屋根裏の監視者
レティシアたちがラウルと会ってから二日後。
とある宿屋の一室をステラは屋根裏から監視していた。
◇◇◇
甲高い女性の短い悲鳴が聞こえたかと思うと、すぐに食器が落ちて割れる音がした。
短い悲鳴をあげた女性は急いでしゃがみながら、割れたティーカップの破片を拾い集めている。
どうやらティーカップを投げつけられたようで、着ていたメイド服のエプロンがうっすら茶色く汚れていた。
「あなた、まともにお茶も入れられないかしら?」
ソファーに座っていた赤髪の女性はそう言って、まるでゴミを見るかのような視線をメイドに向けていた。その黒い瞳が冷たく見えたメイドはビックっと体を震わせて、勢いよくその場にひれ伏した。
「も、申し訳ございません!」
赤髪の女性はメイドの態度を見ながら口角を上げて、太く肉付きのいい唇でニヤリと不気味な笑みを浮かべると、ソファーから立ち上がりゆっくりとした足取りでメイドに近づいていく。
メイドはガタガタと震えだし、泣きながら必死に頭を床に擦り付けるかのように謝る。
「お許しください!」
「あぁ〜そっか、あなた人族だったものね? わたくしが、あなたがいれた、まっずぅいお茶を飲ませて差し上げますわ」
赤髪の女性はメイドの近くにあったティーワゴンからティーポットを手に取ると、泣いて震えながらひれ伏しているメイドの頭上でティーポットを傾けた。
次第に注ぎ口から湯気をまとった茶色の液体がメイドの頭にかけられていく。
「も、申し訳ございません! 次はお気に召すようにお入れします! どうかお許しください!」
メイドはそう言うが赤髪の女性は辞めない。
赤髪の女性はティーポットが空になると、今度はティーポットをメイドに投げつけて、わざとらしく大きな溜め息をついた。
「はぁ……もういいわ。こいつを城の地下にある牢屋に入れておいてちょうだい」
「「はっ!」」
壁際に立っていた獣人族の兵士は返事をすると、ひれ伏しているメイドに駆け寄り、彼女の両脇を抱えて無理やり立ち上がらせる。
「わたくしが城に戻ったら、しっかりと立場をわからせてあげるわ」
「ま、待ってください! ど、どうかお許しください!」
青白い顔をしながら大きな声を出してメイドは泣いて謝るが、赤髪の女性はさげんだ視線を向けて命令する。
「あなたたち何をしているの!? 早くしてちょうだい! 人族の悪臭でこの部屋が臭くなるわ!」
苛立った様子で赤髪の女性はそう言うと、兵士は慌ててメイドを引きずるようにして連れていく。
「待ってください! お許しください! 王妃殿下! 王妃殿下!」
両脇を抱えられ引きずられながら連れていかれるメイドは、懸命にそう叫んで何とか許してもらおうとしていたが、別の獣人族のメイドの手によってドアが閉められた。
「全く、人族の分際でわたくしに許してもらおうなんて、おこがましいわ」
王妃殿下と呼ばれた赤髪の女性がソファーに座ると、傍に控えていた獣人族のメイドが新しいティーカップを王妃殿下の前の机に出した。
「新しいお茶をお入れしました」
王妃殿下はティーカップを手に持ち、香りを楽しむと微笑みながら言う。
「ん〜。やっぱり純血者が入れたお茶は、香りから美味しく感じるわ」
◇◇◇
ステラと視覚と聴覚を共有していたレティシアは、愕然とした様子で口元を押さえた。
『何あれ……。あれが本当にこの国の王妃なの?』
聴覚の共有でここ数日の様子は聞いて知っていたが、レティシアはここまでだとは思っていなかった。
せいぜい王妃付きのメイドが手を出して、それを王妃が見ていたと考えていただけに、先程の光景に驚きを隠せない。
『すごいよね。ステラからしたら人族も獣人族も大差なんてないのに』
呆れたようにステラはそう言ったが、それがステラの本心なのだろう。
『そうね。能力値で言えば人族は獣人族に劣っているけど、見た目は似ているものね』
『そそ、同じ人なのに、何であんなに嫌うのかわからないよ』
『んー。生き物だからじゃないかしら? ほら、周りと違うと魔物も人もその輪から弾こうとするでしょ? きっとそれと似ているのよ』
過去に立場や生まれなどでレティシアは、差別を受けた過去があった。だけど差別をする側になった事はなかったため、何とかレティシアはそういったものの、魔物や動物の場合は理由が違うことをレティシアはよく知っていた。それでも他にどう説明していいのか、レティシアには分からなかった。
『ふーん。ステラには理解できないわ』
『理解しなくてもいいと思うわ。私も差別する気持ちなんて理解できないもの』
そう言ったレティシアの瞳はどことなく悲しげだった。
本人にはどうしようもないことでも、人は差別をする。
自分と違うものを恐れてしまうのは、人としての本能かもしれないと思うこともあった。
だけど相手のことを知ろうともせず、初めから嫌うのは違うとも思っていた。
『――でも、人族が嫌いなのに、何でいつも人族を呼ぶのかしら?』
仮に王妃が心の底から、人族が嫌いなら関わらなければいい、それだけの話だ。
だが、ステラが王妃を監視するようになって今日で三日目。
必ず人族のメイドが一人はいて、先程のようにちょっとした理由で連れていかれている。
『王妃殿下も見張りたいし、さっきの女性がどうなるのかも知りたいわ……。困ったわ』
レティシアはこの時、使い魔がもう一匹居てくれたらと思った。
だけど、レティシアは幻獣であるステラと会えたことも、契約できたことも、全ては幸運が重なった出来事だとも思っている。
なぜなら、例え他の使い魔と契約ができたとしても、聖獣や幻獣でなければ視覚や聴覚の共有ができるとは限らないからだ。
『ステラが分身を使えたら問題解決だったのにね』
『分身、分身かぁ……』
(分身ねぇ、分身……分身……)
何気なくステラが言ったことだったが、レティシアは分身という言葉を聞いて考えた。
実際、レティシアは魔の森で冒険者と戦った時に分身を作っていたので、分身は作れる。
だけど、等身大あるレティシアの分身を作っても今は役に立たない。
『そうよ! 分身だわ!』
『レティシア、ステラ分身は使えないよ?』
『大丈夫よ。任せてちょうだい』
レティシアはそう言うと、魔法を使って一頭の蝶を作り出した。
黒蝶はヒラヒラと舞うようにしてレティシアの手から離れると、開いていた窓の方に向かっていく。
そして窓の外に出た瞬間に、黒蝶はすぅーっと姿を消した。
『さっきの黒蝶は何? 失敗したの?』
『いいえ、成功しているわ。あれは私の魔力だけで作った魔法よ。音を聞くことだけで余り偵察には向いていないけど、もう王妃の行動は見なくてもわかるから、ステラは城に向かってくれるかしら?』
『わかったわ』
ステラはそう返事をかえすと、共有していた感覚を切ってから、部屋を出ていった兵士たちを追った。
しばらくたってから、先程までステラがいた場所にヒラヒラと一頭の黒蝶が現れて床に止まった。




