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アイデスの憂鬱  作者: 森住千紘
Sprouting of qualities : 2 〜 資質の萌芽 〜
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 Birth of the moonarrow : release of pleiades

「良かったすねえ。はいこれ」 


 生暖かい笑みを浮かべながら、夜川千彩が手の平に乗せた小さなチョコレートを差し出した。


 チョコレートはビターなものが好ましい。出来ればカカオ含有の高いヤツ。

 受け取った、コンビニのレジ前に並んでる甘さとフレーバに特化した小さな四角に目を落とし、水木昴はそんな事を思う。


 普段なら礼だけ言ってポケットやらにしまう所を昴は躊躇なく口に放り込んだ。気を遣った訳ではない。ただ、何となく食べても良いかなと思っただけ。


 突き抜けた甘さの中に仄かな酸味。確かパッケージにはベリィの文字があった様に思う。中に何か仕込まれている系は、更に甘さが加わる為より苦手。

 でもまあ、吐き出すほどの事でもなし、と昴は半分程を溶かし強引に飲み込んだ。


「甘ぇぇ」焼ける様な喉に持参した水筒のお茶を流し込む。チョコ独特の残り香が口の中には微かに残っている。

「あれ?」千彩が怪訝な表情を浮かべた。「スバルって甘いものダメだったっけ」

「甘過ぎはちょっとね」

「初耳っすねえ。でもまあ、そういう事なら」千彩は昴の言葉を特に気にも留めずに自分のバッグを漁り始める。


 二人のやり取りを傍観していた雪村撫子が溜息混じりに口を挟む。


「そういうのってさ、もっと早く言っても良くない? 良いよね」


 確かにその通り、と昴は思う。

 だがそんな些細な事すら実行出来ない自分もまたいる。


 何かを発信すれば波紋は生まれる。

 逆に何も言わなくても物事は悪化する例もある。


 その両方を知っている昴としては、個人色の強い発言は最低限で良いという判断に至った。だから言わなかった。どうでもいい個人情報を無理やり聞かされたところで、幸せになる者なんて極僅か、いたとしてもその者のファンだけだ。

 と同時に、自分達は赤の他人と言い切れる程、疎遠な間柄ではないという自覚も昴にはある。だから、撫子の言い分もまた正しいと思う。なので昴は素直に謝罪した。


「そうだね、ごめん」


 バッグを漁っていた千彩が顔を上げ、撫子と目を合わす。二人の間での意思の疎通。両者が同時に溜息の様な息を吐く。


「別に謝る事でも無くない?」撫子が言う。

「スバルってそういうとこあるよねえ」千彩は再びバッグを漁りながらそう口にして、漸く目当ての物を探り当てた。「はい、これ。食べ過ぎは体に悪いらしいから気をつけて」


 千彩から受け取ったのは、少し柔らかくなった海外ブランドのカカオ85%のチョコレート。それを受け取り、昴は微笑む。


「ありがと。っつうか、ちろは甘い方が好みじゃないの?」


 千彩は舌を鳴らし、わざとらしく人差し指を振る。


「甘いだけじゃ、世の中やっていけないっすよ。時にはほろ苦い経験も」

「アホらし」撫子が肩を竦め切り捨てる。


 他愛の無い会話に混ざっているのが不思議な気分、と昴は思う。

 先程までは、どう行動すれば良いのか解らない程度には動揺していたというのに。


 千彩の言う、”良かった”は多分それも含めての良かったなのかもしれない、と遅まきながらに昴は気付いた。なんだかんだで気を遣わせてしまっていたのは試合中に判明した。

 本来なら経験豊富な昴が新造投手である千彩の背を押すべきなのに、逆に彼女に押される始末。まったくダメダメだな、と昴は自身のメンタルの危うさに辟易する。


 一人の少女を中心に結び付いた三人が、今こうして同じ時間を過ごしている。

 だが、切っ掛けこそは同じだが内に秘めているモノは違う。

 二人は彼女に恩返しがしたいが為だが昴にあるのは罪悪感。だから、突如目の前に件の彼女が現れて、何を話せば良いのか、何を話して良いのか、話す資格はあるのかと、昴の意識はどんどん内に入り込んでしまった。

 だが、昴の中で膨らんだ思いとは裏腹に、当の本人はかつての笑顔を取り戻し今は朗らかに笑っている。

 だから、少しだけ、ほんの少しだけ、昴は救われた気分になっている。

 自分のした事は消えやしない。だが、現実にはあの時の昏い目をした少女はもういない。

 だから、良かった、なのだ。

 こうして少し気持ちの整理が出来た。

 その所為か、もしかしたら舞い上がっているのかもしれない。

 だから、普段は食べないチョコを口にした、そうとも取れる。

 だとしたらチョロいな私、と昴は自身に白い目を向ける。ただ、それだけ自分の中で大きかった問題だった。それが少しだけ緩和されたのだ、仕方ないよね、と手のひら返しの自己弁護。

 千彩から貰ったチョコの包みを開ける。

 薄い四角を口の中に。舌の上で解ける様に溶けて、苦味が口一杯に広がる。程良い苦味。それはとても心地良い、と昴は思う。


「スバルってさ」撫子が遠くを見ながら言う。顔が傾き、いつにない真摯な眼差しが昴に向いた。「自分の事あんまり語らなくなったよね。それってヨウの事があるから?」

「いや……」


 撫子の言葉は昴の中心を射抜く。

 関わりがないと言えば嘘にはなる。

 だが根本は少し違う。

 だからどう答えたものかと思案していると、再び撫子の言葉が降ってきた。 


「本当の心の内は解らない。けど、多分ヨウは今楽しいんだ。それだけを受け止めても良いんじゃない?」

「えっと……?」

「私達はスバル程ヨウとの距離は近くない。だからその重さはちょっと共感出来ない。けど、その本人が今楽しそうに笑ってる。ならさ……」撫子はそこで言葉を濁した。


 横で千彩が苦笑を浮かべ肩を竦めて見せる。


「しこちゃんは、意外にこういうの苦手なんすねえ」千彩の言葉に撫子は鋭い眼差しを返す。それを軽くいなす様に退け、千彩は言葉を続けた。「今まで、ヨウちゃんの事があったから言い出しづらかったんすけどね、私達もう少し仲良くなっても良いんじゃないかって、思うんすよ」

「はあ」気の抜けた返事が自分の口から出たのに気付き、昴は慌てて居住まいを正した。だが、正した所で、相手の意図が浸透せず首を傾げてしまった。「どゆこと?」

「私達ってチームメイトで、友達っすよね」


 千彩の僅かに懇願する様な色の目が前髪の奥で瞬いている。


 二人との付き合いは小学校から。仲良しグループは違ったけれど、教室なり廊下なり、目が合えばちょっとした会話を交わす位には近しい仲。彼女達が今を選択をした後はほぼ毎日共にいる。だから、千彩の言う事は昴も納得出来る。だから直ぐに頷いた。

 そんな昴の反応を見て千彩は言葉を続ける。


「なら、もう少し、私達の事信用してほしい」


 軽い咳払いはおそらく照れ隠し。それを挟んで撫子が後を継ぐ。


「今更何が出てこようとも、気にしなくない? しないよね」

「そうっすよ。スバルはスバルっす」


 ああ、そういう事か、と昴は理解した。

 確かにある時を境に、自分の事をあまり語らなくなった。

 それが自分と二人の間の溝を作る。

 その事を二人は距離として感じていた、という事なのだろう。

 だが、自分を語る事が溝を埋める事に繋がるのだろうか、とも思う。だからきいた。


「私のプライベートなんて、さほど興味ないでしょうに」

「あのねえ」撫子が溜息を吐く。「全部を全部話せって訳じゃないのね。さっきみたいにさ、甘過ぎるのが苦手って知ってれば、ちろだって最初から、違うものを渡したよね」

「まあ、そうっすね」千彩が頷く。「スバルは、私達より全体を見ている。だから、どうしても個を出すよりは、客観的な意見が出てくる。チームとしてはそれで良いんだけど、友達としては、もう少し腹を割っても良いんじゃないかなって。だってもう何年になる? 私達の付き合いって」

「私の知ってるスバルって中二から変わってないよ」少し寂しそうな表情を浮かべ撫子が千彩に同意する。「だから、話さない原因がヨウとの事にあって、これまで重かった事が和らいだのなら、今度は腹を割れって事」


 不意に襲ってくる暖かさ。

 拒絶までは行かないまでも、それに近い事をしていた訳だ。信用はあるにはあるけれど、望むものとは少し違う。要はもっと深いお友達になりましょうって事だ。

 なんともシンプルかつ暖かい言葉。

 これまではこれまで、今はこれから。

 変わるなら、変えるなら今なのかも、と昴は思う。それと同時に。この二人なら些細な事でも受け入れてくれるという安心感があるのも事実。

 だから、その手を取ろう、と昴は思う。

 だが素直に言えないのが、少し拗れた昴である。照れ隠しとも言える。だから口をついた言葉。


「腹なら割れてるんだけど」自分のお腹をさすりながら昴は嘯く。


 昴の言葉に二人が白い目を向けた。

 僅かな間。


「……そういうとこ、だからね?」千彩と撫子の言葉が見事に重なった。

「……ごめん」昴は素直に頭を下げる。そして照れを何とか乗り越え言葉にする。「じゃ、じゃあ、これからもよろしく」


 差し出した手。

 千彩と撫子の視線が交わり破顔。昴の手に二人の手の平が重なった。


 昴は思う。

 始まりはいつだって突然。悪い事も良い事も。それでも始まったのなら、全力で駆け抜けよう。目的地は遥か先にある。一つの枷は緩み、ここにいる理由だけを追求する事が漸く出来そうだ。これはきっととても幸いな事だと昴は思う。


 改めて見る空は雲が集まり出している。

 再出発には丁度良い。自分達は歪な集まり。決して王道を歩みはしない。


 昴は両手を後ろにつき、大きく息を吐いた。

 これまで自分の中に溜まっていた何かが出ていく様な感覚。たとえ錯覚だとしても今の昴にはそれはとても心地良い。


 初夏の風が吹き抜ける。

 気の所為かもしれない。だが、その中に微かな湿り気を感じ昴は我に返る。

 根本も含めてもだが、これまでの全ては憶測に過ぎない。おそらくこうであろう、という推測から導き出された結果。当人の思惑が欠如した主観に塗れた思い。

 それでも、試合中に交わした少ない会話は、昴の持つ重みを和らげる効果はあった様に思う。詰まる所、件の少女、金田一葉はあの時を引き摺ってはいない様に見えた。きっと千彩も撫子も同じ感覚を得たのだろう。だからこそ、自分の背中を押したのだと昴は思う。

 客観的に考えれば良い方に向かっていると考えられる。

 だが浮かれたままではいられない。

 世の中には”上げて落とす”が確実に存在する。本人の口から真相を聞くまでは、真の安堵はないと思う。流れに乗ったまま最悪の方向へ行き着く可能性がまだある事に思い至り、空恐ろしいな、と昴は内心苦笑する。

 それでも、昴の心の内は和らいでいる。

 最悪の結末は考えるが、自分の中の客観的な視点が、現状に及第点を出している。


 だから、気を引き締めつつも安堵に包まれていた昴は、自分達に近づいて来る人影を認め、その人物の輪郭が明確になった瞬間、身体全体を冷たいモノが走った様な感覚を覚えた。


「あ」


 千彩と撫子もまた近づいて来る人影に気付き、居住まいを正した。

 近づいて来た者は三人。

 先頭を歩くのは、小麦色の肌に薄灰色の虹彩を持つ小柄な乙女。お転婆なお姫様然とした彼女の後ろに、目付け役の従者の様に二人が付き添う。一人は昴と、塁上、打席で言葉を交わした、斑目という名の小柄な捕手。

 そしてもう一人。

 それはかつて色を失くした件の少女だった。


「お疲れ様ですっ」


 強豪と呼ばれる場所で、主戦として活躍をした経験のある千彩と撫子。上下関係には敏感で、先輩を認めた二人は反射的に居住まいを正し頭を下げる。一葉に気を取られ一拍遅れて昴も声と共に頭を下げた。


「お疲れえ」


 結城碧は彫りの深いどこか異国情緒のある顔の横で左手をひらひらと振った。

 かつての相模原時代に昴は一度だけ碧を見た事があった。

 当時の藍曰く、世代トップクラスの捕手であり、類い稀な打撃センスと良質の目を持つ怪童。その言葉は真実で、その時の圧倒された印象を先の試合で昴は再確認した。

 その割に、目の前の乙女にはその手のトップカテゴリの選手にありがちな高慢さはまるでなく、中々にフランクな気質。そのギャップに少しだけ肩透かし。藍達が一目置き、色々な面で警戒していた人物像と現実が上手く重ならない。そんな感覚を昴は覚えた。

 不敵な笑み、というのだろうか。

 そんな含みを持たせた笑みを浮かべる碧に対し、漸く藍達が警戒していた意味を昴は理解した。それはブラックボックス。

 予想の遥か斜め上どころか、次元すら超えて何かが飛び出して来る様な怖さ。

 全てを見透かす様でいて、何も見ていない様な不気味さ。

 例えるなら、ファンタジスタの素養を擁した橙色のセータを着た音痴な空き地のガキ大将。

 自分の想像に吹き出しそうになるのを昴は必死で堪える。


「……なんかシツレイな事考えてない?」


 白い目で、碧にど真ん中の直球を投げ込まれ、思わず昴は目を逸らす。


「ソンナ事ナイデスヨ」


 不意を突かれ、出た言葉に抑揚はない。


「はい、確定」碧はそう言って、横にいる小柄なメガネに顔を向ける。「コハク、あいつ意外に失礼なヤツだぞ、どうする? 煮る? 蒸す?」


 斑目は盛大な溜息を吐いて肩を落とす。


「阿呆な事言ってないで、要件伝えてくださいよ」

「そっすよ」一葉が楽しそうにその輪に加わる。「でもその前に、まずは焼いてから」


 悪戯な目をして笑みを浮かべる顔が昴に向いた。

 その瞳はまだ互いに幼かった頃と同じ輝きを宿している。

 本当に帰って来たんだ、と昴は実感する。

 それは何と幸いな事だろうか。

 一人場違いな感動とも安堵ともいえる感情に包まれる昴を他所に、碧は己の責務を全うすべく口を開いた。


「お前ら三人、うちに来い」

「は?」


 思わず千彩、撫子と三人の声が重なった。


「言い方ぁ」斑目が碧を肘で突く。「おい、この子らの顔見ろよ、めっちゃ呆気に取られてるじゃないすか」


 コントの様な二人のやり取り。それを嬉しそうに眺める、泣きぼくろのある垂れ目の乙女。その彼女が一歩前に出て昴達に語り掛ける。


「合同練習は聞いてるよね?」昴達の首肯を受けて、一葉は言葉を続ける。「その際にさ、スバル達はこちら側で参加しないか、って話なのよ。結構良い話じゃない? それになんと、うちの主力を相手に出来るという特典が付きますよー」


 呑まれた、というのはこの事だと昴は実感する。

 言葉を出したのは一葉ではあるが、本当に想像の斜め上をゆく結果が降って来た。

 受け止めるには隕石程度の質量があり、即座には反応出来ない。


「まあさ、ちょっとしたサプライズさ」碧は昴達に向けて片目を瞑る。「君等の主将からのな」


 君らの主将、つまりは藍の事。その名が出て漸く昴の中で散らばっていたモノが形になった。

 自分達の奥底にある靄は藍も知っている。だからこそ、彼女なりのプレゼント、という訳だ。らしいと言えば、らしい。だから、気遣いは有り難く貰い受けよう、と昴は思う。


「解りました」昴は言う。「その話喜んでお受けします」


 昴の言葉に続き、千彩と撫子も了承、と頭を下げた。


「で、だ」碧がしゃがみ込み、昴達と目線を合わせた。その目が千彩に向く「ギョロメ、お前はもう投げれないけど、興味持ったヤツいるから、そいつらと一緒にノースローの練習な。皆、ずっと投手やってるヤツらだから、色々為になるだろうし」

「は、はい」千彩は返事と共に背筋を伸ばす。


 昴は横目でそれを眺め、多分愛称としてだろうが、”ギョロメ”は良いのか、と思う。まあ、本人が嬉しそうな表情を浮かべている以上、まあ、良いかとさらりと流す。


「で、マロ眉」碧が撫子に言う。


 撫子は撫子でそれに即座に反応し、慌てて両手で額を覆う。


「……なってます?」真顔に近い表情で上目遣いに撫子は碧に尋ねた。

「えぇ?」碧の目線が額で止まる。「ああ、マロ眉の事? なってからそう呼んだんだけど、ヤだった?」

「だから、言い方ぁ」斑目が碧の首根っこを引っ張る。

「ちょ、コハクぅ。首引っ張んの止めろって何回言えば……」

「だったら、引っ張られる様な事言わなきゃ良いんすよ」


 斑目が手を離し、碧は尻もちをついた。


「ったくしゃあねえな」悪態を吐きながら身を起こし、碧は斑目に向かって顎をしゃくった。「同じ一年、同じ捕手だ、お前に任せた」

「……ミドリちゃんだって、捕手でしょうに」溜息混じりにそう返し、斑目は撫子に向き直った。「えっと、雪村さん、だよね?」

「うん、雪村撫子。それで……」


 撫子の窺う様な目線に気付いたのか、斑目は軽い自己紹介は挟み言葉を続けた。互いに一年生、同じ捕手という事で、そこそこ話は盛り上がりを見せている。


 それらを横目に、頭の中を駆け回る”マロ眉”の響きに一旦蓋をし、昴は思う。

 撫子が嬉々として、野球の話をしているのを見るのは中々に新鮮だ。努力家な上、練習には真摯に打ち込む姿勢も知っているが、彼女の性分なのか熱が前に出て来ない。熱ければ良いという訳でもないが、傍目には冷めて見られがち。冷静は彼女の美徳だが、だからこそ新鮮であり、熱量を実感出来る。


 思わず親目線で頷く昴だったが、名を呼ばれ我に返った。


「で、私達だけど」


 今昴の前には、かつて色を失くし、今は極彩色に彩られた乙女がいる。

 咄嗟に出る言葉はなく、ほんの僅かな間二人の目線が交わる。


「あ、っと……」


 何とか振り絞った所でやはり言葉は形を成さず、気の抜けたサイダの様な本質が失われた残滓が溢れた。


「まあさ」一葉は僅かに口元を上げる。苦笑じみた笑いの中に照れの様なモノが滲む。「お互い、言いたい事はあるんだろうけど、それは後でって事でさ。少し協力してくんない?」


 突然飛び出た”協力”の言葉に昴は、嬉しさと疑問が合わさった妙な感情を抱く。だが、邂逅が昴に齎したそれは嬉しさの方が勝り、受け入れる方向に彼女の天秤は傾いた。


「別に良いけど、協力? 何を?」

「いやまあ、ねえ……」


 勿体ぶる様な素振りに見えて、一葉のそれは言い難さから来るものだと昴は感じる。

 かつての悲劇もそれが大元ではあるが、昴の知る一葉は物事をはっきりと口にする性格だ。ならば彼女が口籠るのは、抱えている案件が個人の枠を超えているからかもしれない、そんな風に昴は分析。


「事情が言いづらいなら別に良いよ。協力するって言ったろう?」


 先程までの逡巡が嘘の様。

 本人を目の前にして、二、三会話をしただけで、空気があの頃に戻った様な錯覚。それが、昴の口を滑らかにした。

 昴の言葉に一葉は柔らかい笑みを返す。


「ありがと。スバルは変わってないね。空気を読めるところは相変わらず。だからきっと……」一葉は一旦言葉を止めた。「いや、今は良いか」


 一瞬悔恨じみた表情が覗き、一葉はそれを小さく首を振って掻き消す。そして更に言葉を続けた。


「でもまあ聞いてよ。協力を持ちかけた責任もあるし、スバルなら解ってくれるだろうし」


 買い被り過ぎだと思わないでもないが、それでもやはり言われて嬉しい言葉には違いない。そもそも、一葉が笑っていて、その彼女と会話が出来ている事自体が昴にとって幸いなのだから。


「うん」昴は小さく頷き、一葉に先を促した。

「身内の恥になるんだけどさ」


 そう切り出した一葉が語ったのは、強豪と呼ばれる鳴海大葉山の中で蠢く醜さ。

 目的なんて物は人それぞれ。どんな物を抱えていようとも、それは個人の自由。ただアウトプットを誤れば、それは周囲に影響を与える。その悪い例を昴は基、一葉も知っている筈だ。

 だから、昴はつい言葉を溢してしまった。きっと言わなくていい言葉だったに違いない。


「なんか相模原みたいだね」


 言ってから、昴は慌てて口元を押さえ、一葉を窺う。彼女が受けた嫌な事を思い出させたのではないかという危惧。

 だが、とうに本人は小さく溜息を吐いた以外の変化はなかった。


「まあ、ね。上に行けば、も少しまともに野球出来ると思ってたんだけどね」辟易、という言葉がぴたりと嵌る、そんな表情を一葉は浮かべた。「と、まあ、そんなバックボーンがあってさ。協力なんて耳障りの良い言葉使ったけど、スバルには大したメリットもないんだけど……」


 なるほど、と昴は思う。

 言いづらそうにしていた理由の一つ。詰まる所、自分を利用しようという事なのだ。

 側から聞いていれば、何とも都合の良い話。だが、一葉の提案はおそらく昴でないと成せない類の話、だから全てを打ち明けて、協力という言葉を使ったのだろう。

 だが、答えなんて初めから決まってるさ、と昴は思う。

 だから昴のありのままを伝える。


「私だから出来る事なんだろう? 最初に言った通りやるよ」

「良いの?」一葉が最終確認をする。

「だから良いって」昴は妙な照れを感じ、彼女から目を逸らした。

「ありがと」少し笑った様な一葉の声。だが、次の言葉には不穏な音が滲み出す。「これでうまく行けば、スバルは戦犯だね」


 物騒な言葉に昴は慌てて顔を戻す。


「何を……」


 そう言った所で、理解が追い付いた。昴の思惑とほぼ同じ事を、一葉は屈託の無い笑みを浮かべて言い切った。


「だってそうでしょう? うちの抱える不利な点を、スバルの力でもって駆逐する。その結果、うちはモチベの統一されたチームに生まれ変わる。そっちにとっては強敵の再誕。敵に塩を送るどころじゃないよね、パーティレベルのケータリングだ」

「それは違うよ」昴は返す。


 一葉の言葉は彼女から見た場合の結果だ。きっと一葉も解った上での軽口、もしかすれば照れ隠しなのかもと楽観的な思いを昴は浮かべる。


「そもそもさ、半端なチームに勝っても達成感無いじゃん。カネやんがそこにいるなら、真っ向勝負したいからね、その為に私が出来る事なら、喜んで協力するさ」続けて、気にするなという気持ちを軽口に乗せる。「まあ、人によっては自分の首を絞める行為だとか言うんだろうけど、生憎、私の首はそんなに弱くないからさ」


 昴の言葉に僅かな間、一葉は口を半開きにして固まった。目線が下に、若干俯く様な姿勢。前髪に隠れ目は見えない。口元だけが僅かに上がった。一葉は呟く様に言う。


「お前、ほんと良いヤツ」


 顔を上げた一葉は朗らかな笑みを湛え、昴の左肩に自身の左手を乗せ軽く叩く。手はそのまま、丁度すれ違う様な格好で近寄り、昴の耳元で囁いた。


「じゃあ、頼むよ」言ったその顔が不敵なものに変わる。「物解りの悪い阿呆には、現実ってものを見せつけなきゃ理解しないからなあ」


 紛れもない、金田一葉の言葉だ、と昴は思う。

 普段は陽気で物腰柔らかな空気を纏っているが、彼女の本質は闘争本能の塊。常に上を見続け、挑戦を辞めない。理不尽には己が力で立ち向かい、彼女が信ずる所の勝負に身を委ねる。

 清々しいまでの自己証明。

 これでは、我欲に塗れた相模原では息苦しくもなるだろう。

 ふと、千彩の言葉が蘇る。


 ——良かったっすねえ。


 一葉なりの憂慮はあるにせよ、本当に、良かった。改めて昴はそう思う。

 自分自身も、一葉も。きっと千彩も撫子も、この日の交わりは良かった事には違いない。

 それぞれが、刺激を受け次に繋げる。ある意味でのチームとしてのターニングポイント。昴にとっては、失くした時間を今すぐにでも取り戻したい衝動に駆られるが、それは練習の後でじっくりと。失った以上の膨大な時間が、今の昴達の先にはあるのだから。


 頬を撫でる初夏の風。その風に昴は今は少しも湿り気を感じない。

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