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アイデスの憂鬱  作者: 森住千紘
Sprouting of qualities : 2 〜 資質の萌芽 〜
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 Birth of the moonarrow : rebellious cherry birch

 静寂の中に佇む。辺りは暗闇、その中で自分の身体の感覚だけを研ぎ澄ませる。

 右手を引き、振り切るイメージ。

 左手を押し出し、振り切るイメージ。

 右投げ左打ちの自分は、どうしても右手に頼りがち。

 打球に力を乗せるには左手の援護がなければ、否、寧ろ左手主導ではなければならないと気付いたのはいつだったか。


 足元がぬかるみ、生暖かくて嫌な物が体を這い上がって来るイメージに侵食され、瀬名梓は堪らず目を開いた。


 初夏の早朝。若い日差しが辺りを照らしている。

 集中から自分を解放してみれば、何気ない環境音の中異質な音が響いている。

 目を向ければ、喧騒に程近い嬌声を上げながら、小振りなマウンドで小躍りしている茶色の髪が目に入る。それに負けじと、およそ捕手らしくない細身の乙女が言い返す。


「ゾーンには入れろって言ってるの。言ってるよね?」

「いや、でもしこちゃん。今の球、なんか凄く投げ切った、って感じがしたの、良かったでしょ?」

「いや、まあさ。力はあった、と思うよ。でもゾーンに入れなきゃ……」

「こういう球がある」二人の間に割り込み、梓の盟友、有坂藍が諭す様に二人に語りかける。「そう、相手に思わせればそれで良い。選択肢が多ければ多いほど、打席で悩むもの。特に練度の高い相手とやり慣れている連中は、読み合いになる事も多いしね」

「でも、投げたい時に投げられないんじゃ、あまり意味なくない? ないよね、アオイちゃん」

「そんな高度な事今やろうとしてんのが間違い。いずれはやって貰わなきゃだけど、今日は考えなくて良い。ちろしこの全力を相手にぶつけな」

「そうっすよ。しこちゃん考え過ぎ」

「ちろは考えなさ過ぎ」

「いいから、やれ」


 普段の光景。

 藍のとびきりの笑顔で目を逸らす後輩達。

 和気藹々《わきあいあい》とした情景は安堵の溜息すら出そうになる。

 けれど、と梓は思う。


 自分は本当にここにいても良いのだろうか。


 藍にしつこく勧誘されて、条件付きで土台作りに参入した。ここでする野球は楽しい。だからその選択に後悔は無いけれど、不安がないと言ったら嘘だ。

 梓の中に流れるドス黒いものはいつどこで溢れ出すか自分でも解らない。自分を堰き止める堤防、その決壊の引き金が何なのかが解らない。だから不安なのだ。


 もう私はお姫様ではない。


 だから、決して先頭には立たない。

 一歩引いた所で周りを見れる場所にいる事が、自身の決壊を防ぐ手段だと朧げに思う。

 けれど、頑なに決めていても、ボロが出るのが人間というものだ。そう簡単に質は変えられない。感情が揺れれば、つい中身が滲み出て濁った物が口から出る。


 梓の目はフルの捕手装備を身に着けた昴を捉えた。

 ブルペンでの打者役は解るけれどこの重装、この場違い感が何とも可笑しい。

 ついふらりと足を向ける。


「ちろはそこまでコントロール悪くないだろ」梓は言う。

「じゃあ、アズサちゃん、打席に立てば?」昴がスッと体を引く。

「やだよ」言ってから、僅かに硬直。今の言い方はまずかったかも、と梓は思う。慌てて取り繕う。「いや、そこまで嫌って訳じゃないんだけど、ほら試合前だし、何かあったら……」

「別に、そのまま立てなんて言ってないよ」昴が苦笑する。「立つならレガース貸すし。良い加減、この装備重くなってきたし」

「それは捕手に対しての挑戦? 挑戦だよね」撫子が昴に笑みを向け立ち上がる。細長い指が昴の鼻元に伸びる。低い声で言う。「お前を捕手にしてやろうか」

「……おま、何言ってんの?」

「これは、かの有名なロックバンドの名台詞を捩った……」

「いい、いい」昴は顔の横で手を振る。「ボケの説明は良いから。っつうか、よく自分のボケの説明をする気になるね、しこはさ」

「説明込みでの面白さってあるじゃん。あるよね?」

「あるけどさ……」昴は天を仰ぐ。「長いッ」


 茶番に取り残され、梓は思う。

 さっきのは軽く流されたけれど、ふとした時に溢れ出す無自覚の刃。

 自分が恐ろしい。

 結局自分の責任ではあるのだけれど、制御できない自分、そしてそれを選択してしまう自分の人間性が堪らなく嫌になる。


「で、アズサちゃん、打席立つ?」あっけらかんとした昴がきく。

「あ、ああ。せっかくだし、立つよ。レガース貸して?」

「オッケー」


 プロテクタから解放されるのが嬉しいのか、昴は嬉々とした声を上げ脱ぎ始める。


「いや、それはいい」


 満面の笑みで差し出されたプロテクタをやんわりと断りレガースだけを身に付ける。傍に立て掛けていたバットを握り、左打席に入る。


「じゃあ、行くよ」そう宣言してから千彩がモーションに入る。


 ややアーム投げの様なフォームから力強い球が梓のインコースに食い込んで来る。

 どこに来るか解らないと言うのは中々に恐怖心を煽る。

 初心者の怖さ。投手は基本ゾーンに入れて来るもの、と言う常識を覆してくる。

 思わずのけぞった。


「今のは入ってるよ」撫子が言う。

「そうだね」梓も返す。「勢いに押された」


 試合前、これではダメだ、と梓は思う。

 先程の一件が僅かであっても頭の中にこびり付いている。

 考え事をしながら打席に立てば集中出来ないのは自明。

 結局、自分で選んだ結果ではあるけれど、今を受け入れきれていない。

 受け入れる為の、受け入れてもらう為の禊が済んでいない。


 この娘達もまた、色々な物をその小さな身体に背負ってここに立っている。皆が何かしら抱えているのがこのチーム。けれど、自分はと梓は考える。

 きっと自分を吐き出してしまえば、ここにはいられなくなる。

 いさせて貰えなくなる。

 ここが好き、居心地が良いと梓は思うけれど、そんな場所だからこそ、本当にここにいて良いのかと思ってしまう。


 梓。


 名の由来は、梓の木が示す様に、強くしなやかな幹を軸に枝葉を広げる木の様な人に育ってほしいと言う願いが込められている。


 恵まれた容姿と不自由のない家庭環境。

 羨まれる事はあれど、蔑まれる事はない。

 自分の立ち位置が他者よりも高い事実。

 それが普通。何もせずとも、常夜灯に群がる羽虫の如く、人が周りに集まって来る。いつしかその環境に慣れきっていた梓は、自分がお姫様だと勘違いする。


 インターネットの普及に伴い世界は広がりを見せた。

 けれど、いくらその世界が広がろうとも、現実はあくまで現実、画面の奥は虚構と相違ない。中学生程度では、手を伸ばせる所までが現実、想像以上に世界は狭い。世界が広がりを見せようとも、自分の現実はその小さな世界にしかなかった。


 容姿端麗、学業も優秀、その上、学外のチームで主力を担うその頃の梓は、小さな世界で自他共に認めるお姫様だった。

 自身の残した轍は周りからの尊敬を集め、本人もそれが当たり前だと感じる。

 彼我の差は顕著で、その差故に梓の振る舞いは傲岸不遜なものとして他者には映る。

 別に他人を見下していたつもりは梓にはなかった。ただ何を言っても許される環境が、斯様な着地点に導いた。


 手元の携帯端末は数秒で世界の隅々まで検索出来る。繋がりさえもそれで補える、コミュニケーションツールでもある。現実で顔を合わせなくとも、意思の疎通を可能にする。本人の預かり知らない所で密談すらも出来よう。


 頂点に君臨していた梓に男子からのアプローチは多かった。

 悪くない気分。

 けれど自分が想像する様な甘酸っぱい世界はそこにはなかった。

 だから別れを告げる。

 いつしか横たわる屍は片手では数えられない位まで積み上がっていた。


 得てして、敗因を直視出来ない敗者は勝者を妬む。

 梓の普段の印象とも相まって、彼女に対しての見方に変化が現れる。

 お高くとまった暴君。周りは全て彼女の従者。使えない従者は彼女の側で侍る事を許されない。

 何もかも恵まれ過ぎていた。

 我が儘が通る気持ちの悪い世界。

 当たり前だと思い、発していた言葉の数々が、周りにとってその身を傷つける刃だった事に漸く気付いた。

 けれど、気付けたのは、代償を支払った故の事。

 梓は自身の言動によって地に落ちた。


 梓。


 カバノキ科カバノキ属の落葉高木。和名の夜糞峰榛ヨグソミネバリの名の示す様に、枝を折ると独特の匂いがする。


 誰かが検索して知れ渡った知識。

 地に落ちた暴君。

 梓の名の示す通り、やはりその中にはドス黒い嫌なモノが詰まっている。

 だから、彼女の吐き出す言葉は辛辣で薄汚れている。

 符合は偶然。けれど、皆の同意を得るのは容易かった。


 賞賛の眼はいつしか侮蔑へと変わり、糸で繋がった情報網は学外のチーム迄及ぶ。

 真偽不確かな情報に踊らされるのは愚かだと思いながらも、原因の一部は自分にあると自覚していた梓は言い返す事をしなかった。

 プレイで繋がるチームメイトなら、誰か一人位は自分を解ってくれる、そう思っていた。

 けれど、現実は残酷。

 チーム内でも梓に手を差し伸べた者はいなかった。


 一人になった梓。

 とは言え、野球だけは捨てられない。

 半分は誹謗中傷の類ではあるけれどもう半分は自業自得。これが解っただけでもこの先の選択肢はこれまでとは違う。

 そして、半ばうんざりし始めていた同調する悪意。

 そんな物がなく、実力だけで這い上がれる世界はどこだろうと模索した結果、梓は企業チームに行き着いた。自分よりも年上の人達、大人な考えを持つ人達の中でなら、実力が物を言う世界でならやっていけるのでは、と梓は考えた。


 逃げかもしれないと思いつつも地元からは離れる決断をした。

 その方が企業チームに通いやすいという判断もあった。全面的な親の支援も取り付け、学区外で学業レヴェルを満たす高校を選ぶ事にも躊躇はなかった。どうせ一人になったのだ。馴れ合うだけの友人なら要らない。別に一人で良いと思った。

 けれど、その場所には、何故か有坂藍がいた。


 彼女は梓の世代では名の通ったプレイヤ。

 名門と呼ばれるシニアで中核を担い、いずれは全国レヴェルの高校に進学するものだと誰もが思っていた。それなのに、そんな将来がほぼ約束された人間が、何故に野球部もない高校にいるのか。

 梓は訝しむ反面、ふと湧き出た希望じみた妄想に慌てて蓋をする。

 自分にとって都合の良い事なんて全てまやかし。有り得ない。

 梓の内面の葛藤など露知らず、藍は梓を見つけると嬉しそうにこう言った。


 ——あら、こんな所に女王様がいる。


 立ち去ろうとする梓を捕まえ言葉を続ける。


 ——私と野球部作ろう。


 突然過ぎて半ば混乱気味の梓ではあったけれど意味は解った。だから即答する。


 ——いやだ。


 ほんの僅かだけ何故かここにいる藍の境遇が気になったのだが、それとこれとは別。淡い希望は持った所で泡沫に消える。誰かに期待なんかもう出来ない、と梓は思う。

 けれど藍は諦めずにその日以降何度も梓の元を訪れては今後の展望を語る。

 しつこく付き纏われつつも、その度に追い返す日々。

 何度打ちのめしても立ち上がって来る藍に半ば恐怖を覚え始めていた頃、藍は遂に梓の奥底に封印したものに触れた。


 ——君って堕ちた女王だったんだね。


 梓は身体から熱が奪われてゆく感覚を覚える。

 触れて欲しくない、見たくも無い過去。大して知りもしない相手に何故にこじ開けられなければならないと、怒りさえ湧き出る。

 そんな梓に、藍は自身すらも考えなかった言葉を投げかけた。


 ——なんかさ、堕ちたとか皆言ってるけどさ、堕としたの間違いでしょ。もし君が真の暴君ならさ、まあ仕方ないけど、違うよね。そんなヤツなら、あの時送りバントなんて選択しない。あれ、独断でしょ?


 いつの事だったろう。

 藍と対戦した時、確かに梓はその選択をした。

 打って出ても良かったのだけれど、後ろに控えるチームメイトはその日絶好調。確実に点に繋がる選択をしただけの事。まさかそんな事を覚えているなんて、と梓は恐怖にも似た目を藍に向ける。


 ——女王とかって囃し立てられてたみたいだけど、君はそんなんじゃない。確かに口も態度も鼻に付いたけど、プレイは誠実だったよ。


 誰も理解してくれないと思っていた。けれどそれは狭い世界だから。

 いざ、その世界から離れてみれば、偏見の無い目で見てくれる世界がある、のかもしれない。

 梓の望みはもしや、ここでも叶えられるのかもしれない。


 幾度となく断り続けたのにも拘らず、それこそ毎日の様にやって来た藍。

 そんな彼女を見ているうちに、梓の心は少しづつほぐれてゆく。

 何より自分を必要としてくれたのが、ただ純粋に嬉しかった。

 こういう形で誰かに必要とされたのは初めてかもしれないと梓は思う。


 けれど、と素直に頷けない自分もいる。

 別に企画倒れになるなら、当初の予定通り企業チームに行けば良い。

 その事を藍に告げ、暫定的ではあるけれど彼女の手を取る事にした。

 その結果梓は未だにここに居て、その場に居心地の良さを感じている。だからこそ、不安なのだ。いつか自分の本性が出てチームを乱す要因を作るのではないかと。そして過去同様に一人二人と離れてゆく。


 自分にはドス黒い何かが巡っていると梓は思う。

 それは他者から見たら、相手を見下す傲慢な暴君。それは梓の本質、培われてしまった悪しき本性。隠さなければここには居られない。

 自業自得とは言え、なんと重い枷だろうと梓は思う。


「アズサちゃんって時々遠い目してない? してるよね」


 自分を見上げる撫子の目には何の曇りもない。この娘達には本性を見せてはならない。その思いが枷を強くする。


「別にそんなつもりはないんだけどね」

「まあ、吐き出したいならいつでも言ってよね。私聞くよ? ここってさ、何だかんだでメンタル強い子が揃ってるから、大抵の事は流せると思わない? 思うよね」撫子はそう言って笑う。

「そうそう、一人で悩んでもしょうがないよ。私なんか思う度に誰かに言ってるよ。その方が色んな事共有出来るし、互いの事をもっと知れる」昴が撫子に同意する。

「良かったじゃない」藍があの時の様な笑みを浮かべている。「アズサが何者であれ、皆は今のアズサを知ってる。受け入れてくれると思うけど」

「だから、そんなんじゃないって」梓は無理やり笑みを浮かべる。すぐに千彩に顔を向ける。「ほら、ちろ、もっと強い球投げ込んで」

「解ってるっすよ」千彩は右腕を回す。


 今じゃなくて良い。けれど、いつか吐き出す日が来るのだろうか、と梓は思う。

 来なくても良い。けれどそんな日が来たら良いな、と梓は思う。


 自分の事はこれまで同様、気を付けるとして、今は後輩達の躍進に心血を注ごうと梓は切り替える。

 梓の目からしても、この初心者バッテリィは面白い。

 強豪、鳴海大葉山にどこまで喰らい付けるのか見ものだと思っている自分がいる。

 今はこれで良い。目の前の事を一つづつこなしていくだけだ。


 ブルペンの左の打席に立つと、グラウンドの全体が見渡せる。

 チームメイトがそれぞれの調整方で、今日の試合に臨んでいる。

 キャッチボールをする者、ネットに打ち込んでいる者、各々が目的を持って課題に取り組んでいる。誰かの承認を待っていた、誰かの機嫌を窺っていた、在りし日のグラウンドとは確実に違う。

 やはり、ここはあの場所ではないと梓は思う。

 なればこそ、と淡い希望が湧き出て、まだその時ではないと首を振る。力無く笑う。

 こうも自分を後押しする環境は、ふわふわの真綿で首を絞められている様な甘く苦い感覚だ。


 感傷じみた思いを馳せていると、グラウンドの傍ら、校舎に続く大階段にジャージ姿の人影。

 気怠そうな足取りでこちらに近づいて来る。

 この人だけは予定通りかと何故か安堵の溜息が出る。


 口元に手を当てながら大欠伸。

 身なりこそ整ってはいるが、寝足りないのであろう事は丸わかりだった。


「おはようさん」


 ブルペンまで来ると開口一番、片瀬熊ノ森学園女子硬式野球部監督、今泉いまいずみ慶侑けいゆうは眠そうな声でそう言った。

 監督の言葉に皆が顔だけ傾け挨拶する。


「あのさあ……」慶侑は萎れた様な声をあげる。「せめて、身体向けない? 立ち上がって挨拶なんて言ってないんだからさあ」

「効率重視って監督が言い出した事ですよ?」藍が笑みを浮かべる。

「まあ、そうだけど、ちょっと寂しいじゃん」

「キモっ」藍は両肩を抱き、身を引く。

「有坂、ドイヒー。言い方ってあるよね。大人は繊細なんだぞ? 思春期よりも砕けやすいんだぞ」

「絶対思ってないですよね、そんな事。言いたいだけですよね。それが解ってるからキモいんです」

「やめてッ、俺の心暴くのやめて、本当に傷つく」両手で顔を隠し俯く。

「仕草もキモい」追撃の言葉。

「アオイちゃん、相変わらず監督には厳しいね」昴が片頬を引き攣らせながら苦笑する。

「まあ、冗談はこれくらいにして、どうよ?」

「立ち直りはやッ」


 昴の突っ込みを華麗に流し、藍も慶侑も真面目な顔付きになった。


「大方いつも通りですね。今日の縦スラは落ちが少ない分球速はある。チェンジアップはいつも通りなんで、そんなに問題はないかな、と」

「あ、そう。チェンジアップが問題なければ良いや」慶侑はさらりと言う。

「後ですね」藍がちらりと梓を見る。「私らも投げる方向で」

「ん?」慶侑もまた藍と梓を見遣る。「良いよ。ただ、ピッチャは有坂ね。まあ、状況次第で瀬名にバトンタッチするけど」

「なんで……」つい梓は声を上げ、すぐに後悔。理由は解る。

「何でって、瀬名と夜川は同じ神風特攻タイプじゃん。同じの続けるなんて愚の骨頂でしょ。つうか、瀬名ってそこまで投手に執着あるの?」

「いや、別に……」

「そんな落ち込まんでも」慶侑は笑う。「やりたいなら舞台は用意する。先に言いなさいっていつも言ってるよ。やりたい事はやりましょう、でしょ?」

「……はい」


 この場所はきっとどうしようもない自分を受け入れてくれるのだろうと梓は思う。

 ただ、ぶちまける決心が未だ付かないだけ。

 それは恐怖。

 少なくとも、仲間と呼べる人達が梓にも出来た故、それらを失い、また一人になる恐怖心がそうさせる。

 けれど、怖いからと尻込みしていても何も変わらない。

 立ち向かえ。

 強豪を相手にする今日の試合の様に、自分もまた過去と決別する為に。


「瀬名ってさ、積極的な部分と、消極的な部分が何故か同居してるよね。まあ、それも個性だから、良いんだけど、凄く辛そうに見える時がある。選手を指導するのは監督の仕事。道に迷うなら何でも言ってくれれば良い。多少は示す事は出来るよ。だって俺大人だもん」

「キモっ。全く大人の意見ではないです。説得力皆無の、ただのキモい発言ですよ、監督」

「痛い痛い。どうして有坂の言葉はそんなに鋭利なの」

「事実です」

「と、まあ茶番はこの位にして、そろそろクールダウン。試合前にやり過ぎはダメ」慶侑は腕時計に目を落とす。「ダウンと片しをゆっくりやってちょうど良い時間だ」


 藍には、漸くここまで来た、ときいたが、自分こそスタート地点に立てていないと梓は思う。けれど、時は流れている。自分がスタートしていようがしてなかろうが、チームは動き出している。

 通過点はすぐそこだ。迷っている暇はない。自分もまた踏み出さなければならない。


 だから梓はちょっとした賭けをした。

 この後の試合、強豪から二安打したら今日のうちに懺悔しよう。

 弾き出されても仕方がない。

 結局自業自得。受け入れる。尻込みして、言いたくないからあえて安打しないと言う結果が出るのなら、もう自分には野球をする資格はない。こうやって追い込む事でしか決意の一歩を踏み出せないのは自分の弱さ。先輩である資格もない。


 藍には藍の、一年生達には一年生達の理由がある。

 それとはまた違った理由で梓はこの日の試合に臨む。

 ありのままの自分でいられる場所を切り開く為、自身を曝け出す。

 打たないなんて事はありえない。

 梓は一抹の決意を胸に、その一歩を踏み出してゆく。

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