A tactician with sheep’s skin? 〜 被るは羊毛? 〜
蓋を開けてみればなんて事は無い。
先頭打者こそフォアボールで出塁を許すも、次打者を三振に仕留め、続く打者は内野ゴロ。
当たりが悪かった所為で進塁打となったけれど、何ら問題はなかった。
ツーアウト二塁で四番という、中々のシチュエーションにも拘らず、私の心は凪いでいた。
普段目にしていても、おそらくこうだろうと予想していても、湊の背後にいる先輩方の心強さはこの場にいないと実感出来なかったもの。
ボールが前に飛べば何かが起こるのは確かのなだけれど、そこに不安はまるでない。
当初は緊張があった湊もまた、普段通りの彼女に戻っていた。
初めての公式戦という状況は既にどこ吹く風、その姿は堂々としている。
本人曰くの嬉しくて仕方ないという表現は、何の比喩でもなかった様だ。
不安要素が無いと言えば嘘になるけれど、それ以上に安堵が私を支配している。
あとは慢心しなければいいだけの事。
幸いにも相手チームの打線はほぼデータ通り、今は未だ選択肢は出てこない。
欲しい結果が思い通りに手に入る、そんな感覚。
目論み通りに打ち上げさせ、内野フライで初回を終えた。
ベンチに戻る最中、湊とグラブを合わせる。
「良いね」
「フォアボールはしくったけどな」湊は僅かに苦笑する。
「いや、あれは私の責任だよ」私は肩を竦める。「狙い過ぎた」
そんな私の背中に僅かな衝撃。
「冒険する所では無かったのではなくて?」この日、定位置を私に譲り、一塁に就いていた女帝が言った。
「一番は目が良いので、見せときたかったんすよね。際どい所を突けるって」
「まあ、今日の捕手は貴女。別段間違った事を言っている訳ではないし、制限以内なら好きになさいな。ただ、投手の状態を見極めるのも捕手の役目。無闇に球数を増やすのはあまり歓迎出来ないわね」
「そうすね、肝に銘じます」
「殊勝な心掛けね」荻野はそう言って笑った。
ベンチに戻り声出しを終えると理香に呼ばれた。湊を連れて彼女の下へと馳せ参じる。
「まあ、上々。丁寧さが裏目に出たな」
「はい」私は頷く。言い訳に聞こえるかもと思いつつ、こちらの意図はしっかり相手に伝えるのが良いコミュニケーションの秘訣。私はそれを遵守する。「どちらかと言えば、打撃寄りの一番と判断しました。足も怖く無かったので、仮に出られても、まあ、どうにかなるかな、と思って……」
理香の眉間に皺がよった。
おっと、逆効果だったかも、と冷や汗がたらり。
「じゃあ、二番はどうすんのさ。一番が出塁した場合、バントなり強攻なりでピンチになる可能性の方が高いだろ」
「正直な事を言うと、一番より二番の方が与し易い印象でした。だから仮に一番に出られても、切れるかなって。過去の映像から、バントは苦手なの解ってましたし」
「ふむ」理香は表情を緩める。「ちゃんとデータ頭に入ってんな」
こくり、と私は頷く。
「ただ、油断は禁物。データのない娘が一人いる」理香はちらりとベンチを見遣る。指を動かし誰かを呼んだ。
横目にはボックスに入る女帝の姿が映る。
守備位置こそ違えど、攻撃面での役目は普段通り。醸し出す雰囲気は、相手が誰であろうと王者のそれ。ボックス付近が静寂に沈む、そんな錯覚さえ覚えてしまう。
「何だよ、まだ根に持ってんの?」
碧の苦笑じみた声で我に返った。
声の方に顔を向けると、やはり苦笑を浮かべた碧と、不貞腐れた顔のみなみがいた。
どうやら理香が呼んだのはみなみだった様だ。
「別に、そんなんじゃないですけど」みなみは口を尖らせる。
「もう一人いたんだと」碧が言った。「リカちゃんが言ってたデータないヤツ。それ、こいつの元チームメイト」
「そうなん?」私はみなみを覗き込む。
「なんかさ、ピッチャ辺りの事は滑らかに喋るのに、その子に関しては重いのよ」碧は溜息混じりの息を吐く。「まあさ、打者データは守備に直結すんじゃん、コハクへの当て付けかと思ってるんだが……」
また、この我が儘プリンセスは、と私は肩を竦める。
先の碧の言葉の意味が解ると同時に、そんな言葉を公言すれば、みなみは疎か、私も気まずいではないか。
そういうとこだぞ、と碧に言ってやりたい。まあ、言わないけれど。
「別に、大した選手じゃないから」
渋々じみてはいるけれど、みなみなりの意思の主張。
取るに足らない相手だから伝える必要がない、とはみなみらしいと言えばそう。
正否は置いておいて、まあ、その中の数%は碧の言い分が含まれてるのだろうなあ、と私は邪推する。
「と言ってもさ、どんな選手であれノーデータよりはデータ有りの方が良いに決まっている。あるなら欲しいというのが私の本音。打席には立つんだ、あるなら欲しいよ?」
「どんな選手か判断するのは各々次第。いいからさっさと吐け」埒が明かないと判断したのか、理香の強声が降った。どうやら、私達の関係性を考慮して、本人の口から語らせたいらしい。
理香に背中を押され、基、蹴られたからか、あからさまな溜息じみた息を吐いて、みなみは渋々語り出した。
「ホントに大した選手じゃない。打撃も守備もそつなくこなすってゆうか。穴がないって言えばそれが利点くらい」
「ふうん、で、苦手なコースとかは?」
「ない」みなみは即答する。「つうか、得意なコースもない。どんなコースでも打つ時は打つし、凡打もする。バントもヒッティングも、技術もフィジカルも全部普通。シーズン通して二割六分辺りをずっと続けてる感じ。下がりもしなければ、上がりもしない。何の特徴もない、その他大勢って言葉がぴったりな娘」
モブ、という言葉が頭に浮かぶ。
けれど、ある領域ではモブすらも強敵になるという話もある。モブだからと言って、じゃあいいや、にしてはならない。たとえみなみがモブ扱いしたとしても、現状一年生でスタメン出場しているのだ。そこをまず認めなくては。
私はちらりと、碧に目を遣る。ぴたりと我が儘プリンセスと目が合った。
「仕方ねえな」私の懇願じみた目線を受けて、溜息混じりに碧は頭を掻いた。「関谷の言い分通りなら、大して怖くない。けど、スタメン抜擢されるからには意味がある。偶々空きがあったからそれを埋めたのか、はたまた別の意図があるのか」
「それで?」
「実際見るしかなくね?」
「おい」私は碧に白い目を向ける。
「だって仕方ねえじゃん。平均値のど真ん中にいるヤツに特徴付けしろって言われても、難しくね?」
「まあ、確かに」
仰る通り。意味ないじゃん、なんて言わない。たとえノーデータに少し毛が生えただけだとしても、それは既にノーデータではない。まあ、利点は微々たるものではあるけれど。
「それよりさ」碧が顎をしゃくる。碧の示した方向には、凛とした女帝の御姿。「見とけよ、ミウさんがどう攻略するのかをさ」
相変わらず柔和な笑みを湛えているマウンド上の乙女。
鳴海大葉山の荻野といえば、全国区で知られている名前。
普通なら畏れを抱くと思うのだけれど、彼女からはその様子が微塵も感じられなかった。フォーム同様、中身も綾と似ているとでもいうのだろうか。
醸し出す柔らかい雰囲気とは裏腹に、私には嫌な予感が纏わり付く。
それは、僅かずつ現実に侵食してくる。
荻野に投じた五球目。
端から見れば高めに浮いた直球のそれ。
外角に来た球を荻野は逆らわずに振り抜く。
良い音を出してレフトに飛ぶけれど、先の回の杏樹同様、定位置の左翼手の手元にぽとりと落ちた。
「……おい」私は隣にいる碧を見遣る。
「へけ」片目を瞑って舌を出す。
「……攻略法とは?」
「打ったじゃん」碧は平然と言う。「良いか? さっきのアンジュもそうだけど、相手の思惑とすれば引っ掛けさせるのが狙いなのよ。そういう意味では打ち上げるのはボールを捉えてる証拠。あとは角度とタイミング、っと」
碧は慌てて口を抑える。
成る程。出来る出来ないは置いておいて、打ち上げる事が攻略の糸口という事か。
それはつまり、しっかりと当てる事。
いや待て、そもそも当たり損ねを生じさせるのが相手の意図で、それを当てるとなると……。
はい、振り出しに戻る。私の苦悩を読み取ったのか碧は声を出さずに笑う。
「悩め悩め。で打席では打て、そして守備に持ってくな」
無茶な事を平然と言いやがって、と恨めしい目を向けてやる。
「思った通りね」メットを片しながら、荻野はグラウンドを見遣る。「これで終わりって訳ではないのだろうけれど、現時点でも中々に良い投手ね」
「ですよねえ」碧が相槌を打つ。「で、どうでした? 打った感想は」
「クセのない良い直球だから当てれば飛ぶ……」荻野が何かに気付き口元を上げた。「これ以上はやめておくわ。誰かさんに聞かれるのは癪だもの」
「ですよねえ」同じ言葉を再び碧が口にする。目線を女帝から私に戻し口を開いた。「丁度良い相手だと思うよ、コハクにとってはさ。せっかくの晴れ舞台だ。守備だけじゃなく、攻撃でも魅せてこいよな」
「はあ」私は曖昧に頷く。
碧が私に対し発破を掛けているのは解る。
ただ、解決策は未だ見えず。
そう思った所で、実際自分の目で見ていない事に気付いた。
我ながら愚か。情報に遊ばれる愚民のそれだ。
碧の予想通りなら、私のチャンスは三回程。最低でも二打席は確定なのだから、一回見る事に徹すれば、あるいは、と考えの方向転換を図る。
考えてみれば、打ち損じが前提ならば端からそうすれば良い。
打ち損じたとしてもフェアゾーンに入れなければ良い事。そういう意味で見る事に徹するのは割と得意分野だ。
少しだけ気が楽になったなあ、なんて思いつつ、私は湊を探す。
春の日に見た様な、大股開きのどでかい態度でドリンクを啜る姿には、萎縮の二文字は皆無だ。
「やる?」
私の肩慣らしの仕草に、湊は頷き立ち上がる。
ベンチの横に行きつつ、グラウンドに目を遣る。
打席では五番の坂巻がバットを掲げていた。
別に大した意図はなかった。ただ、打撃もそこそこ良いものを持っている湊に、世間話程度にきいてみた。
「お前なら、どう打つよ?」私はマウンドに顎をしゃくる。
「え?」湊もまた私と同じ方向に目を向けた。「そうだな、低めは捨てるな。見た所一打席に何回かは高めがあるっぽいから、それ狙いだな。後は、球筋によって打ちやすい方で捌くか」
「……お前妙に器用だもんなあ」
目の前のチャーミングな八重歯の乙女は、普段の挙動や、その風貌に似合わずと言ったら多少失礼に当たるのかもしれないけれど、器用なのだ。
親がトレーナという環境故の教育方針らしいのだけれど、左右バランス良くがモットー。
その教育の賜物か、目の前の乙女に右左の差はあまりない。
打席は両打ち、ファーストをやるならば、グラブは右手と、何とも汎用性に富む。
そしてある程度はそつなくこなしてしまうのだから、左でしか打てない私としては少々羨ましくもある。
「……の割にカットはダメだったけど」
「まあ、向き不向きはあるからな。でも、スライダーはなんとかなったじゃん」
「まあね」私は頷く。「ああ、そのスライダー。今日は結構良い感じだから、も少し頻度上げるか」
「rozumim」
テンションの高さ故か、この頃にはあまり出なくなっていたチェコ語が飛び出した。
当初よく飛び出していたものだから、簡単な言葉は頭の辞書にインストールされている。
rozumim=了解。
縁のない言語とは言え、慣れるものだなあ、なんて事を思いつつ、キャッチボールを始める。
湊の調子は良い。指の掛かりはアップ時同様に良いらしく、直球は普段以上に力強い。
制球も普段通りまで落ち着いた。
この先ノーデータの乙女がいるとしても、この調子ならそう大きな当たりには繋がらないだろう。後は、湊の勢いを制御出来るかという所。
テンションの高さは、無意識の力みを生む。
調子の良さも拍車をかけ、普段よりもオーバペースに陥りやすい。
ましてや試合。練習とは勝手が違う。この点は捕手である私の役目だ。彼女の崩れは私の責任、改めてそう心に刻み込む。
湊に球を投げ返したのと同時に、坂巻が荻野達と同様の大きな当たりを放った。
荻野がそうした様に、湊が言った様に、坂巻もまた高めに来た球を逆らわずに打ち返した。
打球は左中間に伸び、これまでの経験則が落ちると予測する。
どこまでが策なのかは解らない。
けれど、一人だけ打球を予測していた乙女がいた。
左翼手を担う彼女は、元より守備位置をセンターに寄せており、それ故、坂巻の打球に追いついてしまった。
偶然と捉える方がしっくりくる様な、博打にも似たそれ。
それをこなしたのは、ノーデータの一年生。関谷みなみの元チームメイトだった。




