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アイデスの憂鬱  作者: 森住千紘
Hundred flowers : 3  〜 花咲く命、ある限り 〜
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 Fross that wraps around 〜 纏わり付く真綿 〜

 普段勝気な吊り目は目尻を下げ、微かに開いた自嘲気味に曲がる口からは、チャーミングな八重歯がちらりとのぞく。


 碧を含めた荻野達上級生は、若干の狂いが生じたローテの調整に勤しんでいる。

 その傍ら、申し訳程度に設られたブルペンの小さなベンチに腰掛け、私は隣に座る湊を窺う。

 こんな彼女を見るのは始めて。自ずと私の口調も柔らかくはなる。


「どしたよ」


 湊は私に、ちら、と力無く見える目を向け肩を落とした。


「突然の絶不調。nemuzeネムジェ pochopitポホピトゥ」湊は無理矢理な笑みを浮かべ補足する。「……理解不能、な?」

「で、どう不調なのさ」


 湊は微かに目を見開き、笑った。


「アンち、容赦ねえなあ」そう言って湊はベンチに背を預け、空を仰ぐ。「……なんか急に制球定まらなくなった。だから意味解らん」

「コース、球種問わず?」

「主にストレートかな。変化球はまあ大体真ん中に投げとけば良いから何とか」

「そっか。んで、どんな感じになったのさ」

「ん、初めはやけに右に逸れるなって思ってさ。だから要求より気持ち外めのイメージで投げたんだけど、そしたら、今度は外に外れんだよ」

「微調整したつもりが、行き過ぎるって事?」

「そだな、ボール二つ分位は外に行く」

「ふうん」相槌を打ちつつ、もしや、と思いきいてみる。「緊張してる?」

「なんで?」湊は微かに首を傾げた。

「ほら、常桜ん時さ、試合前似た様な事あったじゃんか」

「ああ」湊はニヤリと笑う。「アンちがやらかした試合か」

「そこはいぃんだよ。あん時は緊張っつうか、気持ちが昂って右に逸れてたじゃんか。だから今回も、って思ったんだけど」

「ううん」湊は頭を揺らす。「思い当たる節は特にねえなあ」

「そっか……」


 あるとしたらの心当たりが空振りに終わった今、湊本人が言う様に突然の乱調としか言いようが無い。

 かつて私がやらかした様に、何かしらの原因があれば助言程度なら幾らでも言えるのだけれど、それが皆目見当も付かないとなると、こちらとしても何を言って良いものかと頭を悩ませざるを得ない。


「いやあ、参ったなあ」湊は遠くを見ながら言った。「試合作れずに降板するのってこんな感じなのな」

「別に……」


 と、言いかけて、やめた。

 下手な気休めなど彼女も求めて無いだろうと思い直す。

 夕立の様な単発の乱調の可能性だってある。

 下手に突いて更に悪化、もしくは変なクセになるのはよろしく無い。

 軽めで調整しつつ様子を見るという事になりそうだな、と私が考えていた所に、ローテ調整を終えた碧が園川と共にやって来た。


「おつ〜」


 碧は普段通りの軽い言葉を口にするけれど、それとは裏腹に表情は芳しくはなかった。

 思いの外、湊は重症なのかもしれない。

 立ち上がり、おつかれさまです、と二人に声を掛けてから、私は改めて碧を見た。

 その顔が催促しているように映ったのだろう、碧は微かに苦笑う。


「取り敢えず代役としてミッキー連れてくから、ミナトは調整な」

「……はい」


 しおらしく返事をする湊に、碧は微かに安堵した様だった。


「本戦の前で良かったと思えよ、不調なんて誰にでもあるんだから。球自体は悪く無いんだ、そんなに気にすんな」ちら、と視線を流し、碧は悪そうに肩頬を上げた。「どこかの誰かさんは、本戦でやらかしたんだ、それ考えればだいぶマシだよ」

「……オマエモカァ」


 怨嗟に塗れた私の言葉に、片目を瞑って鼻で笑ってから碧は振り返える。


「セーキーターニィ、ちょっとおいでぇ」


 呼ばれた瞬間即座に顔を顰めるも、渋々みなみはこちらにやって来た。


「何ですか?」


 若干不貞腐れ気味に見えるのは、きっと私の色眼鏡の所為だろう。

 みなみとは真逆に満面の笑みを浮かべた碧は、自身より頭一半個分程背の高い園川の肩に手を掛ける。


「ミッキーはこれからフルボッコというお仕事があるんだ。だから……」

「端から決めるなよう」園川は細めた目で我が儘プリンセスを見下ろす。「つうか、打たせない様にするのが碧の仕事じゃないの?」

「まあ、それはおいおい、な」溜め息を吐く園川の肩を叩き、碧はみなみに目を戻す。「まあ、そういう事なんで、関谷、ミナトの相手頼むわ。軽いキャッチボールから初めて、ゆっくりな」

「……はい」みなみは渋々頷く。

「ミナトも、がむしゃらにやるとこじゃないかんな。一球一球丁寧に」 

「……はい」湊もまた渋々といった表情で頷く。

「関谷、頼むな」今度はみなみの肩を叩き、碧は園川と共に踵を返しブルペンを後にする。


 こういう所は良い先輩なんだけどなあ、なんて事を思いつつ碧の背中を眺める私。

 私も湊もみなみも、きっとそれぞれが別々の事を考えている。

 それらが作り出したちょっとした空白、それを破るべく笹川が手の平を打ちながらやって来た。


「ほら、やる事解ったんなら、さっさとやる。時間は有限って理香さんも言ってたでしょう?」

「ん、そうすね」私は笹川に頷きつつ、横目で湊を窺う。


 湊は緩りとした動きで自分のグラブを掴むと、やや不貞腐れ気味に佇むみなみに寄った。


「……付き合わせる形になって、悪いな」


 みなみは、ほんの一瞬だけ目を見開いた。

 けれど、直ぐに眉間に皺を寄せ首を振る。小さく舌を鳴らし首筋を掻く。


「……らしくない事言わないでよ。こっちの調子が狂う」吐き捨てる様に言って、直ぐにその場から離れようとする。不意に足を止め、首だけ傾けて小さな吐息。「……変な球投げんなよ? 捕らないからな」


 あらあ、と思ったのは私だけではない筈だ。

 そっと窺えば、笹川も口を半開きにして固まっている。帽子の鍔で隠れて表情の全ては解らなかったけれど、湊は小さく笑った様に見えた。


「……相変わらず、ヘタっぴなのに上からなのな」誰ともなく呟く様に言ってから、湊は動き出す。

「あんま無理すんなよ?」


 私の言葉に、湊は片手を上げる事で返事として、先程まで園川がいた左端のレーンに赴いた。

 いつも通り足場を慣らす湊を見届け、私は私のお仕事に勤しむ。


「じゃあ、さっきの続きからね」


 笹川の言葉に大きく頷き、仕切り直しのキャッチボール。

 やらなければならない事は解っている。解っているけれど、どうしても隣が気になってしまう。

 勿論、湊のコンディションは心配。

 けれど、それ以上に互いに拒絶しあっていた二人の関係性に生じた僅かな変化、ヒヤヒヤしつつも興味津々だった。

 集中しなければ、と自分を叱責するも、目は私の意志に反して横に流れてしまう。


「随分余裕がある様ね、斑目」


 女帝からの釘刺しに、反射的に背筋が伸びた。

 そろり、と正反対の方向を窺い、小刻みに首を振る。


「滅相もない、余裕なんてこれっぽっちもありませんよ」

「……全くどの口が」荻野は淡々と球を受けながら、呆れた、と小さく首を振った。「気になるのは解らなくはない。けれど、時と場合を考える、今貴女がやらなくてはならない事はなあに?」

「……はい、スミマセン」


 しょうがないじゃんか、と思いつつも、実際、荻野の言葉の方が正しい。

 切り替えろ、と改めて強く念じ左隣をシャットアウトし、私は改めて正面を向いたのだった。


 明けて翌日。

 チームに漂う雰囲気こそ平静を装っているけれど、内包する不安は少しずつ大きくなっている。

 誰もがそう思うも口に出したら現実になってしまうのでは、という妙なオマジナイじみた物に縛られ、言うに言えず取り繕う姿はやはりぎこちなく映る。


 本人にも焦りはあるのだろう。昨日のブルペンこそ、途中でファニィな雰囲気を醸し出してはいたのだけれど、女帝が纏う空気は普段とはまた別の他者を寄せ付けないそれ。

 気遣い無用と暗に示していたとて、現実を目の当たりにすれば動かざるを得ないのだろう。


 夏を実感させる快晴の下、最後の追い込み、と定番になったシートバッティングの時間。

 指名打者枠とは言え、碧はファーストチョイス。本来なら、守備側として彼女が捕手として参加すべきなのだけれど、分身する訳にもいかず、お鉢は私に回って来ていた。


 新たに得た知見を実践する良い機会と、これまで恵まれていた所為で見過ごしていた打者の存在を十分考慮しつつ、この日の相方、笹川をリードする。


 おそらく球速だけでいえば、彼女はチームトップ。

 球威も十分。バラけるのが難点と思っていたのだけれど、いざ試合形式となると、それすらも武器になる事の意味が漸く解って来た。


 我こそが浅はか也、と自虐めいた事を考えつつ、直球を主体に組み上げる。

 捕手として思わずにはいられない。

 これでコントロールがつけば、確実に笹川はエースと並ぶ双璧となろう。


「絶好調かよう」 


 幾度となく力のあるストレートをカットしてきた千家だったけれど、インハイに外れた直球の後の、外に逃げるカーブを空振り、恨めしそうにぼやいた。

 少々の自虐みを滲ませ、私は言う。


「私ですよ? 決め球にはカーブが来るって解ってるんすから、それ狙えば良いんすよ」

「……ラメちゃん、性格悪ッ!」


 鼻に皺を寄せ千家は、いッ、と歯を剥き出した。

 けれどその表情はどこか晴々しい。

 続く小澤は、高めに浮いた直球の下を叩きキャッチャフライ。


「ユイ、ちゃんと見極めろ。完全なボール球じゃんかよう」主審として皆を見守る理香が、若干項垂れる小澤に声を掛ける。「こういう判断の積み重ねが勝敗を左右するんだからさ。……つっても、まあ今のは振らせるだけの勢いあったけどな」

「……いえ、振ったならせめて前に飛ばさないとダメですね」

「解ってるなら良いよ」マスクの中で理香はニヤリと笑った。小澤を見送った理香の目が下に向く。「斑目。二巡目来たけど、まだ幸運に助けられてる部分あるからな、そこんとこしっかり頭に入れとけよ?」

「はい」


 制球が定まらないのなら、それも考慮に入れて配球を組むのが良い捕手。

 一応考えてはいたのだけれど、結果としてはまあ幸運。

 打者に助けられている部分は多い。

 早打ちで凡打、手を出して打ち損じ、とこちらに分がある結果となっただけで、実際は裏目に出る事はままある訳だ。

 今一度その事を肝に銘じて、次に備える。


 さて、ここでこの日二回目の女帝の打席。


 一打席目の彼女は直球狙いだったのか、変化球への対応が微妙に感じた。

 普段なら、投げるとこねえよ、と悪態を吐く所なのだけれど、この日はそんな言葉もぽろりとは出ない程度には解り易い。

 そんな変化すら表面に浮き出てしまう程、彼女の中の焦りは大きいのかもしれない。

 なので、正々堂々と変化球を主体据えて攻めた結果、合間に挟んだストレートを捉えられた。

 迂闊、の文字が脳裏に浮かび空に伸びる打球を追う。

 けれど、普段の彼女なら確実にヒットゾーンに落とせる当たりも、この日は定位置の左翼手が殆ど動かずに掴んでしまう。


 溜め息こそ出ないけれど、周囲に漂う空気が一段重くなったように感じる。

 今年度の鳴海大葉山は、女帝におんぶに抱っこのチームではない。ないのだけれど、それでも要である事は確か。要の不調は、どうしても周囲に不安を伝染させる。


 こんな時、私がもう少し器用であればと思う。

 接待を接待だと思わせないプレイで、彼女の背中を押す事が出来れば復活の兆しにもなろう。

 けれど、そんな技術は私には無い。結局、私は私に出来る事をやるしかない。


 二度目の打席に入った荻野からは表面上焦りは感じられない。

 前打席の事もある。入りは変化球。

 出来ればゾーンに入れて、見逃すなりカットするなり、対応を見つつカウントを稼ぎたい。

 ファースト組の打撃練というカテゴリであると同時に、私達守備陣の練習でもある。

 手は抜かない、打てる物なら打ってみて下さい、と精度の高いカーブを笹川は放つ。

 初動は真ん中よりやや外めのヤマ、この軌道ならアウトコースギリギリ位までは曲がる。

 初球としては上々、と私が思ったのも束の間、荻野は踏み込み手を出した。


 嘘だろ、という言葉が脳裏に浮かぶ。

 ただ闇雲に、という訳ではなく、荻野はしっかりカーブにタイミングを合わせていた。

 読み負けしたのは私。

 逆らわずに外のカーブを引っ叩く。

 私も偶にやる、軽く掬ってサードないしショートの頭を越すポテン狙い。


 けれど打球は思いの外上がらず、半ばライナで伸ばした遊撃手のグラブの中へ。

 打球の行方を横目で追った荻野は、早々と肩を落とし一塁に駆ける。

 やけくそ気味のスプリントで駆け抜けると、天を仰ぎつつメットを脱いだ。

 そんな女帝に声が降る。


「ミウ、ちょっと来い」理香の声には怒気が滲む。片手を上げて、グラウンドの流れを一旦止める。「ちょっとタイムな」


 それぞれ、水分補給なり打ち合わせなりに動きつつも、皆の意識はホームに向いている。

 私も笹川に寄りつつも、戻って来る女帝に意識が向く。


「悪く、なかったよね?」笹川も横目で荻野を窺いつつ言った。

「むしろ、良かったと思う。入りとしてはベストじゃないかな……」

「だよねえ……」 


 おそらく、笹川も私と同じ様な気持ちを抱いている。だからこその言葉。

 私達の気持ちを代弁する様に、理香は言葉を解き放つ。


「お前、何がしたいの?」呆れ、苛立ち、どちらともいえない微妙なニュアンスで理香は言う。「私はお前の判断ならそれで良いと思ってる、それだけの信頼はある。けど、それは普段の姿なら、だ」


 理香は大きく呼吸して肩を落とす。

 やりきれなさを滲ませ、手持ち無沙汰が彼女の首筋を掻かせる。


「無理に手ぇ出す球じゃねえだろうに。しかも、その微妙に崩れたフォームなら、普段通りになんて行かねえよ。まずそこを自覚しろよ」理香は僅かに逡巡して、小さく首を振った。言いたくはないけれど、とその表情が語っている。「……一回外れて調整」


 もう目の前まで来ている夏。

 その直前でチームは躓きかけている。

 リカバリィ出来るのなら良いのだけれど、本来ならば、それをする人が中心にいる。


 由々しき事態。

 伝染する不安。

 

 考えても見なかった新たな壁が、今私達に前に黒雲の如く立ち塞がっている。

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