Cracks in the feast 〜 饗宴の罅 〜
未完のバケモノ達の饗宴には綻びが多い。
その片鱗に目を丸くするも対応出来たのは偏に経験値の差。
規格外であろうとも皆地球のお仲間であって、腕が四本あったり、毛皮に覆われ尻尾が生えている訳ではない。身体的なアドバンテージがあれども、少ない経験から導き出された選択肢ならば対応可能、という事だ。
逸材と言っても良い恵まれた身体能力から弾き出される直球は見事であったし、それを難なく捌くのも一朝一夕にはそう易々とは出来ないだろう。同じ捕手として思う所が無い訳でもないけれど、それはそれ、これはこれ。斯様な個人的感情は試合には不必要と切って捨てる。
碧に言われた通り見る事に徹するなら、見事な直球とは言えカットは出来たし、何ならフォアボールまで粘れたとも思う。
けれど、ノーデータの対戦相手に対する一番の役目としては、その打席において、どれだけ多くの情報を手に入れられるかに尽きる。
球種、配球、バッテリィの思考のトレースと欲しい情報は山程ある。情報の取得と同時に、自分がされて嫌な”粘る”という行為で、相手のメンタルにも働きかける。経験値の少ないバッテリィならば、打開策を見つけられずに先に”切れる”という展開さえも想定できる。
勝負とは中々にえげつないものである。
捕手というポジションの性か、これだけの直球を持つ経験の浅い投手且つ、所謂強豪と持て囃される私達を相手に啖呵を切れるだけの自信を持つ選手が率いるチーム、直球一辺倒というのは考えられない、と私は考える。つまりは、直球は武器なのだけれど、それを更に輝かせる為の緩い変化球、おそらくはカーブ、ないしチェンジアップ系があると踏んでいた。暫く粘っていれば、痺れを切らし投げるのだろうなとも。
正直に告白するならば、そのもう一つの決め球じみたボールを打ち返せるのなら一番良かったのだけれど、初見でそれが出来る程、自分の打撃に自信を持っていない。とは言え、出塁するのがもう一つの使命でもあるので、取れる選択は収束する。
結果から言うと、あれはまぐれだ。
やはりチェンジアップ系の球なのだろう。
仮に打ちに行っていたらまず騙されたと思う。緩い球が来ると解っていても、あの躍動的なフォームから来る直球の印象が頭を掠め、前のめりになってしまう。
単に球速差だけが武器ならまだ対応出来たのだけれど、未完である故か、はたまた、投手の癖、もしくは偶然、沈みながらほんの僅か横にも変化した、と思う。
バッテリィを含めた内野の動向を見る為に一塁線上に転がす予定が、まさか投手前に転がるとは、そこまでは読めまいよ。
想定通りには進まなかったけれど、結果としては私の勝ちだ。
私は出塁出来、尚且つバッテリィの思考とおまけに彼女らのフィールディングも見る事が出来た。これなら碧も文句は言うまいよ、なんて事を一塁で思ったりもした。
何とも理想的な初動。
ただ、藤野は残念な結果だった。とは言え、未完のチェンジアップと直球のコンビネーションが嵌まった時の怖さを目の当たりにする事が出来たのは僥倖と捉えるべきだろう。結果としてワンアウト献上する事となったけれど、改めての危機感をチームに齎したと言えなくもない。
そして、その後はもう何の心配もしていなかった。碧、一葉、妙と続く打線はこれまでの練習を見て私の中で信頼が生まれている。
彼女達はやはり彼女達である。
平常通り連続で安打し二得点。早々に取られた点差を振り出しに戻し、さあ、追加点という所。
打席には強気かつ長打力のある妙。
力には力、と中々に良い勝負を期待した。したのだけれど。
相手投手の直球が良いというのはチームとして共有していた。
故に妙はそれを狙った。二球目のインコースに来た直球に合わせる。直球狙いのスイングがそれを捉えた。
逆らわず引っ張る。一、二塁間、ややセカンドよりにライナー性のあたりが飛ぶ。
それを。
有坂藍が飛び付き捕まえてしまった。
着地と同時に二塁へ送球。
その実力を危険視していた一葉は、瞬時に反転し、ぎりぎりのタイミングでセカンドに飛び込んだ。
成る程、碧が自分のチームに加えたくなるのも解る。
一葉が二遊間の守備力を強調していた理由も解った。
広い守備範囲を可能にする瞬時の判断力、難しい打球を淡々と処理する個々の技術の高さ。そしてある程度の期間コンビでやってきたという互いの信頼感。
一葉の発言は誇大報告ではなく事実だ。
彼女が自ら示した様に、二人の頭上を超えない限り、下手な打球は絡め取られてしまう、そんな恐怖に似た感情さえも覚えてしまう。
これがかつての世代を跨いだ全国区の二遊間の現在。
色褪せる素振りなどまるで無く、寧ろ極彩色じゃねえか、と悪態を突きたくなる。
とは言え、これが全国クラスのプレイなのだ。そもそもこの時の私はそのステージがどの様な場所なのかを知らないのだから仕方のない事ではある。
妙の打球は確かに安打性の高いものではあったのだけれど、普段の彼女のそれにしては少し鋭さが足りない様にも感じた。普通の守備ならそんな妙の打球でもライト前に抜けている。セカンドライナーという結果は、やはり彼女達故の結果なのだろう。
ベンチに戻って来た妙はやはり不満げに首を傾げていた。
「斑目ぇ」妙が私を呼ぶ。
ツーアウトとなり防具の準備をと思っていた私は、丁度良いとそちらに向かう。
「何?」
「お前全球見たって言っていたよな、ホントに?」妙は訝しむ目を私に向けた。
「んな事言ってないよ。大方見たんじゃないかって言ったんだよ」こんな言葉では妙は納得しないのは解っている。会話にも生産性を、だ。「で、変な球でも来た?」
「解らん」妙は首を傾げる。「多分シュート系じゃないかって思うんだよな、インパクトの感じと飛んだ先を見ると」
「打ち損じなの? あれで?」
凡庸な二塁手なら抜けている打球、力に対し力で、と期待した私の予想はある意味当たっていた。ただ二塁手の技量がそれを上回っていただけ。にしてもと思う。本来の打球ではないにせよ、打ち損じであれだけの打球、羨ましいなんて思ってないんだからね、なんて事を密かに思ったりもする。
「妙ちんの話が事実だとしても、偶々だろ」後ろで耳を欹てていた碧が言う。
「なら尚更厄介って話にならないっすか、ミドリさん」妙は微妙な表情を浮かべた。
「カットだろうがツーシームだろうが、その手の微妙な変化の球ってゴロ打たせりゃ御の字。でも妙ちんの打球はライナー。ホントに微妙な変化なんだろ、気にする程でもなくない?」碧はニタリと笑う。「そもそも、妙ちん普段雑なんだから、そんな繊細な事気にすんなって」
「……ミドリさんに言われたくはないっすけどね」
碧は片頬を上げる。
「まあ、あれはセカンドが上手かった。それに尽きる」碧はちらりと周囲に目を回し小声で続ける。「うちのセカンドだったら抜けてたな」
またこの人は、と私は天を仰ぐ。
「ミドリちゃん、言い方」
「だってその通りじゃんか」悪びれもせず碧は私に向かって顎を上げる。「うちなら抜けてた、でも有坂は止めた、ただそれだけだろ」
基準を明確にしない言い方は語弊を呼ぶ。
聞こえ様によってはうちの二塁手が下手って聞こえるだろうに。自分の意思を伝えるのは良い事なのだけれど、碧はいつも何かが少し足りない。
「そういうとこですよ、ミドリちゃん」
「何が?」
解っていない、否、解ろうとしない碧を追いやり、私は防具の準備に取り掛かる。
「まあ、私も偶々だと思うよ」妙に補足する。「もし意図的に投げられるなら、ミドリちゃんや金田一の打席でも投げてた。こういう言い方はあれだけど、あちらさんは二人の事知ってるんだから、もしそれが武器なら絶対使ってる」
「私が一番怖いから、という事も」妙は顎に手をやり満更でもない表情を浮かべる。
「それはないでしょ」おっと、つい反射的に口が。揚げ物でも食べた後の様に口元が滑らかだ。
「おい、クソメガネ」妙の大きな掌が私の頭を掴む。
「ごめんて」私は体を捻って、彼女の魔の手から逃げる。「お前のアイアンクロウ、マジで痛いから。禿げるから」
「それだけ失礼な事言いましてよ? マダラメサン」妙は笑顔で言う。
「まぁたやってるよ」苦笑を浮かべ一葉が間に入る。しみじみと頷きながら続ける。「タエさんや、現実を受け入れなければこの先成長はないのだよ」
「一葉、お前まで……」妙は恨みがましい目を一葉に向ける。
当初対立していた節のある二人ではあったのだけれど、今は互いの良い所を認められる程度には距離は近付いていた。ただ、それを素直に表現出来ないのが年頃の乙女の性というヤツだ。何かにつけて対立ごっこに発展させたがっている様に私には見える。
私は内心頷く。喧嘩する程仲がいい。仲が好いのは良い事だ。
ベンチ内が俄かに騒がしくなった。
私は準備を終えていたので立ち上がる。背を伸ばし体を捻る。
不満気にバットとメットを片付けるみなみが、恨めしそうな目をこちらに向けていた。
「私が打てなかったのがそんなに面白い?」
妙と一葉の対決ごっこの裏で、みなみは打席に立っていた。
私達は横目でそれを見ていただけなのだけれど、本人にはそうは映らなかった様子、半ば八つ当たりの様な言葉が返って来た。
「待て待て」妙が両掌を前に出す。「どうしてそうなる。お前が打てなかったとして、私らにメリットなんてないだろ」
おおい妙さんや、それは彼女に対し逆効果、と私は心の中で呼び掛ける。
先の一件以来、みなみはやたらと繊細になってしまった。正直面倒臭い。けれど、以前よりは自分に向き合う事が出来ているのか、最近のみなみの成績は悪く無い。故にこの日も六番DHでの先発出場。
現状、彼女は捕手としては正直使い物にならないけれど、打撃センスは中々。ミートも上手いし飛距離もある。けれど如何せん緩急に弱い、つまりこの日の相手との相性はあまり宜しくはなかった。本人もそれが課題だと自覚している故に、モノの見事に相手の術中に嵌まった自分に向けられる目が気になるのだろう。
「みなみさんや」一葉が先程同様、達観した仙人の様な口調を続ける。「千の道のりも一歩から。いきなり対応出来る訳ではないのだよ」
一葉の言葉を補足する様に妙がじろりと目を流す。
「お前、欲出しただろ」
みなみはそっとその目を受けながす。
「別にそんなことない」
「あ、目ぇ逸らした」一葉がすかさず突っ込む。「図星じゃん」
「ち、ちが……」
「あのさ」妙が肩を竦める。「緩も急も単体では打てるんだから、どちらかに的絞れっていつも言ってるじゃんか、変に色気出すからいつも……」
やらかす、という続く言葉を、妙は慌てて飲み込む。
「いつも、何かな?」みなみは無理矢理な笑顔を浮かべる。目尻がひくりと蠢く。
「いや、別に。ほら、攻守交代」目を泳がせながら妙はグラウンドを指差し、一葉の背を叩き駆け出してゆく。
「タエやみなみはさ、飛ばせるんだから、直球狙いなよ。変化球は私らみたいな非力組が打てば良いんだよ」一葉は言いながら私の肩を抱く。「打席で迷っちゃダメ」
「解ってるもん」言ってからみなみは口を固く結ぶ。
あ、これは泣くヤツだ、と私はベンチを見回し、笹川を探す。
困った時の笹川様。
ベンチ最前列で試合を見守る彼女と目が合う。私は指で自分、グラウンドを指し示し、更に小さくみなみに向けてから両掌を合わせる。
心の中でごめん後よろしくお願いします、と念じる。
笹川は呆れと苦笑の混じった表情を浮かべ頷くと、グラウンドに顎をしゃくった。
私は再び手の平を合わせ頭を下げてから、ベンチを飛び出した。
恙無く投球練習、ボール回しをこなしラスト一球。
半身で湊の球を受け、二塁へ。
ちょっとしたミスというものは誰にでもある。
ミス前提のフットボールなどは、そのミスが少ない者が良いプレイヤという見方もあるほどだ。
ミスはミスなのだけれど、しでかした事は仕方がない。次同じ様な事をしないという決意があれば良い。つまり怠慢なプレイが原因でのミスならば叱責は受けるべきだ。プレイミスではなく、怠慢の方で。
言い訳を挙げるのなら、私は肩の力が弱い。とは言え、これまで共にした剛力を誇るチームメイトに比べればという事なのだけれど、捕手である以上それは弱点足り得る。なんとかして埋めなければ務まらない。そこで私が取った方法は送球動作の無駄を限り無く省くというもの。一つ一つの動作を正確且つ素早く。これで剛力と辛うじて肩を並べられる。
ただ、私も凡庸な人間。零コンマの世界では当然ブレる時もある。
湊のラストの球を受け、意識は二塁へ。
気を抜いていた訳ではないのだけれど、掴み取った球を握り損ねていた。半端な握りのまま、すでに身体は送球動作に移行。拙いと思いつつも腕を振った。暴投とは言えないけれど、少し浮いて右に逸れた。まあ、及第点の範囲と言えばその通りなのだけれど。
蟠りは、斯様な些細な事すらも目端に映してしまうものだ。
塁上で球を受け取った乙女は小さく首を振った。
投げ返す事をせず、自らの足でマウンドに向かう。その目が私に来いと言っている。
内心溜息。
ミスしたのは私だ、そこは見逃せよう、なんて言う資格は無い。無いけれども、突っかかるネタにするのもどうだろうと思う。
仕方なしにマウンドに向かう。
「どしたん?」よく解っていない湊が陽気な声を上げる。
そんな湊を挟み、私と赤坂悠希が対峙する。
春先、入学したての私達に降り掛かった厄災、大屋体制。
一年生の中で真っ先にそれに反旗を翻した私。ポジション毎での練習という部内の風習もあり、正しさは場所により形を変える。部内は二分され、双方が自らの正しさを主張する日々。
いつの日か絡まれた事があった様に、どうも私には荻野に取り入ったという印象があるらしく、それはこの時になっても一部で燻り続けていた。
正直、やっかみだと思うけれど、あえて燃やしたりはしない。何故なら私は焦げ臭いのは嫌いな乙女、燃料はあれど投下などはしない。
とは言え、私にその意志がなかろうが燻りはある訳で、この日の試合にもそれは飛び火していた。
以前悠希は私にこう言った。
自分はハイレヴェルな場所を希望する。それを妨げる行為はやめてくれ、と。
これは悠希の中で、大屋体制=ハイレヴェルという認識が出来上がっていて、それに反旗を翻したとされる私を敵認定した証と捉えられる。
その後革命がなされ大屋は失墜、新体制に移行。
と、同時に敵だった相手が新体制の中心よりに居座れば面白くも無いのだろう。それに加え、彼女の相棒月島早苗の存在が、今の悠希の燻りに拍車をかけていた。
これまでの練習で解った事ではあるのだけれど、二塁手単品で見た場合、早苗と一葉の間には基本的な技術の差は然程無い。けれど、チームの二塁手として見た場合、打撃力があり球際にも強い一葉に軍配が上がる。これは事実だ。
一葉は当時から私と行動を共にし、荻野達との親交もある。
今では復帰した規格外、碧も近くにいる。そんな背景から、どうしても”実力で勝ち取った”を呑み込みきれないのだろう。同程度の実力があれば、使い易い方を使うのが人の性、どこかしら優遇されているのではないかと訝しむ気持ちはなんとなく解る。
けれど、やはりそれはやっかみなのだと私は思う。
吐き出せずに腹の中で煮詰まり、形を変えて原型を留めなくなったドス黒い何か。滲み出たそれが今悠希の内を循環している。
「今のじゃアウト取れなくない?」悠希は湊に球を渡しながら、伏せがちに私に言う。その目は私を見ていない。「斑目はさ、肩の力ないんだからせめてコントロール位はしっかりしてよ」
言い足りない素振りを見せるも、悠希は踵を返す。
湊が物憂げな視線を彼女の背に向けていた。
「なんだかなあ」湊は首を揉む。「私が言えた柄じゃないけど、言い方ってあるよなあ」
「お前は気にすんな。仕方ないで片付けられる問題じゃないけど、今は試合中なんだ、余計な事考えながらやり合える相手じゃないだろ」
「打たれた私にゃ、返す言葉がないねえ」湊はくつくつと笑う。
「それなら私も同罪だよ」私は湊の肩に手を回す。「色々思う事はあるけどさ、今は試合に集中。下位とは言え、どんな選手がいるか解ったもんじゃない。四ノ宮みたいのがいるかもしんない。気ぃ抜くなよ?」
「私はいつだって真面目だ」
「なら良し」私は湊の背を叩き、彼女から離れた。
「私はアンちのサインに従うだけ」湊はニヤリと口元を上げた。
「おい」私は湊を睨む。「香坂みたいな事言いやがって、お前がそんなタマか」
「いや、言ってみたいじゃん、そゆのさ」
「じゃあ、首振んなよう」
「マジレスするとさ、私の組み立てと違うから首振るの。でもさ、その方が絶対良いよな。私だけ、アンちだけの思考よりもずっとさ」
「……あのさ」私は溜息。「そういうのは、試合前に言えよう。なんで今なんだよ」
「いやあ……」ちらりと湊は私を窺った。「なんかアンち気落ちしてるみたいだから」
そんな風に考えていた訳ではないのだけれど、湊にはそう見えていたという事か。
全く、投手に気を遣われるとは、まだまだだなあと思う。
「すまん、そう思わせちったな。とは言え、今は試合に集中、良いな」湊に人差し指を向け、私は踵を返す。
然程モヤモヤはしていない。けれどこの日の空模様さながらに、私の心にはポツポツと雲が浮かんでいる。燻りから生じたそれが、せっかくの晴れ舞台に影を差している。
ああ、全く楽しいね。
やらなければならない事が山積みだ。
思う事は多々あるけれど、一旦それには蓋をして、私は来る二回に向けて意識を集中する。




