Glitter of individual 〜 個の煌めき 〜
照り付けるは夏の陽射し。吹き抜ける熱風と雲一つない青い空。眼下に広がるは、陽光を受け瞬く紺碧の大海原。
夏の風物詩を物語るなら、容易に出て来るであろう情景の数々。
海沿いの街にある学舎と聞けば、それが日常として寄り添っている、と誰しもが思う事だろう。
けれど、現実はそう都合よく理想を提示してはくれない。
熱風には草熱れが混じり込み、潮風なんて、まさにどこ吹く風。
蝉の音こそ夏を感じさせはするものの、度を過ぎれば五月蝿さが勝る。
学舎もグラウンドも佇むは山中、海辺の風情はここにはない。
おまけに霧雨の所為で湿度は上限を突破し、汗だか雨粒だか解らないものが首筋を流れ落ちてゆく。それでも、グラウンドに響き渡る声には芯があり、ある種の禊を済ましたチームには士気は十分、夏を見据える目には一片の曇りも見当たらない。
晴れ舞台は近い。
小さな不安は所々にあるものの、主役が揃い本来の姿を取り戻したチームは順風満帆ではあるのだろう。
当たり前ではあるのだけれど、査定は各々の力量を炙り出し、個としての自分の輪郭をより強固なものとした。
と同時に、個々の差をも明確にした。
勿論、私自身がメンバに選ばれたのは、お情けでは無い事を理解している。故に役割も承知している。
今は未だ、私の舞台は表にはない。
けれど、それは表にないだけであって、舞台というのならそれはある。
だから。
霧雨の舞うグラウンドの片隅、私は心地良い音を鳴らしてやる。
——貸し一つな?
先日のミーティングの終盤に私が発した言葉。
悪意なんてものはない。
当然と言えば当然、先を考えるのなら寧ろファインプレイと称されてもおかしくはない。
まあ、私が勝手に思っている事なのだけれど。
この際、当然の帰結と言っても差し支えないのだろうけれど、背番号1は当初の予想通り、荻野美羽が背負う事になった。
その決定を皮切りに、三年生から順次背番号を選び取ってゆく。
三年生11名、二年生8名の計19個の数字が各々の元に行き、漸く私達一年生の選択。
一葉が発した査定結果順のままに、先ずは、一年生トップの成績を残した湊が、これまで同様に11番を手にした。
続いて、本人曰く、普通に振る舞ったそうだけれど、ピンチもチャンスもあまり関係ないメンタルの持ち主である一葉が次点として、33番を選んだ。大方二塁手だから、という理由なのだろうな、と勝手に邪推する私である。
三番目は杏樹。そつのない守備とユーティリティ性に加え、あの長打力。打率自体は改善の余地があるとの評価ではあるけれど、浪漫は捨て難い、という事なのだろうな、と再び邪推。そんな杏樹もまた、これまで同様24番を選んだ。
そして、あれよこれよで、四番目についたのが私。
三割程度は運に味方された、と思わないでもないけれど。
特に背番号に思い入れは無い。
正直何番でも良いのだけれど、選べるのならと思って捻り出した10番は既に碧に取られた後だった。
じゃあ一回り上の20番か、と安易に思ったのだけれど、以前、雑談の最中に敬愛する選手の事を嬉々と語った香坂綾を思い出し、おそらく彼女はその番号を欲しているのだろうと思い、これまた安易に1を加え21番を選択した。
実際選んでみると中々に良い数字、と半ばご満悦気分な私の肩に手が掛かる。
やや緩み気味の顔を向けると、そこには真一文字に口を結んだ青山圭のご尊顔。
普段は眉間に皺を寄せているか、仏頂面の印象が多い彼女なのだけれど、この時は眉間に皺が寄ってはいるものの、何故か眉尻が下がり気味。
絶望とまでは言わないにせよ、不服と悲しみが相まった珍しい表情だった。
「えっと、何?」
「何で、いつもお前は私の邪魔をする?」
「はあ?」いまいち話の趣旨が解らず首を傾ける。
そんな私達を察したのか、湊が割って入った。
「お前、21番が欲しいんだろ?」
通訳か、とツッコみたくなるのを何とか堪え、そうなの、と圭に水を向ける。
「別にそこまで欲しいという訳では……」そう言って圭は目を逸らす。
「ったく、素直じゃねえな」湊は口元に八重歯を覗かせる。
湊に突かれ、私は言う。
「まあ、欲しいなら良いよ。私そこまでこだわりないし」
「……そういう事なら」圭は微かに頷く。
心なしか、笑みが漏れている様に感じるのは普段の仏頂面を知っているからだろう。
「良かったじゃんか」湊が圭に言う。「でもお、ありがとうが聞こえないないあ」
生暖かい目をして、ニンマリと笑みを浮かべる湊。
私は内心白い目を向ける。また、コイツは煽る様な事を、と思う傍、本当に小さな声で圭が感謝の言葉を口にした。
誰もが口を開けて静止してしまうのは解る。
圭から罵声はよく届くけれど、そんな言葉が飛び出た事はこれまで皆無、なので驚くのも無理はない。無理はないのだけれど。
「……つうか、何で言ったお前が一番驚いてるんだよ」溜め息混じりに、目を見開き固まる湊に言ってやる。
「だ、だってさ」湊は圭から視線を外さずに、私の肩を叩く。「青山が、あの青山が、正真正銘のありがとうを……」
「……お前、私を何だと思ってるんだ?」言うと直ぐに、圭の右腕が湊に伸びる。
今度は湊も反応し、頬を掴まれる前に圭の手を捉える。
「そう何度も食らってたまるか」ニヤリ、と湊は笑う。「ついにお前もありがとうが言える様になったんだなあ」
「だから……」
圭の反論を静止して湊は言う。
「いや、良い事じゃねえか。ありがとうとごめんなさいはコミュニケーションの基本だぞ。今自分が何をどう思っているのかを相手に伝える事はとても重要。これまで、お前はにはその傾向がなかったのにさ、今は違う。これって良い事じゃねえの?」
「……言ってる事は解るが、お前に言われると腹が立つ」圭は舌打ちして顔を逸らした。「……じゃあ、斑目、そういう事で」
「おお」私は頷く。そこで一つ閃いた。同等の目線とは、互いの平等に基づくもの也。このままでは、私が譲っただけで終わってしまう。この先を考えるなら、彼女には背番号以外の何かも背負って貰おう。だから、言った。「貸し一つな?」
霧雨が舞うグラウンド。
ファーストチョイス組を中心にシートノックが繰り広げられている傍のブルペン。
さあて、どういう形で返して貰おうかな、なんて事を考えつつも、この日の相方である圭の球を受ける。
右隣では綾とみなみが。
左隣では笹川と藤野。
暇を持て余した、基、走り込みから戻って来たばかりの園川は、古びたベンチに腰を落とし顔にタオルを掛けている。
湊は走り込みから戻ると直ぐに、シートノックだって言ってんのに打って来ると抜かし、グラウンドに。
言い分はさておき、スタミナお化けなのは認めよう。
圭はやはり湊の指摘通り少し変わった、と思う。
これまでは、自分の意にそぐわない事を言われると反発ないし柔らかな拒絶を示していたのだけれど、この頃になると、少しだけ、ほんの少しだけ考える様になった。
まあ、元が元なだけあって、大半は拒絶という答えが出て来るのだけれど。
それでも、変化というのならこれは変化で、良い兆候だと私は思う。
「そろそろ、変化球行く?」
私の問い掛けに圭は素直に頷いた。
球を持った左手を捻る。この仕草は横のスライダー。
了解、とミット軽く叩いて腰を落とした。
私は大して関わってはいないのだけれど、本人が荻野や上条と共に精度上げに勤しんだ球。
まともに投げる様になったのは高校に入ってから、というのだから、やはり彼女の持つポテンシャルは凄まじい。
空振りを取るのが目的ではない球なので、方向性は元より決まっていた。
変化量よりは、球速であったり、手元での変化に重きが行く。
効果としてはカットボール的なそれ。
本人曰く、カーブは抜き球。それを得意としていた所為か、感覚が上手く掴めないらしく、スライダーとしては凡庸な印象。
ただ、練習を重ねるうちに、嬉しい誤算が舞い込んで来た。
どうもこのスライダー、変化自体は凡庸を出ないのだけれど、彼女の中ではストレートと同程度にはコントロールしやすい球らしい。
となれば使い所は広範囲にわたる。
カウントを稼ぐ事に使え、尚且つ、追い込まれた時でも気兼ねなく要求出来る使い勝手の良い球となっている。
加えて、もう一つの縦のスライダー。
こちらは暴れ馬。嵌れば良く落ちる。
うまく嵌まった時はコントロールの効かない速いカーブと言った印象。
使い所が限られるけれど一応計算出来る球、というのが捕手陣の総評。
かつてみなみが言っていた、圭は持ち球が少ないという事実も、これである程度は解消される。
今更、とは思うのだけれど、受けていて思い出した事があった。
なんだかんだで聞きそびれていた事。
投げ込みのインターバルの合間に尋ねてみる事にした。
首にタオルを掛け、ドリンクを喉に流し込んだ圭は、ふう、と一息吐いて口元をタオルで拭う。
私もまた、タオルで首元を拭い圭に近付く。
「そういやさ……」
私の声掛けに圭は、ちら、と横目を流す。
「寄るな、暑苦しい」
「……お前さあ、言い方ってあんだろ」暴言に聞こえるけれど、この程度日常茶飯事。既にコミュニケーションの一環まで昇華しているので、簡単に言い返してやる。「暑いのは皆一緒だろうに」
「それはそう。だからこそだ」圭は半歩身を引いた。「フル装備で、しかも長袖のハイネック着てるヤツなんて、目に入れたくない」
「垂れ流しは気持ち悪いんだよ。コレ通気性良いヤツなんだぞ?」軽く笑い飛ばして本題へ。「前々から聞こうとは思ってたんだけどさ、お前、スライダーに何かこだわりあんの?」
「はあ?」圭は訝しがる様な目を向ける。
「ほら、熊ノ森との試合ん時さ、頑なにカーブ拒否ったじゃんか。まあ、あの時はスライダー強化っていう目標あったんだろうけどさ、にしても、頑な過ぎっていうかね……?」
「……こだわりとかは特にない。けど、カーブに頼り過ぎなのは良くないと思っただけ。私含めて誰も彼も困ったらカーブ。流石にそれだけでこの先やって行ける保証なんてないだろ。ここはそんなに甘い世界じゃない筈だ」
「ふうん、なるほど」私は頷く。「ま、解ったからそれで良いや。でもさ……」
私は圭を見遣る。
舌打ちを堪え、圭はバツが悪そうに口元を歪める。
大方私から出る言葉の予想がついているのだろう。
まあ、それが解ったからといって、私が言葉を吐かないという事はないのだけれど。
「前にも言ったけどさ、そういう事は事前に話せよな。ああ、きかれなかったから、ってのはナシな。投手の意志は尊重したい。けど、何考えてんのか解らなかったら、尊重のしようがないからさ」
圭はあから様に舌を打った。
「……相変わらず小煩いな」ボソリと圭は言う。「お前は私のママか」
喉元まで出掛けた言葉をなんとか呑み込もうとしたのだけれど、少しばかりその勢いの方が強かったらしく、いつも通り、つい零れてしまう。
「ママって……」
ちょっと可愛らしいじゃねえか。
鉄仮面が、ママって。なんて事を思う。
失言した、と圭は悟ったのだろう、盛大な舌打ちをして鋭い目を向ける。
けれど、そんな照れ隠しが私に通じるわけもなく、簡単に受け流してやる。
「別に良いじゃんか、なんて呼んでも。馬鹿にした訳じゃねえよ。驚いただけだって。まあ、そこは流してくれ」私は力無く笑って見せる。「で、さっきも言ったけど、意志な。単に打ち取るにしても、そのプロセスは様々なんだしさ。相手の意図が解っていた方が、お互いの最適解を選び易いじゃんか。疑問や訝しみを抱えてプレイすれば、いずれ責任追及とかになっちゃうだろ? そういうの嫌じゃんか、粗探しみたいでさ。そういうの時間の無駄だと思うのよ、私はさ」
「責任の在処はしっかり解っていた方が良いと思うけど?」
「そりゃあ、そうだよ。そこは外さない。でも、理解しないでただ追及してもさ、それってネガティブな感情が膨れるだけで次に繋がらないじゃん。だから事前に互いの好みをお話ししようよって事。そうすれば余計な事でぶつからないだろ? 投手が我が儘なのは解ってるから、別に無理難題言われても、私は何とか呑み込んでやるよ」
圭は目を逸らし、再び舌打ちをした。
「……第三捕手のクセに」
罵りじみた言葉を吐くも、圭の口元は微かに上がっていた。
だから、私もまた軽口で返してやる。
「そう言うお前だって、四番手位じゃねえか」
「な……」圭は眼鏡の奥の目を見開く。「私が四番手? どうしてそういう……」
不意に響くはグラブを叩く音。
「はいはい」インターバルに突入した綾が割って入って来た。「六番手の登場だ」
死んだ魚の様な眼差しは変わらずとも、何故にお前は自信あり気な顔で自虐的な言葉を言い切る、とツッコみたくなる衝動を何とか抑える。綾が直ぐに続けたからだ。
「何番手だろうが良いじゃん別に。選ばれたという事は、それなりに価値があるって事でしょ。投手なんてやる事は一つ、出れば抑える、ただそれだけでしょ」
正論、というかシンプルプラン。
流石の圭も、余計な物を限りなく削ぎ落とした綾の発言に言葉を返せないらしく、口籠もる。
「青山ってさ、硬いよね」綾は言う。
「別に私は……」圭はそう言ってから、私と綾を交互に見て、微かに天を仰いだ。「お前らが緩いだけじゃないのか?」
不意に圭は自嘲的な笑みを浮かべる。偶に彼女はこんな顔をする。
「相対的に見れば、お前らが緩い所為で私は硬く見えるだろうさ」
「いや、そういう話じゃなくてさ」バッサリと綾が切り裂いた。「物事を白黒で分けなくても良いんじゃないのってお話しだ。世界は彩に溢れている、多様性こそが人の……」
言っている事は解らなくはないし、納得も出来る。
けれど、幾分に時折エースが醸し出す叙情詩じみた演出の匂いが感じられる。
影響受けてんな、と言うのがこの時の私の一番の感想。
とは言え、投手同士だからこそのやり取りは、おそらく互いに糧となるだろう、そう思い私は一歩身を引く。横目に関谷みなみが一息吐いている姿が映り込む。
一応彼女も捕手枠を持っているし、少し気になる所もあるので、身を寄せると水を向けてみる。
「手首の調子はどうよ?」
「……別に」みなみはそっけなく答えた。
かつての関谷みなみは傀儡の姫だった。
彼女が纏っていた自信のドレスは幻で、それを剥ぎ取られれば、そこにいたのはただの乙女、少し拙い女の子。
顧みる事を知った彼女は、彼我の差を埋めるべく無理をする。無理の皺寄せが彼女を蝕み、怪我を誘発した。
幸い軽傷の範囲ではあったとしても怪我は怪我。
散々暴言を吐かれた身ではあるけれど、心配する位ならばバチは当たらないだろう。
「無理しても良い事なんて一つもないよ。階段飛ばせるのは階段を解っていないとダメなんだからさ」
「一々言われなくても解ってる」溜め息混じりにみなみは言う。「つうかさ、上からなの、いいかげんやめてくんない?」
これまた大層な御言い分だこと、なんて事を思う。
彼女のメンタルは脆いけれど、芯は強い。
現実を突き付けられ、滅多打ちにされてもここに残る事を選んだ。ここに残るという事は、現実を認めたという事。その結果の怪我ではあるのだろうけれど、性格自体にはそこまでの影響はなかったらしい。
故に私への発言には棘が盛り沢山。
加えて、こちらも相応な返しをすれば、直ぐに泣く、というある意味での理不尽な仕様。
けれど、その程度で折れる私ではない。
慣れもあるけれど、圭と一緒で、同じ目線で言い合える人間というのは、誰にでも必要だと思う。
汚れ役、という単語が一瞬脳裏を過るけれど、それは見なかった事にして、私は誰かの真似をして不敵な笑みを浮かべてやる。
「だって私のが上じゃん。査定でもそうだったじゃん」
「……アンタ、本当にムカツク」
「おお、ムカつけムカつけ、いつでも相手になってやるよ」そこまで言って、一息。「でもさ、やるならやるで、万全の状態で向かって来いよ。怪我は一番ダメ。それに私と違ってお前は打撃面で期待されてるんだろ。尚更じゃねえか」
圭と同じ様に、みなみもまた舌打ちして顔を背ける。
みなみの怪我は治って来てるとは言え、万全ではない様子。
おそらく焦りもあるだろう。
どこかでガス抜きは必要。
全く損な役回りだなあ、と内心肩を竦める。
「あのさあ、捕球の事なんだけど……」
「おお」
気持ちを切り替えたのか、みなみから質問が飛んで来た。この頃ではよくある事。こういう時は勿体ぶる事もせずに素直に受ける。
好きになれないヤツではあるけれど、別に嫌いなヤツではない。
求めるならば応えよう。
こうして、少しづつ関係性は変わってゆく。
相手が自分を嫌うのなら仕方がないとは思う。けれど、自分もその位置にいては何も変わらず、寧ろ悪化の一途を辿る。
一緒にいる事が前提ならば、居心地の良い場所の方が好ましい。
その場所作りの為なら、汚れ役も悪くない、そんな事を考える。
いや、悪いだろ、と神速の手の平返し。
チームの為の犠牲は構わないけれど、少し、ほんの少しで良いから見返りが欲しい、と思う、霧雨に佇むは心の狭い私だった。




