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アイデスの憂鬱  作者: 森住千紘
Hundred flowers : 3  〜 花咲く命、ある限り 〜
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 Attack on artemis : fool’s blood

 淡い色のリボンを解くと、腰まで届きそうな艶やかな黒髪が風に流れる。


 だが、それは過去の幻影で、今はもうない。

 初めは、ただのシミュレーション。

 だが、いつしかそれは衝動に変わり、気付いた時には走り出していた。


 きっとその時が阿呆の血の覚醒の瞬間だと文郁は思っている。


 個人的な後悔は無い。

 むしろ清々しい。

 ただ、家に帰り、生まれ変わった文郁の姿を見た母親は、怒る事を通り越し、泣き出してしまった。

 そこだけは、少しだけ申し訳ない気持ちがある。

 ごめん、とは言わずに、文郁は長い黒髪が綺麗さっぱりなくなった頭を掻く。

 少しだけ清々しさが勝っていた。


 文郁だって、可愛いものは好きだ。

 二人の姉と同様に普段は女の子らしい振る舞いをするし、その自覚もある。

 だが、同時に文郁には阿呆の血の導きもある。

 せめぎ合う相反する衝動じみたそれは、時にランダムに表層に顔を出す。

 今回は偶々阿呆の血が表に出ただけの事。どちらが本物かという事ではなく、それらが合わさって初めて、前野文郁という自分たり得る。そう文郁は思っている。


 だから、女の子なのに、という理由で母親が泣く気持ちは推し量れるが、全てを共感する事は出来ない。

 二人の姉は、うっすらと文郁に流れる阿呆の血に気付いていたので、むしろ楽しみ、肯定してくれた。

 父親は文郁を見るなり怒鳴った。

 かなり長い時間正座をさせられた。

 初めて頬も叩かれた。

 最初こそ怒りはあったが、次第に冷めていった。

 これまでの彼の言動から、何となく理解してしまったのだ。


 父親は成功譚の塊。それに基づく彼の発言は正しい。

 だが、それは誰しもに当てはまらず、振り幅は乏しい。そしてやや独善的。

 文郁の行動は父親にとっては何がメリットかが解らなかったのだろう。むしろデメリットだと考えたに違いない。


 この人はきっと、自分の理想を押し付けるタイプの人なんだろう、正座をしながら文郁はそんな事を思う。だが、思っただけ。悔い改める気なんてさらさら無い。阿呆の血はそんな事で根絶やしには出来ない。沸き立つものに蓋をしても、まあ、はみ出るのだ。抑制した所で大した意味はない。それに、朧げながら、上手く棲み分ける方法は見えていた。だから文郁は楽観する。


 そんな初期を経て、時折顔を出す阿呆の血を楽しみつつ野球に精を出す。

 並行して、課された課題をこなす文郁の月日は過ぎてゆく。

 事ある度に父親の雷が落ちるが、既に慣れたもの。

 怒られはするが、気にはしない。事後報告ならば望みは手に入る。


 だが、常に結果を出しているのにも拘らず、一向に文郁を理解しようとしない父親には、若干の面倒臭さを感じていた。

 この頃になると、母親は半ば諦め半ば肯定の様な態度になっていたし、二人の姉からは全面的に支持されていた。

 だからこそ、一人変質しない彼に良い印象を持てない。

 文郁にしては珍しい事だが、有り体に言えば嫌いになった。


 そして進路を決める時期になって、関係は更に悪化した。

 やる事なす事全否定は言い過ぎかもしれないが、それに近い。加えて今回ばかりは、頑として父親は引かなかった。元々引くという概念がない彼ではあるが、今回ばかりは更に強硬。


 初めて文郁は敗北を味わった。


 世の中には、どうにもならない事がある事を学んだ。そして諦観。

 これまで以上に父親との溝は深まり、日常会話は皆無。

 それは、新たに進んだ学び舎で、再び野球を始めた後でも変わらなかった。

 勿論、再び始めるにあたって一悶着あったが、父親の望みを理解している文郁としては、学業の結果を提示する事で半ば強引に自分の意見を通した。

 そして、改めて文郁は思う。


 いくら客観的な正しさを持っているからといって、誰かに道を決められるのは、個人的にはまるで満足出来ない、という事を。


 だから、今文郁は充実している。

 生き生きしている。

 たとえ、目の前に大きな壁が立ち塞がろうとも、それすらも楽しい。楽しいから、阿呆の血もより沸き上がる。以前に比べて、それが顔を出す頻度が多くなっている事を自覚しているが、別に止める気は無い。それもまた、今の自分の一部だと文郁は思っている。


 見上げる空は曇天。グラウンドに響き渡るは、乙女達の華やかな声。


 五回裏の攻撃、先頭の藍がショートライナに倒れた後、梓が有言実行とこの日二本目となる右中間を切り裂く二塁打で出塁。

 迎えた文郁の第三打席。

 これまでクリンナップに入りつつも二ペケの文郁としては、そろそろ安打が欲しい。

 別に打撃に拘りがある訳でないが、ここで一本出せれば、楽になるのは自分。

 まあ、狙うダロ、と文郁は勇む。

 そんな時だった。


 何気なく、視界に入れていた客席に引っ掛かりを覚えた。

 うん? と思い、打席に入る前に目を凝らす。

 自軍の三塁側のベンチの上、疎な観客席の中にいる少し浮いた人達。

 二人の姉には試合前に会っているので驚きはない。問題はその隣。


「……どういう風の吹き回し?」


 そんな言葉が自然と口から溢れた。

 遠目で見ても解った。

 あれは。姉達の隣にいるのは両親だ、と文郁は微かに眉を寄せる。

 姉達がいるのは解る。

 彼女達は関西圏内の大学に通っているので、会場が兵庫県なら、実家に帰るよりも来やすいだろう。今は夏休み、観光をちらつかせ、彼女達が妹へのサプライズと称して母親を呼ぶのは理解出来る。


 だが。


 いくらこの日が日曜とは言え、雨天で順延した結果の日曜なのだ。

 普段は何事にも優先するのは仕事の父親が、こんな運任せの様なスケジュールの真っ只中にいる。


 困惑はする。

 でも待てよ、と文郁の頭は回転速度を上げる。


 この際、経緯は一旦棚上げにする。

 これまで、彼は一度たりとも実際に文郁のプレイする姿を見る事はなかった。自分の知りうる範囲の想像で正否を判断していた、と文郁は認識しているので、これはチャンスなのではと思う。


 ここである程度の結果を示せるのなら、この先の交渉をうまく進める為のプレゼンの材料になるかもしれない。そんな事を文郁は思う。

 こうなると、俄然、この先の自分のプレイが意味を成してくる。

 投打でチームに貢献した事を示せば、それは交渉材料にもなるだろう。

 若干、邪な動機ではあるが、そこは少しだけ皆には目を瞑ってもらおうと蓋をして、再び勇んで打席に入った。


 結果としては、幸運だったと言えばそうなのだろう。

 高めに浮いた外の変化球を思い切り引っ叩いた。

 打球は三塁手の頭上を越えてレフト線を駆け抜ける。

 難なく梓が返り、追加点。

 二塁で文郁はバッティンググローブを脱ぎつつ、満面の笑みを浮かべる。


 ちら、と横目を観客席に向ける。

 姉達と母は手を叩きはしゃいでいる様に見える。父は一人静かに佇む。

 まあ、はしゃがれる方が調子が崩れるか、と文郁は内心苦笑して一旦その思考を切った。

 今は試合の最中、集中を切らしていい理由にはならない。


 続く六番の白井は、何球か粘った後ライトに大きな打球を上げた。

 文郁はそそくさと二塁に戻り、ベースに足を付けその時を待つ。

 捕球と同時に駆け出し、難なくサードを陥れた。

 ツーアウトながら、ランナ・三塁。

 あわよくばもう一点と、文郁は次打者に期待を掛ける。

 相手投手の挙動に意識を集中しつつも、自分の背後には家族がいるのだなあ、と邪念が差し込まれる。

 いかんいかん、とそれらを押し出し、”打ったら走る”と三回程心の中で唱えた。


 投手のモーションと共に、そろそろと二、三歩踏み出す。

 バッターが弾き返した事を確認して加速。

 だが、うまく捌いた遊撃手によって、ファーストアウト。

 何となく悔しいので、文郁はホームを踏んでから自軍ベンチに引き返した。

 メットを片していると、夜川千彩が文郁の黒地のグラブを持って来てくれた。


「ナイバッチっす、フミカちゃん」千彩は目を爛々と輝かせる。「ジエンゴ、かっこいいっすねえ。私もいつかやりたいっす」

「お、サンキウ、ちろ」文郁はグラブを受け取る。「ちろなら打てるさ。でも今はまだ投手として私に追い付くとこからだナ」

「もちっすよう」千彩は両手の平を握る。「この回も、この調子で!」

「任せろう」


 千彩と拳を合わせ、文郁はマウンドに向かう。

 ほんの少し遅れて撫子が肩を並べる。


「文郁さん、ナイバッチでした。この調子で……」

「お前ら同じ事言うのナ」文郁は笑う。

「は?」

「いや、ちろも同じ事言ってたから」

「そんな、誰だって同じ事言いますよ。あんなバッティング見せられたら」撫子は微笑む。「ですから、この流れを維持する為にも、この回三人で切りましょう!」

「任せろう」


 撫子とも拳を合わせ、私も同じ事言ってるナ、と内心文郁は苦笑する。


 他より少しだけ高いマウンドに立ち、相手投手の痕跡を丁寧に慣らした。彼女は右。踏み出し位置が違うので物理的な影響はないが、彼女の残り香は気になる。

 今がなんとなくそういう気分だっただけで、常にという訳ではない。

 どちらかと言えば、ズボラ側の文郁である。


 自分の準備が整ったので、撫子を座らせた。

 若干の疲労は感じるが、特に異変はない。感覚も普段通り。少しだけ気持ちが昂っていると自己分析。試合に入ったら、少しだけ落ち着いて投げようと文郁は心に留める。


 プレイコールが掛かって直ぐの初球。

 回の先頭打者はまさかの早打ち。

 だが飛んだ場所はセカンドで、藍が難なく捌いてワンナウトを貰う。

 内心ラッキィと思うが、顔には出さない。

 続く次打者には多少粘られたものの、外野フライに仕留めた。

 上々。球数も抑えられた、理想的な流れ。ツーアウトの声に、少しだけ笑みも溢れる。

 次打者を目にして、安堵している自分がいた。慌てて、それを掻き消す。


 バッタボックスの乙女は、文郁と同じく投手でありながら打席にも立つ。

 つまり打撃も優秀という事。

 だが、どうやら文郁との相性はあまり良くないらしく、前打席、前々打席と簡単に打ち取っている。

 緩みかけた意識は戒めた筈。コースも悪く無かった。

 だが、思いの外回転が掛からなかったのだろう。

 半端になったスライダーを叩かれ、レフト線を抜かれた。

 制御出来なかった自分が悪いというのは解っているが、打球の行方に関しては、まあ、偶々なのだろう。

 ピンポイントを狙える技術がある打者ではない、天災の様なものだと文郁は分析している。

 返って来たボールを受けて、二塁で笑みを浮かべる打者を盗み見る。

 一瞬かちっと視線が交わった。


 ——これでおあいこ。


 そう言われた様な気がする。 

 投手は大抵、我の強いのがデフォルト、ビハインドだろうが、やり返したという笑みに見えても仕方はない。だが、これで良いとも文郁は思う。張り合いのない相手とやっても面白くはない。だから、やりやがったナ、と文郁も勝手に笑みを返してやる。


 個人的ものはここまでにして、文郁は先を見据える。

 既に前の二人は打ち取っている。

 別に一人出した所で後続を取れば問題はない。

 それでも、クリンヒットは悔しい。一回舌打ちして、切り替えた。


「ツーアウト。ボールファースト。皆、楽にね!」藍の声が内野に木霊する。

「フミカちゃん、後ろは任せて」続けて昴の声が届いた。


 ちら、と見ると、昴の掲げた右手は、いつかの様に親指と中指薬指を突き出したキツネスタイル。 

 自然と文郁の口元も上がる。


「おお、任せた。頼むナ」文郁もまたキツネスタイルで応えた。

「もっちろん!」


 昴の声に口元を上げ、文郁はダイヤモンドの中心で緩りと前傾姿勢になる。

 ここで切る、という明確な意志が文郁の集中力を再び元に戻す。

 撫子のサインに頷き、左腕を振る。

 問題ない。

 思った通りの球筋。

 狙い通りの球が右バッターの膝下に食い込んでゆく。

 無理に手を出す球ではないと踏んだのか、打者は見逃した。

 ストライクのカウントを一つ灯し、返って来たボールを掴むと、文郁は微かに顎を上げる。

 ちょっとした打者への威嚇。演出の類。


 続けて放った外のツーシームに手を出し引っ掛け、打者は渋い顔をする。

 飛んだ場所は藍の守備範囲内、文郁は少々の安堵を胸に左手を握る。

 コールを聞いて、グラブを叩いた。

 駆け寄る一塁手の白井からボールを貰い、丁寧にマウンドに納め、自軍ベンチへ。

 少しだけ足がもつれた様にも感じる。だが、然程問題は無い。


「オッケ。落ち着いてる」


 半円を作る皆に監督が手を叩きながら声を掛ける。

 続けて藍が発破を掛けて、皆が散る。

 文郁はベンチに腰掛け、タオルで額を拭う。

 きっと、お小言が降るだろうな、と考えていると、果たして自分の名を呼ぶ声がした。


「はぁい」


 返事をしてから、立ち上がった。

 やはり少しだけ足がおかしいな、と思う。

 若干膝が微笑んでいる。

 とは言え、このまま行けばあと一回。まあ、何とかなるだろう、と監督の元へ赴いた。


「前野、お疲れ。良くやった」慶侑は微笑んだ。「五分の戦いだと思ってたけど、前野の好投もあってほぼ理想的な展開になった。しっかり左腕、ケアする事」

「はあ?」つい、文郁は声を出した。「えっと、私降板すか?」

「何言ってるんですか」撫子が忙しなく防具を脱ぎながら早口で捲し立てる。「さっきの二塁打も、変化が甘かった結果ですし、微妙に制球もバラけて来てます。勝てば次があるんです、休める時に休んで下さい」

「そうっすよ、フミカちゃん」夜川千彩の目が輝く。「なんだかんだで、ずっと準備していたんすから」


 ベンチの最前列から半身を翻し藍が言う。


「アンタ、足に来てるでしょ。まあ、初めての公式戦だし、流石のアンタも、やっぱり人の子だったって事よ」藍の口元が上がる。「飛ばし過ぎね」

「いや、私はまだ……」

「十分な働きをしたよ」梓が文郁の右肩に手を置いた。「ダウン付き合うからさ」


 梓はそう言って、ベンチの外に顎をしゃくった。


「前野、本当にお疲れさん。あとは夜川に任せよう」締めとばかりに慶侑が言った。


 皆の言う事は正しいのだろう。

 実際僅かではあるものの膝は笑っている。

 だが、どこか素直に受け入れられない。

 佇みながら考える。


 両親が来ているから最後まで投げたいのか? それはある。だがそれが全てではない。

 不完全燃焼だから? それは違う。多少力を抜いた事実はあるが、真剣に立ち向かったと胸を張れる。


 では、なんだろう。


「ほら、フミカ。行こう」梓が促す。

「……ああ」曖昧な言葉が口から漏れる。


 踏み出して良いのだろうか。

 踏み出したら、おそらく降板は確定される。

 確固とした投げたい理由を見出さなければ、自分も周りも納得しない、ただの我が儘となるだろう。


「……我が儘か」文郁は呟く。

「うん?」梓が首を傾げた。

「いや……」文郁は笑い出す。クレッシェンドする笑い声。「そうだ。これは我が儘だ」


 滅多打ちを喰らってK.O.された訳ではない。

 だから行ける所まで行きたい。

 一人で投げ切りたい。

 そんな、普段はあまり顔を出さない投手としての独りよがりのプライドが、両親の来場というサプライズと混ざり合って、我が儘として溢れ出した。


 だから、きっと自分が間違っているのだと文郁は思う。

 だが、止められない。今はやり切りたい。

 文郁は監督に向き直り、背筋を伸ばして腰を折った。


「すいません、監督。最後まで行かしてください」

「アンタねえ」藍が溜め息混じりに言う。「気持ちは解らないでもない。でも、先を考えるのなら引いて頂戴。明日が休養日なら構わないけど、そうじゃない。なんだかんだ言ったってアンタはウチのエース。明日は今日以上にしんどい戦いになる、そういう場面にこそ必要なのがエースでしょうに」

「でも、明日第三試合だろ? 時間的には一日空く」文郁は監督に向き直る。「安打でも凡打も打たれたら代わります。だからせめてそれまで……」

「……あのさ、前野」慶侑は目を細める。「それって全部三振取るって事だよね。前野のことだから、どうせ雪村のリード無視して、使える球全て使って三振への道筋を構築するんだろう? そんなん、球数増やすだけじゃない」


 慶侑は苦笑しながら両手の平を上げる。


「アンタ、時々すごい阿呆な事言い出すよね」藍もまた身を乗り出したまま苦笑する。「こういう時はさ、一人一球で仕留めるからって言いなさいよ」

「じゃあ、それ」文郁は藍に人差し指を向ける。「結局、私の我が儘なんだ。けど……」

「明日の先発、ちろに譲るなら良いんじゃない?」藍が言う。

「それはイヤ」文郁は即答する。

「まあ、本人がここまで直訴するんだし、まあ良いんじゃない?」梓が文郁の肩を持つ。「投手なんて大体が我が儘。そう考えれば、フミカって普段からおかしな発言は多いけど、主張が激しい訳ではない。偶の我が儘くらい呑んでやろう」

「アズぅ」文郁は両手の平を擦り合わせる。

「拝まないでよ」梓は苦笑を真剣な眼差しに変え文郁に向けた。「ただ、言うからには結果を出す。頭の良いフミカなら解ってるよね? 皆が望む最善。明日に響かせない為にはどうすべきか、それも踏まえての結果だって事」

「ああ」文郁は大きく頷く。

「ちょっと残念っすけど、後ろには私がいるんで気楽に行けば良いっすよ、フミカちゃん」千彩も文郁の背を推す。


 梓が藍に目を向けると、仕方ないな、と彼女も頷き、最終決断を慶侑に委ねた。


「ま、本人がそう言う。そしてその決断を皆が支持する。なら俺がとやかく言う事じゃないね」慶侑は小さく頷いた。「じゃあ、前野。最後きっちり締めて終わりにしよう」

「はい!」文郁は自分の顔が綻ぶのを自覚する。

「なんか、良い事言った風になってますけど、完全にコレですからね?」藍が白い目をして慶侑に手の平を翻して見せる。

「……有坂ドイヒー」


 これもまあ、いつもの事。

 自分は少しだけいつもと違う事をしたけれど、気分は上々、と文郁は昂る胸を抑えその時を待つ。


「少しでも、休める様に私出るよう」藍の隣に座っていた昴が振り返った。「あわよくば、そのまま追加点ってね」

「私が打席に立ったら、それは本末転倒じゃないカ?」文郁は軽口を叩く。

「それはそれ、コレはコレ」昴は笑う。


 そんな昴は見事に有言実行した。

 先頭が内野ゴロで倒れ、続く撫子は三振。

 申し訳なさそうにベンチに戻って来た撫子を、文郁が慰めている中、昴は三遊間のど真ん中に打球を飛ばす。

 深い位置で遊撃手が拾うも、僅かに昴の足が勝り、内野安打となって出塁。

 一塁ベースの上の昴は、白い歯を見せた。

 ただ、次が続かずこの回は終了。

 それでも、打者一人分長く休めたのは、微々たる差だとしてもプラスはプラス。

 文郁はゆっくりと立ち上がり、最終回のマウンドに向かう。

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