第八野戦郵便局の検閲官
うまく焼け残った占領地の建物に「野戦郵便局」の旗を立てると、汗垢と硝煙と泥濘の悪臭が染み着いた兵隊たちがわっと群れ集う。血で血を洗い朝に押し合い夜にへし合い繰り広げる陣取り合戦の最前線から、些かばかり後方の位置に、野戦郵便局は設置される。
逓信省──郵政官僚の火野が、戦地における郵便検閲課、第八野戦郵便局の検閲係長などという仕事に就いて、はや五ヶ月の時が過ぎた。
襤褸屑が年増の厚化粧のように粉吹く壁に掛けられた、水分で大きく皺の寄った一週間遅れの新聞を、今此処に日頃の訓練の成果を示さんとばかりに声を張り上げて音読する者に、同じく兵卒の聴衆たちが円を作る。その横では、内地に向けた薄紅色の葉書を──封筒は防諜上の理由で使用を禁じられている──送ろうとする者が、建物の外まで続く整列を成している。身長は大小さまざま不規則に並んでおり、なまじ左右が半端に揃っている分、見栄えをより悪く思わせた。
その反対側では、床の上に山積みにされた葉書を、我のものは何処ぞと、誰も彼もがひっくり返すように探している。此度の戦からは国際情勢から防諜への意識が以前よりも遙かに高まり、内地から戦地に手紙を送る際には、なんと、宛名書きは個人ではなく部隊長の姓を書くようになった。もし手紙の宛先人が既に除隊していれば「戦死ニ付返戻」という朱書きを記して当局まで返すこともする。
そこで隊の使い走り──農村から出てきた、まだ顔に面皰痕が残る若き青年たちがそれを探し、部隊へと持ち帰るという仕組みになっている。一日に三回、隊員を郵便局に遣わせる者もあれば、兵卒に麦酒瓶を呉れてやることで目を皿にして探させる者もいる。人の命が紙切れのように軽い戦場という極限環境において、銃後の人々が自分に向けて書いてくれた言葉は、何より効く鎮痛剤だ。戦地で摩耗した人間性を慰撫してくれるのだろう。
軍事郵便制度とは、そういうものである。
明治二十七年六月十四日──日清戦争の一月前に整えられた軍事郵便制度は、その当時から機密保持を問題視され、事実手紙が敵国兵士に鹵獲され情報漏洩等が発生しても、およそ半世紀を生き長らえた。
(この制度を弱点としないためには、検閲という作業を必要とせざるを得ない。上官殿は頻りにそう唱えていたな。
題目を百遍唱えれば実現するわけでもあるまいに)
火野は知っている。
大日本帝国憲法二十六条により保障していた信書の秘密という権利を奪った目的には、国民感情の調査把握がある。検閲した内容を記録し、報告することもまた、検閲官の仕事であった。戦地という、まるはだかの人間が感情のままに記した事項を知悉したいのだ。
それは、ぐずぐずに肥え腐った、吐き気を催す悪臭を発する、下世話な知識欲の制度的肯定であるとも言えたし、さもなければ本心を誰も知りえないためとも言えた。
何せ、戦地でも内地でも、誰も彼もが熱狂したふりをしているのだ。上から下に至るまで、皆が皆、我こそは勤勉で忠誠心溢れる義士であると装う。その熱に中てられて、次第に上せて本気になり、その仮面がいつまでも頬にへばり付いて離せない。終いには仮面が肌とすっかり癒着し、最初からそういうものであったと思い込みを始める。そうして全ては、深く検討されないまま、あるいは検討をしたという体を装いながら、全会一致で正当化されていく。
検閲官の火野もまた、それに荷担している。
熱狂したふりをしながら、それに荷担している。
仮面が頬肉に食い込む痛痒を噛み殺しながら、墨を塗って、それに荷担している。
農村の母へと送る手紙の内に誤字を見つけながら、それが暗号として解釈できうるものではない、即ち内地へ送るに支障のない範囲であることを確認し、行嚢へと詰めた。
火野が確認しなければならない葉書は次々に送られてくる。検閲官は火野を含めて十三名、内、二名が憲兵隊からの出向であった。彼ら軍令憲兵は逓信省出身者よりも仕事が速い。慣れているためだろう。恐らく、彼らは遠い昔に肌へと仮面が癒着して、それどころか仮面を被ったことさえも忘却しているのだ。
人格的にも役職的にも親密な関係を築くのはどうにも御免蒙りたい彼らであるが、しかして彼らの熱心な働きぶりに助けられている側面はある。
何せ内地へ送る手紙は、一日当たり一万通にも及ぶのだから。
窓口に立つ局員が忙しなく対応している裏で、火野たち検閲官は文面を確認し、問題があればそれを誰何し、問題がなければ郵便行嚢に詰める。そうして戦地から母国まで、およそ一週間から十日で葉書を到着させる。そのために、官僚が兵士と轡を並べて行動する。
道中で敵兵に襲われることもあれば、凍傷で指を落とすこともある。検閲係の長という役職にいる火野は、彼らから恨みがましい視線を浴びることもある。
代われるものなら代わってやりたいと当初は思った。それが諦念に変わり、遂には自分は幸運であると感じるようになったのは、さて、いつのことだったか。記憶にも墨を塗りたくったようで、さてどうも覚えがない。
占領地と言えど今なお銃声は絶えず、警備体制も前線のそれとそう変わりない。擦り減る神経は、早い内に、火野の中途半端な善良さを削ってくれたらしい。
あるいはその方が健常なのか知らんと火野は葉書に目を通す。目を通す。目を通す、
──部隊長の許可を得て民間人から食料を徴発したこと。
──民間人に扮する便衣兵を道路に並べて銃殺したこと。
──恐らく、中には良民もいたであろうこと。
──毒瓦斯の研究をしていること。
──占領地に戻ってきた住人が、寝るところもなく凍え死ぬこと。
──敵国人が機銃によってバタバタと斃れる様が面白いこと。
──それらの悲惨な様子を見て、戦に負けることはできないと決意したこと。
火野はそれらの記述に、眉一つ動かさずに確認していく。
内ひとつ、部隊が移動することについて日時の書かれた葉書には該当する一部分にのみ墨を塗った。
前線における軍事研究内容の詳述、これから開始する作戦行動、そして皇国の疑義について記載されていないのであれば、あえて検閲の対象とはしない。
明文化した検閲基準はないが、第八野戦郵便局では、内地の郵便局検閲課と同様、概ね以下の基準の元に検閲を実行している。
一、純然たる防諜に関する事項
暗号を用い、所々の文脈な不鮮明な文面を指す。
二、軍事機密に関する事項
軍需産業の所在場所や、その景気の動向を報するもの。
三、体制に関する事項
立憲君主制に対する疑義や誹謗する内容。また、軍隊の移動に関すること。
四、敵国に知悉されて不都合な事項
戦局の不利や政情不安。
その他、個々の検閲官の判断に拠る。
軍令憲兵の二人は、火野たち逓信省出身者よりも厳しい基準で検閲を実行していると思われるが、その詳細は定かではないし、そう重要でもない。
なにせ、戦地における検閲とは、内地のそれとは異なり発覚しても半刻ほどの聞き取り調査で済ませる部分が殆どだ。戦場で動ける兵とは資源であり、それを憲兵の一存で動かすことは銃を手に持つ部隊からの反感を買う。配置を戦場の先の方へと転換して使い潰すという手もあるが、それは手が込みすぎるというものだ。
結局のところ、ここで検閲を徹底することはさして重要な意味はない。
戦場検閲官という役職の最大の役割は、そこに立つだけで達成される。
軍事郵便の根本のねらいとは何か。
葉書に己の感情を書くことで、感情を文字へと起こし、吟味し、反芻することで、自分自身を規定させることにある。
我々は敵対者には残忍であり、共闘者には篤実である。恐れを知らず、精強頑健にして、胸裏には母国の同胞への愛が燃え滾っており、決して挫けない戦士である。
そういうふりをさせる。勇壮なる仮面を被らせる。
検閲官すなわち第三者の目線があることを意識させることで、自己規律化を促す。
検閲官からすれば、書かれていることが出鱈目であろうと、それは一向に構わないのだ。墨を塗る塗らぬは重要事項ではない。この戦地にてむき出しの生と死を前にして、仮面が剥がれぬようあれば、それでよい。
火野は知っている。
そこの痘痕の残る青年は、三週間前の警備において、敗残兵と現地民間人から襲撃を受けて本格的な戦闘に入り、同じ部隊から一人死者を出した。最終的に機銃掃射で全員が鏖殺された折には吐瀉物を吐き、下履きを濡らしていた兵士は、その場で餓鬼のように泣き、喚き、自分の運命に悪態を吐き、その運命を操る上官に流れ弾のひとつでも当たってくれないかと祈念していた。
しかし、手紙の上ではそのような懊悩など出しはしない。
占領地の内部で死者が出たことなど、触れることさえしない。
そこの頬髭を生やした者も、頬の痩けた者も、真新しい創傷を顎に作った者も皆、それぞれに葛藤と懊悩を抱えている。口外できぬことを胸裏に納めているのだ。
しかし、葉書の上では、文字は、それを表立っては表明しない。
そのような状況で、検閲内容を記録することに然したる意味などない。
秘密の保障があってさえ、手紙に本心がはっきりそのまま表れることなど、ありはしないのだから。
彼らが泥濘に塗れたことも、餓えと寒気に苦しむことも、同胞を失ったことも、どれもこれも、生の感情は線引く墨の下に埋もれて、戦火へと焼べられていく。
そうして加工されたそれらだけが残る。
火野よりも一回り年若い彼らは、きっと後世では、私心なく御国のために力を尽くした勇士として語られるのだろう。
あるいは我国の興廃の如何では、その残虐性ばかりが取り沙汰されることとなるやもしれない。
今眼前にある、懊悩も、悔恨も、人間らしいものたちはきっと、歴史に遺ることはない。
況んや、己から墨を塗った検閲官のそれなどは。
小さな山を作る『戦死ニ付返戻』という朱書きを焼き棄てながら、火野はそんなことを思った。
そうして次の日も、その次の日も、またその次の日のその先も、火野の業務は滞りなく続くのだった。
終戦はまだ遠い。