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アイデスの憂鬱  作者: 森住千紘
Sprouting of qualities : 2 〜 資質の萌芽 〜
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 Beyond selfishness. I 〜 亡国の姫 〜

 鉛色の空には所々の隙間。

 試合終了と同時に止んだ雨に僅かばかりの恨み言を連ねる。風は生緩く十分に湿っていて、凡そ過ごし易い気候では無い事は確か。アンダーの襟元を摘み換気をする程度には蒸し暑い。


「上がるなら試合中に上がれって思うよなあ」右腕の自由をアイシングで奪われた湊がやや火照った顔で言う。

「どんな環境だろうが力を発揮するのが一流だろ」背中、両肩にと荷物を抱えた碧が口元を上げる。そして珍しくまともな事を口にした。「次もあるから、さっさと撤収」

「まさか、ミドリちゃんからそんな常識的な言葉が出るとは……」半分は軽口、もう半分は割と本心の言葉がつい口から溢れた。

「……コハク、マイナス三点。もうこの際どこまでも減点されろ」碧は荷物の重さなど感じさせない爽やかな笑顔で宣告する。「この件は上に報告させていただく」

「はい?」 


 待て待て、何その採点方式。私が聞かされていないだけで、実は細かい採点が裏で行われていたという事?


 不吉極まりない現実、不穏な言葉が私の頭の中で巡る巡る。

 そして、それを後押しする様な肯定的な言葉を湊が吐いた。


「まあ、アンちは仕方ないよなあ、うん」しみじみと頷く湊。「でも、私は感謝してるからさ」


 湊の顔には同情の色が浮かんでいる。

 まじか。

 急に肩に掛けていた荷物の重さを感じ項垂れる私。おそらく物理的なものだけでは無いだろうよ。詰めが甘い、とまではいかないにせよ、口は災いの元、余計な一言その身を蝕む。これ迄心掛けてきた戒めによってなんとか保てていた私の体面は、いつかの様にちょっとした緩みであっさりと崩壊した。


 学校のバスに荷物を詰め込み、アフターケアにと軽いストレッチに勤しんでいると、何やら辺りが騒がしい。どこぞで聞いた声だなあ、とその喧騒の方に首を向けると、果たして常桜の一年生が小躍りしているのが目に入った。そしてその光景を、半ば奇異なる物を見る様な目で眺める葉山の面々。まあ、解らなくはない。もしも試合前の一件が無かったのなら、私も同じ反応をしていたと思う。


 方や真っ白な汚れなきユニフォーム、方や戦いの跡の残るやや燻んだユニフォーム。小躍りする娘達の傍、僅かに口元を歪めた関谷みなみは、さも面倒臭そうに腰に手を置いていた。


「みーちゃん大活躍だったねえ」


 佐伯みのりによって、ミオ、シイちゃん、と呼ばれた二人の乙女。その少々ふくよかな方、ミオが煌めく様な瞳をみなみに向ける。そんな彼女のユニフォームを引っ張りシイちゃんが嗜める。


「ミオ、声でかいよ。先輩達にも立場ってあるから。こっちはコールド、しかもノーヒットでの完敗なんだからさ」


 ミオは思った事をつい口にしてしまうタイプなのだろうな、と思い、私は盗み聞きしつつ相槌を打つ。口は災いの元なのだよ、と。


「あ、ごめん」ミオは肩を竦め辺りを窺う。


 けれど件の先輩方は先輩方で、荻野率いる葉山の面々と語らっている。それを目にし、彼女はひとまずほっと胸を撫で下ろし、再び目を輝かせる。


「やっぱり、みーちゃんはすごいなあ。こんな強いチームなのに、スタメンで出てしかもヒット打って……」


 ミオの羨望じみた眼差しに対し、耐えられないとばかりにみなみが口を挟んだ。


「別に凄くないから」


 怒気が混じるその声に、二人は僅かに目を見開き固まった。


「今日は勝って当然の……」そこまで言ってから、みなみは自身の発言の重さを理解し口をつぐんだ。「いや、なんでもない」


 ほおう、と私は僅かに感心する。みなみもまた思った事を口にするタイプ。これまでの紆余曲折を経て多少は空気を読む様になってはいるのだけれど、まさかここまでとは。以前の彼女なら、おそらく最後まで口にしていた筈だ。なんとも成長したものよ、と半ば親の様な心持ちで同窓の三人を私は眺めていた。


「すげえ居心地悪そうだなあ、あいつ」隣で湊が囁く。「褒められすぎってのもまた問題だよなあ」

「まあ、あいつはデータ持ってたしね。ずるいって言われればその通り、素直に受け取れないんじゃねえの?」


 そんな第三者的考察をしている私達だったのだけれど、不意に差し込まれた言葉に思わず目を合わせ注視する事となる。


「で、でもさ、やっぱ全国区って凄い選手いっぱい居るんだね」取り繕う様にミオが言う。けれど彼女の二の句はみなみにとっては地雷に等しい。「みーちゃんが出なくても、ノーヒットノーランなんだもんね」


 みなみの目元がぴくりと動いた。空模様とは裏腹に雲行きが怪しくなって来た。捕手選絡みの一件の傷跡はまだ生々しく、感情過多のみなみの事だ、怒るか泣くか。さて、事後処理含めてどうするべきかと考えていると、不意に棘のある言葉が降って来た。


「当たり前じゃん」


 声のした方を見れば、佐伯みのりと磯田智代子の二人が連れ立って歩いて来るのが視界に入る。


「あ、チョコちゃん」ミオは声の主に振り向く。

「みのりまで……」シイちゃんはミオに比べ表情に翳りがある。どことなく気まずそうな感じが出ていた。


 二人はミオ達の横に並ぶ。

 みのりは柔らかに微笑み、智代子もまた笑みを浮かべ、ミオ達とみなみを交互に見る。どこか見定める様な、そんな印象を抱かせる目だった。


「みなみ、お疲れ」みのりは微笑んだまま手の平を差し出す。手を取らないみなみを見て小さな苦笑を浮かべる。「やっぱり全国区ってのは凄いね。もう少し抑えれると思ってたんだけどね」

「はっ」智代子が打席でのそれとはかけ離れた態度で鼻で嗤った。


 お淑やかで、丁寧。打席で抱いたそんな印象を持ち続けていた私は、ほんの少し距離を置いて腕を組む智代子に面喰らう。


「誰かが壊さなければ、もう少しマシな結果になってたさ」

「チョコ!」みのりが顔を顰め智代子を嗜める。直ぐに柔らかさを取り戻すも、目線は下を向いたまま。「誰の所為でも無い。強いて言えば自分の所為だから」


 みのりはゆっくりと顔を上げ力無く笑った。


「どうよ、勝った感想は?」智代子がみなみに近寄り、嘲笑う様に見上げる。「環境に恵まれた奴らに負けた所で、こっちは全然堪えないけどさ」


 みなみは口を結び、言葉を発しない。


「まあ、スタメンで出てたのは評価するけど、結局私の言っていた事の方が正しかった訳だ」智代子は浮かべてた笑みを引く。ほぼ無表情で口を開いた。「謝れよ。これ迄私らに言ってきた事が間違いでしたってさ」

「チョコ!」


 みのりが飛び出し、智代子の襟首を引っ張る。


「おわっ」智代子は宙をもがきたたらを踏む。なんとか体勢を整えみのりを睨む。「何すんだよ、お前は被害者だろ?」

「別に私はそんな事思ってない」柔らかなみのりから強い言葉が放たれた。


 おいおい、なんか大事になってないか? そんな事を思い、隣にいる湊に顎をしゃくった。正直な所、私等が出る幕では無いと思う。過去に端を発した事なのは容易に見当が付く。

 けれど、と私の中で警鐘が鳴る。このまま見過ごせばきっと互いに大きな傷を負う。他所は他所とは思うけれど、出来る事ならネガティブな感情で対立するよりも手を取り合った方がメリットが勝る。


「なるほど、助けんのね」湊が笑う。「アンちったら責任感じてんだ、関谷をボコボコにした張本人だから、せめてもの罪滅ぼしって」

「そんなんじゃねえよ。それにお前が言えた事かよ。端から拒絶してたのはどこのどいつだ」湊の言い分を否定しつつ今一度顎をしゃくる。「取り敢えず行こう。揉め事見過ごしたら更に減点されるじゃねえか」

「そこかよ」くつくつと笑いながらも、湊は私の後に続く。


 お互い主張を曲げないみのりと智代子の言い合いは、半ば剣呑な雰囲気を醸し出し始めている。それらを戸惑いと焦りを滲ませ見守る事しか出来ないミオ達。当事者である筈のみなみは苦虫を噛み潰した様な表情で一人佇む。


 行こう、とは言ったものの、中々に入り難い場が形成されている。阿呆を装い素知らぬ顔で突っ込むかしかないだろうな、なんて内心辟易しつつもそんな事を短い道中で考えた。けれど、私達の挙動は読まれていた、と言うよりもこの後の出来事を形作る要因として端から組み込まれていたらしい。つまり、私の行動はある意味での悪手。公開処刑という場を形成する為の傍観者、証人として、策士の思惑通りに動かされていた。

 画策した張本人は、私達の姿が視界に入るや否や即座に言い合いを切り上げ、歓迎するかの如く両手の平を重ね深々と頭を下げた。


「お疲れ様です」


 一連の流れを見ていた者からすれば白々しい程の猫かぶりで、智代子は上げた頭に笑みを浮かべる。

 流石の私も内心苦笑せざるを得ない。僅かに引き攣った表情で挨拶を交わす。


「お、お疲れ様です」


 周囲に目を向けリアルな現場を確認する。混沌としているとは正にそれ。明後日の如く智代子の行動に皆茫然としていた。


「ええと……」


 取り敢えずの二の句を継ごうとした私だったのだけれど、隣に佇む湊の手を取った智代子に掻き消されてしまった。


「立場的にこういうのはアレですけど、ナイスピッチングでした」

「え? あ、ああ、どうもっす」


 しどろもどろで湊は小さく会釈し、これ、どういう事? と、私に目で訴えかける。

 私だって解らねえよ、と小さく首を振る。


「それで……」智代子の顔が傾く。


 柔和な笑みを浮かべる中、眠たそうな目だけは笑っていない。そんな目線が私とぶつかった。


「いやはや、全くしてやられました。けれど、まあ納得です」智代子は今度は私の手を握る。「貴女がいてくれたから、今……」


 不意に智代子が後ろに体勢を崩した。繋がれたままの手が引っ張られ、私も前につんのめる。

 私達の間に身体を入れて繋がりを断ち切ると、みのりは深々と頭を下げた。


「ごめんなさい」ちら、と後ろで不貞腐れた様子の智代子を一瞥する。「この娘、こう見えてかなり捻くれていて陰湿なんですよ」


 苦笑を浮かべるみのりに対し私はといえば、出て来た言葉の強さと疑問符にぽかんとしてしまう。


「失礼な」何事も無かったかの様に、再び智代子が顔を出す。「否定はしないけれど、初対面の相手に言う事じゃないだろうに」

「……しねえのかよ」苦笑を滲ませ湊が呟く。

「そうでも言わないと、迷惑かかるでしょ」みのりが智代子を嗜める。


 牽制し合うみのりと智代子、見守る事しか出来ないミオとシイちゃん、無言のみなみに、困惑する私達。場は更に混沌を深めている。


「え、えっと、介入すべきではないとは思ったんすけど、ちょっと見てられなかったって言うか……」うまい説明が出来ず、私の口から出た言葉は曖昧なものが並ぶ。

「へえ」智代子は一瞬目を丸くするも、出てきた言葉は辛辣だった。「関谷を庇うヤツもいるんだ」

「あ、そんなんじゃないっす」湊が即答する。

「え?」

「え?」


 智代子達が驚くのは無理もない。無理もないのだけれど、その驚きに対して、何故湊が驚いているのだ、と私は頭を抱えたい衝動に駆られる。まあ、抱えやしないけれど。

 湊のユニフォームを引っ張り耳元で訴える。


「お前、少しは言葉選べよ」

「って、アンちは言うけどさ、どう考えても私等関係ないだろ。しかも関谷だ、過去になんかやらかしてても不思議じゃないし」

「そういう事じゃねえよ」私は更に湊を引っ張る。ちら、と横目でみなみの様子を窺い声を顰める。「公共の場で泣かれたら面倒だろうが」

「そっちかよ」湊は声を殺して苦笑う。

「え、ええと……?」


 まあ、そうだろうよ、と思う。ミオ達は疎か、みのりでさえ現状に対し理解が及ばないのだろう。明らかに困惑した表情で説明を求めている。


「……なんか興が削がれちまったなあ」智代子が頭を掻きながら溜息混じりに言った。

「チョコ!」訳が解らずとも、何とか立ち直ったみのりが嗜める。

「あのさあ」一度大きな溜息を吐いて智代子は至極真面目な顔をみのりに向けた。「確かに私は捻くれてるよ。でも、これ迄曖昧に流されてた事が明らかになったんだ。しかも当事者もいる。ならはっきりさせた方がお互いに良いんじゃないの?」


 区切り、という事なのだろう。この時点では彼女等の間に何があったのかは私は知らない。ただ、次のステージに向かう為に必要な儀式の様なものだという事は何となく解った。だから、私はその成り行きを見守る事にした。湊にも口を出させない様にして。


「なあ、関谷」智代子は火中の当事者の名を呼ぶも、みなみの反応を待たずに続ける。「お前、言ったんだよな? こんなレヴェルの低い所でなんかやってられない、自分にはもっと相応しい場所がある、ってさ。チームを掻き回して、一人の選手をダメにして、目指した目標には及ばず、その責任を自分の主張を実行出来なかったチームメイトに丸投げした挙句、出た言葉らしいじゃんか」


 智代子は静かな足取りでみなみに寄った。


「ざまあねえな。まだ先輩がマスク被ってんなら私も何も言わないさ。けど、お前の主張した一番の長所である捕手ってポジションをタメに取られてる時点で、お前の言う高みでは、お前より優先される人間がいるって事だ。結局その程度。そんな奴に振り回されたこっちの事も考えて欲しいもんだ」智代子は一度俯き小さく呼吸する。顔を上げ、みなみの胸元に指を突き付けた。「お前の所為でみのりは壊れたんだ! こうなってる以上、そこは謝れよ」


 曇天の下の一瞬の静寂。

 不意に私の両肩に訪れた衝撃にひくりと身体が震える。

 と、同時に。


「な、なんだってえー」


 聞き慣れた声が、わざとらしい棒読み感を携えてやって来る。混沌を断ち切る混沌。全くもって関係性皆無な我が儘プリンセスが、私を押し退け颯爽とこの場に降り立った。

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