Interlude : heresy of reunion / distant location
あれ、私要らないんじゃね?
そんな思いが自分の背中を蹴飛ばした、と宮森遥は思っている。
革命の前提条件であるエース奪還計画は多少脇道に逸れたりはしたが、得られた結果としては概ね満足。理想への布石は次々と並べられ計画は滞り無く進む。
懸念があるとすれば春季リーグの成績だが、それすらも策の一環らしいので、遥としては、ああそうなんだ、程度で流せてしまう。
丸投げ、基、そこら辺は任せても良いというのが遥の認識。
なので、あとは自分が全盛期、寧ろそれ以上のコンディションに仕上げられれば、革命が為された折、顔を背ける事も無く堂々と部に戻る事が出来る、と遥は思う。いや、気まずさはあるか、と遥は思い直すが、元が楽観視しがちな性格故に華麗に流し切る。
細けえ事は、そん時になってから、という信条の遥である。
現役時、今でも現役は現役なのだろうが、その時以上にトレーニングに精を出しつつ、心配ご無用とは言われはしたが春季リーグの結果に一喜一憂する日々が変わった。
数々の下準備は収束し革命は為され、後ろ昏い思惑は陽の目に晒された。
チームは元の形を取り戻し、過去最低と思われた春季リーグの成績を五分まで立て直す事に成功。新たに加入した一年生の中にも光る物がある乙女もおり、チームの状況は上を向き始め、漂う士気は春先に比べれば雲泥の差。遥は一先ずの安堵の息を吐くも、調子が上向きになったチームを遠くから眺め、自分の居場所が危うい事に気付かされたのだった。
遥の根は阿呆に寄り添っている。
だから、危機感を覚えれば後先考えずに先ず身体が動く。
トレーニングはまた別の熱を持ち、明らかに過去のそれを超える。
実感が伴い明確な目標が示されれば、モチベーションも保たれる訳で、遥の身体は以前と重ねてもそう変わらない程度まで仕上がっていた。
ここまで来れば、あとは復帰のタイミング。
仲間と話し合い、その時期を春季リーグの終了時に決めた。
決めたのは良かったのだが。
療養中の今泉監督の実子の理香はこれまでも時間を見つけ、グラウンドに顔を出していた。
だから、遥だけではなく今の二、三年生は彼女がどういう人間かは解っていた。解っていたのだが、いざ監督としてその座に就くとなると、人は変わるものだ、と遥は思う。
実際は遥が知らないだけで、理香のまた別の一面が垣間見えただけの事なのだが、知らないのだから、そう見えても仕方はないのだろう。
そんなもんか、で大して考えもせずに片付けられるのは遥の美徳、阿呆の為せる技である。
とは言え。
「な、なあ、理香さんってあんなだったっけ?」
夏に向けてのメンバー選考、と称した個人戦じみた練習の半ば、これまでに無い疲労を感じながらも、ルーティンとなった夜の自主トレに精を出しつつ遥は尋ねる。
素振りに集中していた身体を止め、荻野美羽は僅かに口元を上げた。
「もう音を上げたのかしら。思いの外ブランクは根強いみたいね」
「いや、そこ関係なくね? あんなんオーバペースに片足突っ込んでるだろ。こんなん相模原でもなかったよ」
美羽はくすりと笑って、再びバットを振るった。
風切り音。
ふわりと始動時に戻り、静止。顔だけ傾ける。
「理には適っていると思うけれど? 練習強度は必要だと思うし、何より個々人がどこまでやれるかを見極めるには丁度良い、と私は思うけど」
「理屈は解るけどさあ……」
泣き言じみた言葉を吐く遥に、美羽は愉しげな笑みを向ける。
「まあ、御愁傷様という言葉を貴女には送るわ。復帰後すぐにコレだもの、慮る事はしてあげる。まあ、ついて来れていない訳じゃないし、禊とでも思っておけば?」
「ったく、他人事だと思いやがって」
悪態を吐きながらも、まあそうだなあ、なんて事を遥は思う。
これが現実なのであれば、やるしかない訳だし、こなさなければ自分の道も無い。故にやる。根が阿呆に寄り添っているので、納得出来るのなら即断する。
「そういえば……」美羽が素振りの合間に言葉を挟む。「もう一年生とは話した?」
「いや?」遥も合間に返す。「正直、ついて行くので精一杯。話してる余裕がないよ」
「……お茶会でも開こうかしらね。このままだと貴女、出戻りのクセに態度だけは大きい嫌な先輩になるわよ?」
遥は豪快なフォロースルーの半ばで固まった。緩りと首が傾く。
「え? マジ?」
「冗談よ」美羽はくすりと笑う。
「……やめろよ、そういうの。本気でビビったじゃねえか」
「でも、あながち冗談ではない部分もあるわ」
遥は素振りを止め、口元を歪めた。
「どっちだよう」
「今度は本当。あの娘達も阿呆ではないから、貴女のプレイを見て大まかには理解している。ただ、インパクトが足りない。碧っていう前例があるから、見比べればどうしても霞む」
結城碧。
一つ下の化け物は、昨年の暮れに遥と同じ思いを抱え、そして同じ選択をした。
ただ、碧はその後も自主的にトレーニングを続けていたので、復帰は遥より早かった。そして何よりあの性格。傲岸不遜な立ち振る舞いにも拘らず、皆を納得させてしまう言葉を吐き、プレイは皆を魅了する。
他者に与えるインパクトというのであれば、美羽の言う通り、まあ自分は霞むだろう、と遥は思う。
「状況としては貴女と碧は同じ境遇だった訳でしょう? 碧が盛大にやらかしたのだもの、貴女も同じ様な大きな期待をされているという事なのだけれど」美羽はそう言って愉しげに微笑む。「まあ、ミヤがそういうプレッシャを感じるとは思えないけれど、仮にやらかして期待以下という印象を抱かれるのは得策ではない。印象って大事よ。早々にコミュニケーションを取る事を勧めるわ」
お茶会でも催して、さっさと蔓延る色眼鏡を駆逐せよ、という事らしい。
「マジかよう」
そういうプレッシャは感じるんだが、と思う遥である。
査定期間は折り返し地点にすら届いていないのにも拘らず、追い込みは更に苛烈さを増している。日に日に皆の表情には疲労が蓄積され、彼我の差はより顕著になっていた。
遥はすうっと目を逸らす。
それぞれ椅子に腰掛けたり、壁に背をつけて佇んでいたりしながらも、自分を注視する皆の目が白い、と遥は思う。
明らかに招かれざる客なのだ。いや、ここは部室なのだから、一応自分もここの住人ではある。客ではないか、と遥はどうでもいい事を考えたりする。
練習後の部室である。
既に上級生達は解散し、今ここにいるのは、三年生では遥と美羽、そして上条翔子。
二年生では、おそらく興味本位で残っている碧が一人。残りは全て一年生。
詰まる所一年生の時間帯。
本来なら上級生同様に、鍵当番以外はそれぞれの裁量で帰宅という流れの所、鶴の一声がその場に留まらせている。なので、招かれざる客というのは、それはそれで合っているのか、と遥は思い直す。
いや、違うそうじゃない。そんな事はどうでもいい、と遥は内心首を振る。
昔からお誕生日会の様な自分メインのイベントは少しだけ苦手な遥である。
助けを求め美羽に視線を送るが、彼女は愉しげに微笑みを浮かべているだけで、遥のそれには気付いていない様子。
溜息も出る。
遥からすれば、ただ残れと言われたので従ったまで。何をするのかも聞いていない。まあ、ある程度の予想なら既についている。だからこそ、溜め息も漏れる。
それぞれが遥を注視する中、部室の片隅ですうっと手が上がった。
美羽がそれに気付き促した。
縁なしの眼鏡がやけに光って見える。
一度眼鏡を押しやり、青山圭は淡々と言った。
「帰っていいですか?」
うん、解るよ。私だって帰りたいもの、と遥は思う。
部室は妙な空気に包まれている。
説教でもなく、談笑でもない微妙な空気。緊張感を帯びつつも疲労の所為で所々が綻んでいる。
早く帰らせろ、を無理やり捻じ込んだ、なんとも言えない気まずい雰囲気を遥は感じている。
「別に構わないけれど、貴女投手よねえ」美羽は愉しそうに言う。
美羽の言葉を聞くや否や、即座に寄り掛かっていた壁から背を離した青山は、投手という言葉で動きを止めた。
「まあ、必要不必要の判断は各自がする事、別に咎めはしないわ。でもね……」美羽はそう言って遥の肩に手を乗せた。「この人臍曲がりだから、邪険にした事を根に持って、貴女の登板時に援護してくれなくなるかもしれないわね」
「おまッ、何言ってんの?!」遥は爆弾じみた発言をする美羽を咎める。「こないだと言ってる事、真逆じゃねえか」
「冗談よ」美羽は微笑む。
遥はこれまで蓄積された疲労が更に重くなる様な感覚を覚える。目を細め、肩を落とす。もう煮るなり焼くなり好きにしろ、とやけくそな思いに駆られる。
「取り敢えず自己紹介したら?」
美羽に肘で突かれ、更なる疲労が蓄積された身体を持ち上げる。
「こないだしたじゃん」遥は小声で美羽に言う。「今更何を言えばいいのさ」
「皆興味津々じゃない」一年生を流し見て美羽は笑う。
「え?」
遥もつられる様にして一年生を見ると、先程とは違う輝いた目が向けられていた。
どうやら先入観の為せる技、ネガティブな印象が遥にフィルタを掛けていたらしい。
「略歴は教えてある。あとは貴女の言葉でそれを伝えなさいな」
「つってもさあ……」
遥は頬を掻きつつ周りを眺める。
さて、何を言えばいいのだろう、と考え始めた所で助け舟というか、質問が飛んで来た。
質問というよりは事実確認なのだろう。
「ルルさん、ですよね?」
飛んで来た言葉に、美羽と翔子が吹き出した。
「ルルさんって、ミヤがルルさん……。ウケる」抑えた翔子の口から言葉が漏れる。
あらあ、なんともまあ懐かしい響きだこと、と遥は思う。
だが、それは捨てた過去。そこの線引きはしっかりしておきたい。なるべく角をとって遥は優しく返した。
「まあ、そうなんだけど、その呼び方はちょっとね」頬を掻きながらも、言葉の主に微笑みを投げる。「久しぶりだな、カネやん」
言葉を受け、金田一葉もまた柔らかく笑う。
「ルルさんも、それやめましょうよ」
「じゃ、お互いに、という事で」
遥が笑えば、金田もまた同じ様に微笑みを返す。
思えば、遠い所に来たのだな、と遥は思う。
当時の、遥の記憶にある金田はこの様な柔和な笑みを浮かべる事はなかった。然程険しいという訳ではないのだが、常に燻り続けている何かを心中に抱えている、そんな顔をしていた。
まあ、それはそうだろう。
名門と呼ばれる場所でその指導者に噛み付いた孤狼は、普通なら滅多打ちにされて萎れる所を、逆に滅多打ちをして自分の居場所を獲得してしまった。言葉端に覗く悪意が解らない彼女ではないだろうし、名門という名の維持の為の生産工場じみた場所にいれば、まあ、燻りもするだろう、と遥は思う。
と同時に、金田には感謝の念も併存している。
タイミングや立場的な問題で、本人にそれを伝える事なくここまで来ている。遥は阿呆に近いが、金田程は強くは無い。彼女に対して、当時の他のチームメイトの様な悪意は無かったし、会話というのなら普通にはしていた。だが、孤独な少女に手を差し伸べていない時点で同罪。敵に属する者からの感謝なんて、いくら金田とは言え素直に受け取れないだろう。
「何二人で満足しているの?」
美羽に肘で突かれ、遥は我に返る。少しだけ過去に囚われていた様だ。
「いや、別に……」
「積もる話があるのなら、もっと前にすれば良かったじゃない」美羽は苦笑し、一年生に目を向けたまま小声で囁く。「貴女、そういうチキンな所あるわよね」
ご尤も、と遥は素直に頷く。
美羽は、ちら、と遥に目を遣り小さな溜息を吐いた。
あらあ、なんか呆れてませんかね、と遥は感じ、何か言葉はないものかと語彙箪笥を開け放つ。言葉を探す遥を横目に、美羽は場を仕切り始めた。
「出戻りという事で、腹に一物ある人もいるだろうけれど……」
美羽は愉しげな笑みを浮かべ一年生を見回した。
「いや、言い方」翔子が言葉を飛ばし、笑いを噛み殺す。「ミヤが泣きそう」
「……泣かないから」抜けない疲労感を背負い、遥はぽつりと零す。
これ、愉しんでるな、と遥は美羽を横目で見る。
得体の知れないヤツをイジる事で親近感を抱かせる。方針は解らなくは無いが、大方、面白いからという理由なんだろうな、と遥は肩を落とす。
まあ、知ってるけど、と遥の口から乾いた笑いが溢れる。
「そんな事ないですよう」
そう声を上げたのは四ノ宮杏樹だった。
先の革命に一役買った美少女は眩しいまでの笑顔を振り撒く。大屋教諭に気に入られ、それを逆手に取った恐るべき乙女は、野球の才にも恵まれている。そう遥は評価している。
四ノ宮は続ける。
「ほんとミウさんは人が悪いです」四ノ宮はご近所のオバさま達の様に手の平を折る。「一物あるのは同ポジのタエちゃん位ですって。私達は寧ろ大歓迎、みたいな」
「おい、四ノ宮ァ」名指しされた伊園妙が声を張る。「そんな事一言も言ってねえだろ。つうか、思ってもねえよ」
「まあ、タエさんなら、そう思ってても仕方ないですなあ」金田が生暖かい目を伊園に向ける。
伊園は細めた目を二人に向けた。
「……オマエラ、解ってやってんだろ」
二人はぷいっと目を逸らす。伊園は盛大に溜息を吐いて首を振った。
「私はそんな事思ってないすからね? でもまあ……」伊園は遥を見上げる。「競う相手って事なら、追わせてもらいます」
「……ああ、うん」半ば勢いに呑まれた遥は曖昧に返す。
「いい加減、その後ろめたい思いみたいなもの、捨てれば?」小声で美羽が言った。「遠慮するな、って皆言ってるわよ? 一年生に気を遣わせてどうするのよ」
あら、もしかして、と遥は我に返る。
私、要らなくね、という思いが、何だかんだで纏わり付いていたのかもしれない。
確かにスタート地点は一緒ではない。寧ろ自分はマイナス。幾ら自分のプレイにある程度の自信があるとしても、そこまで傲慢には遥は振る舞えない。どの様な理由であれ、一度辞めてしまったという負い目もある。空気を読んだ、とも言えるが、おそらくそれは間違いだったのだろう。何事もやり過ぎは良くない。行き過ぎた謙遜は嫌味になる、それに似ているのか、と遥は思う。
なら、普通で良いのか。
根が阿呆なので、解れば直ぐに切り替えられる。
「理解した様ね」
遥の晴れた顔を見て、美羽は安堵にも似た表情を浮かべた。
少し立ち位置をずらし、空いたスペースに遥を促した。
遥は隠れて深呼吸をする。
笑みを浮かべる。
不敵なそれは浮かんでいない。
そういう表現の仕方は自分らしくないと遥は思う。
「えっと、こうしてお話しするのは、些か照れがありますが……」美羽と翔子が笑いを堪えているのが横目に入る。だが、それらを見なかった事にして遥は胸を張る。「紆余曲折を経て戻って来ました、宮森遥です」
遥は照れ隠しに頬を掻いた。硬いな、なんて事を思い、小さく笑みを零し続ける。
「さっきの伊園の言葉嬉しかったよ。出戻りとか、学年とか、正直どうでも良い。答えはグラウンドにある訳だし。向かって来るなら勝負しよう。勝ち負けは出るんだろうけど、それってどっちに転んでもチームに還元されるんだから、良い事尽くめだよな」遥は一年生に目を流す。「戻って来たからには、皆が納得出来るプレイをするよ。だって私が葉山の四番だから」
一瞬の間の後に盛大な拍手が巻き起こった。
言ってから、少しだけ照れがぶり返され、苦笑気味に遥は頬を掻いた。
美羽や翔子が、碧や一年生が、暖かい目で迎え入れてくれている、そんな事を遥は思う。
変に考えなければ良かったな、と遥は思い返す。
考え過ぎるのは性分ではない。
一度辞めたという後ろめたさは仕方がない事ではあったし、自分がいないチームでも結果が残せていた事実。考えるな、と言われても無理な相談ではあった。
だが。
元より、根は阿呆に寄り添っている。
らしくない事はするもんじゃねえなあ、と遥は隠れて安堵の口元を上げた。




