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アイデスの憂鬱  作者: 森住千紘
Sprouting of qualities : 2 〜 資質の萌芽 〜
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 Interlude : heresy of reunion / forest in front of you

 その人の事は目に入っていた。

 初めは見間違いだと思った。

 だが、何度か見掛けるうちにそれは確信へと変わる。と、同時に疑問も湧いた。


 何故、あれ程の人がグラウンドにいないのだろう。


 考えられる理由は直ぐに浮かぶ。

 あの掃き溜めに嫌気が差してグラブを置いたのだろう。即答出来る程度には、あの場所の碌でも無さは身に染みている。その選択は何らおかしくはないだろう。

 だが、とも思う。

 仮にそれを真実とするなら、葉山ここでなくても良い筈。

 確かあの人の自宅は寒川さむかわの方。自宅から遠い葉山を選ぶ理由が見えてこない。

 ちょっと納得いかないな、と金田一葉は口元を歪めた事を思い出す。


 蓋を開けてみれば簡単な事。

 あの人はやはり野球をする為にここにいた。

 ただ、先の大屋体制は相模原に似ている。

 あの人が、それを厭うて葉山に来たのなら蹴飛ばして当然。結城碧も同じ選択をしたのだから、特殊なケース、という訳ではないのだろう。そう考えると、すんなりと納得出来る。


 なんだあ、変わってないじゃんか、というのが、今の一葉の本心。

 だから、嬉しい。


 査定期間から合流した宮森遥に対して、一葉は懐かしさを内包する喜びを実感していた。

 一堂に会した部室での遥の宣言に、一葉は歓声に紛れて感動を覚えた。

 また一緒に野球が出来る。今度は正々堂々と、手を繋ぎ同じ目標に向かって。


 遥の姿は入学早々見掛けてはいた。

 こうして見つけてしまった以上、話したい事はそれなりにあったのだが、当人の実情が解らないので声を掛ける事は憚られた。

 だが今は。


 綺麗に整頓されたシンプルな部屋の中、旧友の斑目琥珀の借りて来た猫状態を微かに期待していた一葉ではあったが、彼女がそんな素振りを見せる事は無く、部屋の住人である荻野美羽と雑談、基、捕手談義に花を咲かせている。

 まあ、琥珀ちゃんらしいや、と一葉は旧友に生暖かい目を向ける。


 寮棟の一室に一葉はいる。

 壁が無いとは言わない。だが、先の部室での宣言により、遥とは気軽に話せる程度には距離は縮まった。話したい事はある。だから何とかその時間を捻り出し、少し足を伸ばした先にあるカフェに遥を誘ったのだが。


 ——私の部屋でよくね?


 この一言で、行き先は確定。ルームメイトが女帝という事で、斑目を誘ってみた所、快く首肯し今に至る。


 捕手達の宴が盛り上がりを見せる中、本当に久しぶりに一葉は遥と向き合った。

 遥がベッドに腰掛け、一葉は彼女の勉強机の椅子で畏まっている。

 ビーチボールから空気が抜けた様な音をさせて、遥が吹き出した。


「カネやんさあ、そんな借り猫なキャラだっけ?」


 一葉は姿勢を崩さずに笑みを浮かべる。


「あの頃は、まあ、若気の至りってヤツですよ、ルルさん。今では私、淑女しゅくじょですよ?」


 ぷふ、っと斑目が吹き出すのが一葉の視界に入る。

 捕手達は一葉達とは真逆で、荻野が椅子で脚を組み、その正面に斑目。来客用なのか小さな丸椅子に腰掛けている。故に一葉からは斑目の挙動が自ずと目に入る。


「琥珀ちゃん、どこにも面白い所なんてなかったと思うんだけど?」笑顔のまま一葉は釘をぶん投げる。


 バレないとでも思っていたのか、斑目は一瞬驚いた顔をするも、直ぐにニヤリと笑って言い返す。


「淑女って、金田一が? ないだろ。それこそ晴れの日に豚が降る位ないって」

「なるほど、可能性はゼロでは……」

「ゼロだよ」被せ気味に斑目は答える。


 一瞬間を置いて破顔する一葉達を遠目に眺め、荻野は眉根を寄せ手の平を上にする。遥は奇なる物を見る様な目をして首を振る。


「ああ、色々聞きたい事はあるんだが……」遥が眉間を揉みながら尋ねる。「金田一って何だよ?!」


 そこかあ、と一葉は思う。

 その名で呼ぶのは小学校の同級生しかいない訳で、小学生の考えるあだ名なんて、それこそ異次元の発想なのだ。まあツッコミどころか、と一葉は思う。


「小学校一緒なんすよ、琥珀ちゃんと私。なんで、その頃の名残すね」

「律儀ね、金田は」荻野が言葉を挟む。

「いやいや、説明は大事ですよ」一葉は言う。「要らぬ誤解は事を明後日に導きますから」

「確かに」荻野は頷いた。

「……それはそうだけども」遥は宙で何かを掴むような仕草をする。煮え切らないというか、納得出来ない、そんな風に口元が歪む。「カネやんはそれで良いのかよう。どう考えても、あだ名の方が長いじゃんか」

「そこぉ?」


 遥以外の三人の声が重なった。


「ま、まあ、なんて言いますか」斑目が苦笑しつつ言う。「そう呼んでるの野球部では私だけですし、慣れちゃってるんで、そこはまあ、良いかなって」

「ルルさんって、そんな細かい性格でしたっけ?」一葉は笑いながら尋ねた。


 これは遥本人というよりは、荻野に向けた言葉。


「私だって、あの頃とは違……」

「この娘、最近の筋トレの賜物なのか、脳の筋肉化が進んでいてね」遥の弁明を遮る様に荻野が言った。「ちょっとおかしいのよ」

「ああ、なるほどぉ」一葉は大業に頷いて見せる。

「納得すんなよ!」遥は天を仰ぐ。直ぐに呟く様に続けた。「もう、なんなんだよう。私おかしい事言ってる?」

「……ルルさんは変わってないすよ」落ち着いた声で一葉は言う。


 一葉の声音で何かを察したのか、斑目が荻野に捕手談義の続きを促す。

 ここら辺は、空白があったとは言え旧友と呼べる間柄ならではの事。彼女に狂犬じみた部分があるにせよ、気遣いが出来るのは昔から。

 感謝の意を込めて一葉は片目を瞑る。

 挙動は斑目の目にも入っているだろう。だから、そこも織り込み済み、と微かに頷いただけで彼女は流してみせた。


 さて。

 聞きたい事はそこそこある。

 どれから手をつけるか、と一葉は考える。前もって策を練るのは好きでは無い。箇条書きを用意しておく程度、選択肢に優劣は無い。だから、時折直前で悩む。


「辞めたんだって?」妙な間に焦れたのか、遥がきいた。


 一葉は頷く。大方自分の話が彼女の耳に入っているのは織り込み済み。


「身の危険って程じゃ無いんですけど、メリットとデメリットが釣り合わないなって思って。まあ、周りからは逃げたって言われてるんでしょうけどね」

「じゃあ、やってみろって話だよなあ」遥はしみじみと言った。「どう考えても、おかしかったよ、あそこは」

「でも、良い経験させては貰えましたよ。中々出来ないすよ、一年でレギュラなんて」


 遥は小さな溜息を吐いて、一葉を上目遣いに窺う。


「……見せしめだとしても?」

「結果というか、爪痕は残せたと思うんすけどね」一葉は椅子に背を預け、頭の後ろで腕を組んだ。「レギュラの選抜は何だかんだ言っても、指導者の判断で決まるじゃ無いすか。特にあそこは主観と欲に塗れていた訳だから、公的に認められる事よりは経験を優先、そんな感じすかね」


 遥は、ふう、と息を吐いた。


「カネやん、やっぱ強えなあ。普通中学でそこまで考えられんくない?」

「いやいや、私の場合結果から導き出した推論すよ。当時は憤怒と怨恨しかなかったすもん」

「でも……」遥はそっと目を逸らした。「それでも、カネやんに救われたヤツはいるよ」

「……私はそんな人間じゃないすよ」一葉は腕を下ろし、肩を竦める。「私は、自分の事で精一杯。他人を慮る事なんて出来なかったすよ」

「それでも」遥は顔を上げる。「カネやんが言ってくれたから、センちゃんは救われたんじゃんか」

「……救った、と言って良いんすかね」一葉は溜め息じみた息を吐いた。


 互いへの牽制と束縛の為の細かい規律が多かった相模原において、ただ一人だけそれらを免除された少女。

 どこにでもいる様なあどけなさの残る丸顔のロングヘアを後ろで束ねた少女は、その内にとんでもない資質を秘めていた。故に期待されれば結果を残す。結果が出れば、ある程度の規律は免除され、免除するのだからと、更なる結果を求められ、使い尽くされようとしていた。

 勿論、起用自体は常識的な範囲ではあったのだが、求められる結果はその範囲を優に越えている。成長段階の精神ではそれを抱えられる訳もなく、均衡は徐々に歪み、限界は表面に滲み出始めていた。


 一葉はそこに生産性を見出せなかった。

 遣り方というのなら幾らでもある筈だ、と思う。

 プレッシャを掛ける事だけが成功への道ではない。ましてや中学生、プロフェッショナルではないのだから、指導者と選手、互いに歩みを揃えるのがベターではないか。

 そう考えるうちに、相模原に潜んでいるのは私利私欲ではないか、と一葉は思う様になった。


 だから。

 見ていられなかった、というのが本音なのだろう、と一葉は思う。


 実際、そのままが続けば近い未来彼女は潰れていただろう。少し緩めば良い程度だった様に思う。だから提言した。共通認識の勝利という正論に偽装して。自分が発言する事で、少しでも状況が変われば良い、そんな希望。


 だが、そこでの希望は淡く儚い。

 私利私欲に塗れた場所では、それは塵芥ちりあくたと何ら変わらない。


 彼女のパフォーマンスが落ちていたという事実もあるのだろうが、大方は見せしめ。

 楯突いた小娘に対しての公開処刑としての代役。

 意図が何であれ、過程がどうであれ、一葉はその椅子を手に入れた。

 だから、結果としては救った事になるのかもしれない。

 だが、と一葉は内心首を振る。

 彼女を救いたかったというよりは、体制を変えたかった、が正解。実際、回って来た代役にチャンスだと思う自分もいたのだ。

 遥が言う様な高尚さは一葉にはない。


「やっぱり結果でしかないんすよ」一葉は言う。「こういう言い方はアレですけど、切っ掛けは確かにそうなんすよ。でも、私はユウナさんを救いたかった訳じゃないし、自己犠牲なんて微塵もない。だって、あの人なら自分で何とかすると思いますし」

「普通なら、だろ?」遥は肩を落とす。「あの頃のセンちゃんは、追い込まれすぎて普通の思考すら怪しかったよ。だから、結果だろうが何だろうが、やっぱりカネやんが救ったんだよ」


 遥は一葉が反論する前に頭を垂れた。


「だから、ありがとう。センちゃんを解放してくれて」

「いや、だから。私は……」

「別にカネやんがどう思おうと構わないよ。でも私の中ではカネやんが救世主って事。私がそう思ってるってだけの事だからさ」遥は目を逸らし頬を掻いた。「ずっとお礼したかったんだけど、私はカネやん程強くはないから」

「……まあ、言えないすよね」一葉は苦みの混じった笑いを零す。「互いに牽制しあっている場所ですし、どこに目があるか解らないすから」

「ホントは私が手を差し伸べるべきだったとは思うんだ。でもそれは今だからで、当時はやっぱり世界が狭いから、居場所がなくなるのが怖かった」


 一葉はくすりと笑った。

 遥の事を嘲笑した訳ではない。皆似た様な事を考えるのだな、と思っただけ。


「そんなん別に普通すよ」一葉はなんて事ないと笑う。「あそこがおかしいだけで、普通はそうなりますから。ルルさんなんて軽い方っすよ。水木、解りますよね? 私とタメの遊撃手の」


 遥は一瞬目線を上にして頷く。


「ああ、スバルか」遥は何かに気付き、顔色を変えた。「そういや、スバルもそうだけど、アオイ。あいつら片瀬熊ノ森で野球部作ったんだってな。聞いたよ、こないだ練習試合したんだろ?」

「ええ」一葉は頷く。「まあ、結果はご存知だと思いますけど、そこは置いといて。スバルはずっと悩んでたらしいすよ? 私に手を差し伸べられなかった事。んで、こないだの試合の直前まで引き摺ってて、こっちが見てられなかったすよ。まあ、そこら辺がスバルの良い所でもあるんだろうけど。だから、ルルさんなんて軽い、って事すよ」

「あのなあ、カネやん」遥は目を細めた。「私だってそれなりには悩んだんだよ? 軽いって何だよう。まったく、当事者がそれを言ったら、周りがバカみたいじゃんか」

「いやいや、皆からの声はほんと嬉しかったすよ。でも、もう過去の事すからね。実際辛かったけど、それも含めての経験すから」一葉はニヤリと笑う。「私も、ルルさんと同じで阿呆なんすよ。過去は過去で忘れちゃうんすよ」

「……失敬だな、カネやん」そう言って遥は笑った。


 実際その通りなのだ、と一葉は思う。

 全ては過去の事、辛かった事もしんどかった事も、今は全て経験として一葉の中に蓄積されている。

 だから、良いのだ。

 寧ろ水木の様に引き摺られている方が、申し訳なく思う。自分はそこまでの存在ではないと一葉は自覚している。


「そういえば、ですけど」一葉は話の矛先を少し変えた。これも気になっていた事。「ユウナさん、今は?」


 遥曰く、一葉が救ったとされる天才、仙石せんごく優菜ゆうなは、一葉が代役に抜擢されて間もなく、チームを去った。

 相模原レッドクイーンズはあくまでクラブ。所属している選手は広範囲にわたる。学校が違う事なんてザラにあるので、個人的な繋がりが薄ければ糸は切れる。

 彼女程の逸材であれば、それこそ全国クラスの高校で、当時と同じエースで四番を体現しているのだろう、と一葉は思う。

 仮に自分が救ったのなら、期待も込めて、その後の彼女を知りたいとも思う。


「ああ、センちゃんねえ」遥は優しげな目をした。「あいつ、地元の高校に進学して普通の女子高生してるよ。彼氏もいて、毎日充実。幸せそうにしてる」

「そう、なんすねえ」


 遥は、身体を逸らし自分の携帯端末を手に取ると、軽く操作をして一葉に手渡した。

 一葉が覗き込むと、そこには当時の面影はあれど、レッズでは見せた事のない実に幸せそうな笑顔が写っていた。


「ちょっと勿体無いとは思いますけど、あの人が自分で選んだ未来すからねえ」


 遥は端末を受け取ると、わずかに口を歪ませた。


「流石にさ、も一度やろうよとは言えないよなあ。あんな事になったんだ、野球に良い印象ないだろうし。実家に帰った時とかに会うけどさ、その頃の話なんてこっちからは振れないし」

「ですよねえ」

「たらればだけどさ、も少し早く未来が解ってれば、葉山うちに誘ったんだけどね」

「確かにユウナさんが今いれば、二枚看板になりますもんね」


 頷き合う二人の夢想を女帝が切り裂いた。


「たらればは無意味よ?」

「聞いてたのかよ!」遥は微かに身を逸らし声を上げた。

恙無つつがなく」

「ミウ、怖えよ」

「あら、捕手としては色々な事を情報として頭に入れておかなくてはならないのだもの、仕方ないじゃない」荻野は笑みを浮かべたまま顔を傾けた。「ねえ、斑目?」

「え、ああ、そうすねえ」


 一葉はニヤリと口元を上げる。


「そんな曖昧な返事しちゃってさ、琥珀ちゃんだってしっかり聞いてたんでしょ?」

「別に盗み聞いてた訳じゃないよ。偶々耳に入って来たんだってば」

「偶々って」一葉は笑って、自分と斑目を交互に指差す。「距離」


 諦めが勝ったのか、斑目は肩を落として弁明する。


「つうかさ、金田一。お前自分の事話す時、結構端折(はしょ)るじゃん。踏み込み難い内容だから空気読むけど、気にはなる。そりゃあ、耳も傾きますよ?」

「普通にきけば良いのに」一葉はからりと言う。

「……カネやん?」遥が白い目を向ける。「周りとの温度差。そういうとこだからな?」

「ええぇ?」


 気遣われていたのか、と思う一葉だったが、同時に、まあそうなるかと考えを改める。それだけ、あの相模原という場所は異常だったという事なのだろう。

 とは言え、過去は過去と割り切っている一葉である、まあ良いやで流せてしまう。

 丁度、荻野が会話に混ざったのだから、と颯爽と切り替え、一葉は荻野にも水を向けてみる。


「ああ、美羽さんにもききたい事あるんですけど」

「なあに?」荻野が小首を傾げ、手の平で促した。


 一応女帝への謁見じみている。一葉は居住まいを正す。


「こないだの部室でのルルさんの紹介あったじゃないですか。あの時ルルさん言いましたよね? 私が葉山の四番だ、って」

「何故に私にきく?」言葉程には悪気は微塵もなく、単純に疑問を感じたのか荻野は首を傾げた。「直接ミヤにきけば良いじゃない」

「ルルさんは、はぐらかしますよ。きっと」ちろり、と一葉は遥に目を遣る。


 遥は手の平と首を大袈裟に振った。


「あの時若干照れてましたからね」そう言って一葉はニヤリと笑った。

「あら、バレてるわね、ミヤ」女帝は愉しげに口元を緩めた。

「……ああそうですよ。照れましたけど、何か?」ヤケクソ気味に遥は言う。直ぐに口を尖らせて続ける。「でも実際四番だったもん」

「……そのなりで拗ねるのはどうかと思うわ」荻野は頬に手を添えて息を吐いた。「それで、金田は何がききたいの?」


 一葉は再び居住まいを正した。


「ええと、練習見ていて思ったんですけど、実際ルルさんは四番だなあって思ったんですよ。ミートも飛距離も頼もしい限り。でも、ちょっと上からみたいな言い方になりますけど、四番って言うのなら、美羽さんも橙子さんもそうだと思うんですよね」一葉は遥を見て大袈裟に手を振った。「いや、決してルルさんが劣ってるとかって話ではなく」

「カネやん、そんな事思ってないから」遥は微かな苦笑を浮かべて一葉を促した。「それで?」

「ええとですね、私が思うに、この御三方なら誰が四番でも結果が出せると思うんですよ。でもルルさんが四番にいる。その意図を知りたいなって。このチームにおける四番の意味が解るから」一葉はそこまで言って頭を下げた。「生意気な事言ってすいません」

「別にそんな事思わないけれど」頬に添えていた手の平を下ろし荻野もまた居住まいを正す。「ミヤがいた頃だから、今泉監督時代って前提なのだけれどね。今金田が言った様に、私たち三人誰が四番に入っても特に変わりは無いと思う。けれど、この三人の中で当てるのが一番うまいのが多分私、一番飛ばせるのが橙子、その中間がミヤ。そして一番阿呆なのもミヤ」

「ちょっとう!」遥が声を上げる。「さりげなく悪口入ってましたが?」

「褒め言葉よ」

「どこが?」

「……それが解らないから、貴女は阿呆なのよ」荻野は笑みを零す。「阿呆、と言うのは逆に言えばあまり物事を深く考えないという事。それを良い風に言い換えると? はい斑目」


 荻野に名指しされ、斑目が背筋を伸ばす。


「えっと、どこでも平常心?」

「そういう事」荻野が頷く。「よく解ったわね」

「まあ、そういう意味なら近場に阿呆が二人程いるんで」


 斑目は口元を上げつつ一葉に目を向けた。


「なるほど。確かに」一葉は頷く。「あとは綾ちゃんか」

「うん」斑目も頷き荻野に顔を向けた。「この二人にはピンチもチャンスもないっすから」

「まあ、そういう事」荻野が言った。「四番目という事で、全てが上手くいった場合、一番初めに塁が全て埋まった状態で回って来る打順でしょう。得点するのなら、そこで怖気付く様ではいけないから、今泉監督はミヤのそのメンタルを評価したのだと思うわ。あとはバランスかな、と思う。三番は次に繋ぐのに重点を、五番は食べ残しを片付ける」

「いや、言い方な?」遥が白い目を向ける。「橙子が聞いたら泣くんじゃね?」

「まさか、橙子は喜んで後片付けするわよ。あの娘の部屋とても綺麗じゃない」

「そういう問題?」


 遥の苦言を半ば無視して、荻野は一葉に顔を戻した。


「意図というのなら、そんな感じでは、と思うのだけれど」

「納得しました」一葉は頷いた。

「理香さんがどういう打順にするのかは解らないけれどね」荻野は珍しく眉間に皺を寄せる。「今は取り敢えず、この地獄を通り抜けなければ、打順も何もあったものではないのだけれど」


 荻野は苦り切った笑みを浮かべた。


「まったく、地獄見学だけではなく体験もさせられるというのなら、ダンテ・アリギエーリも辟易するでしょうね」


 皆の頭に疑問符が浮かんだ。


「……例えが解らねえよ」遥が呟く。

「貴女はもう少し読書すべきだと思うけど? そうすれば少しは脳の筋肉化が遅れるのではなくて?」

「……その読書イクォール頭良くなる信仰、やめな? 中には活字が苦手ってヤツもいるんだぞ?」遥はハッと息を呑んだ。「そうじゃねえ、そもそも私の脳ミソは筋肉じゃねえから!」

「遅い!」


 小芝居じみたやり取りを眺め一葉は安堵に似た笑みを浮かべる。


 自分の経歴を顧みた時、こんなやり取りが出来た場所は無かった。

 思い浮かべれば、そこにあるのは笑みであっても、苦みが混じったそれ。

 心の底から笑える環境は幻想の産物だった。

 だが、その幻想はここでは現実だ。勿論、やるべき事をやって初めて笑えるのだろうが、それでも、かつての掃き溜めとは雲泥の差。


 偶然が齎した産物とは言え、葉山を選んで良かった、と一葉は思う。

 旧友との再会に加え、先輩との邂逅。

 そして、実力が物を言う潔い世界。

 初めは躓き未来は翳っていたが、それはもう既に過去のお話。過去は過去として忘却の彼方に投げ捨てるのが一葉のやり方。


 何故か斑目も参戦した小芝居を眺めながら、いやあ、良かった良かった、と一葉は思う。

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