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アイデスの憂鬱  作者: 森住千紘
Hundred flowers : 3  〜 花咲く命、ある限り 〜
92/128

 Gears that fit  〜 翳りの種子 〜

 近寄り難い。

 そう思ってしまう程度には、彼女が纏う雰囲気は研ぎ澄まされた刃のそれ。


 かの女帝と言えど、自身の集大成を差し出す夏を前にすれば心は揺らぐのだろう。

 僅かと言えども湧き出た緊張は平常を脅かす。

 彼女もまた人の子、同じ女子高生。プレッシャは同様なのだ、と妙な共感じみた感動すら私は覚えていた。


 けれど。

 度が過ぎればそれは悪い方向に傾く。

 気付いた時には、布石自体はあったのだ、と思い知らされる。

 順風満帆であったのは確かなのだけれど、その裏には小さな綻びも確かにあり、見過ごせる問題がそうでなくなれば、自ずと進捗は滞る。

 両手の指で数えられる程に間近に迫った夏を前にして、私の周囲には僅かな翳りが見え隠れしていた。


 梅雨が過ぎ去り、汗が滲んだ身体を撫でるは生温い熱風。本格的な夏を実感せざるを得ない、蝉時雨に囲まれた炎天下。ファーストチョイス組の打撃練の時間帯。


 打順は仮組みながらも実践形式で回し、スリーアウト毎に仕切り直し。

 試合さながらの限定条件下でどう動くか、動けるのかのシミュレーション。

 第二捕手の碧が指名打者としてファーストチョイス組に参加しているので、私はその穴埋めとして守備側で出ていた。

 この日の相方は青山圭。

 接待プレイなんて何の得にもならないので、真剣勝負と事前の打ち合わせにも時間を割いて臨んだのだけれど、流石はファーストチョイス組、各々の役割を全うしてくる。


 一番の千家はヒッティングで出塁、少し意外ではあったのだけれど二番の小澤は手堅くバント。

 まあ、選択肢の確認という意味では有り得るかと流す。

 ワンナウト二塁で三番に入った女帝・荻野美羽。

 彼女の真髄はミートゾーンの広さと広角に打ち分けられる技術力、そこそこの長打力もある。加えて苦手なコースが特に無いと来れば、簡単に空振りが奪える打者ではないので、こちらはより慎重にはなる。

 圭の制球は悪くはないが、香坂綾程の正確さは求めない。

 ざっくりとした内外、高低で分けて、彼女の持つ精度の高い球で打ち取るというスタイル。

 荻野もまた捕手であり、圭の球筋を解っているので中々に難儀な相手。

 なので、空振りを取るよりは打ち損じを、と思い、アジャストし難い変化の大きなカーブを主軸に配球を考えた。


 功を奏した、と思った。

 カウント稼ぎのスライダーを混ぜつつ直球を散らしてのカーブ、という割とオーソドックスな攻めであったからか荻野はこちらの狙いを読んで、決めに行ったカーブを強振。

 マスクを剥ぎ取り打球の行方を追うも、思った程それは伸びずに右翼手の手元に収まった。

 と同時に千家が抜け目なく三塁を狙いそこを陥れる。

 右翼手につく藤野を知っているからこその芸当ではあるのだろうけれど、難なくこなしてしまうあたり、やはり千家もまた役目を全うしているのだろう。

 ツーアウトながらもランナは三塁。

 一巡目としては悪くない滑り出しではあるかな、と私は思ったのだけれど。


「上げる球じゃ無いだろうに。ねえ、ラメちゃん」ライト方向を見ながら、乗せたバットで右肩を叩きつつ宮森遥は言う。「ランナ二塁だから解らんくも無いけど、右打ちねえ……」

「私が言うのもアレですけど、得点圏は得点圏すよ」

「ま、そうんなんだけどさ」ちら、とこちらに傾けた宮森の表情はどこか納得がいかないとばかりに眉根が寄っている。「やっぱ私なんだよな」


 切り替えるべく宮森はそう言うと、それまで彼女を包んでいた雰囲気がガラリと変わる。


 宮森遥。


 かつての大屋政権に反旗を翻し一度部を去った乙女は、仲間であり友人でもあるエースの事を想い返り咲いた。

 勿論それだけが理由では無いのだろう。

 合わないから、という理由で全てを捨て去るとなれば、これまで培われた物とは到底釣り合わない。向けられる情熱が彼女の大半を占めているが故、それが自身を形作る要因でもあるのだから、切ろうにも切り離せないのだろう。


 名門、相模原レッズ時代から、打線の中核を担って来た彼女の打撃センスは、おそらく今の葉山の中でトップクラスのそれ。

 汎用性を器用さでカヴァーする、という解り難い理論を掲げるけれど、結果は有無を言わせぬ物。査定期間が始まると同時に復帰した彼女であったのだけれど、休止期間があったのかと思わせる程に暴れに暴れた。そして自らの居場所を掴み取る。


 ミートゾーンは荻野に並び、長打力はチームトップの坂巻にも引けを取らない。

 ただその二人に比べ弱点はやや多い。

 本人曰く、それをカヴァーする為のスイッチヒッタらしい。

 対投手としての見やすさであったり、左右のやり易さというのはあまり関係無いらしく、あくまで投手のタイプによって打席を切り替える。力押しには左、搦手には右。


 宮森はするりと右打席に入り足場を慣らす。

 やや屈んだ状態で投手を見遣り、左手に持ったバットを一回転。

 大樹の如く右足に重心を置き、ややオープン気味に左足が遊ぶ。

 最長に持ったバットを握る右手の人差し指が立つ、独特な出立ち。


 運良く、荻野をライトフライに抑えたものの、さてどうしようと私は考える。

 宮森は圭に対してアジャストしやすい右を選択。

 大きな当たりを狙うよりは正確性を選んだ結果。

 とは言え、持ち前のフィジカルが飛距離の平均値を伸ばす訳で、甘く入れば長打はほぼ確定、

 まさに剣ヶ峰。

 左で振り回してくれた方が私としてはやり易いのだけれど、現状そうも言ってられない。

 細かくアジャストしてくるなら、カットやツーシームといった小さな変化で打ち損じさせたい所だけれど、圭にはその球種はない。

 結局、カーブを上手く使うしか道はない。

 というより、それこそが圭のスタイルだろう。変化の大きなカーブと純粋なバックスピンが生む糸を引く様な落ちないストレート。

 相手が搦手に照準を合わせて来るのなら、こちらは敢えて力押しか、と私は選択する。


 これまでの三人にはスライダーを使ってカウントを稼いだのだけれど、宮森に対しては直球勝負を挑む。

 圭に対してはあまり出さない、精度重視のアウトロー。

 勿論置きに行く球なんてもっての外。

 圭は微かに眉を顰めた様だけれど、意図を汲んだのか素直に頷く。


 少々内側に入ったけれど、アウトローはアウトロー。

 宮森は手を出さずに見ただけに留める。

 続いて、定番の対角線。

 甘く入れば絶好球になるインハイを要求。

 後でお小言を言われそうだけれど、決まれば大きなアドバンテージとなる。

 それが解らない圭でもなし、若干不服そうではあるけれど、頷き投げ切る。

 宮森は一応踏み込むも手を出すのは控えた様だった。

 左対右、角度的に差し込まれ気味な球筋に加え、ここ、という所に圭は投げ込んだ。


 下手に手を出せば打ち損じると、宮森は判断したのだろう。

 一度打席を切り、間を置いた。

 天を仰ぎ一息。再び打席に入り小さなルーティン。


「強気で来るか。良いね」微かに首を傾け、宮森は片目を瞑った。

「打ち取りますよう?」 

「そうこなくっちゃ」


 向けられた笑みが引いて、再び宮森が纏う雰囲気が変わる。

 宮森にも次の球は解っているだろう。

 解っているからこそ敢えて投げる。

 微妙な判断をさせるべく、ぎりぎりボールのカーブ。

 圭の表情が剣呑さを増して来る。

 セオリ通りの私の配球に物申したいに違いない。

 まあ、解るよ、とは思うけれど、ここで彼女が投げ切れれば、また違う地平が見えるとも思う。

 セオリ通りだとしても抑えられたという自信。

 強打者を相手に自身の球の精度だけで打ち取ったという経験。


 力感の無いフォームから球は弾かれ、良い塩梅に弧を描く。

 宮森は待ってました、とばかりに始動するも、興が削がれた様に身体を留めた。

 明らかなボール球。

 まあ、ここは仕方が無い、と次へ。

 再びカーブ。

 今度は外から巻く様なコース兼、低めへ抜ける球。


 圭の顔が、パスボールしてみろ、どうなるか解ってんだろうな、と言っている。

 んなもんしねえよ、する恐れがあるなら要求しねえよ、と内心毒づきながら笑ってみせる。


 小さく溜め息を吐く様な仕草を見せ、圭はモーションに入った。

 今度は想定通りの球筋。

 あわよくば振ってくれればと思っていたのだけれど、宮森の選球眼は悪くなく、且つ追い込まれている事をプレッシャに感じない性格らしく、余裕の表情で見送った。


 お膳立てはまあ、この程度だろう。

 あとは力と力の勝負。

 投げ込んで見せろと、圭には全力のアウトローを要求する。

 今にも舌打ちが出そうな表情をしつつも圭は頷き静止した。

 相変わらず力感の無い綺麗なフォームから腕が出て、この日一番のストレートが低め一杯のアウトコースに迫る。


 宮森は躊躇なく始動。

 高く上がった左足を踏み込み、溜めた力を腰に乗せる。

 アッパー気味の左打席とは違い、水平気味に出るヘッド。

 タイミングはジャスト。

 けれど結果は、真後ろへのファール。


「くそう!」振り切った宮森は声を上げる。


 ほぼ理想のコースに来た球を当てられた。それはこっちの台詞、と私は内心思う。

 良質のストレートだからこそ、宮森の照準の僅か上を通り真後ろへ。

 平均的なそれだったのなら、おそらく痛烈な打球として前に飛んでいた。

 ここで決めたかったとは思うけれど、そうはなっていないのが現実。

 次、と切り替える。

 良質のストレートを見た後、そしてそれを打ち損じた宮森の精神状態。彼女の中にその軌道が少しでも残っているのなら、有効とだろう、と三度カーブを要求。

 顰めっ面で頷きつつも圭はそれを呑み込み、腕を振るう。

 あれ、と思ったのは私だけではない筈だ。

 平均値が高い場所にいる者の性というか業の様な物だろうか、不意に降って来る予想外には中々に対処に困るのだろう。

 中途半端に抜けたカーブは、それが本来持つ軌道とは違う弧を描いて私のミットに収まった。 

 目の前には豪快に振り抜いた宮森の姿。


「くそう」先程と同じ言葉を漏らして、宮森は肩を落とす。「カッコ悪いなあ」


 小さく飛び跳ね打席を後にする宮森に、主審としてグラウンドを俯瞰していた理香が声を掛けた。


「遥ぁ」理香の目はやけに鋭い。「一個前打ち損じたんだろうが。失投を確実にモノにしないでどうすんのよ」

「そうすね。でも気が散ってた訳じゃ無いすよ。いつもと違う軌道だったから……」

「そんなん、言い訳だろが」理香は声を張り上げる。「皆が皆、毎回同じ球投げるなんて有り得んだろ。そんな事出来るのなら、男子とだって張り合えるわ。アジャストし易い右に入ったんだろ? ならしろよ」

「はい!」宮森は声を張り上げた。

「よし」理香はここで少し表情を緩ませる。「何が起こるか解らない。何でも起こる可能性はある。その事肝に銘じる、そして皆で共有」

「了解です」宮森は敬礼の如く手の平を掲げた。

「そういうの要らんから」理香は苦笑して、宮森を追い払う様に手の甲を振った。


 両者共々ミスをした結果の三振で宮森を仕留め、一イニング目が終了。

 千家はいつも通りの冷静な表情で一塁ベンチに戻って来る。

 その僅かな間を利用して私は一旦マウンドに向かう。

 擦り合わせは大事。

 相手はあの青山圭なのだ、綿密にしなければなるまいよ。

 近付く私に気付いた圭は早速眉根を寄せた。


「寄るな、暑苦しい」

「またそれかよう」私は苦笑。「つっても、今日はお前だって長袖じゃねえか」

「投げる日なんだから当然だろ。それに誰かと違ってハイネックじゃない」

「……お前細かいって言われるだろ」


 圭は口元を上げ、鼻で笑う。


「お前程お小言は言ってないつもりだけどね」

「ったく口が減らねえヤツだなあ」再び漏れ出た苦笑を引く。「で? 何か言いたい事あるんだろう?」

「別にないけど」そう言ってから圭は彼女にしては珍しくニヤリと笑った。「ああ、お前に対しての文句ならファストフード並みに直ぐに出て来るが」


 もしや、とんでもなく機嫌が良い日なのでは、と私は訝しみすら覚える。

 普段から会話ならある。

 けれど、大方情報交換の範疇を出ないもので、軽口じみたそれは皆無。

 なので少し驚きつつも、もう少し花を咲かせる為に水を注ぐ、基、水を向ける。


「文句はまた別の機会にな」取り敢えず彼女の軽口への返答をしてから本題へ。「じゃあ、なんで不服そうだったんだよ。首は振らないにしても、どこか納得いってないって顔だったじゃねえか」

「……不服?」圭は一瞬驚きを見せるも、何かに気付いたのか直ぐに表情が険しくなる。「別にないって言っただろ。お前、喧嘩売ってるのか?」


 私より頭一つ分程背の高い圭は見下ろし気味に鋭い目を落とす。僅かの間を置いて鋭利さが消えると、自嘲とも苦笑ともつかない笑みで口元が曲がった。


「悪かったな、不服に見える顰めっ面が染み付いてて」


 雑談じみた会話に妙な新鮮さを覚えると同時に、そこ気にしてたんかい、とも思う。

 けれど口に出すのは流石の私でも御法度という事は解る。故に弁明。


「べ、別に悪かねえよ。でも、お前普段からそんな顔して私へのダメ出しだらけじゃねえか。勘違いするって」

「そこは事実なんだからしょうがないだろ」圭はそこまで言ってから、私から目線を外し遠くに流す。「……宮森先輩への決めに行ったカーブな、抜けて悪かったよ」


 私の中の私達が揃ってムンクの叫びじみた顔をする。

 謝った! あの青山圭が自身のプレイに関する事で謝った!

 驚愕で固まりかけるのなんとか堪え、槍もしくは豚でも降るんではなかろうか、と私は空を見上げる。


「雨、はないよな?」

「……お前、本当に腹が立つヤツだな。そんなに私が謝るのが珍しいか?」

「そ、そんなんじゃねえよ」口ではそう言うも、閏年程度には珍しい。「ただ驚いただけ。ほら、背番号の時もそうだったけどさ、お前中々自分の感情を表に出さないじゃんか。特に、プレイに関しては金剛石かって位頑なじゃん、そりゃあ、驚くだろ」

「頑ななのは、お前だってそうだろう。名前通り鉱物並みの硬さだろ」

「失礼な」そう言いつつも、あの圭と雑談に興じている現実に何やら嬉しさが込み上げる。「いや、まあ硬さはどうでもいいよ。確認だけど、ホントにリードに関しては言う事ない?」

「何度も言わせるな。無いって言ってるだろう」

「解った」私は頷く。「それで、抜けに関しては、ただのミス?」


 ちろり、と圭は私を睨む。


「……それ以外何がある」


 私は一度圭の利き手を見てから、彼女の顔に目を戻す。


「一応夏目前。怪我とか違和感じゃ無いならそれで良いって思っただけ」言い切ってから、苦笑じみた笑みを浮かべる。「まあ、私に言われても嬉しくは無いんだろうけどさ、お前は良いピッチャだよ。夏もきっと出番はある。少しでも違和感感じたら、直ぐに言えよ? 別に私じゃなくても良いからさ」


 私はそう言って、少しの満足感を胸に踵を返した。

 背中に圭の舌打ちが届く。

 何となくではあるのだけれど、その舌打ちは普段のそれとは違い、照れ隠しではなかろうか、と私は思う。


 投手を慮る事も捕手の仕事の一つではある。

 けれど、仕事だからと完全に割り切って接している訳では決してない。

 演じて良い人振れる程私は器用ではないし、誰にでも良い顔していたい訳でもない。

 別に仲良しでなくても関係は築ける。

 先のミーティングの席で湊が言っていた様に、私と圭はそういう距離感がベターなのだろう、だからこれで良いと思う。

 この先も衝突しつつ言い合って、互いの最適解を出せれば良いと思うのだ。

 これまでほぼ一方通行だったそれが変わり始めているのを実感すれば、多少の満足感を感じてもバチは当たらないだろう。


 突如湧いて出た暖かめの感覚を胸に持ち場に戻ると、私の心中とは裏腹に周囲の雰囲気には緊張感が滲み出していた。


 はて、と思う私に届くは静かな怒声。

 それは一塁ベンチから発されたもの。

 その中心には、私がこれまで見た事のない雰囲気を纏う女帝が佇んでいた。

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