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アイデスの憂鬱  作者: 森住千紘
Sprouting of qualities : 2 〜 資質の萌芽 〜
73/128

 Thick wool 〜 冬毛 〜

「まじかよ」


 つい口をついた言葉に、湊が反応した。


「センター寄りにポジショニングしてたとは言え、よく追い付いたなあ」


 二人で目を合わせ、二人で坂巻の後ろ姿を追う。

 ちらりと見えた主将の横顔には苦味の効いた笑みが浮かぶ。

 けれど、それはまだ悲壮感と呼ぶには些か早く、彼女の中では予想の範囲内の出来事で収まっている様だった。


 私個人の予想を超える事が起きようとも、先輩方にとっては経験の内。

 こんな所にも歴とした差がある。

 高校野球、ひいては強豪と呼ばれる場所に集う者達のレヴェルの高さを改めて実感する。

 とは言え。


「……同い年だよな? あのレフト」

「詐称がなければな」湊が言う。「関谷のチームメイトなんだから、まあ同い年だろ」

「だよなあ」


 確認するまでもない事ではあるのだけれど確認したくもなる。

 彼我の差を実感した直後に目の当たりにした現実。

 私の知る世界は狭く、現実世界は斯くも広い。

 少しだけ真面目な表情をして湊が言った。


「偶々なんて希望的観測はしないけどさ、仮にそういうシフトがあったとしても、全部が全部うまくいくとは思えない。それにチームとして今みたいな守備してんのなら、常桜はもっと上の順位にいるだろ」


 ぐぬぬ。湊らしからぬ正論。基本直感型なのに、まれにど正論を叩きつけて来やがる。

 けれど彼女の言う事も一理ある。


 私達はこの時点で、三勝三敗。序盤の連敗が響いて順位は中盤。一部との入れ替え戦への参加資格の自力獲得は中々に厳しい状況だ。

 相手の常桜もまた同じ勝率で、数字だけ見れば湊の意見は理に適っている。


「センターは定位置だったから、レフトの独断かもな」湊は一応の補足してから、自分なりの解決策を口にした。「どちらにせよ、打たされているってのなら、相手の策に乗らなけりゃ良い話、そんくらいミウさん達なら軽くやれるだろ」


 まあ、確かに、と私は頷く。

 まだ一巡目、様子見兼情報収集に使っても良い時間帯だ。


「それにさ」湊は悪戯っぽい笑みを浮かべる。「情報源は関谷だぞ。信用し過ぎも問題だろ」


 何なんだ。今日の湊は、と私は思う。

 言う事全て頷けるとは。テンションが高いと頭の回転数も上がるのか?


「……お前何なの?」細めた目を湊に向ける。

「何が?」

「言う事全部理に適ってやがる」

「アンち酷くね?」

「いや、だってさ、普段のお前ならこんな事言わんだろ」

「普段は当事者じゃないから別に良いんだよ。でも今日はマウンド任されてる訳だろ、別に誰かに言われた訳じゃないけどさ、些細な事が穴になる可能性があるなら埋めときたいんだよ」


 ああ、何となく伝わった。

 普段は巫山戯ている姿が際立って見えるけれど、湊は人一倍責任感が強いのだろう。

 たとえ攻撃に参加しないとしても、チームにプラスになるのなら頭を働かせる。

 自分の仕事にプラスαが出来るヤツという事。これも公式戦ならでは、という事か。


「……出来るなら普段からやれよ」

「手を抜いてる訳じゃないから良いだろ。それに、別に私が言わなくても皆勝手にやってるじゃん」湊は小さく息を吐いて、私の肩に手の平を乗せた。「つうかさ、いつもと違うのはアンちの方じゃね。実は緊張してるんだろ」

「な」私は驚き身を翻す。

「緊張じゃないのかもしれないけどさ、気負い過ぎっつうか、入れ込み過ぎっつうかさ」湊は肩を竦める。「いつものアンちなら、そんなに気にするプレイでもないだろ。まあ、あるよねー、くらいでさ。まあ、初先発だし、気負うのも解るけどさ、後ろ見てみ? 私らだけじゃないぜ?」


 ぐぬぬ。言われてみれば心当たりが出て来る。

 つまり、凪はまやかし、実の所私は気負っていたのだろう。

 まさか投手に慮られるとは。とは言えこれは事実。

 そんなん認めないゾ、なんてちんけなプライドなんて持ち合わせていない私なので素直に謝罪する。


「ごめん」

「……マジか」

「え?」

「え?」少し遅れて湊の声が重なる。


 引き気味に驚いた顔をした湊に対しての私の反応。

 そんな私に対して更に驚く湊。一瞬の間、二人の目が合った。


「マ、マジで気負ってたのかよ」湊は半笑いで言った。

「らしいね」素直が一番。私は肩を竦める。「言われるまで気付かなかった。気負ってるっつうか、視野が狭くなってたな」

「へええ」湊が目を丸くする。「アンちでもそういう事あるんだな」

「私を何だと思ってるんだよ。言っとくけどな、私はただの女子高生だぞ? スキル持ちの異世界人じゃないからな」

「ちょっと何言ってるか解んないけど、普段通りに戻ったのなら、まあ良いさ」


 こうすべきだ、と解っていながらも、こびり付いた不安が思考を歪ませる。

 身体は正直とはよく言ったもの。

 僅かな不安であったとしても、それはいつの間にか全身に浸潤し動きを鈍らせる。

 強靭な精神とは、それらの無意識に抱えている不安すらも己の制御下に置くという事。

 別段、自分はメンタル強者とは思っていなかったにせよ、これは下方修正案件だなあ、なんて事を思う。

 けれど、解ってよかった。現状を見つめる事こそ解決の第一歩、理解した私は、それ以前の私を超えている。


「お」湊が手を翳し空に目を向ける。


 自分会議を急遽終了させた私もまた、湊に倣い目線を空に。

 上がった打球はこれまでの例に漏れず、右翼手の定位置へ。


「カナちゃんも上げちゃったけど、ライトに打った」湊は口元を上げる。「対左は流させたいのかもしれないけど、こっちは別に強攻が出来ない訳じゃ無い。こういう言い方はアレだけどさ」


 湊は攻守の入れ替えに向かうグラウンドを背にして、周囲を窺いつつ素早く言った。


「私ら一年だぞ。口ではああ言うけどさ、ミウさん達が私らに全てを背負わせる訳ねえだろ」湊は笑みを浮かべ、私の背中をグラブで叩く。「やれる事だけやろうぜ、相棒」


 湊は片目を瞑り、八重歯を覗かせた。


「……そうだな」


 私は顔を上げ、湊と並んでグラウンドに向かう。

 確かにこの試合の捕手は私だ。なのでその場その場での判断はしなければならない。場合によって、試合の流れを決める決断を私がするのかもしれない。自分が至らないのは解っているので、良いのかな、という自分への不信感が纏わり付いている。私の決断が流れを負けに誘う可能性。ここまで先輩方が築いてきた物を私の決断が崩壊させる。その恐れや不安が、気負いの原因。


 けれど、冷静に考えてみれば、やらかした時点で私は退場、制限は設けられている。

 言い方は良く無いけれど、そこまで信用されてはいない。それでも、やれる環境は用意したので、やれるだけやりなさい、という先輩方からの贈り物。

 湊の言う様に、重く捉え過ぎていたといえば、その通りだ。

 相手を無駄に大きく捉え、強敵だと思い込み不安がっていただけ。

 一人相撲とはまさにコレ。

 改めて冷静に自分を見つめると、滑稽にすら見える。そりゃあ、湊もああ言うだろうよ。


 けれど、目は覚めた。

 私の基本方針は客観視だ。無駄に相手を大きくする事もなく、逆に下に見る事もしない。ただ、そこにある物を見るだけ。そして、自分の出来る事を淡々とするだけだ。


 二回裏が始まる。 

 チームは未だにノーヒットではあるけれど、グラウンドの面々に不安の文字は欠片もない。これが現実。

 私もまた扇の中心で声を張る。

 響く私の声には力強い返答が返って来る。


 慣れ親しんだプロテクタの重みと、マスクで遮られる視界。

 腰を下ろして見る世界は、私に再びの凪を届けてくれる。

 おそらくこれが経験から来るものなのだろう、と思う。

 これまでに何度も、この場所で絶望じみたシチュエーションを味わってきた。手痛いダメージを負う事もあれば、まさかのシャットアウトなんて事もあった。それら全てが私の頭の中に詰まっていて、この位置にいる時だけは常に客観的視点を持てるのだろう。


 常桜に関して、映像を見た時から思っていた事がある。

 一巡目という事で様子見を考慮したとて、正直な事を言えば常桜打線にはあまり脅威を感じてはいなかった。普段から女帝率いる主力の力を見ているからかもしれない。別に相手を下に見ているつもりは毛頭も無いけれど、普段見ている女帝達との対比での判断。それもあっての凪の再来なのかもしれない。


 五番から始まった二回裏の常桜の攻撃。

 データで傾向が解っている相手という事もあり、五番はインコースの吊り玉でセカンドゴロ、六番は外に逃げる湊の新球、スライダーでライトフライに打ち取った。


 上々。二本指を立てる私の声も、同様に返って来る仲間の声にも活気がある。

 湊に至っては、余程気分が良いのか、王様然とした態度でマウンドに鎮座していた。


 その湊の視線がちらりと流れた。

 まあ、解るよ、と思いながら、私もまた視界に次打者の姿を入れる。


 ネクストからゆるりと抜け出す、中肉中背のどこにでもいそうな乙女。

 太い二重と涙袋、僅かに垂れた目尻が眠たそうな印象を抱かせる。

 投手を除いた常桜のスタメン唯一の一年生、関谷みなみの元チームメイト。みなみ曰くの、平均値のど真ん中、磯田いそだ智代子ちよこは緩りとした足並みで手にしたバットを弄ぶ。


 ちょこんと頭を下げつつ覇気なさげな声で挨拶をしてから、右のボックスに足を踏み入れた。

 スクエアスタンスに足の開きは肩幅、立ち位置はやや後ろ目。

 これといって特徴のないフォームに、指三本程度短めに持ったバット。


 活気が感じられないのは性格故か、先程坂巻の打球を見事に捕獲した乙女は、静かに手の平をマウンドに向け足場を慣らしつつ軽いルーティンを挟む。

 その最中、環境音に溶け込みそうなか細い声で言葉を放つ。


「失礼を承知でお聞きしますけど、もしかして二年生ですか?」

「いいえ、一年ですよ」


 突然の声掛けに対し驚きつつも私は出来る乙女、丁寧な言葉遣いには丁寧な返しをするのが礼儀、と淑やかに返した。


「ああ、やっぱり」智代子は何かを納得した様に独言ちてから、眠そうな目を三日月型にして私に向ける。継いで出た言葉はありふれた物だった。「私も一年生なんです。お互い頑張りましょうね」


 まあ、解る。

 敵味方とは言え、私達は同い年且つ野球を嗜む乙女だ、会話自体に違和感は無い。

 けれど、打席での短い時間に交わす必要があるのかと問われれば、実に微妙。

 薄らと頭の中に訝しみが湧き出すのを一旦見ない事にして、私もまた当たり障りのない言葉を返す。


「ええ。では最初の勝負ですね、同じ一年生同士で」

「はい」智代子はマウンドに顔を向けたままそう言った。


 鍋底にこびり付いた残り物の様な僅かな違和感。

 その正体は朧げでうまく掴めない。けれど、それは一旦頭の片隅に。この場でのプライオリティは確立されている。


 今一度みなみに貰ったデータを読み込む。加えて湊の言葉も。凡庸な選手という評価と、それを鵜呑みにするなという警告。

 結局その場勝負かよ、という愚痴めいた結論を呑み込み湊にサインを送る。


 智代子はバットを短めに持っている。コンパクトなスウィングの為か、単純に力不足か。

 体躯を考慮すれば前者。仮に後者であっても、右対右、加えてサイドハンドの湊だ。様子見とするなら比較的リスクの少ない外角が妥当。

 湊がプレートの三塁側に立てば、右打者からすれば自分の背中よりも外から球が来る様に見え、ただの直球だとしても角度が付いた球となる。

 なので先ずはアウトローに直球を要求。真ん中さえに入らなければ、別に外れても問題ない。


 湊が始動。

 懸念は払拭されはしたけれど、やや外に外れるコース。

 まあ良いか、と思う私の傍で智代子は思い切り踏み込む。

 濁った金属音と共にボールは真後ろを駆け抜ける。

 ラッキー、と思う傍で、数々の思いが立ち昇る。

 バットを短く持っているのにも拘らず、外角に対しての躊躇の無さ。

 完全なボール球に対して手を出した意味。

 そして、打ち損じたものの、初見で湊のアウトローの直球にタイミングが合っていた事。

 偶然と捉えるか、その裏にある意図を読むか。瞬時にそんな事が頭の中を駆け巡る。

 湊は湊で、初見で当てた事に感心している様子。表情を見る限りネガティブな感情が出ている訳では無さそうなので、そちらはおそらく問題ない。

 まあ、一球だけで解る訳ではないので、様子見をもう少し続ける。


 続いて、新球の速いスライダーを内側からゾーンに入れる。

 インローギリギリに入るのがベストではあるのだけれど、湊にはそこまでの精密さを求めない。

 これも真ん中に入らなければ良い。

 湊の調子は悪くはない。けれど今回はそれと制球はあまり関係なかった様だ。

 湊の投じたスライダーは、ダメだっつってんのに、見事に真ん中に滑ってゆく。

 ですよね、と思う私。

 智代子は再び手を出した。


 短い音と共に今度は三塁線側に転がっていった。

 安堵の傍、もしや、意外と振り回すタイプなのかな、と考える。

 手を出さなければ当たりはしない。

 当たれば何かが起こるかもしれない。

 ただ、望むべく未来を勝ち取る為のミート力はあまり感じられない。

 甘く入ったスライダーだ。出来る乙女なら間違いなくフェアに入れるだろう。


 二球続けてのファールで形としては追い込んだ。

 けれど、現状はあまり良いとはいえない。

 振り回すタイプ確定なのか、はたまたカット打ちが得意というだけなのか。

 軒並みカット打ちが得意な打者は目も良い。その割に選球は雑に映る。打席の乙女がどのような選手なのか、掴めそうで掴めていない。


 一球試してみようか、と思い、アウトローに明らかなボール球を要求する。

 外したと悟られたくないので、湊には力を込めて貰う。

 間違っても中に入れてくれるなと念じつつ構える。

 今度は要求通りボール一個分外の完全なボール球。

 けれど、智代子は再び躊躇なく踏み込みバットを振り抜いた。

 短く持ったそれと、角度のついた軌道の所為で、打球は鈍い音を鳴らし一塁線のファールゾーンへ流れていった。


 成る程。この程度外れていても手を出して来るのか、と打球の行方を眺めつつ私は思う。

 若干力負けした故の一塁線へのファールではあるけれど、一球目と同じくタイミングは悪くない。

 なんなんだこの娘は、という得体の知れない不安が一瞬脳裏を過ぎる。

 いやいや、と不穏さを一旦頭の片隅へおいて、次に移行。

 あまり湊には繊細な要求をしたくはないのだけれど、致し方なし。

 ダメならダメで更に次のプランに行けば良い。

 今度は当ててもファールになりやすいインローに、保険をかけてのツーシーム。

 あわよくば内野ゴロ、ファールになっても布石としては問題ない。

 果たして、目論見通りといえばその通りだけれど、僅かにモヤる。

 掛けた保険が功を奏したのか、やや真ん中寄りに入ったツーシームは弾き返されるも三塁線を切れていった。


 足元を慣らす右打席の乙女は飄々とした、という表現がしっくりくる。

 四球続けてファールを打つも、何かを待っている様な素振りも無い。

 ただ目の前に来た球を打っている、そんな印象。

 そんな事あるのか、と頭に中に疑問が湧き出すけれど、やはりそれは締め出しておく。

 余計な思考は後回し。布石は打てた。さて、勝負。


 これ迄直球系の速い球を選択してきた。

 内外と使い分け、どのコースもまあ当ててくる打者というのも解った。

 では、これでどうだ、とこの試合初めてのシンカーを解禁する。

 別に出し惜しみしていた訳ではない。常桜は全体的に前のめりの打線なのだ。空振りを取るより、打たせた方がテンポが良いと判断したまで。


 湊が頷く。

 高く足を上げ、大きく踏み込む。

 グラブを抱え込み、右腕が撓って、球が弾けた。 

 ここまで直球系を続けたのだ、ここでの緩い球で崩されない者は、湊を知り得る者しかいないだろう。

 智代子もまたタイミングを狂わされた一人。

 踏み込むも身体は前のめりになる。

 けれど、ギリギリで留め、何とか手を出す。

 見逃せばシンカーはインローに落ちる。

 バットが空を切った。

 審判のコールが響く。

 何処となく嬉しそうな表情でベンチに戻る彼女の後ろ姿を横目に、私達もまたベンチに帰還する。


「ナイスピ。コースもバッチリのシンカーだった」私は湊とグラブを重ねる。

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