Open hand 〜 奇襲 〜
誤算と言えばそうなのかもしれない。
けれど、可能性として考えるのならそれは大いにあり得た事。
何せ、私達自身が同じ策を講じていたのだから。
情報が結果に影響する昨今、勝ちを求めるならば些細な事でも味方につけるべきなのだ。
誤算というのならば、目の前の出来事を現実として早々に受け入れてしまった、考慮すべき可能性を早々に排除してしまった私達に非があるだけの事。
とは言え、それだけで結果が決まる訳はなく、結局スタートの立ち位置が同じ場所に落ち着いただけ。誤算なんて大層な言葉を使いつつも少し驚いた程度の事で、チームとして被る影響はそう大きくは無い。
曇天の空の下、先攻葉山、後攻常桜で始まった春季リーグ第七節。
私達の初舞台は多少の驚きというイレギュラを内包しつつ幕を開けた。
攻撃における対応や方針は女帝や監督に丸投げし、私達バッテリィは自分達の事に集中出来る環境、それが一年生として所属する私達の立ち位置、ある意味個人的なアドバンテージだ。
私は九番、DHが適用されているので湊に打席は無く、攻撃中に使える時間はそこそこある。二人で軽くキャッチボールをしつつグラウンドを眺める。
私達の傍にはバッテリィコーチよろしく、碧が佇んでいる。
「奇策と言えば、まあウチもだかんな。有利性が消えたところで振り出しに戻っただけ。不利って訳じゃない」碧の言葉は演説じみてくる。「だから、お前らは自分のすべき事を淡々とやるべし、ってな」
「解ってますよう」
「でも、何か縁感じちゃうよな」湊が言う。「さっき話したのも神のお導きかもってさ」
「お前、キリシタンなの?」球を投げ返しながら私は言う。
「いや、そこまでの信心はないな。ま、あっちでは習慣で教会には行ってたけどさ」
「文化の差ってヤツだな」碧が言う。「私も行ってた時期あるよ」
「そうなんすか」
湊と碧の文化談義に耳を傾けつつ、私の目はグラウンドに向いていた。
かつてのみなみのチームメイト。
茶色のショートに細い目、すらりと伸びた手足の乙女は、先程の柔和な雰囲気を漂わせつつも、その姿は凛としてそこにある。
佐伯みのり。
彼女は常桜学園の先発としてマウンドに降り立っていた。
振りかぶらずに足を上げ、その頂点で僅かに静止。
再始動。
踏み出し、グラブを抱え込み、スリークォーター気味に右腕が出る。
素直に見える直球は、程良くスピンが掛かり、真っ直ぐに捕手のミットに届く。
フォームはどことなく香坂綾、球筋は青山圭に似ている、と私は思う。
先頭打者の千家知沙が、一番の役目を全うすべく目を光らせている。
直球主体のリードらしく、それならばカットは容易と、千家は三球連続でファールで粘る。
欲しいのはデータ。
未知の投手ならば、その球種と質、それらを踏まえたリードの傾向、打たれた際のフィールディングと判断力と得るべき情報は斯くも多い。
これまでのデータがある事を承知の上で繰り出した、ノーデータの一年生を先発させるという奇策で始まった、両チームの立ち上がり。
常桜の三人に深い意図はないとは思うけれど、試合前に会話したのは相手にとってまずいのでは、と私は訝しんでいた。
いずれ解る事だとしても、その人を知る者がいる事でノーデータ足り得なくなる。
懐かしいからと言って、自ら素性をバラすのはどうなのだろう。
考え過ぎかもしれないけれど、素性が露呈しても問題ないと捉えているからか、それとも本当にただの無邪気か。中々に判断に困る。
一応みなみの一件については上に報告済みではある。
ベンチではみなみが理香や荻野といった重鎮達から質問責めにあっているのが横目に映る。
「関谷とあのピッチャのバッテリィで全国行ってんだろ?」腕を組みマウンドを見つめながら碧は言う。「コハクはどう思う?」
「関谷の妄想の類なら良かったんすけどね」キャッチボールを続けつつ、碧の問いに答える。「事実とするなら、まず一つ。関谷が短期間で超絶劣化した。二つ、失点以上に得点する脳筋打線、三つ……」私はちら、と碧を見た。「あとは、何でしょう?」
「……おい」碧が白い目を向ける。「一つ可能性忘れてんよ。んで、それが多分答えだな」
「何すか?」
「解んない?」碧は挑戦的な目をする。「じゃ、ヒント。関谷は多分変わってない」
「あいつがあのまんまとしたら、やっぱり脳筋……」私は閃く。「その逆すか?」
「逆とは?」
「守備特化っすね、多分」
碧は人差し指を私に向けた。
「正解。お前らから話聞いてすぐに検索したのよ、関谷のいたチームの戦績。本人の主観があてになんないからな」碧はニヤリと笑う。「でだ。結果だけ見れば……」
鈍い音が響き、私達は反射的に音のした方に顔を向けた。
遠目に、苦い顔で一塁に走る千家の姿が映り込む。
「へえ」碧は片頬を上げ目を細めた。「チサがやらかしたか」
千家のこれまでの出塁率はチームトップ。
球の見極めがしっかりしていて、クサい球をカットする技術に加え、ミートゾーンも広い理想の一番打者だ。
初回、見る事に徹した彼女は冒険はしない。
その状況下での内野ゴロ。
緩い球が苦手という弱点があるにせよ、引っ掛ける姿はあまり見た記憶がない。
「ほぼ確定だな」碧が言った。「去年の戦績見たけど、大抵はロースコア。その谷間に大量失点の試合が混じってた。これはどういう事か」
「調子の波が……」私は別の視点に気付き首を振る。もっと現実的且つ簡単な答えがある。「投手が違うからか」
「そう」碧は頷く。「守備型のチーム、捕手関谷を考慮すると見えてくるだろ。あのピッチャがどういうタイプか」
「香坂と似たタイプって事すね」
「方法論は違うけど、多分な」碧はふう、と溜息に似た息を吐いた。「まったく一年生なのに大したもんだ」
実際打席に立ってみないと解らないけど、と前置きしてから碧は言った。
「関谷がいたチームは捕手の負担が少ないチームだ。まあ、これは結果そうなった、と思うけどな。大量失点に関しては投手側の問題もあるんだろうけど、関谷が捕手って事で大方の説明がつく。で、主役の彼女だけど、捕手のリードがあてにならない状態で、どうやって抑える?」
私が答える前に、湊が口を開いた。
「組み立てもあの娘がやってたって事すか?」投手として思う事があるのか、僅かに尊敬の眼差しで湊はマウンドを凝視する。
「半分くらいはそうだろうな」
「もう半分は?」湊がきいた。
私は恐る恐る、思い付きを口にする。
「魔球並みの伝家の宝刀持ち?」
「ある意味な」碧は笑う。「でも、お前の想像するのとはちと違うだろうけど。相方が関谷ってのを考慮すると、おそらく彼女の決め球は空振りを取るものじゃない。あれは凡打の山を築き上げる類のヤツだ。加えて、チサがやらかしたろ? ぱっと見区別し難いんだろうな」
成る程、と素直に感心した。
腑に落ちる答えだ。
みなみがかつて在籍したチームは守備型のチーム。守りは固く、引っ掛けさせれば大方アウトを取れる。打たせて取る事に特化したタイプの投手との相性は非常に良い。ここまではよくある事に含まれるのだけれど、この先なのだ、問題は。
「投手が組み立てをしてたって話すけど、あの関谷が了承します?」
「多分しないだろうなあ」私の問いに碧は即答した。そしてニヤリと笑う。「な、おっかねえだろ? あの投手」
私の結論は碧のそれと同じ所に辿り着いた様だった。
「そうすね、やばいすね」
「語彙失ってんぞ?」碧が再び笑う。
「どゆことよ、アンち」
キャッチボールを一旦辞めて、私達の会話に混ざりつつ二番の小澤の打席を見ていた湊が説明を求めた。
「リード無しっていうか、関谷のリードでも打たされるって事だよ」
「んな事ある?」
「あるんだろ、多分。実際チサさんも打たされた訳だしさ」
再び鈍い音がして、私達の表情が曇る。
内心、これは確定だなあ、なんて事が浮かび、さてどうしよう、に移行した。
「打席で見ないと断言出来ないけどさ、ほぼ一緒なんだと思う。全ての球の軌道が」
「そんなん、あり得ないだろ」湊は鼻で笑う。「それじゃ、緩急も使わないって事になるじゃん。そんなんで抑えれるかよ」
「結果論だけど、打ち損じれば打者の負け。緩急はその方法の一つであって、別に必須って訳じゃないだろ」
「いや、でもさ……」
「ミナトさ」碧が湊の肩を抱く。「お前カット練習してたよな? あれ何の為よ」
「あれは……」ここで漸く湊は合点がいった様で、小さく頷いた。「そういう事か。いや、でもなあ、アンちぃ」
「それが出来るから、出来たから、あいつらは全国行って、今チサさん達は引っ掛けてんだよ、多分」
そう言いながらも、私は半信半疑の心持ちだった。
そんな事が現実にあるのだろうか。
欲しい結果に結びつける為の道はかなり狭い。ほぼ綱渡りと言って良い。
幸運が味方した偶然と考えた方がまだ納得が出来る気がする。
推測とは言え、手元に来るまで違いが解らない球なんて、打つ方からしたら博打もいい所だ。
私がモヤる傍で、碧は普段通りの声を出す。
「全国って言ったって一回戦で負けてる訳だから、そんなにビビる事でもないだろ。ただまあ……」碧は穏やかな笑みを浮かべながら勝負するマウンドの乙女を見つめる。「推測が事実とするなら捕手的にはかなり魅力的な投手だよなあ、リードが楽って意味でさ」
「まあ、そすね」私も碧に同意する。「ただ、実際対戦するとなると面倒すよね。直球と変化球の見極めが難しいから、ヤマをはって対処。あんまり博打は好みじゃないすよ」
そんな私の言葉に対し、碧はニヤリと笑う。
「って、思うじゃん」
思わせぶりなな態度を取る碧に対して、興味半分お約束半分できき返す。
「……なんか攻略法あるんすか?」
「まあね」悪戯を思い付いた子供の様な顔を碧はする。「でも、そこら辺自分で対応してかないとこの先キツイ。答え合わせは試合後だな」
「なら、いうなよう」
別に本格的に落ち込んだ訳ではないのだけれど、恨みがましい目を私がした所為か、碧はヒントをくれた。
「あのピッチャは綾に似てるけど、別タイプ。あとは自分で考えろよ」碧はベンチに顎をしゃくる。「一、二番がやらかしても、焦ってないだろ? つまりはそういう事よ」
碧に言われベンチに顔を向ける。
そこにあるのは至って普段通りのそれ。私が覚えた、これどうすんの感は微塵もない。
やらかした千家ですら、同じくやらかした小澤と今は楽しげに談笑している。
まだ初回というのもあるのだろうけれど。
「何事もなければ、今日は三打席くらいあんだろ、そのうち一本だしゃあ良いよ」
そう言って碧は私の背中を叩いた。
そのすぐ後、この日三番に入った四ノ宮杏樹が良い音を鳴らす。
けれど、曇天に吸い込まれる様な高い打球はすぐに期待が失われ、定位置の中堅手の手にすっぽりと収まった。
「な、別に打てない球じゃないんだよ」碧は片頬をあげ、私と湊の尻を叩く。「今度はウチの番だ。しっかり自分達を見せてこいよ」
私は湊と目を合わせ、同時に頷いた。
「はい!」
声が重なると同時に、私達は動き出す。
グラウンドから引き揚げる常桜の面々、入れ替わりに散ってゆく先輩方。その後ろ姿を目に入れつつ、私は湊に言う。
「さあ、お仕事の時間だ。頼むぜ相棒」
「任せろ、相棒」
二人で笑いながらグラブを合わせ、自分の戦場へと足を向けた。
私達の痕跡が残るまだ若々しいバッターボックス。
少し土のかかったホームベースと、少し荒れた私の定位置。
軽く足場を慣らし、湊に向けてミットを叩く。
湊もまた、自分用にと足場を慣らし、少し土が付いた白球を弄ぶ。
プレートに右足を付けて、球を持った右手を振る。
湊の準備が整ったというサインを受けて、私はしゃがみ込む。
左足は立てて右足は寝かす、いつものスタイル。
ミットを出す前に大きく息を吸い込む。
葉山とは違う空気の匂い。
ボールを回す内野陣の声は普段のそれ。
その中に自分がいる。私は今ここにいる。
湊の脚が上がる。
しなる右腕から力強い球が弾かれ、私のミットに吸い込まれた。
しっかりと音を鳴らしてやる。それを聞いて湊が口元を上げた。
私の戦いの始まりの幕が上がる。




