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アイデスの憂鬱  作者: 森住千紘
Sprouting of qualities : 2 〜 資質の萌芽 〜
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 Various signs. III 〜 様々な兆し、浮き彫り 〜

「何か勘違いしてるみたいだけどさ」


 上条はそう前置きしながら、悠希を見下ろした。

 それは酷く冷たく、ただ淡々と、私達の胸に突き刺さる。


「実力じゃねえんだわ」


 言葉を出さずに皆が顔を向ける事で上条に続きを促す。

 実力じゃないのなら何なんだ、じゃあ、贔屓か、なんて思う乙女はここにはいない。

 そんな言葉が今の上条の口から出る訳がない。かつてそれを甘んじて受け入れていた彼女は、それとは既に決別し、いとうている。今の彼女は偽りの姫君ではなく冷酷な現実主義者だ。彼女の纏う空気は、柔らかな羽衣では無く、薔薇のカーテン、そんな雰囲気を彼女は纏っていた。

 私は知っている。

 上条がこんな雰囲気を纏った時に出てくる言葉は、辛辣且つ現実。情のかけらもない冷淡な事実だけだ。


「そもそもさ、今日は確認の意味合いが強い試合なんだ、皆に機会は与えられるだろうに。ま、それでも順番があって、それが火種になってるんだろうけど、そんな順番なんて大した意味ないだろ、だってさ……」上条は声音に僅かな嘲りを滲ませる。「一応、お前らは最低限の役目はこなせる。だから選ばれたってだけ。競う相手が乏しいのに選ばれた事を棚に上げてどうすんのさ」


 悠希は口を閉じたままだった。そんな彼女を見下ろし上条は続ける。


「ショートもキャッチャも人が足りてない。ずっとそのポジでやってきたお前らなら選ばれて当然だろ。贔屓なんてあり得ない。だって選択肢ないんだもん」くつくつと上条は笑い出す。「そんな事も解らずに、贔屓だなんて言っちゃってるのを見ると笑えて仕方ないなあ」


 ひとしきり笑い終え、上条は悠希に問う。


「お前、捕手選でさ、関谷が出てたら満足なの? 確か、自分はレヴェルの高い所を希望してる、とか言ってなかったっけ? 関谷が贔屓で試合出てた事実、知らない訳ないよな? あの試合どうだったよ。散々だったよな。あれがお前の言う所の高いレヴェルってやつ?」答えない悠希に更に言葉を叩きつける。「結局、お前は自分が納得出来ない現実を誰かの所為にして鬱憤を晴らしたいだけ。知ってるか? それって世の中では八つ当たりって言うんだぜ?」


 ほんの僅かだけ時間が止まったかの様な空白。

 それを埋めようと周囲の声が一段高くなり、何事もなかったかの様に皆が振る舞う。

 悠希が恐る恐る反論した。


「別に、八つ当たってなんかないです。だって……」

「だって、事実、とか言わないよなあ?」


 上条は両手を添えた腰を折り曲げ、ずい、と悠希に顔を近付ける。鼻先が触れ合うかの彼我の距離。その目は捕食者のそれ。堪らず悠希は目を逸らした。


「なあ、赤坂。お前にそれを吹き込んだのは誰だ?」瞬きすらせずに上条は彼女を見つめ続ける。「得てして、人は信じたい物を信じる。例えそれが間違いだと気付いていても、自分に都合が良ければ、いつの間にかそれは真実に置き換わってるものさ。お前の現実を捻じ曲げたのは誰だ?」 


 悠希は硬く口を結び無言を貫く。

 周囲の音がやけに耳に届く長い様で短い静寂。


 先に折れたのは上条だった。

 腰を伸ばすと、口元を上げて肩を竦める。おそらくそれは振りであって本心では無いのだろう。顔には不敵な笑みが浮かんだままだった。


「まあ、ここで吐いちゃうと後々体裁悪いもんな。だから、まあ仕方ないよ」上条は不敵さを引っ込め、本当に苦笑した。「上下関係の疎ましさをさ、何とか取り除こうとしてるんだけど、やっぱりうまくいかないもんだなあ。まあ、それはさておき……」


 上条はベンチ内を見遣った。中空で目を止め、誰ともなく呟く様に言う。


「誰かの足引っ張ってその場所に立った所で勝てやしない。丁度良いじゃんか、今日それ証明しようぜ?」


 上条の言葉が周囲に浸透したのを待って、理香が口を挟む。


「祥子、勝手に決めるな」溜息混じりの声で上条を咎める。

「でも良い機会じゃないですか?」

「あのなあ」理香が額を抑え溜息を吐いた。「お前少し黙ってろよ」

「んな事言っても、理香サン。こうして後輩達の間がギクシャクしてるのは……」

「煽んなって言ってんの」


 上条はぴたりと動きを止め、ふ、と息を吐く。目線を上にし小さく口元を上げ肩を竦めた。


「バレてえら」


 理香は盛大に溜息を吐き肩を落とす。


「あのなあ、お前に後輩達を玩具おもちゃにする資格ないだろ」理香は呆れの籠った目を上条に向けた。

「それを言われると返す言葉がないっすね」乾いた笑いが口から漏れる。「でもまあ、言った事は結構マジっすよ。たかが一、二年の生まれの差で、理不尽が罷り通るのはどうにも」

「そういうのは大人の仕事だっつうの」


 上条は頭の後ろで手を組んだ。口笛を吹きそうな陽気な笑みを浮かべる。ただ目には不敵な光。


「その大人が信用出来なかった前例がありますけどね」

「まあね」お前が言える立場か、という言葉を掻き消し、あっさりと理香は認めた。「だから、そういう意味では、私の行動を見て判断してくれりゃあ良いさ。恭順、反発何方でも。思いの丈をぶつけてみなけりゃ、何も解らないもん。一応皆に言っとくわ」


 理香はグラウンドに目を向けたまま声を出す。


「発言は自由、何を言っても構わない。ただ、その言葉には各々が責任持てよ? どんな言葉でも誰かに届けば何かしら影響がある。互いのリスペクトをなくしたチームに相乗効果は望めない。仲良くしろなんて言わない。けど、相手の認められる部分は認めろ。出来ない奴はそれ相応の何かを提示できなきゃ、ここにいる資格はない」


 試合中にも関わらず、再びベンチに一瞬の静寂が訪れる。

 これまで理香は技術的指導は盛んに行っていたけれど、メンタリティの在り方については一切言及して来なかった。それがまさか試合の真っ最中に降りて来るとは誰もが想像していなかったに違いない。

 青天の霹靂、快晴の中の降槍。

 皆が一瞬固まってしまったのは仕方がない事だろう。理香の発言は、未だに水面下に蔓延っているある種の理不尽を真っ向から否定するものであったのだから。


「要するに……」静寂を切り裂くが如く圭が口を開いた。相変わらずその目は冷たく、表情に温度は無い。「結果さえ出せるのであれば、言動の自由は認められる」

「まあね」理香は首を傾け圭を見遣った。にやりと口元が上がる。「まあ、その結果だけど、お前らに出せるとは思えないけどね」


 どう言う意味だろう。

 単純な実績では無い何かなのだろうか、なんて考えが気泡の様に浮かび上がる。

 試合中だと解っていても、誰かの発言につい反応してしまう。気もそぞろ、集中できていない証左。目の先では実戦が行われているというのに、私達は何をしているのだろうという考えも浮かんでくる。

 ベンチ内のいざこざを知らないグラウンドの乙女達は、真摯に眼前の敵に立ち向かっているというのにも拘らず。


 圭の発言によって別種の不穏さが生まれたベンチ内に一際甲高い澄んだ音が届く。

 試合に意識を向けていた者達が歓声を上げる。

 一葉が描いた低い放物線は、一打席目を再び見せられている様に、遊撃手を守る昴が伸ばした手の僅か上を抜けて、左中間を切り裂いてゆく。

 回り込み捕球する短髪の麗人。

 藤野の帰還を見遣り、いざ勝負とセカンドベースを蹴る、灰色の瞳の我が儘プリンセス。

 ベンチ内の不穏さとは裏腹に、グラウンドは理想的な展開が繰り広げられている。


「これが結果ですか?」


 明暗に別れたベンチ内において、一人無色な圭が理香にきいた。


「いや」理香は横目で圭を見ながら口元を上げる。「私が言う結果は、この上で金田がパーフェクトで完投する事」

「は?」珍しく圭の表情が揺れた。「金田は投手なんて……」

「ゲームじゃなきゃ出ない様な結果を出すなら認めてやるよ」理香は淡々と答えを口にした。

「バカな」吐き捨てる様に圭が言う。

「バカはお前」一葉に笑みとグッドサインを送りながら理香は言った。ちらりと切長の目を流し、嘲笑じみた笑みを浮かべる。「人を辞めたいのならご自由に」

「意味が解らん」


 理香の言いたい事は何となく解る。

 全て一人で完遂出来るのなら、自ずと勝利という結果が付いて来る。ただ、それは一人称の世界であって、野球ではない。

 相乗効果と口にした事からも、理香は個々が合わさった結果を求めている。

 いくら突出した才能を有していても、一人で出来る事には限界がある。誰かなくしては成り立たない、野球は決して一人では出来ない競技なのだ。


 圭のこれ迄の言動を顧みるに、彼女は自分が結果を出せばそれで良いと思っている節がある。

 けれどそれは彼女一人では絶対になし得ない事なのだ。例え誰もが打てないストレートを投げられようが、それを捕る捕手がいなければ、前提条件にすら辿り着けない。

 周りに誰かがいて初めてなせる結果。故に、相手を尊重しなければならない。

 当たり前の事なのだけれど、当たり前すぎてつい意識からこぼれ落ちて先だけを見つめてしまう。先を見つめれば、そこにあるのは自分、自分さえ結果を出せるのならと、周りが見えなくなって、いつの間にか独りになっている。

 だから圭は独りなのだ。

 正直、あまり好かない奴ではある。けれど、私はその才能を認めている。先程散々言われはしたので、僅かばかりの意趣返しも含め引導を渡してやる。


「お前って、案外阿呆なんだな」

「何?」

「自分の思い通りにしたいのなら、家でモニタの前で私トゥエェーしてれば良いじゃん」先程貰った言葉を綺麗に包装し直して送り返してやる。リボンもサービスしてやるさ。「もう少しクレバな奴だと思ってたけど、下方修正しなきゃなあ」


 最後に笑みも添えてやった。


「私の意図すら読めない奴に言われる筋合いはないと思うけど?」

「人の事とやかく言えた柄じゃないけどさ、お前友達少ないだろ」

「なッ」圭は言葉を切って固まった。


 この後、溜息混じりに嘲笑じみた笑みを浮かべて、友達なんていらない、野球するのに必要か、なんて事を言い出せば、キャラクタ像としては中々にテンプレじみているのだけれど。

 ところが。


「……そ、それとこれとがどう関係してるって言うんだ」


 酷く落ち着いた声とは裏腹に目は泳ぎ、ズレてもいないのに眼鏡を押し上げる始末。

 完全に図星じゃねえか、と驚きと同時に笑いが込み上げてくる。

 失敬、茶化してはいけない、と思いつつもにやけそうになる自分をなんとか堪える。青山圭の弱点もとい、人間らしさを垣間見た気がした。


「い、いやあ、他人との距離の取り方下手くそだからもしかしたらってね」

「だから、それが……」

「自分の意見をはっきりと主張すんのは良い事だよ。でも一方通行じゃダメだって事。お前なりの意図があるのは解る。けど、この位言わなくても解るだろ、って解釈は間違い。世の中には解んない奴もいるんだよ」言ってから、あら、これって自分が阿呆だと宣言したのでは、と思い至る。取り繕い、勢いで押し切る方向に舵を切る。圭に向けて人差し指を向け言い放つ。「説明を端折るな、意図は最初から最後まできっちり伝えろ。小学校の道徳の授業で習ったろ」

「……つまり、お前は阿呆だと認めるんだな」


 ああ、やっぱりそこに喰らい付くのか。

 圭は基本頭の回転は早い、故に面倒なヤツだなと思う。自分で言ったのだ、一から説明しなければ信憑性が皆無となる。正直面倒だなあ、なんて思っていると、背を押す者が現れた。物理的な意味も含めて。


「おい、ブルーマウンテン」上条が私の肩に手を回しながら割り込んできた。

「だからその言い方……」眼鏡を押し上げ、現エースを見遣る。


 癖のある呼び方をする方に問題があるとは思うのだけれど、悠希といい、圭といい、一々訂正するのが面倒になったのか上条はその件を華麗に流し切り込んでゆく。


「お前は良い投手だよ。質の良いストレートに落ち球、マウンド上での度胸に投手としての頭脳。ただ如何せん、周りを見下し過ぎ。自信を持つのは良い事だけど、周りと比べて優越感に浸るのはあまりよろしくないんじゃない?」

「別そんな事考えてないですよ。最低限のプレイをしてくれれば言う事なんて何もない」

「じゃあ、その最低限ってヤツ」上条は圭を指差しながら顔を近付ける。彼女の体重の半分程が私にのしかかる。「その基準もさ、お前の独断だろ? 自分が思う最低限をこなせない選手はいらない。まあ、極論誰もが思うよ。けどさ、現実そう簡単に自分の思い通りになんて行かないもんさ。チーム事情によっては守備よりは打撃優先で選ばれる娘もいる訳だし。その娘に対してヘタクソって言った所で、それは独りよがりだろ。チームへの貢献の仕方は人それぞれ。長所短所合わせて今何が出来るのか、それがチームの色ってもんだろ」

「打てるヤツには目を瞑れと?」

「ったく、お前って極端なヤツだな」上条は苦笑する。「そうじゃなくてさ、今のメンツでは何が出来て、何が出来ないのかを判断しろって話。基準を自分にするんじゃなくて、周りを基準に自分を当てはめてみろって話さ」

「現状の低いレヴェルに合わせろって事ですか? それって意味あります?」

「ああ、もう」上条は口元を歪ませ、目線を上に白眼になる。「さっきラメちゃんが言った様にお前って案外阿呆なのな」

「なッ」圭の顔に揺らぎが生まれる。

「レヴェルが低かろうが何だろうがそれがお前のいる現実なの。それが嫌なら理想郷に向けて旅立つがいいさ」


 ロールキャベツ的な包んだ言い方。受け入れられないなら辞めろとのエースの宣告。言葉は柔らか、けれど中々にスパイスが効いている。

 けれど、もっともな話だ。

 受け入れるも逃げるも辞めるも、全て個人の判断の上に成り立つ物だ。数ある要素を吟味し、受け入れ妥協し、最終的に納得した選択肢を選んだ結果の今。

 理想と現実は違う。予想が外れる事なんてよくある話。外れたなら、その時修正するなり決断するなりすれば良い。選択は自由なのだ。


「そもそもさ、お前が意図を伝えない事にも責任があるの解ってる?」私は上条に便乗する。「汲むにも限度ってあるしさ、周りに対しても、自分だけで勝手に判断して評価してるけど、お前ちゃんと相手が何思ってるのか、考えた事ある? お話って結構大事なんだぜ?」


 詰まる所、コミュニケーション不足ってヤツだ。

 事前に取れているのなら、この日の様な惨劇は起きなかった訳で。互いの意図を理解し最善の答えを導き出す。理想には程遠いかもしれないけれど、二人の間でのベストな答えは出るはずだ。まあ、場合によっては妥協案とも言えなくはないけれど。


「結局、私が合わせろって事?」諦観じみた声音で圭は言う。少しだけ眼鏡の奥の瞳が湿り気を帯びている。「結局ここでも同じ事をしろって言われるのか」


 彼女にしては珍しい生々しさを伴う愚痴めいた言葉。

 彼女も人だったという事か。冷徹な仮面の裏には、私達と同じ様な何かしらが燻っている。今まで見せなかったその何か、その片鱗が僅かに滲み出していた。


「投手は王様で良い」上条が言う。「ただ、王様は一人では何の意味もない。臣下を使えて初めて王様足り得るんだ。お前が合わせるなら、周りもまたお前に合わせるのさ。信頼ってそういうもんだよ」

「……信頼」圭は噛み締める様にその言葉を呟く。

「そうだよ」私は頷きながら言葉を紡ぐ。「お前は意図を語らない。だから私達にもお前の意図が解らない。そんな中で話し合いしたって大した収穫なんてない、ベストな選択なんか出来る訳もない」

「まあ、確かのラメちゃんの言う通りなんだけども、ねえ……」


 上条が私の言葉を半ば肯定した。

 した様に見えた。

 彼女は自重の大半を私に押し付ける。半ば私がおぶる形。彼女は小柄。けれど、その体躯は全身高性能なバネの塊。にも拘らず。私の背に当たるモノは中々の質量を伴っている。体躯のそれとはかけ離れたナニか。

 大事な事なのでもう一度言う。

 中々の質量を伴っている。

 舌打ちが出るのを噛み締め、上条に尋ねた。


「なんか含みのある言い方ですね」

「別に含んでなんかないさ」


 耳元で上条が笑った。

 顔は見えない。

 けれど、不敵な笑みが浮かんでいるのがありありと解った。


「じゃあ、何です?」悪い予感が生まれ、堪らずきいた。

「ラメちゃんさあ、なんかこっち側にいるって感じで話してるけど、これ迄の戦犯はキミだよ?」


 は?


 またか。またしても青天の霹靂、飛ぶ豚の大群。

 不意打ちは卑怯なり、と武士は語るけれど、不意を打たれるだけの事情が存在するのだ。それがなければ武士も打たれはしないだろう。

 故に私に落ち度があるという帰結。

 言い訳ならば出て来るけれど、その実までは解らない。実体は霧の中、薄ら影がある程度。だからきいた。解らない事があれば尋ねる。これが鉄則。


「ええと、それはどういう?」

「まあ、解ってないだろうね。だからこういう結果なんだし」勿体ぶる様に、猫がカマキリで遊ぶ様に、上条は愉しげに笑う。「ミナちんの場合はまあ良いよ。元々そう言う取り決めだったし、打たれたのは相手の力量が勝ったから。ただ、ブルマーの方は……」


 言いかける上条の頬に圭が両手を伸ばす。つねり上げ、上条の口が蛙の様に横に広がった。


「おひ、へんはいにたひひて、なにをふる」


 言葉とは裏腹に本人は少し嬉しそうな様子。逆に圭は僅かに頬を上気させ眉根を寄せている。


「言い方辞めてと言いましたけど、さらに酷い……」掴んだ両手を引っ張る。「この口か、この口が妙な事を言ったのか?」


 あらあ、青山圭ってこんなヤツだったっけ。


 おそらくこの現状を見ている誰しもがそう思ったろう。先程とは属性の違う静寂がベンチに生まれた。

 上条は首を振り、圭の手を強引に振り払った。


「指に大して力を入れてないあたりに、逡巡が窺えるなあ」上条は言わなくても良い、圭の内面を曝け出す。「あれか? 先輩に対してあるまじき行為と自身の感情の狭間で悩んだか、うん?」


 酷く愉しそうに上条は圭を見上げた。


「行動に関しては謝りますが、そもそも人の嫌がる事を続けた上条先輩にも責任はあるかと」

「固えなあ。も少し砕けても良いんじゃないの? それこそ落としたタンブラ位にさ」

「それ、木っ端微塵って言うんですよ、ショコさん」笑いを噛み締め、突っ込む私。

「こいつにはそれ位が良いんだって」横目で見る上条の頬が上がったのが解った。「とまあ、それはさておき、青山は解ってるみたいだけど……」


 そう前置きして、上条は槍衾やりぶすまを私に向けた。


「事前のやり取りが皆無なのはお互い様。だけど、決まった以上、手持ちの札でやりくりするしかないだろうに。試合中にアクシデントは付き物。不意にカーブが投げられない事だってあるさ。その時どうするか、相手は名門校、半端な配球では餌食にされる」


 投手を代える、という答えは望まれてはいないのだろうな、と傍らに投げ捨て、思考を先に進める。三回の私のやりくりが招いた結果。ならば答えはそこにある。あるのだけれど、切っ掛けすら見当たらない。さてどうしたものか、と思っていると上条がヒントをくれた。


「ブル……」圭の鋭い目線で言い直す。「青山の特徴を考えてみ? こいつの強みはカーブだけか?」


 特徴というのなら、真似し難い綺麗なストレートだ。

 あ、と私は気付く。

 確かにストレートの質は良い。

 けれど湊と、相手の夜川千彩の強引なまでの力強さに目が眩んでいた節もある。

 まあ、これは言い訳。

 彼女達の力強さと、圭が持つ宝刀のカーブに偏った見方をしていた自分。そして何よりも……。

 答える前に上条が私の胸の内を暴く。


「ラメちゃんさ、あんまストレート信用してないよな」

「う」


 少し違うけれど、まあ、その通り。

 正確にその心情を表すのなら、それは信用していないではなく、恐怖、だ。

 何よりも素直な軌道と回転は、見慣れている事もあってアジャストしやすく、力のある球だからこそ飛ぶ。だから付加価値がないストレートは怖い。


 それに加えて、こちらの方が大きな理由なのだけれど、今まで組んだ投手には武器があった。

 伝家の宝刀と言っても過言ではないとっておきが。

 中沢明日香のスライダー。香坂綾の制球力。夏目湊のシンカーに、青山圭のスローカーブ。

 まあ、湊の揺れるストレートは例外として、私の中で武器、つまりは決め球の事なのだけれど、そう判断したのは綾の制球力を除いては全て変化球。

 私の中でどんなに速かろうが、強かろうが真っ直ぐに来る球は打たれるという思いがあったのだ。

 良質の方が良いに決まっているけれど、決め球としては怖い、そんな思いが無意識のどこかにずっとこびり付いている。だから、選択肢から外れてしまう。


「ストレートはさ、どんなモノでも基本だよ。一番負担が少なくて力強い。変化球主体で散らすのも良いんだけど、それが出来る選手は限られる。アプローチの仕方の問題なんだ」上条は諭す様に言う。「本来なら、ミウとかミドリが言うのが良いんだけどさ、今いないから私が言うけどさ、思考のプロセスを変えてみ? ストレートを際立たせるための配球。その為に変化球を使う。ラメちゃんのリードは変化球で終わらす為にストレートを使っている。っていうかそれしかない。別に間違いじゃないんだけど、それだけってのは少し狭量。だから、結果として青山をリードしきれなかった」


 ふう、と圭が息を吐いた。ちらりと眼鏡の奥の瞳が私に向いた。

 やれやれ、といった感情がありありと浮かんでいる。ずれていない眼鏡を押し上げ口を開く。


「そういう事だ。カーブを使えないと言う制限下で、決め球に半端な変化球を持って来るなんて愚の骨頂、そりゃあ打たれるだろ。相手が巧者だって事解ってるんだから」

「だから、そういうのを最初に言えってば」


 これもまあ、真実ではあるのだけれど、負け惜しみとして口から飛び出した。


「それは解ったって」気まずそうに目を逸らし、圭は言う。


 宥める様な言い方で上条が後を引き継いだ。


「結局、打たれたかもしんないけど、二回の正解は決め球をストレートにする、だと思うよ、私は。で、それをしなかったラメちゃんが戦犯な訳だ」


 少し納得いかない部分があるけれど、概ね理解した。

 他人に言われて気付く。それはよくある事なのだけれど、大事なのはそれを受け入れられるか、そうでないか。

 私は明日香に頑固だと言われた。

 頑固とは良く言えば自分の信念を曲げない事でもあると思う。

 けれど、今回に関しては反論は無い。素直に受け入れられる。実際結果として出てしまったのだ、私の落ち度として認めざるを得ない。と、同時に新たな地平が見えた気もする。ここにはストレートを武器にしても問題ない乙女がいるのだ。まずはそれを認めよう。

 そんな生まれ変わった気分を感じていると、不意に私の視界が陰った。

 顔を上げると、逆光で影った中に貼り付けた笑みの下、目尻をひくつかせている我が儘プリンセスの姿。


「おい、コハクぅ、お前試合中なのに何呑気にお喋りしてるん?」

「あ、いえ……」さっと碧から目を逸らす私。


 先の圭の如く、我が儘プリンセスは私の頬をつねる。


「二回の配球の説明してもらうかんな。答えによっちゃあ……」碧はぐいっと鼻先を近づける。「降ろす」

「まあまあ、ミドリ」上条が宥める。「お前がいないから私が全部言ったよ」

「あ。そうなの」碧の表情が一瞬緩む。けれど、すぐに再び険しくなって私に向く。「けど、ホントに酷いかんな、あれは」

「そうっすね」

「そうっすね、じゃねえよ」碧は呆れすら通り越して、寧ろ憐憫の目を私に向けた。


 今は何を言われても仕方がない。自分の凝り固まった思想の所為で、それだけの失態を私はしでかしたのだ。申開きなんてする気も起きない。


「まあ、今解って良かったという事も出来るけど……」碧は安堵じみた息を吐いて、ニヤリと笑った。「私ハ甘ヤカス気ナンテ、ゼンッゼンナインダカラネ」


 ツンデレにさえなってねえよ、と内心突っ込む。

 口にすればおそらく反省してないと捉えられるので心の中だけで留めておく。

 少し気が逸れてしまったグラウンドでは、妙がファーストでリードをとっている姿。

 シングルヒットとは言え、彼女の一振りによって碧は帰還し、ワンナウト一塁三塁に移行していた。これでこの回二点目。スコアは4-3とあっという間の逆転劇。


「誰かの失態を皆でカヴァーする。これぞチームプレイってなあ」


 碧は”誰か”の部分を強調する。言わなくても解る、それは私に向けられた言葉。乾いた笑いも出てこよう。


「ラメちゃん」上条が私に語りかける。碧の言葉に”追い討ち”のニュアンスを汲み取ったのか、労わる様な妙に優しげな声音。「存分に気にして思い悩んで朽ち果てる直前まで行けば良いよ」


 死体蹴りかよ。


 ああ、そうっすねえ、と力無き言葉が私の口から溢れた。

 現状私は一歩出遅れた、と言うより、実はスタート地点が違いましたという勘違い。

 その所為で失態を犯し、こっぴどい叱責を受けた。

 けれど、これは前進する為の禊。失態の実情は理解した。あとは挽回するだけ、と思いつつ、片付いていない問題がある事を思い出した。

 それを思えば億劫さが再び顔を出すのだけれど、この時の私にとってのそれは優先順位が明らかに低くなっていた。だから片隅に追いやる事が出来た。

 ただ、根は深く、絡み付いた様に私からは離れはしなかったのだけれど。

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