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アイデスの憂鬱  作者: 森住千紘
Sprouting of qualities : 2 〜 資質の萌芽 〜
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 Will the coming rain bring grace? 〜 来たる雨は恵みを齎すのか 〜

 揺れた、のだろう。


 走者一掃のスリーベースを打たれた後の、佐伯みのりの第一投は甘く入った。

 そんな球を、千家が見逃す訳もなく一振り。

 打球はレフトに舞い上がる。

 飛距離は十分。

 打球の行方から目指すべきホームへと視線を流し、三塁コーチャの声掛けと共にベースを蹴る。

 ネクストの小澤の指示に従い滑り込みホームに触れた。

 立ち上がり、小澤と手を合わせベンチへ足を向ける。

 私を迎える先輩方と順に手を合わせていると、その人垣から無粋な影が飛び出て抱きつかれる。

 見た目よりも重たいそれを、たたらを踏みつつも辛うじて支えた。


「良くやった!」


 耳元で聞こえる碧の声。

 この時の私の感想は、重い、の一言だけ。

 碧は着地すると私の肩を抱き、もう一度良くやった、と言った。

 碧に連れられる形でベンチに戻り、被ったままだったメットを片す。


「コハク、良く振り切った!」ばちん、と音がしそうな勢いで理香が私の背中を叩いた。「ビッグイニングになったな」

「ありがとうございます」ニヤリと笑う理香に私はそう返した。すぐに伝える事があったのを思い出し口にする。「あ、ツーシーム結構変化しました。もしかしたらそこまで制御出来てないのかも」


 珍しく理香が目を丸くした。


「……お前、そういう可愛げない所あるよな。もっと喜べよ」苦笑いを浮かべ呟く様に言ってから、こくりと頷く。「一年だしそりゃそうだろ。ま、共有はしておくよ」


 早速理香は荻野達に水を向ける。

 私は半ば上気せた様な心持ちで、空いている席に腰を下ろす。

 小さく息を吐くと、漸く実感が湧いてきた。微かに手の平が震えている。


 真芯ではあった。

 その感覚が手に焼き付いている。

 ゴロ狙いでなく内野の頭を越すイメージで振り抜いた。

 自分の想定とは僅かに方向がずれていたのだけれど、この際文句は言うまい。


 私はグラウンド、主に右中間を見つめる。

 走者はなくなり、守備位置は長打のある小澤用にと少し深め。


 少し抜け気味のチェンジアップに、外野が前進気味だったからこそ右中間を切り裂けた。

 状況や駆け引きといった数ある条件がうまく重なった幸運な結果。

 とは言え、純粋なエラー絡みではなく、自身の打撃での三塁打なんてそう打っていない私としてはすこぶる満足なリザルト。

 けれど、だからと言って自身がやらかした事を払拭出来たとは思わなかった。

 個人的な事なんてどうでも良い、ただ、チームの力になれた事、延いては事前に交わした投手への糧となれた事が嬉しかった。

 その湊が隣にやって来て腰を下ろす。


「ナイスバッティング」


 左拳を突き出すので、私も同じく左手を出す。がちり、と拳が触れる。


「ありがと」そう言ってから、若干の照れを隠してニヤリと笑う。「見たか、私の援護を」

「まさか、ホントに打つとはねえ。あ、いや、打てないって思ってた訳じゃなくてさ」湊は慌てて弁解する。「犠牲フライでも、単打でも、一点でも入れば良いなって思ってたからさ」

「まあ、私自身びっくりはしてるよ。年に一回あるかないかの打球だったから」

「ふうん」湊は笑う。「ならここで出たってのは私の為って事か。さすがは相棒だなあ」


 軽口として言うのなら滲み出る照れを隠して欲しい。

 こちらも妙に照れてしまう。

 ただ、たとえ軽口であったとしても、投手から掛けられる言葉としては、これ以上の賛辞はない。


「まあな」再びの照れ隠しと、軽口を続けようとして私は上げかけた口元を留めた。「今日はお前にも迷惑掛けたし、悪かったな」


 湊はやめてくれ、と顔の横で手を振った。


「らしくない事言うなよ。誰だって調子が悪い時はあるんだからさ。でもまあ、これで余裕を持って守備に行けるだろ」


 確かに、と思い一旦は頷く。

 けれど、やはりどこかで舞い上がっている自覚もある訳で、自分への戒めも含め言葉にする。


「慢心は良くない。守備は守備できっちり締めて行くからな、お前も覚悟しろよ?」

「解ってるって」


 今一度、湊と拳を合わせ笑い合う。

 グラウンドに目を遣れば背番号四の背中が歪む。

 弓の挙動の様に、絞った上体からバットが出る。

 心地良い金属音の響き。白球は投手の横を駆け抜けセンターへ。


 ベンチ一丸となって小澤への賛辞が飛んだ。

 これでツーアウトながらも再びランナーが出た。

 これまでの凡打が嘘だったかの様に皆が振れている。

 こうまでタイミングが良いと、皆で私を嵌めたのではと邪推もしたくなる。

 と、まあ、それであったとしても、現状は喜ばしい事で、先ほどに比べれば随分と気持ちはすっきりとしていた。


 安堵に抱かれつつも、今度はそれに呑まれてしまっては本末転倒もいい所だ。

 そんな戒めを再び自分に向けつつ、一塁コーチャにレガースを渡す小澤から、ネクストから這い出て豪快なスウィングをする杏樹に目を流した所で、非難じみた声が私の耳に届いた。


「ああ、また逃げる」


 この声はと思う。この可愛らしい萌ゆる声は、二年生の槙野まきの日向ひなたちゃん。

 どうにも”ちゃん”づけしたくなる様な小柄で愛らしい風貌の彼女が、溜まり兼ねた声音でプンスコしている。


「ちょっと、ちょっとだけだから」


 ああ、やっぱりな、と思う。

 いつもニコニコしている槙野は、若干の引っ込み思案さはあるにせよ、その実冷静に周囲の空気を窺い、万人を慮れる出来た人格の持ち主だ。

 そんな槙野に斯様な声を出させる乙女なんて一人しかいない。

 ちら、と首を傾ければ果たして。

 両の手の平を合わせこれ見よがしに平謝りするのは、やはり我が儘プリンセス、その人だった。


「あのねえ」素早く身を入れ替え懇願する碧に槙野は避難の目を向けた。「ミドリが自分で言ったんでしょ? 今ん所殆ど私がやってるじゃん」

「だから、ごめんて。これからちゃんとやるからさ。だから最後にちょっとだけだって、ね、頼むよ」碧は駄々を捏ねつつ槙野の両肩を叩く。


 槙野は仕方なしといった表情で溜息を吐く。

 僅かに俯き、反対に碧が自分の意見が通ったと確信した瞬間、槙野は肩を窄め素早く両腕を持ち上げ、自身の肩に置かれていた碧の両手を弾き飛ばした。

 呆気に取られた碧の頬に槙野の手の平が襲い掛かる。


「本当にこれで最後だからな?」


 おいおい、どこからそんな声が出るんだよ、という位、普段の彼女からは想像し得ないドスの効いた低い音が迸る。

 ベンチの暗がりの中、心なしか猛禽の如く目が光っている様に感じる。

 チラ見していた私はつい反射的に目を逸らした。

 その背後から、頬を摘まれた碧の神妙且つ間抜けな声が届いた。


「ふぁい、わぁかってまふ」

「はあ」槙野の溜息。「ほら良いよ、行きなよ」

「助かる」


 背後で人の近付く気配。

 どうやら碧の目的は私らしく、真後ろで動きが止まった。

 椅子の背に腕を乗せ、私の真横に顔を出した。

 打席に入る杏樹への声援が飛び交う中、私は彼女の背中の二十四番を見つめながら溜息混じりに碧に言う。


「……私が言えた事じゃ無いんすけど、自分の仕事くらい全うしたらどうなんすか?」


 大屋事変の弊害ではあるのだけれど、彼が部から身を引くと同時に、彼を目当てに在籍していたマネージャがこぞって退部してしまった。

 それはマネージャという役職が零になったという事。

 故にそれまで彼女等が担当していた仕事を部員で割り振る事となった。

 試合時の記録員もそのうちの一つ。

 春季リーグにおいて背番号のない碧は、データ収集及び自称お節介な御意見番としてベンチに入る事を望み、自ら記録員に名乗りを挙げていた。

 僅かな間とは言え、自身の我が儘で部から離れたのだ、応援要員として外にいるだけなのは申し訳ないと感じたらしく、彼女なりの恩返し、本人曰くの”奉仕活動”というヤツらしい。

 背番号の無い碧がベンチで傍若無人な振る舞いをしていられるのはそういうカラクリだ。

 ただまあ。奉仕活動と言うのなら、その挙動はあまり誉められた行為では無いのでは、と密かに私は訝しんでいたりもするのだけれど。


 この日、私はやらかした。

 平常なら碧のそのあるまじき行為を咎める所なのだけれど、そんな余裕もない位に内面は混濁。

 そのフォローを碧がしてくれた事は感謝に耐えない。

 けれど、だからと言って自身の仕事を放り投げるのは如何なものか。

 至極都合の良い言い分で、やらかした私が元凶なのだから強くは言えない立場ではあるのだけれど。

 碧もそれを解っているからか鼻で笑う。


「お前がそれを言う?」


 まあ、ご尤も。この件で言い争いなぞする気も無く、槙野の為にも要件があるのならさっさと済ませるが吉、だ。


「で、私に何か?」

「力 is パワー」

「は?」

「筋肉は裏切らない」

「だから何を言ってる」

「お前さ」碧は至極真面目な顔をした。「さっきのスリー、ラッキーヒットだと思ってるだろ」


 私は頷く。

 色々な幸運が重なった結果だと思っているのは事実だ。


「私の実力じゃ、スリー自体年一あるかないか……」


 碧はぬるりと手を出し、私の額を中指で弾いた。本日幾度目かのデコピン。


「痛え」私は咄嗟に額を抑え、恨みがましい目を碧に向ける。「何をしやがる」

「ありゃ、お前の実力だよ」碧はするりと表情を緩めた。「これ迄サボらず筋トレ続けた結果だよ。お前が思ってる以上にお前の身体は正直って事。やった分だけ字の通り力になってる。幾ら芯で捉えようが元の力がなけりゃあんなに飛ばねえよ」


 まぐれ、ではないと?

 本当に?


 俄には信じられない話だ。

 まあ、印象というものは軽く事実を捻じ曲げてしまうから、碧の言う事が事実の可能性はあるのだろう。

 けれど、これ迄に培われた非力という自己認識の所為で、そういう意味では私は自分を信じられていない。

 ただ、筋トレを続けたのは事実で、それが実を結んだという事らしい。

 実感は無い。

 それでも誉められれば嬉しいもので、喜びや報われた思いがちらりと顔を出したのだけれど、今は試合の最中、先程も戒めている、それを甘受するのは得策では無い。


「……それ、今言う必要あります?」

「え?」碧は僅かに考える。「良い報告は早い方が良くね?」 

「いや、まあ解らなくは無いっすけど、それでマキノちゃんに迷惑かけるってんなら、それは違うでしょ」

「はっ」碧は鼻で笑う。「ヒナタが迷惑? 本当にあいつがそう思ってるんなら、私は今ここにいねえよ」


 碧は顎をしゃくる。

 釣られる様にそちらを見れば、槙野がスコアブックに書き込んでいた手を止め、顔を上げた。

 どうやら話自体は聞こえていた様で、朗らかな笑みと共に私達に向けて小さく手を振った。


「な?」何故か碧は自信満々な表情。

「……な、じゃねえ。でもまあ、お言葉はありがたく頂戴しときます」私は小さく頭を下げ、溜息混じりに返す。「でも、ミドリちゃんはいい加減自分の仕事を全うして下さいよ」

「そう言うからには、お前も自分の仕事全うしろよ。三打点は免罪符じゃねえよ? お前の仕事は……」

「解ってます」私は隣で杏樹に声を送っていた湊の肩を引き寄せる。「私らで最後まで行きますよ。な?」

samozrejme(サモジィミャ)!」湊は大袈裟に頷く。


  碧は口元を上げる。


「勿論、ね。良い答えだ。頼むぜ凸凹コンビ」


 取ってつけたコンビ名を口にして、碧は片手を振りつつ持ち場に戻って行った。

 今の一連の流れに、私は何故かヒヤリとした物を感じる。

 正体は掴めない。けれど、どこか歪なそれが、違和感として私に引っ掛かっていた。

 さてこれは何だ、と自問するも、杏樹の一振りが招いた歓声によって掻き消されてしまった。

 ベンチ内には打者一巡の猛攻を讃える歓声が溢れ、私もまた、はしゃぐ湊と歓喜を共有する。


「そういや、ツーアウトだ。アンち軽く肩慣らししようぜ?」

「あ」


 自分も参加していたのもありつつ、碧に捕まったのもありつつで、アウトカウントを失念していた。

 なんたる不覚、と思いつつ、私はいそいそとレガースの準備をする。

 どこかで耳を澄ましていたのだろう、上条が繋ぎに名乗り出てくれた。


 二人の背を横目に、大急ぎでレガースを着け、プロテクタを纏う。

 ミットを抱えてベンチを飛び出した。

 横目に打席でバットを掲げる女帝の姿が映り込んだ。


「すいません、ありがとうございます」


 上条に頭を下げ、湊には片手を上げた。


「はい、これ」上条はボールを手渡すと踵を返す。去り際私の耳元で呟いた。「ミナトのペース、しっかりコントロールしてやりなよ? ちょっと回転数高い」

「……はい」


 私は小さく頷く。

 試合だから、公式戦だからこそ、テンションが上がってしまう。

 私自身もある意味ではそれに呑まれた様なものだから実感している。


 微々たる物ではある。けれど、その差異はやはり普段とは違う。

 投手は繊細なポジションだ。僅かな差異がいずれ大きなズレを呼ぶ事になりかねない。

 そして、湊にはその兆候が見え隠れしている。先程私が感じたヒヤリとした感覚は、おそらくそれなのだろう。


 ブルペンでの百球と試合でのそれとでは疲労感はまるで違う。

 集中によってそれを認識せずとも、普段より高めのテンションが無意識の力みとなって、知らず知らずのうちに当人を蝕む。本人が無意識であるなら、こちらが制御しなければ予想より早く湊は限界を迎えてしまう。

 さすがはエース。投手の生態をよく解っておられる。


「長い攻撃だからな、肩冷えてない?」


 言いながら私は球を投げ返す。

 些細な事ではあるけれど、返球の精度も投手のリズムに影響する。

 別段コントロールは悪く無いけれど、普段以上に意識しようと心掛ける。


「別にこの位どうって事ない」


 投球動作と同じ様に湊は横から腕を出した。

 肩慣らしのキャッチボールの割に心なしか球に勢いがある。

 そう感じるのは私の印象の所為だろうか。

 ミットから伝わる彼女の球威。普段なら心強く感じるそれが、この時は妙な不安に包まれていた。


「良い球来てる」そう言いつつ投げ返す。「けど、キャッチボールって事忘れんなよ? 肩慣らしだからな」

「解ってるって」胸元でボールと捕らえ、湊が笑うとちらりと八重歯が覗いた。


 フォームチェックを兼ねて、山なりの球を要求しつつやり取りを繰り返した。

 フォームの乱れは特に見られない。

 内心、制御出来ない程昂っている訳では無さそうだと安堵の一息。

 もし、逸る様ならこちらで少し間をとってやれば良いかな、と取り敢えずの方針を打ち立てた。

 調子と精度自体は良いのだ。今の所問題なくやれている。いや、寧ろ出来過ぎだろう。私自身が余裕を欠いていたので思い至らなかったのだけれど、考えてみれば出したランナーはフォアボールの一人だけのノーヒットなのだ。


 これがプレッシャにならなければ、と思った所でこの回が終了を告げた。

 荻野の放った打球は振れ過ぎた所為か一塁手を強襲、辛うじて手を出すもその勢いに押されミットがボールを弾く。けれど一塁手自身が自らカヴァーしスリーアウトとなった。

 私は湊に近寄る。


「この回も締めて行こう」そう言ってミットを差し出す。

「任せろ」


 グラブを合わせ、戦場へと駆け出す私の鼻先に一粒の雫。

 曇天に然程の変化は無い。

 けれど、生暖かい風の中に確実に水滴が混じり始めていた。

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