What to ride on a charon’s ship? 〜 カロンの船に乗る者は? 〜
なだらかな起伏のある山道を全員で走った。
足取りは軽く、各々が胸抱く思いはより強く。
けれど、私達から出る掛け声は形式美のそれ。先導する二人が纏められれば良いのだけれど、その二人の表情には既に疲労が見え隠れしていた。声だけは揃っていたとしてもこの時の私達は未だ個の枠を出ない。強烈な個性が初めて一堂に会したのだから無理もない。
ただ、それは希望でありつつも絶望の種ともなり得る危うい均衡。
仕切りが上手いとされていた笹川ですら怒涛の様な強烈な個性にあてられている様子。
語られる過去によって、不穏さはよりその濃度を増した。そんな逆風じみた状況の中、私は僅かな不安と大きな期待が綯い交ぜになった心持ちで樹々の間を駆け抜ける。期待というよりは興味であったり、楽しみといった気持ちではあったのだけれど。
私は手に入れたのだ。戦う為の明確な理由とその意志を。
ストレッチを終えた私達は笹川によって集められた。先に藤野に提言した通り、上級生の間にある蟠りの説明がなされた。
今泉監督が休養に入り、後任として大屋コーチが監督代行に就任。変革はここから始まった。大屋はそれぞれの身体能力からポジションの入れ替えを行った。これが一番効率的で、勝利への盤石な布陣になる、と言い放ったそうだ。従わない者はレギュラでもサブに回る。春に始まるリーグ戦までは約四ヶ月、新入生も入って来る事も考慮して、”揺らぎ”を埋める為の時間は十分だと判断したのだという。
これのどこが効率的だと私は思う。
新二年生の笹川、藤野の両名は二番手という位置にはいたそうだ。笹川は球は速いがコントロールに難があるという事でバッティングピッチャでの調整を命じられ、藤野は外野手にしては足が遅いという理由で、代打専門の烙印を押された。
そうじゃ無いだろう、と思う。明確なデメリットがあるのならそれは仕方のない事だ。けれど両名はそれなりに結果を残している。短所があるならそれを克服するなり、カバーする何か見つけるなり対策は幾らでも講じられる。課題を持って練習に取り組むのは基本の基本。競争の結果ならまだしも、劣っている部分だけを理由に挑戦する権利まで剥奪するのは間違っている。
まだまだ可能性を内包する選手の未来を封じてまで勝ちに拘る事にどれほどの価値があるというのだろう。
確かにデータ的には効率的である事は認める。つまる所の適正。けれど、プレイするのは人間で、花咲ける多感な乙女なのだ。当人が納得しているのならいざ知らず、そうでなければ影響が出るのは避けられない。各々が持つヴィジョンはモチベーションに繋がる。モチベーションが落ちればプレイ精度、練習効率の低下を呼ぶ。
私達はまだ何者でも無い。隠れた才能が花開く可能性だってある。さまざまな事にチャレンジするのは良い事だと思し、そうすべきだとも思う。だから、自分の輪郭を決める為にも、決めつけるのでは無く、選択肢の一つとして提示すべきだと思う。
いかなる時だって決めるのは自分だ。他人に決められる謂れはない。
けれど、上級生の大半が大屋の掲げる勝つ為という言葉に自分を奪われる結果になった。
すんなり呑み込める者は少なく、部内には混乱が生じ、漸くそれが落ち着き始めたのが今らしかった。落ち着いた、と言うよりは諦めじみた慣れ、に近い。
私の心に火が灯る。
甘い理想だと、言いたいヤツは言えば良い。
けれど、皆が同等のモチベーションを維持するには、自身の納得というのが大前提。大抵、燻る思いを抱えたままのプレイでは、その人の最高のパフォーマンスには届かない。
チームというのは様々な個性が集まった結果だ。そしてその尖った個性を纏めるのがリーダの資質だと思う。だから勝利の為を謳って、その個性を蔑ろにするやり方に私は賛成出来ない。
競争すらさせて貰えず、頭ごなしのコンバートなんてどうかしている。
そんなチームが戦える訳が無い。
笹川から入学以前の話を聞いた後、新入生の自己紹介を兼ねての、試合でのポジション決めに移行。藤野が言っていた様に、笹川の仕切りでここまでは滞り無く順調に進んでいた。
「じゃあ、自己紹介からね。名前とポジション、アピールのある人はそれ込みで一分程度で。と、先ずは私から」進行役の笹川は自身の胸に手を当てた。「二年の笹川雪です。ポジションは投手と外野。で隣にいるのが藤野紫穂。外野手兼捕手」
「藤野です。よろしく」藤野が小さく頭を下げた。自分達を取り巻く様に座った一年生を眺め、左端に手をやった。「じゃあ、そっちから」
黒髪で小顔。ショートボブの丸いシルエットが似合う、モデルの様なスタイルの長身の乙女が立ち上がる。
「月島早苗です。ポジションはセカンドで……」
早苗が言い終わらないうちに隣の乙女が立ち上がった。
香坂綾以上に強い癖っ毛の茶色の髪、そばかすのある齧歯類の様な顔立ち、長身の早苗と並ぶと妙に小さく見える。立派な前歯を見せながら笑う。
「赤坂悠希。ポジションはショート。早苗との二遊間は中三のシーズン、エラーなし。しかも私はスイッチヒッターという器用さ、足も肩もそれなりにあります」悠希は上目遣いで自分の胸に手を置いた。「一番バッターはお任せあれ」
「私もセカンドなんだけど」隣で大人しくしていた一葉に火が着いた様だ。勝手に立ち上がる。「金田一葉です。守備もそこそこ自信はあります。訳あって去年は試合に出なかったけど、二年時まで相模原レッズで四番打ってました」
場が騒めきたつ。まあ、それはそう。それだけレッズは知名度が高く、かつ実力もあるチームだ。
「そんなヤツ覚えて無いけど?」そう言い放ったのは、先にこちらに鞍替えした切長の鋭い目付きをした長髪の乙女。ゆっくりと立ち上がり、皆を見下ろすように顎を上げた。「伊園妙。ファースト。横浜シーブリームスで四番打ってました。まあ、私が四番に座れば幾らでも得点出来るから」
「私は覚えてるよ」一葉は不敵な笑みを向ける。「安斎から一本も打てなかったアンクリンナップでしょ?」
「あん?」妙は昭和の不良じみた物腰で一葉を睨みつける。「記憶にねえって事はお前も大した事ねえんだろ?」
「あはっ。私はあの日四打点。まあ、あの日はウチの圧勝だったから記憶に残らないのもしょうがないよね」煌めく笑顔を妙に向ける。「ボロクソだったもんね君達」
「てめえ」
妙が動き出そうとするのを隣にいたふくよかな乙女が止めに入る。先程も止めに入った彼女だ。
「妙ちゃん、それ以上はイケナイ。それに彼女の事は覚えてる」
「止めんな、こっちは喧嘩売られてんだ」
尚も動こうとする妙のベルトを掴み、無理矢理引き寄せて耳打ちする。
「もう、潮時ですぞ。皆様の視線が痛く……」
妙は、ぴた、と動きを止め、目だけを動かした。
「何だよ、見てんじゃねえよ」少し赤くなりながら妙はがなる。
強気な形に見えて照れ屋かよ、と彼女の持つギャップに私は吹き出しそうになる。私の伊園妙に対する初印象は概ね良好。寧ろ好き。照れ屋の姉御肌、とは良い響きである。
「まあまあ、あとは某が引き継ぐ故」
小声で言った言葉が私の耳には届いてしまった。また吹き出しそうになる。個性が主張し過ぎている。
「ええと……」艶のある黒髪をショートに揃え、綺麗な丸顔にもち肌、桜色の唇が微かに開く。「妙ちゃんとは幼馴染で、彼女は短気なだけで本当は心優しい女の子なんです。それで、私は佐倉薫と申しまして、守備位置は主にセンターなんですが、左利き故、こんなちんちくりんですが、ファーストもやれますし、投手もやります。えっと、投手についてですが、主に変化球を主体とした……」
「薫」今度は妙がベルトを掴む。「長いし早いよ」
情報量が多い。多い割に口調が早くて頭が追いつかない。怒涛とはまさにこの事、そんな事を思っていると、場に呑まれたと思っていた一葉が口を出した。
「あんたも知ってる。シーブリの三番だよね? 見た目からは想像つかない俊足のセンター」
一葉はさらりと酷い事を言う。
「いやいや某なんて、そんな大層な者ではなくてですな……」
一葉は堪えきれなくなったのか、盛大に吹き出した。溢れた涙を拭いて、荒れた息を整える。
「ごめん、ごめんね。私覚えてる。田辺が盗塁許したの久々に見たから。で、その時……」一葉は何か思い出したのか、片手で謝り懸命に笑いを抑え込む。「る、塁上で小躍りして、牽制で刺されそうになった」
「ああ」薫はぽんと手を打った。「確かに、ありましたな、金田殿。あの時は、こう感情が昂り過ぎて……」
「金田殿って」一葉は涙を拭きながら言う。「一葉で良いってば、かおちん」
「かおちんとな」と、言いつつも薫は満更でもない様で体をくねらした。
「はいはい」呆れ混じりに笹川が手を打つ。「お楽しみの所悪いんだけど、次行ってもらえる?」
「じゃ、私ね」
ゆっくりと立ち上がった、もう一人の長髪の君。
春風に流れる茶色の髪は煌めいて。長い睫毛と大きな目、誰もが目を引くであろう、とんでもない美少女が小さく微笑んだ。
「四ノ宮杏樹です。ポジションはサード。長野から来ました。と言ってもスカウトとかじゃなくて親の都合です。一応シニア出身です」
「お前、スカウト組じゃないの?」妙がきいた。
「うん、違うよ。だからちょっと解らないんだよねえ」杏樹は急に崩した言葉遣いになった。「何で私、あっちだったんだろうね。ね、妙ちん」
「……妙ちん」妙が固まった。
「妙ちん、良かったですなあ」薫が生暖かい目をした。
「お前まで……」
頭を抱える笹川と、諦めじみた遠い目をする藤野の姿が目に映る。
これは大変だ、ご愁傷様と先輩である藤野の心境を慮る私であるけれど、彼女達に対して何か出来る訳でもない。それ程の熱量が彼女達からは立ち昇っていた。
「はあ」笹川がついに溜息をついた。「で、あとやってない人」
折角なので手を挙げた。と同時に綾もまた手を挙げていた。
ぶつかる視線。無言のやり取り。
「アンち良いよ、先で」
「……じゃあ、斑目」藤野が疲れた顔で顎をしゃくった。
「あ、はい」頷きながら立ち上がった。「ええと、斑目琥珀、キャッチャです……」
後何を言えば良いのだろう。
周りの個性が強過ぎて、何を言っても霞む気がする。
奇妙な間を察したのか、妙がチャチャを入れる。
「メガネのキャッチャーか。これは期待出来るって事か?」
「さてねえ」私は不敵に笑ってやる。
妙もニヤリと笑う。
私に助け舟を出してくれたのだと解った。やっぱり、良い奴じゃねえか、と口元が上がる。
「ええと、キャッチャ以外はやった事ないです。そして正直な事を言えば……」拙いと思った時には既に言葉が口から溢れていた。明日香に言われた様に、私は頑固な性分で、納得のいかない事をそのままにはしておけないらしい。「私には倒したい相手がいます。彼女達はおそらく全国でもトップクラスです。そんな相手と戦う為に、とここに来ました、けれど蓋を開けてみれば何ですか、効率? 勝つ為? こんな物全然効率的では無いし、勝てる物も勝てない。だから、私はこれから三年間を共にする皆に聞きたい。このままで良いんですか?」
私はこの状況を打破したかった。戦える環境にしたかった。いきなり理不尽な規則を提示され、何かおかしい不穏な空気。勝てるものが勝てなくなる予感。
初めは様子見に徹していた。チームメイトの事がよく解らなかったから。
けれど、自己紹介を通じてこの個性的な集団は面白いと思った。明日香や環に見せたいとも思った。だから、やはりこんな現状は打破するべきだ。
勝つ事が監督代行の目指す所ならば、私達が私達のままで勝てる事を証明すれば良い。
皆が互いに顔を合わせている。意見の擦り合わせ、意思の共有。
一葉は小さく親指を立てる。
妙は嬉しそうに口元を上げる。
藤野は仕方ないと苦笑する。
笹川は驚きのあまり固まっている。
私は隣の死んだ魚の様な目をした癖っ毛の乙女に目を向け、立ち上がる様に促した。
皆が不思議そうに綾に目を向ける。
皆が私の動向を窺っている。
私は綾を促した。
「あ、えっと、香坂綾です。投手です」綾は私に小声できいた。「ねえ、アンち、この後どうすんの?」
私は笑みを返す。
綾の肩に腕を回し声を張る。
「私は勝ちに行きますよ? 実際まだ皆のプレイを見ていないから何とも言えないですけど、伊園の打力はきっと本物でしょうし、金田の事は知っている。その金田が言う佐倉もまた良いプレイヤーなんでしょう。そして私達にはこの香坂がいる。皆勝ちに行こう。そして、髪を切れだのとよく解らないルールを打ち込む乙女の敵に鉄槌を」
「鉄槌を」杏樹が拳を掲げ、意気揚々に賛同する。「斑目ちゃんだっけ、あなた良いね、ホントに良い。私あなたについてく」
「だよなあ、やっぱりメガネは一味違うよ。なら私は私のやる事をするまで。期待して貰って構わないさ」妙が口元を上げる。
それを皮切りに騒めきが大きくなる。
「斑目」藤野が頭を抱えながら私に言う。「すり替わってる、すり替わってる」
「はいはい」笹川が手を打ち再び場を纏めかかる。「藤が言った通り論点がすり替わってる。けどね、私も個人的にはあなたに賛成。はっきりとした理由を提示しないで、頭ごなしに改善を求められても、誰もついて来ない。上に立つ者としてはダメだと思う。私達が勝つ事によってそれが変わるかは解らない。けど、負ければそれを受け入れなければならない。私はそんなの嫌。だから勝ちたい。皆はどう?」
バラバラで違う言葉が入り乱れてはいるけれど、この場にいる乙女達の意思の共有は成り立った。
私は明確な理由を手に入れた。
なればこそ、私の取るべき行動はただ一つ。
賭けると決めた三年間。その出鼻で挫かされる訳にはいかない。こんな所で躓いていたらきっと明日香達に笑われる。
「行こう!」
昂る勢いのままに、私はつい皆を扇動、基、先導しランニングに駆り出す。
彼女達と再び見える為の初めの一歩は今動き出した。