3章【噂 進展 転換期】その二
※この話しの中で一部暴力行為のシーンがありますので、苦手な方は、ブラウザバック、もしくは読み飛ばしてください。
次の日、授業を終えた俺は、空き教室となっている美術室で一人、作業をこなしていた。
取り掛かっているのは、勿論、課題である風景画の作成。
今回は現場に行かず、前回、前々回で撮っていた、デジカメの画像を元に作業している。
授業だけでは時間が足りず、またいつもいつも外へ描きに行くわけにもいかず、こうやって作業するために、撮っておいたのだ。
「……」
無言で集中し、写真を見ながら、下書きが終わった用紙に色を重ねていく。
無論、写真だけでなく、当時を思い返しながら。
自分が見た景色と同じになるように。
空は、青く澄んで、白い雲がゆったりと流れていき、草木は日差しに照らされて明るく柔らかく。
川は清くゆるやかに、差し込む日差しに水面が煌いて。
川原には大小さまざまな石が、自然の一部なっている
それを時に細かく、時に全体を意識しながら。
俺があの時、「綺麗だ」と思えた景色を、少しでも同じモノになるように――。
「おう、風間やってるなぁ。お前にしては珍しい」
「……」
「おーい、か・ざ・ま・くーん」
「……」
「――やれやれ」
――とんとん、と肩を叩かれる感覚がして、後ろを振り向くと。
「相変わらず、集中状態に入ったお前は凄いなぁ」
「……あれ?夢野、先生?」
そこには苦笑している夢野先生の姿が。
「いつの間にいたんですか?」
「いつの間にってお前……俺はさっきから話しかけてたんだがなぁ」
「えっ? マジですかっ?」
「あーいいよいいよ、お前時たま凄い集中力で作業しているのは、わかってるしな」
よっこらせっ、と俺の隣の丸椅子に腰掛け、描きかけの風景画を眺める。
「へぇ、お前、今回いつもとは随分違う描き方をしているんだな」
夢野先生は美術教師なので、当然今までの俺の作品を知っている。
だからこその言葉なんだろうが、けれど俺には何の事かさっぱりだった。
よく描けているとは、思うけど。
逆に言えば”それだけ”の絵で、俺自身では、今までの絵と何が違うのかさっぱりわからない。
「そうです、かね?」
「そういう受け答えするってことは、自分では気づいていない? じゃあ、無意識か」
ニヤリと笑う夢野先生。
何だろうなぁ。
この見透かされている感。
この人は、瑞希と同様に、もしくはそれ以上に、人のことを見透かしている。
そんな雰囲気があるというのに、不快感がまるでない。
不思議な人だ、本当に。
「お前の絵ってさ、知らず知らずの内に暗くなっているんだよ」
「えっ?」
「別に明るい色を使っていないとか、そういう事じゃない。ただ、基本男子ってのは女子に比べて色彩感覚に疎いところがあってな、それが理由かはともかく、お前の絵も全体の印象がどことなく影が濃い、暗い。そんなイメージがある。一応言っておくと、それが悪いってわけじゃないし、それがあるからこそ、逆に一つの味となる時だってある。けど――」
そういって、俺が使っていたパレットを指差して、絵の具で混ぜ合わせた色を見る。
「今回は、そういった色をあえて避けているのかってくらい、淡い色を使っているじゃねーか」
そう言われると、光やそれに照らされたモノを意識してせいか、やけに全体に明るいような気がする。
「だからいつもと違った絵になっている。それが面白いと思ってな」
「はぁ……」
「今回どんな風に完成するのか、俺も楽しみだ。 ――でだ、ちょっと現時点でのアドバイスなんだけど――」
そう言って、俺の風景画を指さして。
「全体的に淡い色彩を基調としているせいか、影の色が薄くなっている。 影をただ暗くすればいいというわけでもないが、陰影をもう少し意識して塗るだけで、この絵は格段に良くなる。そうだな、例えば――」
いくつかの絵の具を混ぜ合わせて「――こんな色とか」と見せてくれる。
「これが正解というわけじゃないが、参考程度に合わせてみろ。 それでもしイメージ違えば代わりの物を使ったらいいし。 ただ光や明るさを表現するために、淡い色を基調とするなら、それに合わせた影を意識して作った方がいい」
言いたい所はこんな所だな。
――と椅子から立ち上がった。
「さて、俺も仕事があるし、そろそろ退散するが、お前はもう少し描いて行くのか?」
「あっ、はい。 丁度集中できているので、このままもう少し描いていこうかと」
「そうか。 まあ、夕飯を食いっぱぐれない内に帰れよ」
そう言って扉に向かって歩き出した後。
「あ、そうそう」
振り向いてから。
「今、中々面白い事になってるみたいだな」
「へっ?」
「まあ、お前がどうするか、見物している身として、一つだけ言っとくと――」
少しだけ間を開けて。
「――もう少しだけ、自分に正直にな?」
はい?
「”前”にも言ったが、お前ぐらいの年なら、それだけで答えが見つかるよ」
謎の言葉を残し、夢野先生は去っていった。
「一体、なんだったんだ?」
少しだけ、先生の言葉について考えていたが。
結局答えはわからず。
「いつか、わかるのか?」
そう呟いて、作業に戻る俺。
最近よく思うんだが、俺最近みんなに謎のアドバイスもらってばかりなんだけど。
俺、何かしてるのかな?
自分が意識してないだけで。
そうは思っても、結局答えが出ない事に変わりはなく、答えが出ないなら、と意識から切り離して――
ただただ絵を描く事に没頭する俺だった。
さて、そんなこんなで作業を続けて数時間。
集中の切れた所で、俺は片付けをした後、美術室を後にした。
「げっ、もうこんな時間」
スマホの画面を開けば、時間は六時半。夕食の時間まで後一時間といった所か。
急がなくてもまだ十分間に合うが、何となく、少しだけ足早に寮に向かっていく。
学校の隣に寮があるので、時間はそんなにかからない。
すぐに学校の敷地から出て寮の敷地へ。
入り口から道はすぐに分かれ、学校側からみて、左の通路が男性の寮へと続く道。
それを足早に歩いて行く。
男子寮の入り口まで辿りついた俺は、寮内に足を踏み入れようとした――
その時。
「キョウさん、ストップ! お願い、ちょっと待って!」
女子寮側から、声をかけられたと思って、そちらへ顔を向けると、慌てた様子の瑞希がこちらに走って来る。
こいつが、そんな顔をするなんて珍しい。
そう思いながら、どうしたのかと尋ねるより早く――
「キョウさん、さっきまで学校にいたわよね? 日和ちゃん見なかった?」
「――えっ?」
――いつもとは違う、真剣な顔で言った。
「華彩?」
「うん、用事で部屋に帰るのが遅れるってのは聞いてたんだけどさ。 いくら待っても全然帰ってこなくて……電話やメッセ入れても返事もないし、さすがに心配になって今から探しに行く所なの」
そう言って、「それで、キョウさんは日和ちゃんを見た?」と再度聞かれたので、首を横に振る。
俺が今日放課後に会ったのは夢野先生だけ。
そもそも俺が居た、美術室がある棟に残っている学生は、専門の系列に入っている学生がほとんどだ。
系列を選ぶのは二年になってからだから、華彩のようにまだ一年の学生が訪れる機会は少ない。
「そう……ごめん、ありがと」
それだけ答えると学校に向かって駆け出して、「待て瑞希!俺も行く」と追いかけながら伝えると、瑞希は「お願い」と返事をしてスピードを上げる。
その後に続き、学校の敷地内に戻り、昇降口へ。
「とりあえず、手がかりというか、思い当たる所はあるのか?」
「まずは、用事があると言っていた図書室。 あとは日和ちゃんの教室。 そこにいなかったら、パソコン室と職員室。 それを手分けして探しましょ、そこにもいなかったら、ちょっと私の情報網を使う、見つかったらお互い携帯で連絡を入れる。 そこまではいい?」
慌てていても、そこは流石と言った所
即座にプランを立てて、伝えてきた案に、俺は頷く事で同意を示す。
「じゃあ私、図書室に行ってくるから、キョウさんは教室お願い」
そう言うと、靴を脱いで上履きに履き替え、駆け出した。
俺もそれに倣うように靴を履き替えて、華彩の――1年の教室へと向かう。
図書室は2階、1年の教室は4階。
そのため、2階に上がったところで、瑞希と別れ、俺は階段を駆け上がる。
登っている途中で、「もしかしたらいるかも」と3階の廊下を覗いてみるが、華彩はいなかったので、そのまま四階へ到着。
急いで駆け上がり、肩を上下に揺らしながら、息を整える。
「ここに、いるか?」
階段を上がってすぐ、教室があるが、廊下側はすりガラスなので、中までは見えない。
それに、華彩が何組から知らないから、とりあえず、端から順に覗いて行こうと、奥の教室に近づいた所で――
「……っ、だから、そう言われても困りますっ」
「何で? 俺容姿だって悪くないし、仲間もそれなりにいるんだぜ」
「そんなの、私には関係のないことですっ」
――何かを言い争うような、2人の男女の声が聞こえた。
もしやと思い扉を開けると。
「あっ、風間先輩」
「げっ」
1人は華彩。
もう1人は――髪を明るく染め、ワックスで整え、耳にピアスをつけた、一年の男子。
見覚えは、ある。
あるのだが……名前が出てこない。
確か……や、や、やま、だ?
……まぁ、いいや。
とりあえず仲が良いわけじゃないから、目の前のこいつは山田(仮)ということにしておこう。
その山田(仮)が俺の顔を見て、顔をしかめたが、そんなもの、俺にとっていつもの事なので、一々気にしていられない。
それよりもまず気になるのは。
「――よかった。特に何かあったわけじゃなさそうで」
「えっ? 風間、先輩?」
「いや、瑞希が心配してて、一緒に探しに来たんだよ」
ええっ? と慌ててスマホを確認し、時間と着信履歴、届いたメッセージを見て、あわあわしている。
「ちょっと図書室で本を選ぼうと思ったら、ついついその場で読み出してしまって、時間が遅くなって、帰らなきゃとなっていた所に、この人に呼ばれて……ど、どうしましょう?」
「いや、別に何かあったらどうしよう、って心配しただけで、何もなかったらそれで大丈夫、とりあえず、今連絡を入れておく」
瑞希に『華彩が一年の教室にいた』とだけメッセージを入れて、ふと思った。
「あれ、……いっ、今更なんだけど、この状況って俺……邪魔だった、よな?」
心配して、状況も把握しないまま踏み込んだんだのだが……
2人を見比べ、状況から察するに、俺はどうやら他人の告白現場に突入してしまったんじゃないだろうか。
山田(仮)が忌々しそうに見るので、多分間違いないだろう。
だとしたら、まずいことしたかなー。
「――っせ、先輩っ、違いますっ! 全然邪魔なんて事ありませんっ! 私、前からちゃんとお断りしたつもりだったんですけど、ちっとも納得してくれなくて、困っていたんです」
「そうなのか?」
「はいっ!」
ぶんぶんと首を強く縦に振って答えるので、それなら別に構わなかった、のかな?
断わられたんだったら、男子も良い顔しないだろうし、とりあえず状況を理解――
――したんだけど、次どうすればいいんだろう。
俺、一応先輩なんだけど、何か言ったほうがいいのか?
「なので、先輩、帰りましょう。 みぃ先輩にも謝らないといけないから、急がないと」
「おっ、おう」
とりあえず、華彩はこの場に留まる気も、言いたい事もこれ以上無いようだったので、俺は華彩の後を付いて行く。
いや。
付いて行こうと、した。
そんな時。
「ちょっ、ちょっと待てよ!」
山田(仮)が声をかけてきた。
どちらに声をかけたのかわからず、一応振り向くと。
「お前……まさか、そいつが好きだから、俺の告白断ったとかじゃないよな?」
どうやら、山田(仮)が話しかけたのは華彩だったようで、俺のことには眼中になく、その目は華彩をじっと見つめていた。
「……」
「おいおい、そんな陰キャ、相手にするだけ損だぜ? こいつこの学校にいて、身嗜みにも気を使わず、服だってダサいのばっか。 騒ぐのが苦手だかなんだかしんないけど、寮でやるパーティーや集まりにも基本ノってこない。 それに何よりそいつ、コナかけた女子を悉く泣かすクズだって、最悪って噂の――」
一応、清潔感保つよう心がけているし、服もブランドとかは拘ってないけど、店で気に入ったのを選んでいるんだが、……ダサいのか。
それはどうもすみませんでしたね。
コナかけた? は意味がよくわからんが、もし傷つけたのならそれについては悪いと思っている。
そんな事を思いつつ、しかし声を上げることはしなかった。
「先輩のこと、悪く言わないでくださいっ!」
華彩が、そう声を上げたからだ。
「別に、不潔というわけでもないし、服だってそこまでダサくありません! 騒ぐのが好きじゃないって、そういう人がこの学校に来ちゃいけないって決まりでもあるんですかっ!?、それに……それにっ、最後の噂だって、あなたがとやかく言う事じゃないと思います!」
俺は驚く。
普段の華彩はニコニコしていて、表情もコロコロ変わるが、どちらかというと大人しい方だと思っていた。
しかし前の時もそうだったが、華彩のこの行動力は凄い。
「あなたの告白を断ったのは、単純に私と合わないと思ったからです……先輩が好きだと言うのは否定しませんが」
最後のは、小さく聞こえなかったものの、華彩が山田(仮)の事をきっぱり拒否しているのはわかった。
なので。
「ここまで華彩が言っているんだったら、諦めるか諦めないかはともかく、今はこれ以上話す必要なんてないだろ?」
そう言って、華彩を教室から連れ出そうとする俺。
「あっ! おい待てよっ! つーか、さっきから邪魔なんだよ、どけ!」
「いや、だから、華彩、断っているだろう?」
尚も華彩に詰め寄ろうと、近づいてくる男に待ったをかける。
それでも止まりそうにないので、両肩を掴み、押し留めた。
普段の俺だったら、きっと近づきたくもない人種だったが、現状そうも言ってもいられない。
なので、押しのけようとする山田(仮)をさらに上から圧力をかけるようにしてとめる。
……あれ?
こいつ確か運動部じゃなかったか?
――その割には、思ったよりも力が弱いな。
なんて、余計な事を思ったからだろうか。
「このっ!くそ、この陰キャが、余裕ぶっこいてんじゃねえぞ! 俺に気安くさわってんじゃねーよっ!」
急に顔を上げて、山田(仮)が忌々しげに吐き捨てた。
「お前みたいな陰キャが、先輩達にちょっとよく思われているからって調子乗りやがって! お前みたいな奴は、その変の隅でジメジメしているような奴と過ごすのがお似合いなんだよっ!」
先ほどと同じように俺に暴言を浴びせる。
「どうせこの先、一生ロクでもない生活を送るに決まってる! そんな奴が俺の邪魔してんじゃねぇ! さっさとどけよ!」
両肩を抑えられて、身じろぎしても俺の腕を放せない事に苛立ったのか、山田(仮)は俺を睨みつけてジタバタと暴れ出した。
……おいおい、まさかこいつ暴力沙汰でも起こす気なのか?
このまま放したら、ぶん殴ってきそうだった。
それはまずいだろ、と思う反面、もしそうなったら――
「いい加減にしてくださいっ! あなたに先輩の悪口を言う資格なんてないじゃないですか、そんな事を言うあなたのほうが、よっぽど最っ低です!」
―-俺が内心で色々考えていると、華彩は山田(仮)に言い放つ。
ありったけの声量で叫ぶ華彩に、俺が呆気にとられた所で。
「んだと、ちょっと顔がいいからって調子に乗りやがってこのブスッ!」
山田(仮)は矛先を彼女に変えた。
俺への暴言を吐くのと同様に。
つい先ほどまで告白していたとは思えない表情で華彩を見る。
何て顔で、華彩を見ているのか。
いや……それよりも。
「……ぉぃ」
「あぁ? でめぇは黙っ――」
「お前、今……何つった?」
俺への暴言はいい。
どうせいつも陰で言われている事だ。
そんな事はどうだっていい。
それよりも、問題は――
「今、お前、華彩に、何て言った?」
込めていた力を、さらに強めて、もう一度聞いた。
「いっ、――っ痛ぇんだよク――っ!?」
それまでずっと侮蔑の笑みを浮かべていた山田(仮)は顔を顰め、俺を見て、頬を引き攣らせながら言葉を止める。
何故か知らないが、先ほどの勢いはどこへいったのか。
何か、とても怖いモノを見るような目で、俺を見上げていた。
「――」
そんなもの。
どこにもありもしないというのに、不思議な奴だ。
まあ……
そんなくだらない事よりも。
「――もう一度だけ、聞くぞ? お前、華彩に向かって、何を口走った?」
ちゃんと返事ができるように、ゆっくりと聞いたつもりだったのだが。
山田(仮)は、恐怖に震えていたのを誤魔化すように、引き攣った状態のまま、無理やり口角を上げ、嘲笑を貼り付けて、言ってのけた。
「だ、だから! もう、いいって言ってんだろ? ちょっと可愛くて、みんなにチヤホヤされてるから、コナかけようとしたけど、ハナっから本気じゃなかったし……実際はお前みたいな陰キャにお熱あげる、頭のイカれたブスだってわかったから、別にもうこれ以上どうこうなんて――」
―――もういい。
俺は、心の中で吐き捨てた。
――――潰してやる。
正直、山田(仮)の言葉を聞くのを、どこで止めたのか。
後で思い返しても、自分がどのタイミングで、全部――考える事も、理解する事も放棄したのかは、判然としない。
ただ。
一つ分っているのは。
これ以上、こんな奴の暴言を華彩聞かせるのも、聞く気にもなれなくて。
コイツをぶっ潰そう、という感情に支配されるがままに、その身を任せた、と言う事だけ。
俺は抑えつけていた両腕を一旦離して、自由になった右腕で相手の胸倉を掴み、全力で相手を床に叩きつけようとした。
この時相手が咄嗟に両手を付いて抵抗し、床に叩きつける事ができなかったが、そのまま力を加えていく。
当然抑え付けられた状態でも抵抗は続くが……そんなもの、関係ない。
暴れるなら、一瞬力を抜いてやればいい。
先ほどまで抑え付けらていた圧力が消えれば、当然起き上がろうとするだろう。
その時、相手の左足に、右足を引っ掛けて体勢を崩せば、警戒していた別方向からの力に抗う事はできず、仰向けに倒れこむ。
後は簡単だ。
倒れこんだ相手に対し、馬乗りになって。
そして。
右腕を振り上げて、渾身の力で相手の顔面に叩きつける。
そのつもりだった。