聞きたくても聞けないこと
所々ではあるが記憶を取り戻したと語ったジャンの口から、二六年前起きた事件の被害者だったと思われる、衝撃的な事実が告げられた。
もしもジャンが皇弟殿下と会っていたのなら、彼がどんな最後を迎えたのかもわかると思ったが、レティシアはジャンにそのことを聞くのをためらった。
長い間、何一つ思い出すことがなかった記憶。
頭部に強い衝撃を受けたのは間違いない。
レティシアはうつむいてジャンとの思い出を振り返る。
離乳食を食べ始めた頃から、ジャンはよくレティシアの部屋にこっそりやってきては、彼女の好き嫌いを聞いたりしては「内緒だよ」と言いながら、フルーツなどを搾ったジュースなどをあげていた。
ダニエルが屋敷に戻るようになってからは、エディットとたわいもない話で楽しそうに笑いながら過ごす二人を見かける度に、レティシアはジャンとダニエルを較べては、父親がジャンだったらエディットはもっと幸せだったと思ったこともあった。
いつも無邪気に笑う彼が記憶をなくしてしまうくらい、捕まっていた時にひどい仕打ちを受けていたかもしれない。つらかった時のことを無理やり思い出させて、ジャンを傷つけてしまうんじゃないかと思うと、レティシアは当時のことをジャンに聞けなくなった。
そんなレティシアの気持ちを気がついたのか、ルカは静かに口を開いた。
「つらいことを聞くようで悪いが、帝国では隣国に出ていると言われていた皇弟殿下だったが、その事件に巻き込まれていたらしいんだ。ジャンは皇弟殿下にあったりしなかったか?」
ルカがそうジャンに聞くと、レティシアはビクッと体を震わせる。それからゆっくりとジャンの方に視線を向けたが、レティシアは眉を下げて悲しそうな表情をしていた。
「すみません……捕まっていた人たちや、犯人たちの顔を覚えていないんです……」
ジャンは悔しそうな顔をして、さらに強く拳を握る。
「そっか……悪いな」
ルカはソファーの肘掛に頬杖をついて足を組み直すと、真意を探るような目をジャンに向けた。
「なぁ、他に思い出したことはないのか? 例えば名前とかさ」
「すみません」
「そっか……本当に断片的に思い出しただけなのか。まぁ当時のことでまた何か思い出したら教えてくれればいいよ。おれたちは皇弟殿下がどういった扱いを受けていたのか、聞きたかっただけだし」
「お役に立てず、すみません」
ジャンはソファーに座った状態で頭を下げると、アランは全く気に気にしていない様子だった。
「いいよいいよ、気にすんなって。早く本当の名前を思い出せるといいな」
「ありがとうございます。オレの話はそれだけだったので、夕食の準備をしてきますね」
「あぁ、悪いな」「今日も美味しいご飯を頼むなぁ」
「お任せください。レティシア様もあまり気にしないでください。オレは大丈夫なので」
ジャンはレティシアの方を見て優しく笑いかけると、レティシアも目尻を下げて笑ってみせた。
「えぇ、夕食を楽しみにしているわ」
「はい。では失礼します」
ジャンはそう言って立ち上がり、キッチンの方へと向かっていく。
レティシアはジャンの後ろ姿を見ていたが、思うことがあったのかうつむいて唇をかんでいた。
「それにしても、ジャンが当時の関係者だったのは驚いたな」
「そうだな。――レティシア、大丈夫か?」
「えぇ、大丈夫よ」
(ジャンは名前を聞かれた時、わずかに瞳孔が開いた……。きっと本当の名前も思い出していたんだわ。でも、なんでそれを隠したの?)
何気なくアランが名前を聞いた時に、わずかばかりジャンの瞳孔が開いたのをレティシアは見逃さなかった。
今までジャンの事を信じていた彼女だったが、彼がウソをついたことに対して、信用していた気持ちが揺らぐ。
(このまま、ジャンにも私たちの話を聞かせてもいいの? もし彼が仲間を裏切って捕まっていただけだったら?)
レティシアはそう思うと不安から少しずつ空間消音魔法の範囲を小さくしていく。
空間消音魔法の範囲が小さくなっていくことに気がついたアランは、心配そうにレティシアに聞く。
「ん? 疲れたのか? それならルカかおれが変わろうか?」
「いいえ、まだ大丈夫よ」
「レティシア、範囲を小さくしていい」
「ルカ、ありがとう」
「何か気になることがあったのか?」
「いいえ。ただ部屋全体を空間消音魔法で覆う必要はなかったって思っただけよ?」
「そうか、それならいいけど。絶対一人で動くなよ? 何かあったら俺か誰かに言え」
「はいはい、わかってるわよ」
ゆっくり範囲を小さくしていたレティシアだったが、ルカに範囲を小さくしていいと言われると、そのスピードを上げた。
そして二人はまるで会話を聞かせるかのように話した後、空間消音魔法の範囲がテーブルとソファー周りだけになった辺りで、ルカは真剣な面持ちでレティシアに声をかけた。
「それで? 本当のところはどうなんだ?」
「さっきアランがジャンに名前を聞いた時、ジャンはウソをついたの。なんでウソをついたのかわからなくて」
気持ちの変化に気がついたルカにレティシアは驚きつつも、自分の気持ちを素直に話した。
「レティシアはジャンが敵だった場合を考えたのか?」
「えぇ、そうよ」
「なるほどなぁ、それはないとおれは思う」
「なんでアランは、そう言えるの?」
「いやぁ、おれもジャンがウソをついたことには気がついたんだけどさぁ、だからその後におれは聞いただろ? 皇弟殿下がどういった扱いを受けてたか聞きたかっただけだって」
「えぇ、聞いていたわ」
「もしジャンが敵だった場合、少なからず動揺すると思ったんだよ。事件当時の事は覚えてなくても、断片的に思い出していたのなら自分がどっちの立場だったかなんてわかるだろ? だけど何も変化がなかった。だから、警戒しなくてもいいとおれは思うんだよね。それにさ、いろいろと覚悟も必要だと思うんだよ……。名前さえ思え出せたら、本当の家に帰る選択肢も増える。でも、名前を思い出したからっていう理由で、何十年も尽くしてきた家を追い出される可能性もあるって考えたら、本当のことを言えなかったんじゃないのか?」
アランの話を聞いていたレティシアは初めてジャンが名前を言いたくない理由に、フリューネ家の使用人を辞めなければならない可能性も出てくることに気がついた。
「それもそうね……。お母様はジャンが本当の家に帰れることを願っていたから……」
「だろ? そのことをレティシアも知ってるなら、なおさら言えなくなったんだと思うよ。まぁ、本当の理由は知らないけど。――レティシア、信じてやれよ。仮に敵だったとしても、ジャンは二六年フリューネ家のために働いたんだ。気持ちの変化もあるだろ、そこも考えてやれ」
「そうだな、俺もアランの意見に同意だ」
真面目な顔でそう言った二人は堂々としていた。
「そっか……。そうよね」
レティシアはそう言って顔を伏せると、その目には涙が浮かんでくる。
(ダメね……ジャンまで疑ってしまうなんて、いつかジャンが名前を教えてくれた時……彼に謝ろう……)
レティシアは長年フリューネ家のため、そして自分に尽くしてくれたジャンを疑ってしまったことに対し、申し訳がない気持ちと、安易に考えてしまった自分が恥ずかしくなった。
「別に疑って警戒することは悪いことじゃない。俺やアランも立場上、いろんな疑いを持って人と接する機会が多いからな」
「そそ、だから気にすることなんてないと思うよ? むしろレティシアはよく人のことを見てるから、おれはいいと思ってるよ」
「うん……。二人とも、ありがとう」
レティシアは涙を拭って顔をあげると、ぎこちなく笑ってそう言った。
一人で悩んでいたらきっと間違った選択をしていたと思うと、レティシアは二人に言ってよかった心の底から思った。
「さてと、破片についてはラウルに任せるとして、問題は誰が魔物を操っているかだよなぁ。アルノエが居ないのを考えると、もうルカは怪しいと思ってる人物がいるんだろ?」
「あぁ、まだ証拠がないからなんとも言えないけどな。後でレティシアとステラに頼むことがあるかも知れないが、その時はお願いしていいか?」
「えぇ、もちろんいいわよ。私に出来ることがあるならやるわ」
「そう言ってくれてありがとう」
「んじゃ、今日はここまでだな。あ、一応空間消音魔法の範囲を広げておいてほしい。疲れたら変わるからさ」
「わかったわ」
レティシアは空間消音魔法の範囲をまた広げると、転移魔法陣を描く場所を探してから、アランに言われた場所に転移魔法陣を描いた。




