Disappearance of residue, cruel ending. II 〜 幻を破る諧謔曲 〜
「ええぇ」
心底嫌そうな声を出し眉根を寄せる千家に対し、碧は普段通りの強引さを発揮する。
「良いから良いから。ほら、ささっと準備して」
自身は既にプロテクタを身に纏い、いつでも臨場出来る状態をキープしつつ、最後の詰めとばかりに無理難題をけしかける。
側から見る私としてはいつもの光景。その見慣れた光景も、この時ばかりは纏っている空気が少し違う。
碧の蒔いた種は既に枝葉を伸ばしていた。
気乗りしないという雰囲気を全面に出しながらもグラブを抱えグラウンドに出てゆく千家の後ろ姿を満足気に見送り、碧は表情から色を抜く。そこに残った酷く冷たいものを湛えながら、少しだけ張り詰めた空気に包まれているベンチに顔を向けた。左右に視線を流し目当ての者を見つけると、普段の碧では見る事の少ない動きのない表情で静かな謝罪をした。
「赤坂、月島、悪いな、急遽順番変わって貰って」
本当にそう思っているのだろうか、と勘繰れる程度には感情の乏しい表情。
碧に近しい私でさえ、触れてはならぬと警鐘が鳴る。普段彼女が醸し出す取っ付き易さは微塵も感じられない。
同じ感覚を得たのか、名指しされた二人も畏まった態度で了承する。
碧はそれを目だけで受け取り、彼女達の後ろ、ベンチ最奥の列に視線を飛ばす。
「杉原、出ろよ」
やけに薄暗く感じるベンチ内。
陽を背に佇む碧はおそらくシルエットと化している。けれどその中でも目だけは確りと暗がりの内部を射抜いている、そんな感覚を私は覚える。
普段とは違う雰囲気を纏う碧に、この場にいる誰もが呑まれている。それを実証するかの様に話し声の類は一切出ていない。
「聞こえなかった?」碧が言う。「レギュラのチサに無理なお願いして、出順も変えて貰ったんだ。お前の望みの場は作ってやった。証明するんだろ? 早く出ろよ」
逃げ場を塞いだ上の有無を言わせない物言い。
これでは出る以外の選択肢は取れるはずもなく、渋々といった表情で傍に置いてあった自身のグラブを掴み杉原は立ち上がった。
「何だよ、不満?」碧は更に追い討ちの言葉を吐く。「お前が望んだんだろ?」
杉原は無言のまま、碧の横をすり抜けた。
陽を浴びる場所で立ち止まり、僅かに首を傾け恨みがましい目を向けた。
「何でお前に仕切られなきゃいけないんだ」
聞こえるか聞こえないかの狭間、独言る様に恨み言を吐いて杉原は自分の居場所へ駆けてゆく。その後ろ姿を目で追い、碧は小さく肩を竦め息を吐いた。
「向いてないのは解ってるけど、思いの外嫌な役回りだなあ」碧は無理矢理作ったであろう笑みを私に向ける。「ま、これで現実を共有出来るなら致し方なし、か」
ぽんぽん、と私の肩に触れ、碧は己の仕事を全うすべく動き出した。
そのらしくない我が儘プリンセスを追うべく、この時の彼女の相方となった香坂綾がそれに続こうとベンチから顔を出した。私に並ぶと囁く様に言う。
「あれは怒ってるの?」
「ある意味、ね」私は答える。「でも、まあ、仕方ないんじゃないのかな」
「そう。よく解らないけど、触らぬ何とかに何とかって事か」
綾はぼかしすぎて原形を留めなくなった例えを口にして、マウンドに駆けてゆく。
解釈すら受け手に丸投げスタイルはやめろよ、なんて事を思いつつ、私は面子の揃ったグラウンドを見遣る。
二クール目は主に二年生主体の布陣。藤野や笹川も外野に入っている。投手を除けば、二年生のベストと言えなくもない。
一方打撃陣は片瀬熊ノ森の面々が並ぶ。疑似的ではあるけれど、再戦の体を成している。故に、一番槍としてネクストでバットを振るのは昴だった。
その昴に、碧が近寄り何やら耳打ちをしているのが目に入った。
何を話しているのかは大方想像がつく。いつの間にか再び隣に来ていた一葉もまた私と同じ想像をした様で、確認の為かそれを口にした。
「狙えって事かな」
「多分ね」
「まあ、スバル達なら出来るんだろうけどさ、やる事エグいなあ、ミドリさん」
「でも、そこまで追い込まれる事になったのは、自業自得じゃないのかな」
「確かにねえ」一葉は肩を竦める。「統一なき集団はすぐに崩壊する。誰かが動かなければどのみち未来は無かった訳だし」
「……お前も十分エグいからね?」
「そう? 私は結構マイルドな方じゃない、ミドリさんに比べれば」
私はわざとらしく溜息を吐く。
自覚なき者は中々に厄介だ、と思う反面、一葉の事だから確信犯なのでは、と疑う心もある。
「さっきのプレイだってそう。金田一はありのままにプレイしたのかもしれないけどさ、あんなん完全に同ポジに対しての挑発だろ」
「ああ、なるほどお」一葉はぽん、と手を打った。「だから、順番変えたのか。私のプレイの残像が消えないうちに、って」
一葉の言う事はあながち間違っていないのかもしれない、と私は思う。
彼女のプレイは他の自己証明を望むプレイヤを煽る結果となっている。同学年ならまだ弁明の余地はあるにせよ、上級生ともなれば、笑って見過ごす訳にもいくまい。特に御託を並べ現実を直視していなかった者たちにとっては特に。
私は再び敢えての溜息。
「やっぱり、お前も十分エグい」
「またまたあ」笑みを浮かべながらそう言う一葉ではあったのだけれど、グラウンドを見つめる目だけは笑っていなかった。
やっぱり確信犯かよ。
その言葉を呑み込み、私は私のすべき事を全うする事にした。
グラウンドでは碧が引導を渡すのだろう。是も非も無いただ淡々とした現実を示すだけの簡単なお仕事として。
「さて、と。私達も自分のやるべき事やろうか」
私にはバッテリィ組としての責務がまだ残っていた。
うら若き新造バッテリィに、イロハを伝えて欲しいと言われている。私としても、投手・夜川千彩には興味があったので、望む所です、といった感じ。
「じゃあ、私は休憩って事で」一葉は頭の後ろで手を組みながら言う。「流石に疲れたよ。一試合やった後でのスバルでしょ。もう、精神的な疲労が山盛りポテトのよう」
どうせ口だけというのが解っているのでもうツッコミはしない。
そんな一葉に片手を上げ暇を告げた所に、別の声が掛かった。私にではなく一葉に。彼女が嬉々として反応したあたり、私の想像はそう的外れではなかったのだろう。
「なあに、タエちん?」
声の方をチラ見すれば、伊園妙と四ノ宮杏樹が並んでいた。
妙は立てた親指でグラウンドを差し、三塁側のベンチに顎をしゃくった。隣の杏樹は嬉しそうな笑みを讃えている。
「ご指名だってよ」
「私?」一葉は自身を指差す。
「私ら三人、だよう」杏樹の両手が二人に触れる。
「ふうん」一葉は僅かに目を細めた後ゆっくり頷いた。「オッケ。折角だし、やろうか」
どうやら、この三人は片瀬熊ノ森に混じって打撃練に参加するらしい。
おそらくは碧、もしくは有坂藍の提言なのだろう。
少しだけ軽口を言いたい気分。答えは解っていながらもきく。ただ言いたいだけともいう。
「私は?」
真っ先に妙が白い目を向けた。
「お前にはやる事あんだろが」
「どうせなら、アンちゃんも一緒だったら良いのにねえ」杏樹が一葉に同意を求めた。
「だねえ。未来の上位打線の予行練習になったのに」
さらりと一葉が爆弾を投下する。
「……おい、あんまり大それた事言うなよ」
私の嗜めすら笑って流す一葉。それでも、やはり目は笑っていなかった。
「今の所、それ以外ないじゃん」
そういう至極個人的な未来予想図すら私へのヘイトの餌になるんだぞ、とつい言いたくはなる。
まあ、餌を与えた所で私には大して響かないのだけれども。
なので、ここはさらりと流すが吉、と笑って誤魔化し、話を打ち切る方向へ。
「まあ、伊園が言った様に私にはまだお仕事が残ってるからね」わざとらしく肩を竦め三人に激励の言葉を向ける。「三人とも打ち込んでやりなよ。相手香坂でしょ? 一巡目なんか特にやり易いじゃんか」
「だな」妙が頷き、残りの二人もそれに続く。
片手を上げて、三人を送り出し、私は私の準備に取り掛かる。
準備と言っても、千彩はノースローなので、プロテクタの類は要らないかな、などと考えていると、今度は私を呼び止める声。その声の主は容易に想像がつき、暗澹たる気分が再び顔を出す。
ゆらりと顔をあげ、無理矢理柔和な表情を作る。
豆腐の角程度には鋭利さを無くした声音で言う。
「何?」
ベンチの暗がりがそうさせるのか、影のある表情で赤坂悠希と月島早苗が佇んでいた。尤も、早苗は影と言うよりは悲壮と言った面持ちではあったのだけれど。
「何で、お前なんだよ」
悠希は振り絞った様な声で言った。
試合中の一件によって、半分程度には現実を呑んでいるのだろう、なので声にその時程の勢いは無い。薄ら現実を理解しつつも、飛び出した以上引けなくなっている、そんな印象を受ける。
「何がさ」正面に向き合わない様に、しない筈のプロテクタを弄りながら返した。
「だから……」俯きながら、悠希の両拳が握られる。
半分程呑んだ現実がそうさせるのか、彼女は吐口を見失っているのだろう。
やり場の無い燻り。
八つ当たる以外に自身に纏わり付く靄を払う術を見つけられない、斯様な状況。
私は彼女に何を言えば良いのだろう。
現実を振り翳し正論を吐けば敵として打ちのめす事は可能だろう。
けれど、本当にそれが正解なのだろうか。
今までされた事を考えればその選択もある意味正しい。ただ、それだと二人の未来は確実に潰える。個人的な鬱憤晴らしをした所で、チームとしてプラスにはならないのだ。
私は内心溜息。
思想云々は置いておいて、悠希は決して悪いプレイヤではない。
未来を意識するのなら、やはりここは自分が引いた方が良い。私の思想としては個人よりもチームを優先する。だから、それを土台とした言葉を投げ掛け、後は本人がどう受け止めるかを待つしかない。
「正直、お前が何を求めているのか私にはよく解らない。ついでに言えば、何で私に対して当たりが強いのかも。別にお前に目の敵にされても、私は自分のする事を変えやしないよ。自分が出来る事をした上で、劣っていると判断されたのなら、受け入れる覚悟はあるさ。だってここは仲良しクラブじゃなくて競争の場なんだ。ポジションは一つ、そこに複数人がいれば、どうしても選択はされるから」私は言葉に宥める様な優しさを滲ませる。「もう、解ってるんだろ? 私に食って掛かるよりも、すべき事がある事をさ」
「……いい加減認めようよ」私の言葉を受け、早苗が悠希の肩をさする。「斑目ちゃんは実際結果を出してるじゃん」
「結果って何だよ」悠希は顔を上げる。感情が理性を上回り、言葉は荒々しく、目は仄かに赤く潤み始めている。「打たれた事実は現実じゃないの? その上打てもしないのに一番に座ってさ、これが贔屓じゃないってのなら、現実って何さ」
「ユウ……」早苗は酷く寂しそうな顔をした。首を振る事で自身を奮い立たせ、決定的な言葉を告げるべく口が開きかける。
それを遮る様に再び声が降る。悠希の張った声に誘われたかの如く。
「またやってんの?」
陽気な声色。けれど、その表情に緩んだ気配は微塵も無い。試合中の一件と同じ様に、上条祥子は私達の間に降り立った。私に向けた顔には普段の笑みを浮かべ、上条は優し気に言う。
「ラメちゃん、後は任せて。ほれ、あちらさんのちびっ子達の指導があるんでしょ?」
「え、ええ」
頷きはするけれど、だからと言ってこのままこの場を後にするのは些か躊躇われる。
どうせなら、最後まで見届けたいと思うのは私の性格故。逡巡する私を差し置いて、上条は早々に場を纏めようと口を開く。
「カピバラちゃんさあ」言葉の響きとは裏腹に、口調は低く重たい。「認めたくないのはまあ解らなくはない。けど、さっきも言った様に八つ当たっても何の生産性もないでしょ。実際ラメちゃんは必要な人材足り得る訳。まあ、私にとっては、だけど。でもさあ、私ってば、今のチームのエースな訳よ。そのエースが必要と言っている以上、チームが必要と言っているのと何ら変わらなくない?」
おうおう、何とも強引かつ、自分を棚の上段に置いた発言。
普通なら何言ってんだコイツ、となる所なのだけれど、実績がある者が言う事で信憑性は盤石な物となる。それが解っているからか、悠希は再び俯いて言葉を出せずにいる。
「ま、カピちゃんが贔屓と捉えるのも解らなくはない。まだ公式には結果は出ていないからさ。でもね、普段の姿を見て、出せるだろうって判断した上での抜擢な訳よ。んで、逆にカピちゃんにはその可能性をまだ見出せてないってのが現実。そんな子が騒いだ所で、チーム力が上がる? この先勝てるの?」トドメを刺すべく、上条は表情を引き締めた。それはマウンド上での彼女の顔。甘えの一切ないエースの素顔。「勝てるって言うのなら、証明しろよ。口じゃなくプレイで示せよ」
上条はグラウンドを指差した。
全てはグラウンドでの結果。そこでしか答えは出ない。そんな事は解り切っている筈なのに、いつしか薄暗い思いがシンプルなシステムを歪ませてしまった。
それが混じっているのが今の私達。
もう気遣いでどうにかなる次元を超えてしまっている。
「わ、私は……」決意を顕に早苗が言う。「さっきの一葉ちゃんのプレイを見て、敵わないと思いました」
「サナ!」
早苗の敗北宣言に悠希は思わず声を上げる。
そんな彼女を早苗は優しく止め、再び主張を続けた。
「でも、それは今だからです。今は叶わないけれど。いつかは超えたい。その気持ちがある以上私は諦めないと思うんです。誰の所為でもなく私の力が足りないなら、追いつく為に努力すれば良いだけ。例え結果が伴わなかったとしても、それはそれ、自分の責任だと思うから」
「良い答えだ」上条は頷く。「報われないかもしれない。けどチャンスを放棄してしまったら、それこそ可能性は零だ。ここは競争の場なんだ。そして未来は誰にも解らない。証明しろ、月島早苗、自分がここにいる事を、さ」
「はい」早苗は力強く頷いた。そしてその決意の篭った眼差しを再び悠希に向けた。「ユウも証明すれば良い、自分が正しいと思うなら、そのプレイを。その結果私達が選ばれる未来があれば、その時は精一杯あの時の続きをしよう」
これは完全なる早苗の決別宣言なのだろう。
これまで共に歩んできた二遊間のコンビ。それをこの時点で解消し、一人の内野手として新たに歩みだす。
チームとは言え、それは個の集まり。いくら繋がりがあろうとも、証明出来なければ、その通りではない。ここはそういう無慈悲な所なのだ。
呆け、落胆し、若干青褪めた表情で、ただそこにいる悠希。
上条からの現実の矢、そして早苗からの決別宣言。それは彼女の理想を粉砕してしまったのだろう。
言葉を選ばないのであれば、見ていて憐れ。自業自得とは言え、あまりにも不便。
そう見えてしまったからなのか、別に良い人ぶる訳でもないのだけれど、私は悠希に対して肯定的な言葉をかけていなかった事に気づき、この際とばかりに思っていた事を口にする。
「赤坂はさ、良いプレイヤだと思うよ」
上条は勿論の事、当事者の悠希、そして早苗までもが、私の突然の手の平返し的発言に呆気に取られた白い目を向けた。
「何スカ、その目は」私は上条に言う。
「いやあ、あんだけ言われたのに、何言ってんのって思うじゃん。……っていうか、まだいたの?」
割と刺さる言葉を上条から貰い、僅かばかりメンタルが削られる。
けれど、それには蓋をして言葉を続けた。
「肩も足もある良い遊撃手、私はそう思ってるよ。だからさ、多分チームにとって必要なんだ」
「お前に言われても、何も、嬉しくなんて……」
「バッカじゃねえの?」私は敢えて突き放す。
再び、三人は呆気に取られる。
振り回すのは中々に気持ちが良い、碧の気持ち解るわ、と底意地の悪い事を考えたりもする。けれど、そんな卑小な考えは彼方に投げ捨て本題へ。今度は真意を伝え切る。
「お前を褒めても何も出ないだろ。私はただ思った事を言っただけ。理想の遊撃手には程遠いけど、チームメイトなら悪くないって話。ま、別にお前がどう思おうとお前の勝手だけど、これでも私は遊撃手としてはお前を認めてるんだぜ?」
売り言葉に買い言葉的な流れだとしても、自分で言っていて、華麗なる手のひら返しに少しだけ辟易。つい先程までは切っても良いかな、なんて事を思っていたのにも拘わらず、出てきた言葉がこれだ。偽善者と言うならば受け入れよう、なんて事すら思う始末。
都合がいい奴もとい、チョロいな私、と軽い自己嫌悪に苛まれる。
「こういうとこだよ」上条はくつくつと笑いながら私の背を叩いた。「ラメちゃんに信頼があるのは、技術的な事もあるけど、冷静に場を見る事が出来る目があるからなんだよ。本当なら、苛立って感情的にカピちゃんに物言いたいだろうにさ、それを……」
やめて、と顔を手の平で覆いたくなる衝動に駆られる。それ、言わなくていい事ですよね、とエースには言ってやりたい。手で顔を覆わないし、言わないけれど。
ひとしきり笑った後で、上条は私を促した。
いい加減自分の責務を果たさなければならないと思い、その場を後にした。
おそらく上条が最後のまとめでもするのだろう、と思いつつ、私は私の居場所に歩みを向ける。
一件落着とは思えないけれど、一歩前進した感触は確実にあった。悠希は確実に痛みを得ただろう。それがこの先どう影響するかは彼女次第。私はそれなりの事は出来たのかな、と自問自答する。この結果もまた、悠希次第ではあるのだろうけれど。
私の横目にはグラウンドが映っている。
今はまだ普段のそれで、静けさは嵐の前触れ。
吹き荒れる突風の目が確実にそこにある事を私は知っている。
ただ、去し後の爪痕は私の想像を遥かに超えていたのだけれど。




