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アイデスの憂鬱  作者: 森住千紘
Sprouting of qualities : 2 〜 資質の萌芽 〜
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 Only one person in the lost forest 〜 迷いの森でただ一人〜

「いやあ、無理だった」


 戻って来るなり千家は苦笑する。

 ちら、とマウンドに目を向け、僅かに悔しげな顔をした。


「あのチェンジアップっぽいのがあの娘の決め球のようだね。引っ掛けさせるのを基本に、場合によっては三振も狙う。中々良いバッテリィだよ、うん」

「つうか、それはチサがダメなだけじゃね?」碧は平然と悪態を吐く。「まあ、八球も投げさせた点は評価するけどな」


 千家は涼しい顔でカットを連発、フルカウントまで積み上げた上に更にカット。けれど、最後にゾーンに入って来た緩い球を捉える事は出来なかった。


「一回見たし、いけると思ったんだけどね。アレ、多分何種類かあるな」

「うん?」碧が首を傾げた。

「同じチェンジアップだとしても意図的に変えてるのかもね。最初に見たのはどちらかと言えばシンカー寄りに滑ったけど、最後に来た球はショコさんみたいな縦軸の変化だったな、うん」

「……どちらにせよ、チサが苦手なだけだろ」

「まあ、否定はしないけど、私が言った事も事実だと思うよ?」


 側で聞いてて私も千家に同意する。

 意図的に球速の調整をするバッテリィだ、そういう搦め手的な事をしていても何らおかしくは無い。


「まあ、別にチサを疑ってる訳じゃないけどさ」碧も頷く。

「私にはちょっと相性悪い投手かもだけど、斑目なら、チェンジアップに絞っても良いかもね。ひたすらカットして、あっちが切れて空振り取ろうとしたのを、こう……」千家はアッパスウィングの素振りをする。「掬う。外に来たのに合わせてサード後方に落とすイメージかな」

「外なら出来れば強引に引っ張った方が良いんだけどな」碧が言う。「あんまりレフトの近辺に落としたくないからさ」


 思いがけない碧の一言に、私の中の悪戯心が鎌首をもたげる。


「あれあれえ、レフト気にすんなって言ったの誰でしたっけ」


 瞬時に碧は私の頬を掴む。


「あにふるんでふ」再び間の抜けた音が私から漏れる。

「さっきも言ったろ? 相手のペースに合わせる必要は無いって。ある程度結果を予想してのコース選択じゃねえか。普通は外に逃げてく球なんて敢えて狙わない。仮に手ぇ出すにしても引っ張るもんじゃねえだろ。だから逆に引っ張るんだよ。左なら逆らわなければ三塁側に飛ぶんだから、それ見越して左翼手が前進してる可能性だってあんだろ。現にミウさんもトウコさんもしてやられたしさ。あいつ、多分配球解ってるよ」


 私は頬の手を振り解き、碧を指差す。


「それだ」

「は?」

「いや、さっきの打席すけど、多分仕返しされたんすよ。私の最後の球、そのシンカーっていうか、チェンジアップだったじゃないすか。あれって、私があの左翼手を打ち取ったやり口そのままだったんすよね。別に端から狙ってた訳じゃないすけど、ずっと隠しておいて、最後の最後に、はいドン、みたいな。ついでに言えば、捕手は、これでおあいこって、意味深に左翼手見て、当の本人はがっつり私を見てましたし……」


 碧は再び私の頬を掴んだ。


「そういう事はもっと早く言えよな」碧は私の頬を掴んだ手を離しグラウンドを見遣る。「成る程、そういう事な。これで確定」

「何がです?」頬を押さえつつ私は尋ねた。

「あの左翼手がブレーンだな。搦め手のほぼ全て、あいつの発案だ。何となく違和感感じてたんだよ。過去の映像と現実の誤差っていうかな。映像ではわりかし王道なやり方だったのにも拘らず、現実は搦め手のオンパレードだろ。変化の要因は何だろ、って思ってたんだ。でもこれで解ったし、それなら、幾らでも手は打てる。と、まあ、そんな事必要ないかもだけどな」


 碧の目線の先には、二番の小澤結衣の後ろ姿。

 これ迄投じられた三球を全て見送り、カウントは2-1。バッティングカウントとなっている。


 元々クリンナップを打っていた小澤ではあったけれど、大屋体制時に繰り上げられた二番という打順と役目が彼女の中で新たなアイデンティティを獲得、監督が理香に変わり打順が再検討された時に、その場所を所望する旨を直訴したらしい。

 やりたい事がやれる、というのはモチベーションの根源となる。

 坂巻同様、最近の小澤の成績は皆の信頼に値するものとなっていた。


「ユイちゃん、小柄だけど力あるからな、強引にいける。見てろよ?」碧は横目を私に向け片頬を上げた。「流しても飛ぶから」


 私は小さく頷く。目の先で、みのりが動き出す。

 クイックモーションから放たれた球を小澤は見事に掬った。

 甲高い音と共に、白球が曇天に舞い上がる。

 碧が言った通り、アウトコースに来た球を逆らわずに強振、打球はライト寄りの右中間へ。

 ツーアウトという事もあり、ランナー二人は既に走り出している。

 二塁ランナーのみなみが三塁を回った所で、打球は端から下がっていた右翼手の手の中へ。

 確かに飛んだは飛んだ。

 引っ掛けたものではない事は明白ではあるけれど、守備位置を後ろ目にしていた右翼手の動き等から推測するに、打たされた、と見る方が妥当か。


「おい」

「飛んだろ?」悪びれる風もなく碧は平然と言い退けた。「つうか、コハク、用意しなくていいの?」

「あ」


 短い音を口から出して、私は慌ててプロテクタを纏う。

 幸いレガースは付けていたので、出遅れるという失態には繋がらない。

 湊に声を掛け並んでグラウンドに向かう。


「次で一巡するからな、気い締め直そう」

「任せろって」


 グラブを合わせ、各々の戦場へ別れた。

 少しだけ頭の片隅に靄が掛かっている。

 ランナーは出た。攻略の糸口は朧げながら提示されてはいる。

 けれど、そのどれもが今一歩の所で結果に結び付いていない。

 その割に碧達は至極楽観的に構えている様に見える。

 私が心配性なだけなら良いけれど、碧達には見えている何かを見落としているとなれば、最悪の結末を引き寄せかねない。

 仮に後者だとしても、それが何かは直ぐには浮かばない。はっきりとした答えが出ない故に思考は靄る。

 廻る回る思考、今は攻撃の事には一旦蓋をして守備に集中と自分に言い聞かせた。

 注意散漫は失態の下地。

 持ち込んではいけない場面というものは存在する訳で、この場がそれに当たる。


 切り替え、守備に集中する。

 湊に言った通りこの回で常桜打線は一巡する。

 これ迄常桜は守備に置いて小さな策を仕掛けていた訳で、攻撃にそれが無いとは思えない。

 本格的に仕掛けてくるのは主軸に周る次の回からかな、と思わないでも無いけれど、油断は禁物。

 とは言え、それが何かと問われれば、こちらもこれといって思い付く何かがある訳でもない。

 ぶつけ本番というのならそう。データはあるのにも拘らず、ノーデータの様相。


 先行きの不透明さを小さく首を振ってかき消す。

 未知の領域があろうと、やる事自体には変わりは無く、私は、私達は自分のやれる事を淡々とやるしかない。

 何かがあるというのなら、その時に対処すれば良いだけだ。

 この日の湊の調子ならば、そう難しい話ではないだろう、と自身を無理矢理納得させた。


 三回の裏が始まった。

 警戒心を全面に出して臨んだ割に何とも肩透かしな結果。

 八番はカウントを取りに行ったスライダーを引っ掛けショートゴロ。

 九番は直球を強振するもセンターフライ。

 球数も抑えられた順調な流れで一番に戻る。

 この日二度目の打席の一番を任せられている乙女。

 見極めの良い彼女は、そう易々と打ち取れる打者では無かったのだけれど、そこそこの球数と引き換えの三振というのなら、この回のリザルトとしては概ね満足な結果だ。


 グラブを合わせつつ、湊と共にベンチに戻る。

 結果は上々。今の所、守備は当初の思惑通りに進んでいる。

 そこに僅かな不安を感じるのは、出来過ぎ故の警戒か。

 上手く行き過ぎている時こそ謙虚なれ、である。

 私は戒めを胸に刻みつつ、円陣に加わる。


 迎える四回、こちらはクリンナップから。

 碧達の楽観が事実であるならば、ここら辺りで試合は動き出す筈だ。

 理香の口調はそれを肯定する様に力強く、指示を承った乙女達の返答も自信に溢れていた。


 ふと私は遠くを見遣る。

 川向こうの空の果ては明るく、曇天にも拘らず暗さは無い。

 けれど、頭上は垂れ込めた鉛色。

 頬を撫でる風は朝よりも濃度が増し、妙に湿っぽさを感じる生暖かいそれ。

 一雨来そうな予感が予感であって欲しいと切に望む。


 ベンチの片隅に腰を落ち着け、試合の行方に目を向ける。

 打席では三番に入った四ノ宮杏樹が、普段通りの豪快なフォームでバットを揺らしていた。


「さて、取り敢えず点入れないとな」


 いつの間にか隣に来ていた碧が言った。


「……その自信どっから来るんすか」割と本心からそう言った。どうも碧達が抱く様な楽観が私には生まれていない。寧ろ不安の方が大きくなりかけている。「私が言えた事じゃないすけど、詰めで結果出せてないすよね?」

「ま、今ん所はな」碧は頭の後ろで腕を組む。「けど、この回辺りから動くと思うよ? ま、ここらで動けないとなると全国なんて夢のまた夢さ」

「……答えになってないすよ」


 碧はふらりと私に顔を向けた。彼女の灰色の瞳が真っ直ぐに私に突き刺さる。


「お前は何をそんなに心配してんの?」碧は心底理解出来ないとでも言う様に引き気味に首を傾げた。「コハクも見たよな、常桜の映像」

「ええ」私は頷く。

「あれ見て、何で心配すんのさ。別に舐めて掛かってるって訳じゃないけど、力量の差は明確だったろ。守備も攻撃も、正直ウチよりワンランク下がる。仮にブレーンが加入した所で、そんな短期間でチームが劇的に変わる訳じゃない。見た所個々のポテンシャル自体もそんなに変化ないしさ」

「でも結果出てないすよね」


 私の言葉に碧は微かに目を見開いた。

 驚きを一息と共に呑み込んでから小さく首を振る。


「お前本当にどうしちゃったのさ。スタメンで舞い上がるにしては少し飛び過ぎじゃねえの?」

「え? 何がです?」

「おま……」今度は呆れを全面に出し碧は言葉を失った。溜息混じりの息を吐いて周囲を見回し、目当ての乙女を見つけ彼女を呼ぶ。「ちょっと、ショコちゃん、こっち来てよ」


 視線が交わり、呼ばれた上条がこちらに来る。

 その僅かな間に碧は皆に聞こえる様な大きな声で続ける。


「コハクがすっげえポンコツになっててさあ」

「ちょ、いきなり何を……」 


 そう言葉にするも、ベンチ内の目が一斉に私に向けられた事に気付き、一瞬固まった。

 兼ねてよりあった蟠りが完全に払拭された訳ではない現状。表面に出さずとも一年生のスタメンを快く思わない者もいるだろう。

 そんな者達にも聴こえる様に、ポンコツ称号の贈呈。

 好奇、憐憫、心配、同情と、様々な感情が私を貫く。

 暫しの空白の後に自我を取り戻す。

 ただ浮かんだ不安を口にしただけなのだけれど、碧の口調には咎める様なニュアンスがありありと滲み出ていた。


 これって私が悪いのか、と自分の中のアラを探す。

 懸念材料があるのなら、分析し打開策を練らなければならない。

 現状を分析した結果、不透明な部分が出て来てその対策を考えていただけ。

 心配性というのならそうなのかもしれないけれど、かと言って楽観的に考えて見過ごせる程小さいものでもない筈だ。

 ぽん、と肩に手を置かれ、その衝撃で私は思考の海からサルベージされた。


「あらあら、まあまあ、ラメちゃんったら、どうしたのう」親戚の叔母さんじみた事を口にしつつ、上条は苦笑混じりの笑みで碧と視線を合わせる。「重症?」

「そこまでじゃないと思いたいすけどねえ」碧はちらりと私に目を向け小さく苦笑した。

「まあ、初スタメンだしね、解らなくはない」上条はしみじみと頷く。「でも、良い加減戻って来ないと」


 碧が私の耳元で囁く。


「ミウさんがネクストにいて良かったな、バレたら交代もんだぞ」


 やはり私は何かやらかしているらしい。

 けれど、心当たりはまるで無かった。私はただ不安を覚えていただけ。それがどの様にして交代する程のやらかしまで行き着くのか、全く解らなかった。


「心配しちゃダメなんすか? 私はミドリちゃんみたいに気楽になんて考えられないだけです」 

「別にダメじゃないけどさ、あっち見てみろよ」碧は溜息を吐いてベンチ内へと顎をしゃくる。「お前を除いたレギュラ陣のどこに悲観してる奴がいるよ? 心配事を大きくすんのはお前の勝手だけど、それで普段のペース崩してちゃ、この先やってけねえよ?」

「別に崩してなんか……」

「じゃあ、何でそんなに焦ってんのさ。実質的なやらかしはまだないけど、言葉聞く限り結構まずいよ?」

「だって、寸での所で結果が……」

「だからさあ」碧は盛大な溜息を吐いて肩を竦めた。「なんで今完璧を求めるのさ。別に求めるのは構わないし、そこを目指すべきなのは解る。けど、まだ序盤を過ぎた位。結果を求めるには早過ぎだろうに。さっきも言ったけど、お前は先輩達の胸を借りてのびのびとプレイすりゃあ良いの。色んなもの抱え込んでまともに現実見れてねえ部分だけは、完全にお前の所為だろって話」

「でも、実際相手の策略に嵌まってるじゃないすか。それで不安抱くなって、そんな無茶な話……」

「ラメちゃんさあ」上条が諭す様な声を出した。「策に嵌まってるからどうなのさ。そもそもの観点が違うのよ。確かに現状だけ取り出せばそうなんだけど、だから何って話よ。もっと冷静にまわりを見てみ? ミドリが言いたいのってそこなんじゃないの?」


 上条は同意を求め碧に視線を傾ける。


「まあ、そゆ事っすねえ」碧のへらりと緩んでいた表情が一瞬で締まる。「ぶっちゃけた事聞くけどさ……」


 碧が二の句を継ごうとした時、杏樹のバットが快音を鳴らした。

 音につられ、私を含めた皆の視線が一瞬でグラウンドに向かう。

 彷徨う視点が常桜の守備の動きから打球の行方を割り出す。

 左中間を破る様な大きな当たり。

 けれど、元より下がり気味にいた中堅手が回り込む様にして落下点に駆け込み、伸ばしたグラブは白球を掴み取る。


「ああ……」落胆の声が私の口から漏れた。


 良い当たりは出るのだ。けれど、やはり寸での所で結果には繋がらない。この現実を目の当たりにしてもまだ楽観視が出来るとでも言うのだろうか。


 碧の言い分は理解出来る。けれど、それを支える物が私には解らない。解らない以上安堵出来る訳もなく、幾ら上条がフォローしたとて、真に納得出来なかった。

 寧ろ、何故にそう気楽に構えられるのか、と訝しみすら湧きはじめていた。

 いつかの凪は跡形もなく消え去り、頭上の曇天よろしく私の心は鉛色に垂れ込めていた。

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