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アイデスの憂鬱  作者: 森住千紘
Sprouting of qualities : 2 〜 資質の萌芽 〜
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 Birth of the moonarrow : the bottom challenger. I

 それは清廉。

 深い森の奥、樹々と深緑に埋もれた泉の様な涼やかな静謐せいひつさ。

 初動から終止まで、そのどれもに一切の無駄も躊躇いもなく、ただ淡々と流麗。


 これは羨望だろうか。

 これは嫉妬だろうか。


 否、と藍は首を振る。

 感嘆はする、だが個人的なネガティブな感情はない、と藍は結論づける。

 ただ、ここにいるのがうとましいだけ。


「やってくれるね、ミドリ」誰ともなく藍は呟く。


 初夏の空を切り裂いた弾丸の様なそれ。

 右中間をそれこそ文字通りに真っ二つに切り裂いた結城茜の打球。

 それに梓が最速で追い付き、藍に返球、そこからセカンドにカヴァーに入った昴へと完璧な連携。

 自分達の成せる技なのか、はたまた、結城茜の判断ミスなのか、息を呑んだ一瞬の後に訪れた結果は、藍達に軍配が上がった。

 セカンドでタッチアウト。

 グラウンドに響き渡る、我が儘プリンセスの怒声。


 ——雑ゥ!


 妹の稚拙なプレイがそうさせたのか、もしくは元々そのつもりだったのかは定かでは無い。

 最終回、当初の前提条件は覆され遊撃手に就いたのは鳴海大葉山の正遊撃手、千家知沙だった。

 碧曰く、世代ナンバーワンの遊撃手。藍もそれには同意する。そして、その現実を見せられている。

 きっと、妹への懲罰ではなく碧の挑戦状なのだろう。

 彼女の出来る範囲での最高のリスペクトの賜物。私のチームはどうだい、という碧の意思表示。

 全ては想像だが、藍はそんな風にこの現実を受け止めている。

 見慣れたという程は見ていないが、そこにあるのが当たり前と思う程には、碧が扇の要に居座っている事がしっくり来る。

 それに加え、マウンドで腕を振るのもまた、同い年の笹川雪。

 神奈川の中堅シニアで頭ひとつ抜けていた左腕。

 碧の構想には入っていなかったが、結果として今同じチームでバッテリィを組んでいるのは彼女だ。尤も、笹川はそんな事知らないだろうけれど、と藍は思う。

 ただ、知っていようがいまいが、碧と笹川、この二人がここにいるのが現実で、それは藍達の前に現れた新たな壁である事には変わりない。

 碧の技術と、笹川の力。それらが合わさり何とも心地良い音を奏でている。

 苦笑じみた笑みを浮かべ藍は再び同じ事を呟く。


「ほんとやってくれる」

「まさか、レギュラ出して来るとはね」言葉とは裏腹に慶侑は嬉しそうに言う。「認めてもらえたのかな」

「さあ、どうでしょう。レギュラと言っても一人だけですし」藍は素直に答える。「でもまあ、ミドリなりのプレゼントなのかもしれません」

「随分意地の悪いプレゼントだねえ」

「監督程は意地悪くないんじゃないですか?」藍は微笑む。「ああ、監督は意地悪いじゃなくて、気持ちが悪いだったか」

「……有坂はさ、言葉に刃を仕込まないと会話できない症候群か何か?」

「キモッ」一旦白い目を慶侑に向けてから、藍は破顔する。「きっと、嬉しいんですよ、私。全然本気じゃ無いんだろうけど、継ぎ接ぎだらけで負い目てんこ盛りの私達に対してミドリがしてくれた事が」


 言ってから藍は、こういう言い方をするとなんか照れ隠しに聞こえやしないかと、内心焦る。

 実際本心なのだ。嬉しい。力ある者と対峙出来る事が。

 完全とは言えないがその場所までやってこれた事が嬉しいのだ。

 現状に満足はしていない、満足なんて出来ない。

 だが、戦う場所が出来た事、自分達を曝け出す場所が出来た事に関しては満ち足りている。


「……まあ、相手の意向がどうであれ、対バッテリィは骨が折れそうだ。それについては?」


 藍は口元を上げる。


「望むところです」 

「良い答えだ」


 慶侑は頷き、彼にしては珍しくベンチから出た。

 そのままネクストで相手を凝視する昴の元へ。

 腰を落とし、彼女と目線を共有しながら二言三言、言葉を交わす。

 藍のいる場所からは二人の表情は見えない。

 だが、昴が首を傾げたり小刻みに頷いているのは解った。

 何を伝えているのだろう。遠目から見ていれば当然浮かんでくる疑問。だから、戻って来た慶侑に直接きいた。


「スバルには何を?」


 藍の質問に慶侑は目を逸らした。直感が相手の後ろめたさを感じ取る。藍は睨む様な目付きで訝しみの演出。僅かの間視線がぶつかる。折れたのは慶侑だった。


「あんまり気を悪くしないでよ? あと辛辣な言葉の選択も」慶侑はそう前置きして、彼の思惑を打ち明けた。「有坂には悪いけど、正直な所、僕はこの回の布陣にちぐはぐさを感じた。まあ、残り物を充てましたって事なら解る。じゃあ、千家が出るのは何故?」

「だから、それは……」

「うん」慶侑は頷く。「そこに関しては、結城の計らいという有坂の言い分が一番しっくり来る。だから、それは採用した。で、そうなると、相手の意図はどこにあるか」


 藍は慶侑の言葉を噛み締める。

 噛めば噛む程、実は自分が舞い上がっていたのではないかという考えに侵食されてゆく。

 冷静に目の前を分析すれば解る事だ。

 仮に碧が藍に対して挑戦して来る姿勢であるのなら、おそらく布陣は全く別の物な筈だ。

 千家が出るのは良い。だが、他のポジションはどうだろう。ざっと見回しても、これといって引っ掛かる者はいない。何となく見た顔がいる程度、すっと名前が出てこないという事は藍の記憶には刻まれなかったという事だ。


「そんな顔しなくても」慶侑が苦笑する。「実際、笹川ー結城バッテリィと千家が出るだけで、ウチの見返りとしてはかなり大きいんだから」


 目が醒めた。

 だが、舞い上がっていた自分を外に出すのが嫌で藍はそれを言わない。代わりに、現実から弾き出される可能性を吟味、答えに変える。


「特に意図は無かった?」

「もしくはウチとは関係ない事情」慶侑はそのまま続ける。「だから、穴をついてやれと水木に言った。幸運な事に笹川は左、右の水木ならよく見えるでしょ。だからショート以外を狙えってね」


 本当にそれが可能なのか、と思い、藍は改めて内野を見回す。

 鳴海大葉山に所属している以上、最低限はこなせるだろう。実際これまで出てきた選手はその片鱗を見せつけて来た。

 だから、藍は訝しんだのだが。


 息を呑み、ゆっくりとはく。

 目を閉じ胸に手を当て、目の前にある事だけを受け止めろ、と藍は自分に言い聞かす。ゆっくりと目を開け、目の前に広がるグラウンドを客観的に眺める。

 結論、悪くない。

 僅かな間の観察だから信憑性は乏しいかもしれない。

 だが藍の記憶に残る様な選手はその僅かであっても輝くのだ。それが、グラウンドの大半の乙女からは感じられなかった。

 要するに平凡。

 先入観を取っ払って見ても、強豪と呼ばれるチームには必ずと言って良い程にある、プラスアルファの部分、つまり強烈な個性が感じられなかった。

 もしかしたら、打撃にそれがあるのかもしれない。だが、もしそうならば、攻撃時に送り出せば良い話なのだ。

 成る程、と藍は思う。慶侑の言う”ちぐはぐ”の意味が浸透した。

 藍は言葉を選ぶ。


「なんか、パッとしないと言うか……」

「でしょう」慶侑はグラウンドに目を向けたまま続ける。「あちらの意図が何かは解らないけど、こういう布陣を出してきたのは事実。これはある意味チャンスだ」


 そう、チャンス。付け入る隙、一つの壁を乗り越えれば得られる報奨。


「あのバッテリィの球を打ち返せれば、か」


 藍は呟く様に言いながら、相手バッテリィを見遣る。

 笹川を、碧を、最後に見たのはいつだったか。当時の印象はそのままに、スケール自体は何倍にも膨れ上がっている。

 だが、とも思う。

 成長しているのは自分も同じ。イメージで現実を彩り過ぎてはダメだ。冷静に、ありのままを受け入れろ、と藍は彼女達を凝視する。


「ラストぉ」


 碧が声を上げた。

 それに触発され、内野を駆け巡っていた球が弾き出されてゆく。

 笹川がセットから左腕を振った。

 碧が半身で受けセカンドに。強肩は相変わらず。受ける千家は僅かに口元を上げて難なく捌く。


 ふと藍の中に感傷にも似た思いが湧いた。

 実像を見せられたからかもしれない。

 もし、道を共にしていたのなら、千家の傍にいるのは自分だった。

 そこにいる藍はきっと我が儘を言える自分。引いた目を持たない、個人の目標に向けてひた走る一選手としての藍。

 たらればを思っても、得る物なんてないのは解っている。だから感傷。懐旧に思いを馳せているだけ。センチメンタルな思いに蓋をして、今の藍が目を開ける。


 そこにいるのは同志ではなく敵だ。

 この選択を選ぶだけの理由が藍にはある。選んだ以上、それを彼女達に見せ付けてやらねばと藍は思う。

 首を傾け、藍はベンチ内に目を向ける。

 奥の椅子で足を投げ出し、顔にタオルを載せている暫定エースに声を掛けた。


「ちろ、あんたの仕事はまだ終わりじゃない。もう一回残ってる」

「解ってるっすよ」タオルを乗せたまま千彩が言う。むくりと起き上がりタオルを剥がす。仄かに火照った頬を綻ばせる。「逆転してくれるんすよね、アオイちゃん」

「もちろん。それにどうせなら、もう少し投げたいでしょ?」


 これまでバッテリィは持てる力を存分に発揮出来ている、と藍は思う。勿論、至らない事やミスは多かったが、その都度修正され新たに試したい事も出てきている様だ。

 もっと時間が欲しい、もっとこの時間が続いてほしい、と新造バッテリィの表情が語っている。

 千彩は藍の問い掛けに即答した。


「そうっすね、後ちょっとだと思うんすよね」千彩は右手に目を落とし二、三度開閉した。「それに、打ち切りみたいのは嫌っすね」


 藍は苦笑する。先攻である自分達が、最低限同点に出来なければ最終回の裏は無くなる。

 それがルールなんだけど、とも思うが敢えて言うまい。

 同点、寧ろ逆転すれば良いだけ。

 本人が煮え切らないと言っているのだ、水を差すのも不粋だろう。


 藍はベンチ最前列に佇みグラウンドを臨む。

 碧の声がグラウンドに響き渡り内外野から声が返って来る。

 荻野が手を挙げ、最終回の幕が上がる。


 笹川の、かつては若木の様だった下半身も今では地に根を張る大樹の如し。

 当時から球は速かったが、今ではそれに力強さも加わっている。

 引いた右足。

 踏み込む右足。

 弓の様に身体がしなり、矢の様に球が弾かれる。

 軌道に合わせて昴の首が僅かに動く。

 初球彼女は見送った。ボールはゾーンに入っていた。


dobro(ドブロ)!」


 聞き慣れない言葉を碧が発し、笹川に球を返す。

 昴がちらりとこちらに顔を向け小さく頷く。予め出ていたサインは続行。

 続いて二球目。

 内側に逸れ、高めに浮いた変化球の慣れの果て。昴は大きくのけぞった。

 碧は手の平を下に向ける仕草をして直ぐに返球。

 サイン交換は迅速、テンポは速い。

 再び、昴の胸元に変化球。

 これも外れて、カウントは2-1、バッティングカウント。

 バッテリィとしては、ストライクが欲しい。取りに来るならばそれを狙うまでだ。

 笹川の始動。

 踏み込み弾く。

 昴は内に踏み込み、球を捉える。

 少し濁った音。

 藍は反射的に舌を打つ。

 打たされた。

 おそらく、カットやツーシームの様なストレート系の変化球だろう。

 ただ、打球自体は面白い。


 藍の経験が予測する。セカンドに飛んだ打球は、定位置のままではショートバウンドになる。瞬時の判断で、前に出るか後ろに下がるかを決めなければならない。自分なら迷わず前に出ると藍は思う。ショートバウンドは嫌い。だからバウンドさせない。


 だが、葉山のセカンドは一瞬躊躇し前に出た。

 結果、ショートバウンド処理をせざるを得なくなり、そして、弾く。

 セカンドベース方向に球が転がる間に、昴はファーストを駆け抜けた。

 棚にあるのはぼた餅でも饅頭でもなんでも良い。藍は拳を握る。この際過程は片隅に追いやれる。ノーアウトのランナーが出た事が重要なのだ。


 藍は立ち上がり準備を始める。

 傍、慶侑が次打者に指示を出している。

 昴が得た笹川の情報を共有しながら次の展開を何パターンか考える。

 ベストは一点。

 だが、打つとなるとゲッツーが怖いし、ほぼ初見のバッテリィ相手にはそもそもの確実性が乏しい。

 二番に入る船見ふなみ千歌ちかはブランクはあるけれど経験者。

 だが、典型的な二番タイプ。小技が上手く長打力は乏しい現実もそれを後押す。

 ならば昴に盗ませるかと考えて、それはあまりにもリスキだと判断する。

 船見の打席は右、碧からは昴の動向がよく見える上、おそらくセカンドのカヴァーは千家が入る。碧、笹川バッテリィ、プラス千家を相手に盗むのはぶつけ本番では分が悪過ぎる。


 安全マージンとリスクリターンの間で何を選択するか、どういう結果が欲しいのか。

 出来たら良いのに、という今叶わない願いは裏を返せばそれは伸び代があるという証左。

 なにも悲観する事ではない。

 出来ない事は出来ないが、出来る事の中にはそれと同等の結果を齎すものもある。

 自分達は継ぎ接ぎだらけの歪な集まり。堅実なプレイは選択肢の一つでしかない。常に挑戦、結果が予測出来るのなら、時には無謀に見える事すら行う。成功も失敗も今は全てが経験値として蓄積される。恐れるものは何も無い。

 だから。

 比べてしまえば非力に入る船見ではあるが、彼女の当てる巧さを慶侑は選択した。


 盗塁を警戒したバッテリィ出方を見る為、初球は待って二球目で勝負。

 笹川のモーション開始と同時に昴は飛び出し、船見は右方向を狙い始動。

 送りバントよりも利を取ったエンドラン。

 型には嵌った。

 だが、碧の掛けた保険が打球の行方を決めた。

 アウトコースから内に入るカットボールに打球は逆方向、ショートに飛んでしまった。

 千家の反応は速く、臆する事もなく前へ飛び出し捕球する。

 その体勢のまま左脚で体を支え、セカンドに向けて腕が出る。

 だが、球は手から離れない。

 セカンドのカヴァーが遅れ、寸での所で千家はモーション途中で腕を止めた。

 碧の声掛けで千家は体を旋回させファーストにボールを送った。


 相手のミスの準じた結果ではあるが、船見は昴を二塁に到達させた。

 流石は千家知沙、あの球際の反応の速さはコンビを組むとなれば大変そうだなと藍は思う。

 こなすには技術もあるが慣れも必要だろう。

 自分ならばと考えて、不毛さに気付きそれをやめた。彼女とコンビを組む事が夢物語である藍にとっては、それは虚構と大差ない。


 改めて、あった筈の未来は中々に輝かしく、碧の慧眼には感服する。

 自分を選んでくれた事も嬉しい。

 だが、きっとそれは過去の延長線上にあるのであって、そこにいるのは今の藍では無い別の藍。今の藍はその過去が断線した先にいる。

 あった筈の未来は想像すれば面白く魅力的ではある。けれど望むものではないかな、と藍は再度自分の気持ちを確認する。

 やはりたらればは不毛、と藍はそれまでの思考に蓋をして大きく呼吸する。

 深呼吸は区切りの儀式。区切りのその先、その時は来た。


 ネクストで立て膝の状態から藍は立ち上がり、大きく伸びをする。

 ちらりと慶侑を伺うと、いつも通りのサインが送られる。


 シンプルプラン。

 打て。


 了解、と藍はメットの鍔に触れる。

 普段通り背筋を伸ばし戦場に赴く。

 ボックスの手前で頭を下げ、お願いしますの声と共に足を踏み入れた。


 さあ、やろう。


 左手で軽くバット回しながら、藍はグラウンド全体をその視界に入れて優雅に微笑む。

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