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アイデスの憂鬱  作者: 森住千紘
Sprouting of qualities : 2 〜 資質の萌芽 〜
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 Birth of the moonarrow : things to carry on your back

 無意識に乾いた笑いが口から溢れ出ていた。


 この場合、目敏めざとくという言い回しが正しいのかは解らないが、普段は見せる事のない藍のそれに、慶侑が真っ先に気付いた。立場上、藍が彼の隣にいたからだけなのかもしれない。


「らしくないね。気が抜けた様に見える」

「……キモッ」藍は内心の驚きを隠し、ちらりと横目で慶侑を睨む。「監督というのは普通グラウンドに目を向けているものだと思うんですけど?」

「僕の視界は広いんだよ」

「馬か何かですか?」藍は少しだけ口元を上げる。些細な軽口を思いついたからだ。「ああ、鹿でも良いですよ。そうだ、この際両方でどうですか?」

「有坂、ドイヒー」


 軽口の応酬が日常茶飯事と化しているのは、互いが互いの優先順位をしっかりと把握し、遵守しているからだと藍は思っている。だから、口から溢れる言葉に刃が仕込まれていようが、本質を見失う事は無い。故に軽口は唐突に真剣な物へと変わる。

 慶侑は普段通り藍の軽口を華麗に流した。


「まあね、有坂がそうなるのも解らなくはないけどさ」

「……嫌になりますね、ホント」


 軽口を言いたくもなる、と藍は内心思う。

 元々相手が強い事など承知の上。自分達は最底辺の挑戦者。至らない自分達が強豪相手に何が出来るか、どこまで出来るかを見極める。そんな心意気を持って臨んだ試合。


 手応えは確かにあった。

 かつての自信は腐っていない。過去の財産は今も尚チームの根幹を成している。通用する、その確信が得られただけでも収穫としては上々。経験を積むという意味では、新造バッテリィにとって収穫祭を開ける程度には豊作だ。

 ただ、と藍は慶侑に見えない様に小さく唇を噛む。

 如何ともし難い差が目の前にある。

 それは天井の見えない壁の様。頂きと思われる場所に辿り着いても、そこは頂きにあらず、壁は更に上に伸びている。絶望感を伴う振出しへの帰還。


「これが強豪って事なんだよね」慶侑は苦笑じみた笑みを浮かべる。「継戦能力は兵糧や個々のメンタルも作用するけど、一番重要なのは数。同等の戦力をいかに保持できるか。かの第三帝国は……」

「その話長いですよね?」


 藍の一言に慶侑はしなだれたそぶりを見せる。

 藍にも解っている。

 ここまでまじまじと見せ付けられているのだ、強豪が誇る圧倒的物量を。これで、一二年だけ、しかもレギュラ以外。

 ホント嫌になる、と藍は思う。

 けれど、自分が選び取って歩み始めた道。苦難は最初から解っていた、今更天井の見えない壁が出てこようとも、這い上がるだけ、道はその先に続いている。


「これは独り言」慶侑は腕を組み打席に向かう選手を見つめる。「サブにはサブなりの理由がある。序盤に比べれば、まだ与し易い」

「って言いますけど、こう投手ころころ変えられては、対応しきれないですよ」


 慶侑は自信満々に言い切った主張を藍に容易く反論され、う、と微かに声を漏らす。すぐに取り繕い、白々しく何も無かった様に振る舞う。


「……独り言なんだけど」ちらと藍に横目をふる。「有坂知ってる? 寝言に返事しちゃいけないんだぞ」

「……寝言なら寝てから言え」

「有坂、ドイヒー」いつもの言葉を口にし、慶侑はくつくつと笑った。「ま、有坂の目は正しい。今はまだどうにかなるにしても、今後葉山は投手王国になるだろうね。良い子が揃ってる。ただまあ……ね」

「何です?」

「気付いてない?」慶侑は首を傾ける。藍が首を傾げたのを確認して一息ついた。「投手は良い。けど、捕手がちょっと拙い」

「それはミドリの策略で……」

「違うよ。そういう次元じゃなくて、もっと現実的な話。まだ一年生ってのもあるんだろうけど、荻野や結城レヴェルではないって事。ああ、彼女達が一年の時と比べてって話ね」

「ああ。そういう……」


 藍はグラウンドに目を向けた。試合はもう終盤に差し掛かっている。

 捕手には健康的に日焼けした立派な体躯の乙女が就いている。先発マスクの碧にくっ付いてきた華奢な捕手はすでにベンチの中。

 その彼女に比べれば、確かに今の捕手は拙くは感じる。

 技術は先発の方が上、打撃や力は今の方が上。一長一短ではあるが、藍からすれば、それすらも贅沢な悩みにさえ思える。


 今の自分達には然程選択肢は無い。だが、それは今だから。結果が付いてくるなら今後は、と藍は少しだけ楽観的な理想を思い浮かべる。

 そんな藍の傍で慶侑が呟く。


「幸運と捉えるべきか」打席に向けてサインを送り、続ける。「有坂は今の投手どう見る?」


 慶侑に尋ねられ、改めて藍はマウンドに目を遣った。

 これといって特徴の無いフォーム。球速もごく平凡。変化球は打席に立たないと細部までは解らないが、ここから見る分では、これも平凡。佇まいはマウンドの乙女にしては静か。薄味、淡々、無色と考えて閃いた。


「死んだ魚の様な目」

「……それ失礼じゃない?」慶侑が目を細める。

「褒め言葉ですから」

「……どこが?」

「気迫で投げる投手の正反対って意味です」

「ああ、まあそうなんだけど……」慶侑は首を振った。「いや、そういう事じゃなくて」

「今までで一番打ちやすそうですね」


 何か言いたげに慶侑は藍に白い目を向ける。

 揚げ足を取り合いながらも話は頭に入っている。こういうやり取りも日常茶飯事、流すアビリティは両者とも会得済み。故に会話のテンポは悪く無い。


「打たせてくれるならね」慶侑は難題だ、と肩を竦める。


 金属バットが耳心地の良い音を鳴らす。

 舞い上がる白球はレフト前に落ちた。


「お、ミっちゃん初ヒット」藍は両手を叩く。すぐに慶侑に目を向ける。「打ちましたけど?」


 藍の言葉を華麗に流し、慶侑はファーストに向けて声を張った。


白井しらい、ナイスぅ」


 口元を上げ、頷く慶侑に向かって、藍は同じ言葉を繰り返す。今度はスタッカート気味に。


「打 ち ま し た け ど ?」

「……聞こえてるから。強調しなくても、聞こえてるから」慶侑は眉尻を下げ苦笑する。「なんで有坂は僕に対して当たりがキツいの?」

「監督がチョづいてるからです。そこはかとなく、言い回しに”僕カッコイイ感”が滲み出てて、腹立たしくもあり、気持ちが悪い」

「……ああ、そう」慶侑は遠い目をする。だが直ぐに切り替える。「一見、特徴の無い投手の様に見えるけど、あの娘も厄介だね」

「ですね。こっちの目が良くないと打たされますね」

「そう」慶侑は頷く。「典型的な打たせて取るタイプ。というか、僕にはそれの特化型に見える。まったく嫌になるね、タイプの違う投手がこんなにたくさん。しかも捕手には二人規格外がいる。戦力的には穴は無さそうだけど……」

「だけど?」含みのある言い回しが気になり、藍は尋ねる。

「いや、それはいい。問題がない場所なんてあり得ない」


 それ、答えになってる、と藍は思う。

 つまりは一見ポジティブな姿勢で試合に臨んでいたとしても、水面下では何かしら問題を抱えている、という事なのだろう。少し前に監督交代が起こっている。指導者が変われば、自ずとその遣り方も変わる。良くも悪くも平常の出来事ではない。環境の変化への順応性は人それぞれ、選手の間でも思う所があるに違いない。


 それに、と、藍は相手ベンチに目を向ける。

 これまで横目で捉えていた違和感は藍の中で確信に変わっている。実際、相手ベンチ内には不穏な気配が漂っている。試合の最中にも拘らず、集中しきれていない感じ。抱えている物が表面にどろりと溢れてしまった様な印象。

 強豪校とは言え穴がない訳ではない、付け入る隙というのなら、葉山に限って言えばそれはある、ともう一人の冷徹な藍は思う。


 その考えに触れ、藍は慌ててそれを打ち消す。

 勝利至上主義はかなぐり捨てたのだ。勝利以外に重要視するものは何も無い、という考えは今の自分達には最も縁遠い。育った環境で培われてしまった精神性が、時折顔を出して今を悩ませる。

 枷というのなら、自分にも二重三重に掛けられていると藍は思う。

 何とも生きにくいな、と藍は内心独言る。


「ああっ」


 慶侑だけではなく、ベンチ内からも落胆じみた声が出た。

 ワンナウトからヒットが生まれ、そのランナーを送るバントが失敗した。

 スリーバントアウト。

 反射的に藍の口が開く。


「そういう声は出してはダメ。ミスは誰にもある、期待してそれが裏切られたからといって表には出さない」


 皆、つい溢れただけだ。藍の言葉の意味は皆が理解している、だから返事は早い。

 ベンチ内に、次、これから、といった未来に向けての言葉が飛び交う。

 よくある当たり前の光景。

 これが藍の中で当たり前になるまで結構な労力を要した。かつて藍がいた場所には無かったものだから。理想はまだ遥か先。だがほんの僅かであってもそこに近づいている確信。それが藍を後押しする。


 スコアは4-7と差が開いている。

 相手には千彩のデータが蓄積され、逆にこちらは継投により常に初見じみている。戦える、という手応えはあるが、切っ掛け、爆発力共に不足している。

 悔しいな、と藍は思う。

 三回裏に猛攻を喰らい一挙五点奪われた。

 けれど、それ以降所々メンバが変わり、序盤の様な勢いは形を潜めた。とは言え、攻守共にそこまで質が下がった訳でもなし、形を潜めた様に見えたのはおそらく偶々。

 ほんの少し噛み合わなかっただけ。慶侑が言う通り、代わりだろうが何だろうが一定以上のクオリティは見せ付けられている。


 そんな中五回に一点を返し、迎えた六回。

 先頭こそ相手の好守によって打ち取られたものの、この投手なら打てるという確信じみた思いが皆の中に生まれた。

 果たして安打が生まれ、反撃の糸口を見つけたと思われた中での先程のスリーバント失敗。つい、とは言え落胆が溢れてしまうのも仕方がない事なのだろう。


 もう少しで手が届きそうなのだ。確かに流れは隣に来ている。もう少しでそれに乗れそうなのに、後一歩が届かない。


 ツーアウトとなり、九番に入っている撫子の打席。ここで彼女が出れば、昴に繋がり、そこから藍、梓とある程度計算出来る面々が続く。試合の中で流れが変わる場面というものがあるが、今まさにそれ。ここをものに出来るかが勝負の分かれ目。

 理想的な展開を期待する。

 だが、おそらく流れには乗れないだろうともう一人の藍は思う。

 期待はする。けれど、現実から目を逸らす訳にはいかない。冷静に分析すれば、今の撫子では打ちきれない。これまで別種とは言え、プレッシャを感じる場面を経験している彼女ではあるが、未だ不慣れな競技、過度な期待は酷という物。

 諦めかと、藍は自問する。

 けれど答えは否。

 それはただの言葉、便宜上の感情の分類。周りに対する自己主張の一環でしかない。私はこういう考えの人間ですと訴えているに過ぎない。藍が見ているのはただの現実。感情を抜きにした、今ある情報から推測した結果に他ならない。

 それでも打ってくれれば嬉しいし、打てなければ悔しい。もう少しで手が届きそうなのだから。

 祈りと客観視が同居する目で打席を見守る。

 望む結果には及ばなかったが、今度は皆が未来を見据えた言葉を出した。

 藍は自分のグラブを抱え込む。

 そして戻って来たグラウンドの二人を含めて皆に言う。


「悔しさを刻もう。それは絶対に糧になる」そして軽口を装って続ける。「まあ、ほら次は一番からだし、最終回逆転出来るでしょ。その為に……」


 藍は撫子と千彩に目を向ける。二人と視線を合わし口元を上げた。


「ちろしこは全てぶつけて来い。別に打たれても良い、何てったって……」


 藍の言葉をそばに来た昴が受け取る。


「後ろには私達がいる」昴は一歩引いてその光景を眺めていた梓を引っ張る。「ね、アズサちゃん」

「あ、ああ、そうだね」戸惑いつつも梓は頷く。「飛んででも掴み捕るさ」

「おお、かっこいいっすね、アズサちゃん」千彩が目を爛々とさせる。

「ちょっとカッコ悪い打席だったけど、これはもうやるしかなくない? ないよね、ちろ」撫子は気持ちを切り替え先を見遣る。

「もちろん」撫子の準備を手伝いながら千彩は大きく頷いた。

「よし」藍は頷き、グラウンドに目を向ける。撫子の準備が整うのを見届け声を張った。「行こう!」


 揃った掛け声が初夏の空に木霊する。

 飛び出し、それぞれの居場所に向かってゆく背中。

 並んでセンターに向かう梓がグラブで藍の背中を叩く。

 僅かに口元を上げ加速。

 藍と梓の無言のやり取り。

 互いの間には未だ溝があり、その先は霧がかっている。

 初めは今にも崩れそうな脆い架け橋だったが、今ではある程度行き来は出来る様になった。こうして少しずつ互いを行き来し続ければ、いつか梓の霧が晴れるのだろうか、皆の中の霧は晴れるだろうか、そして自分も、と藍は思う。


「アオイちゃん」


 声を掛けられ、センチメンタルな気分から藍は覚醒する。

 セカンドベースを挟み、昴から白球が放たれる。それを掴みファーストへ。何か言いたげな昴に振り向き声を返す。


「何?」


 昴はボックスの傍に佇む乙女に顎をしゃくった。

 自身の動作を確認しつつマウンドに目を向けている立派な体躯の乙女。黒髪を三つ編みのおさげにして、赤い縁の眼鏡をかけている。

 葉山さんはメガネ率高いなあ、なんて長閑な感想に蓋をして、藍は改めてその乙女を見遣った。

 六回の守備から遊撃手に入った一年生。かつて小雨の古都で出会った我が儘プリンセスの妹。


「お手並み拝見、だね」昴は笑う。


 シニアの時分、昴は何度か結城妹とは当たったらしい。

 それまで昴が見た同世代の中では飛ばす力だけはトップクラスという認識。


「まあ、守備がクソなのは相変わらずだったけど、怖いよ」昴は続ける。「上手く捕れないだけで、球には追いついてるもんね、惠体羨まし」

「まあ、ね」藍も納得する。そして苦さが混じった笑いが込み上げ、呟く様に言った。「あの姉にしてこの妹あり、か」

「何?」


 昴の問い掛けに藍は首を振り答える。


「ううん、何でもない。恵まれた者同士の勝負、中々面白そうじゃない」

「だねえ」昴は小刻みに跳ね、両手を上に背を伸ばす。「ちろなら投げ勝てるよ、きっとね」


 内野を巡る球を捌きながら藍は答える。


「そうね。期間限定とは言え、ウチのエースなんだから」


 藍と昴は笑い合う。

 その笑みを湛えたまま、相手の攻撃に備えるべく腰を落とす。

 インプレイの緊張感がグラウンドを包む。

 千彩の始動。

 音。

 湛えた笑みは凍り付き、二人は反射的に振り向かざるを得なかった。

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