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アイデスの憂鬱  作者: 森住千紘
Sprouting of qualities : 2 〜 資質の萌芽 〜
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 Extremely personal tears 〜 至極個人的な涙 〜

 大団円。

 そう取れる様な空気が辺りを包み始めていた。

 一部を除き、シンプルに勝ちを目指す環境が整いつつある、と言うよりも以前の状態に戻る、と皆が感じていたのだろう。ぽつりぽつりと言葉が漏れ、堅かった表情には笑みすらも帰って来ていた。そんな状況を切り裂くが如く、慟哭じみた大島の言葉は、辺りを再び静寂に沈めた。


「お前には、お前らには解んないだろうな」


 碧から荻野、理香へと流れる目線。

 吐き捨てる様な口調の中には悲壮感が混じっていた。

 碧は表情を動かさず、ただ大島を見つめ、荻野は半ば辟易した様子でやや細めた目を向ける。

 大島の慟哭は続く。


「お前らみたいに恵まれたヤツらには解んない事だってあるんだよ」

「……まるで私達が簡単にここまで来たとでも言っている様に聞こえるわね。そんな事は絶対ないのに」荻野は大島に射る様な冷たい目を向けた。「少なくとも私は楽に二兎を得ているつもりは無い、あまり言いたくは無いのだけれど、犠牲というのなら確かにそれはある。これまで自分がして来た事が今の私を形作っていると信じている。だから貴方の言葉は言い訳にしか聞こえない」

「……本当にそうか?」大島は荻野を睨み返す。「お前はそうかもしれないが、それは個人的な事だろうが」


 碧が腰に手を置き、うんざりした様子で言う。


「一番上手いヤツが選ばれるってののどこが不満なんすか、とてもシンプルで付け入る隙なんて無いと思いますけど?」

「そこに文句つけてる訳じゃない」

「じゃあ、何すか……」


 碧が聞き返したのを荻野が静止させた。


「結論は出た。これ以上ぶり返した所で意味は無い。熊ノ森にも迷惑をかけているのだから、いい加減練習に……」

「シンプル? 平等? そんなん聞いて呆れる」怒鳴り声とも取れる声を大島はあげた。「上層にいるお前らには下の者の気持ちなんか解る訳ないんだから」


 荻野は溜息を吐く。


「だから、それは解決したでしょう。上も下もない。仮に下にいたとしても、己が精度を上げれば上に来れる、そういう道が用意されている」

「本当にそうか、と私は聞いた。だからもう一度聞く、本当にそうか?」

「……貴女、何が言いたいの?」荻野は訝しむ目を向けた。直ぐに首を振り一息。「いえ、やはりいいわ。今更貴女の意見を聞いた所で、何も傾かないわ」

「……荻野ぉ」大島は拳を握り、怒気に溢れた目で睨む。


 一人異質な空気を纏う大島を横目に、荻野は両の手を叩いた。これでお仕舞い。区切りは着いたとばかりに、皆に語りかける。


「皆、今聞いた事を一度持ち帰って考えなさいな。全国を取るという確固たる目標に向けて自分は何が出来るのか、どうチームに貢献出来るのか、各々の答えを出して頂戴」


 数人以外の返事には私を含め確りとした意思がのっている。

 ただ、ほんの少しだけ大島が語り切れなかった事が気になる私もいた。とは言え、口を出せる勇気もないので、流れるなあ、という予想を仕方なく呑み込む私。

 そんな中、ある程度意思の共有が成された集団において、一人だけ大島に手を差し伸べた者がいた。


「ミウ、ちょい待ち」


 動き出さんとする皆々を止めたのは、監督である理香だった。

 立場上、個人の意見だとしても聞くべきだと判断したのか、理香は大島に最後まで語らせる為、水を向ける。


「聞いてて思ったんだけど、アンタの言いたい事ってどうやら指導者に対してっぽいよな。良いよ。伝えたい事があるなら聞くさ、私は監督だからな」


 監督自らの主張ならば、と皆は一旦その足を止めた。

 辺りを横目で見つつ、理香は一歩引いて大袈裟に手の平を差し向け大島を促した。

 恨みと懇願が入り混じった潤んだ目で大島は理香を見遣る。気持ちを落ち着ける様に大きく深呼吸してから思いの丈をぶつけた。


「さっき言っていた様に、監督だって人の子、どうしても印象に左右されるでしょう?」先程の様な強い口調は形を潜め、落ち着いた声で大島は続ける。「その印象が齎らす物、それを選ばれた者達は解ってないんですよ」


 理香は小さく頷き、無言で続きを促した。最後まで聞いてから判断しようという事かもしれない。


「どの様な場所でもチームとなれば、色んな人間がいます。上手いヤツ下手なヤツ、バッティングが得意なヤツもいれば、守備特化のヤツも。各々特性はあるんだろうけど、優劣をつけなきゃならない。それで、劣に分類された者は、どうしてもそういう目で見られてしまう。簡単に言えば、ミスるのが当たり前、だから期待しない。たまに良いプレイをした所で偶然で片付けられる。そんな環境でどうやってモチベを維持すりゃあ良いんですか。大抵の監督はそういう人ばかりだ。けど、大屋先生は……」

「自業自得じゃない」呆れを隠しもせずに荻野がいった。「ミスが減れば見方なんて変わるでしょう。周囲の目が気になって緊張するのも精神が脆いだけ」

「そんなんだから、お前には解らないと言ったんだ」大島は吐き捨てる。

「貴女も阿呆ね」荻野は肩を竦めた。「そういう人がいるのは承知の上。それをここに求めても仕方ないのではないのかしら。ここは各チームでレギュラを張ってた者が集う所なのよ? 最低限が高い場所なの。そこに世間的な平均を求める事自体が間違いではなくて?」

「なるほどなあ」理香が頭を掻きつつ言った。「まあ確かに大島の言う様な見切りを付ける監督ってのはいるよ。そんなのを見続ければ、シゲはある意味平等に見えるかもな」


 理香はそこまで言って表情を改めた。同情的なものから真剣なものへ。


「でもそれは間違いだ。アイツの向かう先自体が違うからな、自ずと方法もズレている。大島にとっては居心地が良かったのかもだけれど、それは勝ちには繋がらなかっただろ。ミウが言う通りだと私も思う。別にそれを求めるなとは言わない。けれど、それはここには無いよ」


 言い切ってから、理香は何かを思い出し、慌てて付け足した。


「ああ、だからと言って、私が色眼鏡で見るかって言われればそんな事ない。私が見るのは現実、この場所で各々が何が出来るのかを見るだけ。この際だから白状すると……」


 理香は頬を掻き、小さく謝罪した。


「さっき慶侑にも咎められたんだけどさ、チームの輪を維持するのも監督の仕事だってな。実際、亀裂には気付いていた。けど、大人がそこに介入しても真の解決にはならないって私は思った。口を出した所で、それって大人の私の意見だろ。表面上場は収まるかもしれないけれど、揉めてるのは小娘達な訳で、どうしてもそこには隔たりがある。大人と子供、見えてる世界は違うからな。まあ、そんな言い訳じみた思いがあって口を出さなかった訳だけど、もっと早くに手を打つべきだった、すまん」


 そう言って理香は腰を折って頭を下げた。


 理香のそれは、大屋事件から、今回の杉原の一件までの全てを含んでの事だったのかもしれない、と私は勝手に解釈した。

 理香の言い分は同意に足るものだと思う。

 本人が口にした様に、大人と子供、見ている世界や感性、共に全く同じはあり得ない。大人はかつて経験した事として助言できる立場ではあるものの、子供からすれば現在進行形の出来事なのだ。信頼に左右されるとしても、それが正しいとして受け入れられるかは人によって違うだろう。子供が言うところの、大人達は解ってくれない、とはまさにこれの事だと腑に落ちる。

 だからこそ、理香は自分が手を出さずに子供達だけで解決すべきと判断したのではなかろうか。

 と同時に、人柄を知る荻野達ならば出来るとも思ったのかもしれない。


 難しい年頃なのだ、まあ、仕方あるまいよ、という感想は若干年寄りじみているだろうか、なんて言葉が頭の中に浮かび、慌てて彼方へ投げ捨てる。

 私は花咲ける女子高生、これから芽吹く乙女なのだから、と無理矢理思いを上書きする。


「大島、これでは納得出来ないか?」理香が優しげにきいた。


 大島は思考の整理整頓の最中なのか言葉は出なかった。

 再び理香が皆に語りかける。


「人の好き嫌いは誰にでもあるけど、上に立つなら、そういう個人的な感情を捨てなければいけない。そしてそれが出来る人が名監督と言われるんだろうなと私は思うよ。だからさ」理香は荻野達二、三年生に目を向けた。「親父が整えた方針をそのまま私も使わせてもらう。だから基準は簡単。場が求めるプレイをしてほしい。そこに私の感情は介入しない。出来るか出来ないか、ただそれだけ」理香はそこで言葉を止め、ニヤリと笑う。「それ以外では大人な女性として慕ってくれて構わないぜ?」


 誰かがくすり、と笑いを零した。再び周囲に和やかな雰囲気が立ち上り始める。

 本当にこれで最後、と言わんばかりに女帝が手を掲げ、辺りに舞う和やかさを一旦留めた。


「まだ、不満を持つ者もいるんだろうけれど、基準は示された。その基準が解らないという者がいるのなら後日私の元に来なさい。箇条書きにでもして渡してあげる。これは今泉監督が示し続けて来た事よ。大屋先生が吹き込んだ余計な物が一切ない、純粋且つ先人が築き上げた葉山の在り方。これに従えないと言うのなら、その者にはここにいる意味は無いと思う。皆自分で選んだ結果ここにいるのでしょう?」


 荻野の言葉は最終通告だと私は感じた。

 蔓延っていた薄昏い闇は現実の名の下晴れた。

 この場所を選んだのは各々であり、ならばこの場所にある当たり前に従うべきだ。かつてからこの場所にあった当たり前は、この時をもって完全に蘇ったのだから。


 再びの和やかさと期待、それらを後押しするような活気に包まれる。

 荻野には笑みが戻り、直近の練習に意識が向き坂巻らと打ち合わせを始めている。

 件の中心にいた碧はどこか安堵の表情を浮かべ、一人力を抜いている。しなだれた杉原には千家が言葉を投げかけ、何故か上条が大島を嗜めている。


 全てが上手くいくとは思えない。

 けれど、これまでよりは確実に前に進むのだろうという期待の様なものが、この場には溢れていると私は思う。

 いつの間にか隣に来ていた一葉が小さく語りかけた。


「いやあ、良かった良かった」

「ほんと、それだよ」私も頷き、安堵の肩を落とす。


 今はこの和やかさに身を委ね、次への活力とするべきだ。やらなければならない事は山積みで、こなさなければならないタスクは斯くも多い。期待と自信、モチベーションは高まり、全てが自分に返ってくる様な錯覚すら覚える。早く練習したいな、なんて普段はあまり思わない感情が芽生え、相変わらず場に呑まれ易くチョロいぞ私、なんて些か自嘲気味な気分になる。


 そんな事を思っていると、ふと忘れていた別件、個人的なしこりではあるのだけれど、それが脳裏を過ぎりそっと横目を向けた。

 腑に落ちない表情は予想通り。

 けれど、渋々といった様相で、今の状況を受け入れつつある赤坂悠希の姿。隣にいる月島早苗の明るい表情を見る限り、この件の収束も近いのだろうなと、楽観的な思いさえ浮かんで来る。


 大島を筆頭とした大屋の残り香を共有した者達。

 その思想は現実の元に霧散し、一人の乙女として今はある。この先名を成すのなら、それは彼女達の意思故なのだ。未来はまだ何も決まっていない。望む未来を掴み取る為の道は、今は皆の前に開かれている。


「ああ、スッキリした」


 そう声を掛けられ、私は振り向く。そこには晴れやかな表情の我が儘プリンセスの姿。

 思う事が無い訳でも無いけれど、碧の表情を見る限りは、あえて突っ込む事でもないと私は思う。けれど、それは思うだけで、私の口はオートマティックに動き出す。


「ちょっとらしくなかったんじゃないすかね、ミドリちゃん」

「何がさ」碧は本当に解らないと首を傾げた。

「いやあ、普段から何だかんだ言っても冷静じゃないすか。なのにえらく感情的だなあって思って……」

「……まあ、私だって偶にはそうなる時もあるさ。実際苛立ったのは事実だし」碧は眉根を寄せて顔を近づけて来た。「だってさ、コハクぅ。一朝一夕で一葉のやった様なグラブトス出来るか? あんなんやった事なけりゃ怖くて出来ねえだろ。自分に当て嵌めてみ? ぶつけ本番、未見でナックルカーブとかおっかねえだろ」


 確かに、と大いに頷いた。

 私の反応に満足げに頷き、碧は言葉を続ける。


「杉原はさ、背伸びしすぎなんだよ。別に普通で良いじゃんって思うのよ、人には向き不向きがあんだからさ」

「まあ、確かに杉原先輩はこじんまりとした方が合ってると思いますけどね」


 一葉がしみじみと、えげつない感想を述べた。


「お前なあ、せめて堅実とでも言えよ」珍しく碧が引き気味に返す。「まあ、実際その通りなんだけどさ。だから無理した所で、評価なんて上がらないんだよ。あいつのはただ自分を魅せる為だけにプレイした。そんなんここでは意味ないから」

「だから、苛立った、と」


 私の返答に碧は大きく頷いた。


「本末転倒、目的がズレている。そんなヤツに与えるポジションはない。んな事皆解ってると思ってたんだけど、そうでもなかった、それもまた腹立たしくてね」


 斯様な杉原のプレイを認める人達がいたのだろう。

 碧からすれば全てが同罪、邪魔なだけという結論になってもおかしくはない。まあ、そうだとすれば、感情が膨れるのも致し方なしか、と私は一応の納得を得る。


 ちらりと件のもう一人の当事者に目を向けた。

 先程は心神喪失も言い過ぎではない状態だった訳で、言い方は良くないけれど、不憫な思いがあったからだ。

 憧れを抱いた者に寄り添われて、認めたく無い現実に打ちのめされ身も心もズタボロになりながらも、杉原は漸く先を見始めた様だった。

 その表情には、ぎこちなくも笑みが戻って来ていた。もっとも、そこにあるのは諦観が大半ではあったのだけれど。


「これでちっとは、あいつも現実見れるんじゃねえの?」碧は片頬を上げ、徐々に元に戻りつつある杉原を見遣った。


 私は内心別の安堵に支配される。

 良かった。私の思う碧は私の思った碧だった。彼女の中にドス黒いものは無く、やはり全ての行動は理性によって動いていた。

 穏やかさを甘受する私に、少しばかりの物理的な揺れ。


「あ、ごめんなさい」


 肩が触れたのか、よろめいた私を即座に受け止めた大きな身体。

 赤い縁の眼鏡の奥の瞳は驚きで見開かれ、直ぐに申し訳なさそうに眉尻が下がる。


「いや。大丈夫」碧の実妹である、結城茜の大きな身体に手を掛け体勢を整え私は返した。

「お、アカネじゃん、どうしたん」碧が妹に声を掛けた。


 この姉妹には上下の区別はないらしく、振る舞いは双子のそれ、もしくは友人の様。

 だから姉は普段通りに声を掛けた。けれど、妹は姉に対し、何故か怒りの籠った目を向ける。


「お前、何ヘラヘラしてんだよ」我が儘プリンセスに対して周りが中々出せない言葉を茜は吐いた。それ以上に、家族だからなのか、姉の胸ぐらをも掴む始末。「も一度言うぞ? 何ヘラヘラしてんだよ」


 凄むが如き言い方にも拘わらず、赤縁の眼鏡の奥の目からは一筋の雫が流れ落ちた。

 私も一葉も、当事者の碧でさえも、その姿に一瞬呑まれ言葉が出なかった。


「お、おい。どうしたよ」動揺を隠しつつも碧が問う。俯きながらも胸ぐらを離さない妹の手に自分の手を重ねた。「なんで泣いてんの」


 小さな嗚咽。

 顔を上げた茜の目は真っ赤だった。

 悲しみと悔しさ、そして怒りが混じった様に私は感じる。

 茜は手を解き、手の平で目尻を拭きながらも怒りを顕にする。


「お前の事だろうが!」抑えながらも強い口調で茜は続ける。「知らない訳ないでしょ、私は妹だぞ」

「だから、何の……」碧は言葉を止めた。心当たりに気付いたのか、あからさまに表情が失せる。「お、お前もしかして……」


 茜はこくりと頷く。

 碧にしてはらしくないあからさまな動揺が現れ、同時に実妹から目を逸らした。

 小さく首を振り、自身に言い聞かせる為にか目を閉じる。

 小さな吐息。

 歪む眉根。

 これまで見た事の無い苦悩の表情が浮かぶ。


「無かった事になんかさせないからな」


 茜はそう言い放ち、姉から手を引いた。

 身を翻すと、未だ立ち上がらずに諦観じみた笑みを浮かべる乙女達の元へ向かう。


「やめろアカネ!」碧は妹の名を叫ぶ。


 その声に周りにいた皆の視線が集まった。

 つい発した言葉を後悔し、またもらしくない焦りの表情を碧は見せる。


 姉の言葉を半ば無視して、茜は慰めの言葉に包まれている杉原の正面に立ち、腰を屈めると彼女の胸ぐらを掴み、無理矢理立ち上がらせた。


 碧が駆け出す。

 慌てて私と一葉もそれに続く。

 何事かと静観する目が集まる中、茜は目尻を赤く染めつつ杉原を睨む。


「な、何だよ」掠れた声が杉原から出た。


 千家には何故か諦観の相が浮かび、大島は疑念と苛立ちの目を茜に向ける。

 碧が辿り着き、茜の首根っこを掴み強引に引き剥がした。

 無理矢理自分に向き直らせ、怒声を向けた。


「先輩に対しての行為じゃねえだろ」


 茜は涙塗れになった目で姉を睨む。


「黙れ。庇う意味なんかねえだろ」


 庇う? 何が、誰を? 


 私は、否、この場にいた大半の者はそう感じただろう。

 背景が解らないまま姉妹喧嘩は続く。


「庇ってなんかねえよ。そもそも何でお前が泣いてんだよ」碧は呆れたとばかりに苦笑する。

「覚悟決めろよ?」


 茜は碧の耳元で囁き、姉の反応を待たずに口を開こうとする。

 それを碧が無理矢理止める。

 茜は顔に掛かった姉の手を振り解き強引に突き飛ばす。

 慌てて碧の身体を受け止めた私と一葉だったのだけれど、碧は即座にそこから離れ妹に飛び掛かった。


「いいかげん、冷静になれ、アカネ!」

「うるさい、私は冷静だ。だからこそ許せないんだ、いいかげん解れミドリ!」


 もう見守るしかない、と私は思う。

 付け入る隙が無いとはこの事だ。

 何もかもがさっぱり解りゃあしねえ、そんな感想が出てきて、一葉と目を合わせ二人の動向を見守る。


 様相を大きくした姉妹喧嘩は重鎮達の興味を引く。

 荻野達が揃ってこちらにやって来た。偶々目があった私に、無言で問いかける。

 私は素直に首を振った。

 女帝達一向もまた成り行きを見守る事にしたらしく、口を開くものはいなかった。


 暫し無言で睨み合っていた結城姉妹ではあったのだけれど、埒が明かないと判断したのか、先ずは碧が動いた。

 舞い込んだ女帝達一向に対し、ただの姉妹喧嘩だと伝え解散を要求。

 それを妹が止める。


「荻野先輩方もここにいて下さい。由々しき事態なんです」

「へえ」荻野はそう言って結城姉妹を交互に見た。


 茜の一言は、荻野達を彼女の側に取り入れた。女帝達もまた汲める者。茜の言葉は浸透する。


「聞くから言ってみ?」上条が茜に言う。

「やめろアカネ!」場的にはアウェイであると解っていながらも、碧は声を振り絞る。一転して柔らかな笑みを浮かべ、優しく諭す様に続けた。「私は、私は大丈夫だから」


 泣きじゃくる幼子をあやす様な、優しさに溢れた笑み。

 こんな笑い方を碧もするのだな、と私は驚きつつも嬉しさを感じる。

 碧の傍若無人さはブラフ、と藤野が言っていた。それを実感する瞬間。


「んな訳ねえだろうが」茜は声を張り上げ、ついには嗚咽し始めた。


 上条が茜の背中をさすりながら、優しく問いかけた。


「落ち着けって。大丈夫だから。ちゃんと話聞くからさ」上条はちらりと荻野に目を向け、小さく頷く。「姉ちゃんはミウが止めるって」


 勝手に役割を決め、上条は茜を促す。

 ここら辺は、バッテリィという事なのか、上手い連携が取れている様で、荻野はするりと碧の横に立った。


「聞いてる限りでは、罵り合いでも咎め合いでも無い様だけれど……」荻野は小首を傾げた。「気を遣い合ってるって所かしらね」

「い、いやあ、そんなんじゃ」碧の言葉からは力強さが薄れつつある。荻野が出て来た時点で諦めが過ぎったのかもしれない。


 再び、荻野、上条の間で目線が行き交い、上条が改めて茜を促した。

 碧は諦めたのか、もう何も言わなかった。


 嗚咽をしまい込み、茜は顔を上げた。涙はまだ少し残っている。

 茜が訥々《とつとつ》と語った内容は、その場にいた皆の心を抉った。

 私もまた例外ではなく、寧ろ碧に近い分感情移入が甚だしく、これ迄の彼女の言動を思い出しその真意に理解が及ぶと、茜と同じ様に視界がぼやけてしまった。

 茜は口を開く前に再び杉原の胸ぐらを掴んだ。怒気に溢れる目で睨み、漸く口を開く。


「被害者ぶってんじゃねえよ。全部解ってんだよ」


 私の横目に観念して目を閉じる碧の姿が映り込む。

 と、同時に、杉原もまた目を伏せた。

 感情に再び呑まれたのか、二の句を告げないでいる茜の腕に触れ、上条が優しく促す。


「物理は良くない。取り敢えず手ぇ下ろしな。それで? 何が解った?」


 茜から堪らず嗚咽が漏れた。

 鼻を啜りながら途切れ途切れに言葉を紡ぐ。


「皆さんが知ってる様に、ミドリは傍若無人で我が儘で救いようのない阿呆です」茜はさらりと悪口を連ねる。けれど、これもまた家族ならでは特権だ。「でも、人の迷惑は弁えてるし……、いや、私以外にはですけど」


 茜は自嘲気味に笑った。

 取り直し、地面の一点を見つめながらぽつぽつと語る。


「何より、辛い事があったとしても、それを外に出すのを吉としないんです。自分が真の意味で他人を振り回すのが嫌な質なんで、自分の事で悩ませたく無いんですよね。私達はクォータって事で、小さい頃は仲間外れとかありましたしね、だからこそ余計に気を遣ってる節がある。大事にしたいんですよ、人間関係」


 茜はそこまで言って、大きく深呼吸した。核心に向かうべく居住まいを正す。


「一年位前ですかね、気付いたのは。ミドリはズボラなんで、部屋の扉って開けっ放しの事が多いんですよ。でもその頃から閉まっている日が多くなった。まあ、年頃ですから色々あるんだろうなと妹ながらに思ってた訳ですけど」さりげない暴露を茜はしつつも、話は思っても見なかった方向に舵を切ってゆく。「開けていた窓から聞こえたんですよ、ミドリの嗚咽が。ずっと一緒にいる訳ですから、それは解りました。もうホントにガチなやつです。初めは失恋かなとか思ってたんですけど、ミドリではあり得ない。……どうやらそれは悔し泣きなんですよね」


 堪えきれなくなったのか、ここにきて漸く碧が目を細めつつ口を出した。


「あのなあ、アカネ。長えよ、それと私にも一応プライバシってものがあるんだけど?」

「あ、ごめん」茜は今気づいたとばかり、素直に謝った。「もう端折るとこもないんですけど、どうやらミドリはイジメにあってたみたいなんですよ。こういう言い方もどうかとは思いますけど、結構しっかりとした」


 皆が息を呑むのが解った。

 普段の碧からは想像が繋がらない事柄。

 あの我が儘プリンセスがイジメに遭っていた。逆なら、まあ解るというのは失礼な話だろうけれど、可能性で言うのならそう。

 まあ、私としてはそれはあり得ないと断言出来るのだけれど。


「さっきも言いましたけど、ズボラなんですよ、ミドリは。そんなアイツがほぼ毎日自分の持ち物、上履きすらをも持ち帰る、気づかない方がどうかしてる。一応の予防策なんだろうけど、あのミドリにここまでさせるってのは、やっぱり尋常ではない。私、腹が立ってしょうがなかった。だから、野球も理由ではあるんですけど、ミドリに言われる前から葉山に行こうとは思ってました。で、晴れて入学してから、独自に調べまして、今に至る、と言う訳です」茜は自分の言葉が皆に浸透するのをゆっくり待ってから続けた。今度の言葉は主に私に向けてだった。「コハクちゃんは気付かなかった? 一学年上のミドリが四六時中引っ付いてる事。部活の時間なら解るけど、昼休みも何かしら用事見つけて押しかけて来てたでしょ」


 確かに、と思った。

 でもそれは後輩の面倒を見る事が目的では、と考えて、自身の浅はかさに辟易する。

 おかしいと思うべきだった。可能性としては考えられる事柄で、今思えば疑う余地は多分にあった。

 嗚呼、何という愚か。


「……ごめん」何とか声を振り絞って出した言葉。短い言葉であっても、それは震えてしまった。

「何で謝るの? 何でコハクちゃんまで泣いちゃうのさ」茜もつられて再び目を潤ませつつも笑い、首を振った。「コハクちゃんだけじゃない、一葉ちゃんや綾ちゃん、ついでにアホミナトにもすごく感謝してる。ミドリに付き合ってくれてさ。コハクちゃん達がいなかったら、ミドリはもっと辛かったと思うから」

「おい、勝手に決めんなよ」顔を背けながらミドリは抗議した。「別に私は一人でも……」

「うるせえ、合ってんだろうが。お前の妹だぞ、私は」


 碧が舌打ちして黙りを決め込んだ事から、あながち茜の言い分は的外れではなかった様だ。

 ゆらりと荻野の身体が動いた。

 首が傾き、二年生達に向けられる。これまで見た事のない、酷く不機嫌な表情で女帝は言い放つ。


「貴女達は知っていたの?」その言葉は二年生全員に突き刺さる。「別に咎めるつもりは毛頭もないわ、だから顔を上げなさい」


 強制力を有した女帝の言葉に、皆が顔を上げた。

 大半の者は我が儘プリンセスを慮っている。

 ベクトルこそまちまちではあるけれど慕ってもいる。故に実際この場所には碧の居場所がある。ただ、その中の一部には見て見ぬ振りをした罪悪感が、そしてまたある者には当事者故の青褪めた表情。


「ミウさん、そんなに大事にしなくて良いですって。さっきも言った通り、私はもう大丈夫。正直、誰に何を思われようが良いんすよ。何だかんだで気に掛けてくれる妹がいる、慕ってくれる後輩もいる、真剣に怒ってくれる先輩もいるしで、……私は、幸せ、ですよ」


 言い切った碧の語尾は震えていた。

 すぐさま顔を背け蹲る。

 そこに茜が駆け寄り姉の肩を抱いた。


 雲が集まり出した初夏の空の下、二人分の小さな啜り泣きが周囲に響き渡る。

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