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アイデスの憂鬱  作者: 森住千紘
Sprouting of qualities : 2 〜 資質の萌芽 〜
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 Sprouting of qualities. Ⅱ 〜 芽吹くは各々の資質 〜

「アンちゃん、すっごいブス顔してるぅ」

「来て早々、酷い言いようだなあ、おい。っつうか、指をさすな、笑うな」

 

 私は蝿を追い払う様に顔の横で手を振る。


 週末に行われた、鳴海大との苛烈な練習試合を乗り越え、こんなにも有難いと感じた事の無いオフを過ごし、査定の実像が見え始めた週半ばのお昼時。

 私の幼馴染の喜多村祥が、四ノ宮杏樹と共にひょっこりとランチに顔を出した。

 この頃には互いにクラスに慣れ、祥とはランチを共にする事は少なくなっていたのだけれど、俄かに様子がおかしくなった私達の噂を聞きつけ、陣中見舞いという体で見物に来たらしい。


 祥は適当に椅子を引っ張って来ると、私達が突っ伏しているランチテーブルの脇に腰掛ける。頬杖をつき、ややダレ気味の私と一葉を眺め苦笑した。


「そんなに? 普段の理香先生から想像出来ないんだけど」

「……あれは羅刹に取り憑かれてる」一葉はパックの紅茶を片手に苦笑い。

「……金田一に賛成」私は手の平だけを上げる。

「マジか……」

「いやあ、きっと今だけじゃない?」杏樹が祥に返す。「査定始まるまでは、そんなに差はなかったと思うよ?」

「へえぇ。流石は今泉監督の娘な訳だ、やるときゃやる、みたいな」


 今泉理香に監督権が移行されたのと同時に、彼女には非常勤の英語教師の席も用意されていた。

 あくまで、担当教諭の補助、という立ち位置ではあるのだけれど、教壇に立っている。

 私としては、理香が教員免許を持っていた事にも驚きだったのだけれど、そこそこ長いアメリカでの生活の経験談を混ぜた授業は中々に好評で、見た目の麗しさもあって、生徒からの人気は中々らしい。

 故に、祥からはそんな言葉が出た。

 それはそうだろう、祥はこの時のグラウンドでの理香を見ていない。これまでに彼女に語った理香の思想と私達の日常から推測すれば、想像し難い現状だと私も思う。


 行動原理自体は解らなくはない。

 理香の組んだメニュウは緩いとは言わないけれど、日々の雰囲気自体は和気藹々とまではいかないにせよ、すこぶるやり易い物だった。

 古よりはマシになったとはいえ、大方の監督は、テンションが上がれば口調はきつくなり、時に罵詈雑言も飛び出てくる。

 けれど理香は、ミスを懲罰の対象とはしないで乗り越える物として捉えていた。

 故に試合練習問わず、ミスをしてもその当人に解決策を求めるだけで、咎める事はしない。勿論、それに甘えた者には鉄槌がプレゼントされてはいたのだけれど。


 ——罪を犯したつもりはないのだけれど、ここは第八圏なのかしら。


 練習の狭間で、荻野が表面上の笑みを貼り付けて、そう言ったのが妙に印象に残っている。


 けれど、査定期間に入り、理香はその方針を反転させた。

 和気藹々な練習は、各々が自覚して取り組むという前提があれば、士気も作業効率も上がる。

 けれど、一つだけ難点がある。

 それは追い込まれない、という事。


 幾ら自分で自分を追い込んだとしても、やはり限度がある。外から来る無慈悲なプレッシャへの耐性は上がらない。そして試合ではそれはままあるもの。

 個人的には精神論は好きではないけれど、窮地に追い込まれた時に物を言うのがメンタルの強度。それ無くしては全国で戦えない。だから理香は査定でそれをぶち込んだのだろう。

 自己証明の場だからこそ、とことん追い込む。

 理に適っているけれど、それは過酷を通り過ぎて、まさに人外の所業。

 荻野の言葉を引用するのなら、彼女は這い上がる亡者をコールタールの沼に突き落とす悪魔の如し。ダンテ・アリギエーリも真っ青である。


「でも、あの程度で心折られてるんじゃ、この先はないよねえ」浮かべる柔らかな笑みからは想像出来ない辛辣な言葉が一葉の口から迸る。「既に相手にならない方も……、おっと口が勝手に」 

「……お前さあ」引き気味の乾いた笑いを漏らしながら私は一葉を咎める。「思ってても、口にしたらダメな言葉ってあるじゃん。自ら火種作ってどうすんの」


 一葉はニヤリと笑って立ち上がる。


「思いの外に醜いだろう? この禍々しい怪物は、地獄の業火に焼かれながら、それでも天国に憧れる」


 役者然とした立ち振る舞いに、クラスにいた皆の目が一瞬一葉に注がれる。


「は?」

「金田一、それファントムの台詞!」祥が声をあげる。「ちょっと、カッコいい!」

「オペラ座の怪人良いよね。ファントムの心情がまた……」


 同志を見つけたと思った一葉は目を輝かせ手の平を差し出す。その手を祥が確りと握る。


「そうなの、そうなの。あの人はただただ純粋で……」

「おーい、帰ってこーい」


 半ば白い目で現実に引き戻した私に、溜息で持って返す二人。


「これだから、アンちゃんは」

「琥珀ちゃんもさ、見た目的にはこっちじゃん。少しは読もうよ」

「……何で私が悪い事になってんのさ」諦め混じりにそう呟きつつ、一葉に目を向ける。「あと、金田一、お前が言うと重い」

「えへ」


 ああ、こいつまた確信犯か、と私は思う。

 自虐的というか、決意表明というか。

 ブレない心は、まだ癒えていないであろう傷跡すらも、平然と陽の下に曝す。痛みがあろうとも、道が伸びている以上それで歩みを鈍らせる事はない。


「でもさあ、それ位の覚悟がないとついてけないよねえ」一人落ち着いてサンドウィッチを頬張っていた杏樹がぽろりと零す。「何があっても自分の道を突き進む覚悟がなければ、ここにいる意味無いって今は思うよ」

「ま、実際そうだよ」一葉は椅子に座り胡座をかいた。机に肘を付き頬を乗せる。「たかが部活、何でこんな目に、とか思ってるのなら、多分大人になっても逃げ出すよ。逃げるのは一概に悪いとは思わないけどさ」

「……だから重いって。ネタだとしても、そんなにぶり返さなくたってさあ」


 どうにも一葉の中学時代を聞いてしまった私としては、斯様な感想が先ず出て来てしまう。


「琥珀ちゃんも人が良いねえ。そんな心配しなくても私は大丈夫だって」


 まあ、それはそうなのだろう。

 言葉に出来るという事は自分の中で整理がついている証。一葉が冗談めかして度々話題に出すのも自分への戒めと捉えられなくもない。ただ、どこか危うくも感じる。ブレない故の無関心さというか、一つの事に集中しているが故の他に対しての詰めの甘さ。それは日常生活にも所々顔を出している。


「いや、私は心配だよ。そういう意味ではしっかりしてるのは解る。けどさ、金田一って抜けてる部分もあるから……」


 私はそう言って目線を下に。

 祥が私の視線に気付き慌てて一葉のスカートを押さえる。


「金田一、それはアウト! 下に穿いてるからって、その長さで椅子で胡座かくのは完全にアウト!」

「おっと失敬」

「な?」少しだけ勝ち誇った顔をして、私はパックのお茶を吸い込む。


 一葉は脚を下ろし、組み直す。再び肘を付いて頬を乗せる。表情こそ変わらなかったけれど、照れ隠しなのか、無かった事にしたいのか、直ぐに話題を変えた。


「一年でも差が出始めたね」目線を外に向け、一葉は呟く様に言った。「まあ、こればっかりは個人の問題だから、他人が口出す事でもないんだろうけど」


 突如変貌した理香の指導は、当然ではあるのだけれど、やはり波紋を呼ぶ。

 たかが一、二年という歳月とは言え、幾分人生経験の多い二、三年生はまだ適応し易いのかもしれないけれど、一年生の中では個人差が出始めていた。


 このチームの中に内申点の為に部活をしている者はいないだろう。

 だとしても限界まで追い込まれる状況に疑問を感じる者はいる。答えが出ていても、それが納得のいくものでない限り、受け入れ難い。となると、根本的なモチベーションに影響が出る。モチベーションの低下はプレイの精度に直結し、負の連鎖を引き起こす。元々理香に対してあまり良い印象を持っていなかった者はより顕著に。


 査定期間はまだ折り返し地点にすら辿り着いていないのにも拘らず、既に生まれ始めている各々の差に、個人の意識の差が垣間見える。


「練習の厳しさは別に良いけど、言葉で精神削ってくるのはちょっと、とは思うよね」少しばかりの本音が漏れた。

「まあねえ」一葉もそこに関しては私と同意見なのか頷く。「でも、理不尽な言い掛かりだとか、人格攻撃って訳じゃないじゃん。リカさんって元々口悪いし、一応許容範囲かなって。まあ、外部に漏れたらコンプラがどうとか言われそうだけどさ」

「外に行けばさ、そんなの溢れてる」杏樹がぽつりと言う。「SNSなんか悪意の塊がそこら中に転がってるじゃん。そんなのは見なきゃ良いんだけど、それでも目に入る事はある。それで一喜一憂してたら持たないよ。ま、人それぞれだけどさ、私は野球が一番だから、そういう雑音で心乱されて支障が出るのは避けたい。その為の鍛錬て思えば、悪くないかな、なんて……」

「ポジティブ!」私と一葉の言葉が重なる。

「そんな事ないよう」杏樹はそう言いつつも、憂いを帯びた表情で窓の外に目を向ける。「認知はされて来たけど、やっぱりマイナ。技術は上がって来てるけど、男子に比べればまだまだ。凝り固まった目線を持つ人はいる訳で、どうしても雑音は入ってくるからさ、いちいちそれに反応してたらやってられないよ。不本意に思うけど、それが現実だからねえ、うまく対応するしかないかなってね」

「今が一番って思う女子高生とは思えない達観した意見ですなあ」祥が感嘆の声を漏らす。「私達はまだまだ子供、そこまで考えなくても良いんじゃないかなって思うけどねえ」

「……いや、お前も大概だからな?」

「って言うアンちゃんだって冷め過ぎだと思うけど? 花の女子高生の真逆な位置にいる事をもっと自覚した方が良いと思う」

「何故に私の批判になる」私は祥の頬を掴む。「この口だな、この口が……」

「まあ、人それぞれって事だね」一葉が言った。「みんなそれぞれ思う事がある。その結果違う選択をして、時に別れ、時に重なって。人の生とは面白い物ですなあ」

「この会話自体、女子高生からかなり離れてるよねえ」杏樹が笑う。


 私達は一斉に頷き笑い合う。


「ま、こういう会話出来てる時点で私達はまだ大丈夫だね」再び立てた肘に頬を乗せた一葉が言う。「出来れば、皆が普段の実力出せれば良いんだけど」 

「金田一の口から皆を慮る言葉が出たよ」


 少しおちゃらけて言った私の言葉に、一葉は不敵な笑みを返す。


「そう言うのじゃないよ。単に張り合いないってだけ。萎縮して本来の実力出せないなんてさ、ここにいる意味ある、って感じがしてさ」

「……ああ、そう」

「琥珀ちゃん、笑い事じゃないよ。さっきも言ったけど、この程度で折られてるとなると、この先結構辛い。今はまだ先輩達がいる。けど引退した後の事考えると、弱いね、で片付けられる問題じゃなくなる。まあ、先は解んないけど、私達が最上級生になった時、私達だけで何とか出来ない状況は避けたい。まだ見ぬ新入生に期待するよりは、どうにかしてヘタレの尻を叩かなきゃ」

「まあ、確かに」


 先は解らない。けれど、現実として既に差が出て、中には不貞腐れ気味のヤツもいる。これがそのまま時を経るのなら未来は薄暗い。他力本願は心許ない。一葉の言い分は尤もだ。


「けどさ」一応のフォローはしておく。「全部が全部ダメって訳じゃないでしょ。入学して三ヶ月、当時に比べれば、各々自分の持ち味発掘してるじゃん」

「そう」一葉は頷く。「だからこそ尻を叩かなきゃ。こんな所で落ち込んでる場合じゃないって」

「すごいねえ」杏樹が小さく拍手する。「イッチって、指導者も視野に入れてるの?」

「いや」一葉は即答する。「私は非力なんだよ。だから仲間に頼る。その仲間がヘタレだと、心許ない。心強い仲間が多い程良くない?」

「曇り無き他力本願かよ」

「って、言うけどさ、琥珀ちゃん。私等だけで点は取れないよ。それに琥珀ちゃんにはあまり攻撃面で負担を掛けたくないし。ほら、うちの投手陣面倒臭いじゃん。難儀だなあ、って思ってるから」

「あ、ああ……」

「なるほど」杏樹が頷く。けれどその表情はどこか渋い。「ここで私がいるじゃんって胸を張って言えたら良いんだけどねえ。私打率あんま良くないからなあ。まあ、近いうち任せろって言える位になるけどさ」

「いやいや、アンジュはもう数の中に入ってるから。だから、他のヤツら」

「赤坂、とか?」私はぽろりと零す。

「そう、それ」一葉が指を突きつける。「あんの、バカちんはデカいのは口だけ、意外とメンタル脆くてさ。仮に同年代で二遊間組むとなると……」


 まあ、それはしょうがないだろう。

 おそらく一葉の遊撃手に対する基準は、片瀬熊ノ森の水木昴なのだろう。あの化け物と一緒にされたのでは、悠希の肩を持ってやりたくなるのが人情。まあ、持ちはしないけれど。


「アカネは? アイツは折れてないんじゃない? あんまり表情変わらないヤツだから、よく解らないけど」

「あのフィジカルは羨ましい限り。けどねえ、アカネちゃんって追い込まれる事を苦にしてないんだよなあ。だから、なんていうのかな、必死さがないっていうかね。加えて、何が何でもポジション取ってやる、っていう気概が見えない。と、言うか、今まで競争してこなかったんじゃないかって思う。まあ、あのフィジカルとセンスだから、ポジションは与えられて当たり前って感じだったんだろうね」

「まあ、あの姉見てれば納得はするか」私は溜息混じりに零す。「どうせ、小さい頃からミドリちゃんの相手させられていたんだろうし、打たれ強いのは想像に難くない」

「ポテンシャルの高い無自覚は厄介だよ」一葉は悩ましげに口元を歪める。「モチベが低くても、それなりの結果が出せちゃうんだから、どうしても温度差はある。だからあの娘を覚醒させる為にも、赤坂の奮起が必要、と」

「やっぱりイッチって指導者目線だよね」杏樹はからからと笑う。「普通は自分の事で精一杯だと思うよ」

「だから違うって。見ない事は簡単だよ。でもさ……」一葉は一息吐いて眉根を寄せ、苦笑じみた表情を浮かべた。「正直、赤坂を覚醒させた所で、アカネちゃんに変化が起きる確証はない。けど、多分こうじゃないかな、っていう憶測があるのなら取り敢えずやっておくか、って事かな。野球は一人でやるもんじゃない。知らんフリしても、巡り巡って自分の元に返って来る。きっとそれは良くない事としてね。そもそも指導者なんて柄じゃないし、私はグラウンドに立っていたい。でも立つなら、自分の納得出来る環境にしたい、ただそれだけ」


 一葉は一通り言い切ると、微かな自虐的な色を載せて頬を緩めた。


「結局根っこはただの我が儘なんだよ、私の」


 一葉はパックの紅茶を吸い込み、ほっと一息吐いて、私、杏樹、少し間を置いて祥へと目を向けた。静かになった私達の反応を窺う様に、僅かに上目遣いになる。


「……キャプテン」杏樹が呟く様に言ってから、確信したとばかり声を大にする。「もうこれ、ウチらの代のキャプテン決まりじゃない? こんだけ周り見えてるなら文句なくない?」

「確かに」私は頷き、一葉の肩に手を置いた。「私は嬉しいよ。あんなに小さかった金田一がここまで大きくなって……」


 一葉は嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。


「ごめん、無理」浮かべた笑みは崩さず、それとない威圧が滲む。「さっきも言ったけど、柄じゃない。あと、君達が思ってる程私って人望ないから。思った事は勝手に口から出るし、出始めたら弾数尽きるまで、撃ち続けるし」

「あ、ああ……」


 ぱっと考えただけで思い当たる節が湧き水の様に出て来る。

 杏樹の言う通り適性はあると思う。けれど、仮にそうなったとすれば、おそらくそれは恐怖政治に他ならない。彼女が認めるまでは、認められないヤツは永遠の責め苦を味わうが如し。楽しい愉しいグラウンドが、”嘆きの川”となるだろう。


「まあ、まだ先は解んないけどね」


 そう言った一葉ではあったのだけれど、その言葉の中には変わった自分がいる未来は含まれていない様だった。


 先は解らない。

 一葉の言葉は、未来の可能性そのものだ。

 かつて暗所に閉じ込められ未来を剥奪された私達。

 苛烈な日々は続くのだけれど、その時と比べれば雲泥の差、月と鼈。

 目の前には確実に道は伸びている。


 陽がなければ苗は育たない。稀にもやしの様な特例はあったとしても、基本はそれ。

 暗所から這い出た私達には、何かしらの可能性が約束されている。

 漸く発芽した小さな芽は、この先どの様な花を咲かせるのだろう。

 先はまだ解らない。

 けれど、確実に原初の芽吹きは完遂された。少し遅れたそれは、苛烈な日々の中、少しずつ各々の色を出し始めていた。

 何者でも無かった私達は、ほんの少しづつではあるけれど違う色を帯び、別々の輪郭を形作る。


 私達に眠っていたそれぞれの資質は萌芽の時を迎えていた。

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