と空気を吐き出すかのように声を出す。
明らかに怯えきっている中村君に向かって、大丈夫大丈夫と何でもない事のように装い、体を起こしながら手を振って、これ以上中村君が、瑞希を刺激しないようにした。
自分を慕ってくれている後輩に、わざわざ魔王様に喧嘩売るような真似させたくないしなぁ。
中村君が口を噤み、道を譲るように壁のほうへ移動したのを見た瑞希は、何も言わずに俺を一瞥してから、部屋に置いてある自身の持ち物から、ジュースを一つ取り出して、ストローを差し込んで飲む。
いつもだったら「酸っぱい! でも止められない」そんな事を言いながら飲むであろう【カムカム】と書かれているジュースを一気飲みした後、部屋に設置されているゴミ箱に投げ捨てた。
そして、少し間が空いた後に。
仁王立ちした瑞希が、静かに口を開いた。
「中村君がここにいて、しかも話をしていたって事は、中村君もある程度は話を聞いているってことでいいかしら?」
「あ、いえ、ええと……先輩が寮に戻って来てから、なんかいつもと様子が違ってたので、心配になって様子を見に来たんですけど。先輩『俺が告白された。どうしよう』って連呼するばかりで、それ以上の事は――」
「なるほど――これが日和ちゃんの言っていていた”慌てている状態”ってやつね。うん。大体状況が理解できたわ」
「えっ、やっぱり先輩に告白したの華彩さんだったんですかっ!?」
「やっぱり――ってことは、中村君も気づいてた?」
話している内に、怒気を押さえ込んだのか、幾分落ち着いた瑞希と、俺が誰に告白されたのか理解した中村君は、先ほどの怯えが消え、驚いた様子で瑞希の言葉に応える。
「えと、噂の”付き合っている”っていうのは、風間先輩から違うと聞いてたので知ってました。でも華彩さんが、先輩を好きなのは見ていてわかっていたので」
「そうよねー。普通わかるわよねー。だと言うのにこの鈍感男。今の今まで全然気づいてないんだもの。……たく、そんなのはラノベの中だけで十分なんだってのよ」
正直2人が繰り広げている会話に、驚きを隠せない俺。
えっ? 華彩って、誰が見てもわかるぐらいに俺の事が好きだったのか?
俺、全然気づかなかったんだけど。
そんな事を思っていると。
「とりあえずキョウさん」
「はいっ!」
急に呼ばれて、慌てて姿勢を正して、正座する。
「日和ちゃんから話を聞いて、キョウさんの状態も確認した事で、現状はなんとなく理解できたわ。けど、私が聞いたのはあくまで日和ちゃん主観での話だけ。だから、現状をもっと正確に把握するためにも、今度はキョウさんからの話も聞きたいわけよ。て、言うかさ――」
その時正座の俺に目線を合わせるためか、スッとしゃがみ込んだ直後に、俺の胸倉を掴み上げ、にっこりと笑う。
あの時と同じように目が全く笑っていない状態で。
視線だけで、人を殺す事ができるんじゃないか、そう錯覚して俺はダラダラと冷汗を流す。
そんな俺に向かって。
「――あの後あった事を、嘘偽りなく、全て聞かせろ。 今 す ぐ に!」
肉食獣を彷彿とさせる、ドスの効いた声で、そう言われてしまえば――
「はい、わかりましたっ!」
――もう、俺としては、言われたとおり、嘘偽りなく語るしかないわけで。
返事を聞いた瑞希が俺の胸倉から手を離し、部屋に置かれている椅子に腰掛け、腕を組んだ後で、じっと俺を見る。
そんな瑞希に対し、震えながらも、正座のまま俺は語り始めた。
まず、語った事は瑞希がいなくなった後の事から。
ケガについての俺と華彩のやりとり。
それについては特に何も言う事はなかったようで、黙って耳を傾けている。
中村君には告白以外のことは何も言ってないので、『えっ、えっ、ええっ?』となっていたが、そこは掻い摘んで触れておいた。
華彩が山田(仮)から告白を受けて断り、途中俺が乱入し、それに腹を立てた山田(仮)が、暴言を吐いたところで、俺が暴走したこと。
そして、それを華彩と、現場に駆け付けた瑞希が止めて、それでも何だかんだいう山田(仮)に対し、瑞希が山岸に連絡をとった後に連行。
「……ああ、だからですか」
中村君は納得したように頷き。
「だから、あんなに憔悴しきって、風間先輩を見れば怯えたような表情に……納得しました」
遠い目をする中村君。
俺も点呼の集まりの時にちらりと見たが、何だかとてもやつれており、仲間内からもかなり心配されていたようだったが、本人は「なんでもねぇ」の一点張り。
俺が関わると、またややこしい事になると思って、以降気にしないことにしたのだが……
まあ、誰が見てもおかしな状況だったのだろう。
何かあったのかを口外していないということは、それを含めて瑞希に言い含められたな山田(仮)。
正直、華彩に言った暴言は思う所はあるが、瑞希達との”オハナシ”に関しては、少しだけ同情する。
格闘技を学んでいる山岸、そしてあの状態の瑞希のタッグなど、想像したくもない。
あの2人を相手に肉体と精神、どっちも無事なんてありえないだろ?
あ、山岸といえば。
告白の事で頭が一杯で、正直それどころではなかったが、今回の件に関して、あいつには迷惑かけたから、一言礼を言いに言った。
すると、あいつは何でもないとばかりに。
『別に。ダチの事を悪く言われるの好きじゃなかったから』
それだけ言って「又何かあったら声かけてくれ」と軽く腕を上げて去っていくとか。
マジで男前すぎた。
行動が少し過激な所はあるが、それでもやっぱり良い奴なんだよな。山岸の奴。
また今度売店で何か奢ろう。
そう思いつつ話は、「俺なんかと付き合っているなんて噂、迷惑でしかない」発言へまでいき――
「――チッ」
という舌打ちと共に「もう一発ぶん殴っておくべきかしら」なんていう物騒な事を口走る瑞希と、横目で瑞希を見つつ「風間先輩、ちょっとそれはどうかと思います」と言う中村君。
華彩が俺の事を好きとわかった今。
どれだけ自分が酷い事を言ったのか自覚している手前、2人に対して言えることは何もなく。
2人がそれ以上のリアクションをとらなかったため、話を続けていく事に。
俺が、そんな馬鹿な事を言った後の、華彩の告白までのやりとり。
そこは2人は黙って聞いていた。
思う事はあったかもしれないが、口にする事はなかった。
そして。
話は告白を受けた後の事へ――。
『えっ、えっ?えっ、えっ』
告白を受けて、頭が真っ白になった俺は、情けない事に、何も考えられず、戸惑いの声が出るばかり。
いつまでもそれじゃいけないと、時間をかけた後に口から出たのは――
『えと、華彩が、俺の事を、好き?』
――”返事”ではなく”確認”だった。
『……』
俺の情けない言葉に、華彩は顔を赤くしたまま、こくりと頷く。
それ見て、俺は思わず、言ってしまった。
『ご、ごめんっ』
この台詞を聞いた瞬間に華彩の顔は悲しみに染まる。
『私じゃ、駄目ですか?』
消え入りそうな声が、泣くのを堪えているようで。
『えっ、いや、違う。そういう意味じゃなくて』
まだ何の答えも出していないのに、わざわざ相手に期待を抱かせる事を言ってしまった。
当然華彩は表情を一変させて。
『じゃあ、付き合ってくれますか?』
今度は嬉しそうに言うが。
『いや、だから、え、ちょっと待って』
俺の中で、まだ明確な答えは何もない。
付き合う、付き合わない。
その事よりもまず、現状をうまく飲み込むことができず、思考は空回りしていた。
そんな状態でただただ『何か、何か言わないと』とそればかりが頭に浮かび、『えー、えー、あー、うー、えー』とまるで壊れた機械のように、ただ単語を発するだけ。
そんな俺を見て、『今返事は貰えない』と思ったのか、華彩は俺の右手を取って優しく言った。
『せ、先輩? とりあえず、落ち着きましょう? もう夜も遅いですし、一旦落ち着いてから、話はその時にということにして、ね?』
『う、うん。ごめん』
この子天使か?
本気でそう思った。
『別に先輩が謝る事ないです。ほら、帰りましょう。あっ、ケガ、ちゃんと手当てしてくだいね』
『う、うん。わかった』
俺の右手を指差しながらそう言われて、素直に俺は頷く。
そうして、脳がオーバーフローを起こしてフラフラしていた俺を、寮の分かれ道まで華彩はずっと手を引いてくれていた。
『じゃあ、また連絡します……今日は先輩の部屋に行くのはやめておきますね。ゆっくり休んでください』
分かれ道で名残惜しそうに手を離して。華彩は女子寮の入り口へ向かって行く。
一度だけ、ちらりとこちらを振り返った後で寮の中へと消えていった。
俺はそれを見届けた後で帰宅する。
告白の返事を、保留にしたまま――
「――という、感じの事が、あったんだけど」
とりあえず、告白後のやりとりを語り終え、二人を見れば。
『うわぁ……』
2人は何も言ってないのに、そう聞こえてくるような顔をして俺を見た。
「キョウさん。とりあえず一言いい?」
そして半眼のまま尋ねる瑞希に頷くと。
短く一言。
「このヘタレ」
その切り捨てられた台詞に俺は何も言えず、「おっしゃるとおりです」と縮こまることしかできない。
中村君もただ黙って俯いていた。
いや、本当に不甲斐ない先輩で申し訳ないです。
「いやー、あんたはいつもいつも、良くも悪くも私の予想を超えてくることが度々あって。それ自体は面白いからいいんだけど……今回に限っては悪い方向に突き進みすぎでしょうよ……」
やれやれとため息をついて言う瑞希に、返す言葉がない。
「でも、キョウさんの話を聞いて、状況は完璧に理解できたわ」
椅子から立ち上がって、床に正座している俺に近寄って言った。
「まず、現実を受け止めろ、この鈍感男」
「げ、んじつ?」
「日和ちゃんがあんたに告白したこと」
瑞希の言葉に、告白のシーンが脳内でリピート再生されて、顔が赤くなり、思考が止まる。
「こらこら、私はフリーズしろなんて言ってないでしょうが!」
俺の態度に苛立ったのだろう、怒気を含んだ声でそう言い放ち、俺の両頬に手を伸ばしたかと思えば。
ぐいっと、全力で引っ張った。
「いふぁいいふぁいふぁいふぁいっ!(イタイイタイイタイ)」
「ふんっ、これだけで済んでいることに感謝しなさい。日和ちゃんの想い人がキョウさんじゃなかったら、これだけじゃ済まさなかったわ、よっ!」
「っつぅ!」
力を加えたまま更に捻り加えて、台詞を言い終えると同時に、両手を離した。
「うん。多少すっきりした」
「今のは、自業自得だと思うんですけど、でも、やっぱりやり過ぎなような気も……風間先輩……不甲斐ない後輩でごめんなさい」
大丈夫、自業自得なのは自覚している。
だからそんな申し訳なさそうな顔で見ないでくれ中村君。
その方が心にクる。
「というわけで、少しは現状について整理する余裕もできたと思うから、ちゃんと考えなさい」
何を? と俺が、口を挟むより前に、びしっと指差して。
「今だけは気づけなかっただの。傷つけただの。情けないだの、そんな事をうだうだ考えず、たった一つ、――今から聞く事に全神経を注いで答えなさい、いいわね?」
そう前置きを置いてから、瑞希は俺に理解させるためなのか。短く一言で尋ねてくれた。
「日和ちゃんと付き合うか、付き合わないか、よ」
瑞希の言葉はとてもシンプルで、けれど確かに言われてみれば、俺が今問われているのは、たったひとつ、それだけだった。
結局ごちゃごちゃと考えていたのは……
縁遠いと思っていた恋愛事が俺の身に、しかも華彩のような可愛い後輩に告白される形で訪れたという事実と。
今まで俺が、無自覚に華彩を傷つけて来たであろう言動の数々が、ぐるぐると頭を駆け巡っていたせい。
それを取っ払ってしまえば、考えなければいけない事は一つだけ。
そして。
俺の答えは。
『……あの、本当に大丈夫ですか?』
心配して、声をかけてくれたのが始まりだった。
『それに私、先輩の絵、好きです』
屈託の無い笑顔で、言ってくれた言葉が嬉しかった。
『自分の事を悪く、貶めるようなこと。先輩の口から聞きたくないですっ』
俺が自分の事を悪く言った事で叱られて、本当に驚いた。
そして。
『私と付き合ってくれませんか?』
俺みたいな奴なんかに、心からの好意を向けてくれて――
「――よな」
今までの事を振り返りつつ、呟いた。
「うん?」
「俺は……いいよな」
「キョウさん、悪いんだけど。聞こえないわ。もう少しちゃんと、聞こえるように言ってくれない?」
正直、これを言ってどうなるのか。想像がつかない。
けれど、言わない、なんて事できるわけがない。
相手が瑞希でも。
今、自分は答えを出したのだから。
だから、俺は立ち上がって、真っ直ぐに瑞希を見つめて言ったのだ。
「俺は、華彩と付き合わない方がいいと思う」
「「はぁっ?」」
この時、瑞希の表情が凍りついた。
横で見ている中村君も表情こそ違っていたが、瑞希と同じように固まっている。
そんな2人に、俺は自分の思いを告げていく。
「俺って、ほら、みんなが言うように、人の好意について疎い所があって、そのせいできっと色んな人を傷つけて、迷惑だってきっとかけてる」
昔からだ。
他人の気持ちに疎くて、思わず言った台詞に他人が傷つく。
今回も、その前からも。
いつもいつも、俺は余計な事ばかり言ってしまう。
「俺だって、自分の駄目な所はそれなりにわかっているつもりだ。人と関わる事が苦手だ、だからこの学校の皆みたいに、人付き合いが上手く出来ない、流行とか同年代の話題のほとんどについていけない」
傷つけるつもりなんか、これっぽっちもなくて。
それでも、相手を傷つけて。
赤の他人に、傷つけた事を責められる。
どうして、普通に考えたらわかるのに、なんでそんな事をするんだ、って。
「俺はきっと、みんなが当たり前にやっている事ができない。 そんな俺が華彩みたいな子と付き合ったって、迷惑しかかけない」
現に、俺のせいで、華彩は暴言を吐かれた。
多分付き合えば、きっと今回のような事がまた起こる。
それは嫌だなと思った。
「俺を慕っているのは、多分、たまたまなんだよ。きっと俺がした無自覚の行動が、たまたまその時好意的に映っただけで、それは多分勘違いなんだ。俺の行動は……最終的に、いつも誰かを傷つける事しか、してこなかった」
沢山嫌われてきたから。
みんながやっている当たり前ができなくて、みんなの輪に入ることができなかったから。
俺は、人より駄目な所が多い人間だと思う。
だから。
――こんな俺みたいな人間は、華彩のような子と、一緒にいない方がいい。
そう、自分の言葉を締めくくった。
「な、によ……それ」
「瑞希?」
「あんた……何言ってるわけ?」
瑞希の声は、今まで聞いた事がないもので、俺はすぐに反応できない。
「正直、付き合わないって選択を選ぶかも、とは考えていたわよ? けど。まさか本当にそんな理由で選ぶとは思ってなかった……!」
胸倉を掴まれ、じっと俺を見つめる瑞希。
その表情は――
笑っていなかった。
怒っているわけでもなかった。
泣いてもいない。
――無表情、だった。
きっと、人は限界を超えたら今の瑞希みたいな顔をするのだろう。
そう思った直後。
部屋に響いた、乾い音。
頬に衝撃と痛み。
そしていつの間にか横を向いた視界に、ようやく気付く。
叩かれたんだ、瑞希に。
状況を理解し、もう一度瑞希を見れば。無表情のまま俺を見て、振り下ろした右手を、もう一度俺を叩くために振り上げようとしていた。
俺はただ黙って見つめて、瑞希の行動を受け入れようとした時。
「萩村先輩。やめてください!」
そんな時、振り下ろした右腕を掴んで、中村君が止める。
「風間先輩が、そうやって、断ろうとする人間だって、僕らは知っているじゃないですかっ」
つい先ほど、瑞希の怒りに震えていた中村君は瑞希を止めた。
いや、震えはきっと収まっていない。恐怖の感情が目に残っている。
けれど、それでも中村君は動いてくれたのだ。
こんな俺の、俺なんかのために。
「中村君、正直俺は瑞希に叩かれても、文句言えないんだけど」
瑞希が怒るのは仕方ない。
分っていた事だ。
分っていても、その答えを出したのは自分だ。
だから、腕を離してくれと伝えるつもりだったのだが。
「先輩は少し黙っていてください!」
中村君が一喝し、それ以上何も言えなくなった。
その間も、瑞希は俺から視線を外さずに、中村君を引き剥がそうしているのがわかる。
「放して」
「――嫌、です」
怖くないわけがない、俺ですら、今まで見た事がない瑞希の態度。それを真正面から受けているんだ。
部屋に現れた直後だって、中村君は怖かったはずなんだ。
現に、体が強張っているのが見てわかる。
けれど、中村君はきっぱりと瑞希の言葉に拒否していた。
「放せ、って、言ってんでしょ」
「嫌です! 萩村先輩、ここで怒ったって、良い事はなにもないですよ!……だって、そうでしょう? 僕達は知っている。風間先輩が、何で華彩さんの告白を断ろうと考えたのか……僕らなら、理解できるっ!」
恐怖に折れる事無く、必死に叫ぶ中村君を見て、瑞希はピタリと動きを止めた。
そして、無表情の状態から、目を見開いて、中村君を見つめる。
驚いている、んだと思う。
中村君の行動と言葉に。
心底びっくりしたのだろう。
そうして、多分この時瑞希は。
俺の後輩という”その他”でなく、中村君という”個人”を初めて真正面から見た。
「風間先輩は、いつもいつも自分を嫌っていて、自分がした事で嫌われることを当然と思ってて……、仲の良い僕たちの事も『たまたま仲良くなれた』って思っているような人なんです」
いつもと違うその姿に、瑞希だけじゃなく俺も、ただ黙って中村君を見つめる
「先輩は、自分のしている事に、本当に無頓着で、無自覚で、それが時には、人を傷つけているかもしれない。でも、それ以上に誰かを救える事をしている! それを、近くにいる僕らは知ってる! だから萩村先輩……僕らは今、怒るんじゃなくて――やることが……できることが……僕らにしかできないことがある、そうじゃないですか?」
中村君の言葉を最後まで聞いて、数秒の間黙っていたが、瑞希は静かに口を開いた。
「……放して」
「せん、ぱい?」
そんな中村君に瑞希は放せと言ったが、その声音が先ほどと違い、少し柔らかくなった。
緊迫した空気が萎むように消えていく。
真正面から瑞希の激情を受け止めていた中村君は。それを感じ取ったんだろう。
戸惑いの表情浮かべている。
「……あーうん、ごめん。ちょっと柄にも無く熱くなっちゃった。中村君。もうキョウさんを叩いたりしないから、腕放してもらってもいい?」
バツが悪そうにして、瑞希は謝ると。
「――あぁ! ご、ごめんなさい!」
中村君は慌てて瑞希の腕を離す。
「いや、今回暴走しちゃったの私の方だし……って言うか、うん、中村君グッジョブよ。よくぞ止めてくれました! その功績を称えて、君にはこの【カムカム】を進呈しましょう」
そう言って瑞希は、荷物の一角から【カムカム】を取り出すと「はい、どうぞ」と中村君に手渡す。
「あ、ありがとう、ございます?」
「まぁ飲んでみて、きっと【カムカム】の魅力に取り憑かれるから」
「えーと、はい、じゃあ、いただきます……す、酸っぱい!? これ何か凄く酸っぱいんですけど!?」
「でも、何故か止められない……そうなったら。あなたも立派な【カムカム】中毒者よ」
「凄く酸っぱい、のに……それでも不思議と飲み続けてしまう……どうして?」
「ようこそ。【カムカム】に取り憑かれた同士よ。歓迎するわ」
あれ?
ついさっきまで、これまでに無く重い雰囲気だったはず。
それがなんか、いつものような空気で。
いつもより親しげに会話が繰広げられているんだけど。
俺、どうしたら、いいんだろう。
「……」
「キョウさん、そんな物欲しそうに見ても、今はあげないわよ?」
「いや、いらないけど」
「そう」
先ほどまでと打って変わって、俺への対応もいつも通り。
何て声をかけるべきなのか。そう思っていると――
「……キョウさん。私はあなたの答えに納得していない」
――少しだけ眉を潜めて、瑞希は呟いた。
「けど、キョウさんが出した答えに、私がどうこう言う権利はない。だから、あなたが本当に、それが一番良いと思ったなら、私は何も言わない」
さっきは思わず叩いちゃったけどね、と苦笑する。
「だからキョウさん、良く考えて。私が言えるのはそれだけ」
それだけ言うとヒラヒラと右手を振りながら、クルリと背を向けた。
「じゃあ、私、そろそろ帰るわね」
「み――」
俺は、思わず瑞希と声をかけようとする。
けれど何も言えなかった。
背中を向けたままの姿に何か言わなければと思うが、上手い言葉が見つからないのだ。
「あっ、そうそう」
そんな時、何かを思い出したように瑞希は振り向いた。
その顔は笑っていた。
しかもその笑顔はいつも何かを企んでいる時に浮かべる――
――悪戯を思いついて、何かを企んでいるような、そんな笑みだった。
「……」
何だか嫌な予感がするが、瑞希は俺の心境など知ったことではないとばかりに続ける。
その姿は、自分の企みに俺を巻き込んでやろうと、息巻いているようだった。
「明日の土曜日、私が空けておいてって言っておいたんだから、予定は空いてるわよね?」
「えっ、あ、あぁ。そう……だけど」
そう、今週は瑞希が「三人で遊びましょう」と言われていたので、特に予定は入れていない。
「じゃあ、告白の返事は、明日美術室で。日和ちゃんには私から言っておくわね。答えが決まっているんだから、待ってくれはナシよ?」
あ、明日っ!?
一瞬戸惑うが、確かに瑞希の言うとおり答えは既に出ていて、いつまでも待たせるのも悪い-ーと思えば瑞希の言う通りだ。
「わ、わかった」と頷くと。「じゃあよろしく~」とがらがらと窓を開けた。
そして。
「あー中村君。私ちょ~っと頼み事があるんだけどさ。後で電話しても、いいかな?」
「あ、はい、大丈夫です」
「ありがと」
瑞希は中村君の言葉に微笑んだ後、部屋から出て行った。
「「……」」
残された俺と中村君は顔を見合わせる。
「なぁ、中村君」
「はい?」
「今更なんだけどさ、ありがとな。さっき、瑞希を止めてくれて」
正直、殴られても仕方ないと思っていたが、瑞希がいつも通りに戻ったのは、間違いなく中村君の功績によるものだ。
「あー……あれは思わずって言った感じで、考えての行動ってわけじゃないですし、結果論ってやつですよ。僕は思った事を言っただけで、それに萩村先輩が耳を貸してくれったってだけで……」
「でも、止めてくれたのは事実だし、そのおかげで色々助かったよ」
正直、俺の言葉だけでは、話は進まなかっただろう。
そう言って笑うと、中村君は苦笑する。
もしかしたら、中村君も俺に言いたい事があるのかもしれない。
けど何も言わない以上、今俺から言えることは何もなかった。
「先輩、僕もそろそろ帰りますね」
「ああ、今日は悪かったな。そして、本当にありがとう」
いえいえ、そう言って中村君は扉に向かい、ドアノブに手をかける。
「じゃあ、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
そう言うと、中村君は部屋から出て行き、部屋に残ったのは俺1人。
「ふぅ……」
誰もいなくなった部屋で、ベッドに寝転がり、布団を被る。
「今日は、色々な事があったなぁ」
今日一日を振り返り、目を閉じる。
最初は課題進める――それだけの日であったはずなのに。
それからの怒涛の展開は、正直未だに信じられない。
だが、何だかんだ言っても、華彩から受けた告白を無かった事にはできない。
自分を、好きだといってくれたことを、きちんと受け止め。
そして――
相手が傷つくとわかっても。断らないと。
そう思っただけで、胸が痛い。
でも、断って泣かせてしまっても、それが結果的に華彩のためになるんだと。
そうやって自分自身に、何度も言い聞かせて、俺は眠りについた。