幕間4
馬鹿な質問をした事がある。
今思えば、俺の頭はどうにかなっていたんじゃないかと思うくらいだ。
ただ、当時の俺は、真剣にそれを問い掛けていた。
相手は夢野 孝一。
美術の担当の先生で、現在は俺の担任でもある教師に向かって――。
『どうすれば先生みたいになれますか』
――他に誰もいない美術準備室。その場所で、そんな質問をした。
『はぁ?』
当然、急にそんな事を言われた夢野先生は、何を言っているんだ、といわんばかりに俺を見る。
この時多分、ふとしたことが重なり、少し落ち込んでいたと思う。
具体的にどうこう、ではなく。
ちょっとしたマイナスの出来事。
例えば、ちょっと寝坊した、とか。宿題を忘れた、とかちょっとしたはずみで相手に不快感を与えたとか。
繰り返しの毎日の中で、その日たまたま重なってしまった不幸の連続。
そんな時に、目の前の先生が――。
俺が”大人”になったらこうなりたい、そんな風に思える理想の存在が目の前にいたから――。
だから思わず尋ねてしまった。
『えーと……何かあった? 風間君?』
『いや、具体的に何かあったわけじゃないんですけど……こう、何というか、前からそうでしたけど、何か自分という存在が嫌になった、とかそんな感じで……』
『あー、何か大きな出来事があったわけじゃないけど、気持ちがブルーになってる、と』
夢野先生の言葉に、頷いた。
すると、少しの間じっと見つめていた先生が俺に言った。
『まあ、気持ちがブルーになるのは、誰でもあるから、そんな日は大人しくするとか、思いっきり騒ぐとか、そういった事をするとして――』
今は具体的に悩むのは止めておけ、とアドバイスをしてくれた。
確かに、今回の一つ一つの不運に【理由】なんてものはない。
だからそれについて考えるのは不毛だと言われればそれまでだ。
『問題は、俺みたいになりたい、って言ってることだな。風間、どうしてお前は急に俺みたいになりたい、なんて言い出したんだ?』
『ええと、普段の先生のやりとりとか、笑ってる姿とか、それと絵の技術とか……夢野先生は、俺にないモノを持ってて、こうなれたらいいと思えるような存在だから、でしょうか?』
そう、夢野先生は俺のあこがれ。
こうなりたい、と思えるような人。
だから、素直に伝えたのだが
『ふーん』
夢野先生は俺の言葉に「そういうのは多分教師冥利に尽きるんだが……そうか、うーん」と少し悩んだ素振りを見せ。
「まず結論から言おうか」と前置きをした後に。
『俺みたいに振舞えたとしても、お前多分納得しないよ』
『えっ?』
『仮にだ、何か世の中の不思議な力とかで、お前が俺のようになったとしよう。そうなった時、お前はどう思うかわかるか?』
『よかったと思うじゃないんですかね?』
『最初はそうかもな、しかし時間が経てば、お前みたいな奴はこう思う「何か違う」ってな』
それはどういうことだろうか?
『お前は多分過程と結果、その両方を重視する。そんなお前が、過程をすっとばして俺のようになったとしても、お前は結局【今】の自分を振り返って【結果】として俺のようになった自分に疑問を抱き、最終的にはこれは本当の自分じゃないって思うんだろう』
こうなりたい、と思ってくれているのは嬉しいけどな、と子供っぽく笑った。
ああ、そういう風に笑えるのも、この人の魅力だと思う。
俺も、そんな風に誰かを引き付けられる人間であれば。
きっと今よりも前を向いて生きてけるような、そんな気がするから。
『憧れとかこうなりたいって気持ちは、どんなことであれ、原動力になる。それは大事にしたらいい。けどな、大前提として【今まで培ってきたモノ】をなかった事にはできない。これを忘れるな。今の自分に向き合わないと、なりたい自分になるどころか、こうなりたいと思っていることすら忘れてしまう』
今の自分と向き合え? それに関しては向き合っているような気がする。けどきちんとできているのか、そう聞かれれば……わからない。
『まあ、まだまだ先の話だと思うけどな。そうやって自分に悲観するのは』
俺が理解できていない事を見透かすように夢野先生は言った。
『まず、前を向いてみろ、そして今より少しだけで良いから自分の気持ちに正直になれば、そうしたら案外と今より、人生楽しくなるかもしれないぞ?』
『難しく考えすぎるなよ?』夢野先生はそう締めくくった。
当時も今も、夢野先生は全てわかっているように。
俺には理解できない事ばかり言う。
こんな自分が、今よりも楽しく人生を送れる?
そんな事あるのだろうか?
俺が前を向けば――自分に正直になれば……こんな後ろばかり目が向く自分から、変わったりするのだろうか?
やっぱりわからない。
けれど、そんな俺にも。
瑞希という友人ができて。自分を慕ってくれる中村君もいる。
そして。
こんな自分を好きだと言ってくれる子も現れた。
だから、後は前を向けば。
俺は、こんな自分でも、好きになれたりするのだろうか?