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アイデスの憂鬱  作者: 森住千紘
Proof of buds : 1
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 The proof of buds.Ⅲ 〜 夜明け 〜

 王女の凱旋は色鮮やかな花で彩られていた。


 見た目麗しくも綺麗な花には棘がある。

 その道を埋め尽くす花には、敵意という棘が可憐な花びらに隠れてその時を待っている。

 帰還を快く思わない者が仕掛けたその棘を、王女は涼しい顔で踏み抜いていった。王女は鉄の靴を履いている。拙い棘など彼女には届かない。


 嘘をついていた訳ではないし、傲慢だった自覚もないけれど、知らず知らずのうちに浸かっていたぬるま湯によって長く伸びていた私の鼻は、そんな王女によって粉微塵にされてしまった。

 おそらく本人にその意思はなかったのだろう。ただ、自分のすべき事をこなしていたに過ぎない。私が勝手にそう思い込んでいただけなのかもしれないけれど、結果的に、私は王女との差を目の当たりにする事になった。


 リーグ戦第四節から約一週間のインターバルを挟んだ週末に第五節を控える私達。

 新たに加わった二人は短い時間ながらもチームに溶け込み始めていた。とは言え、我が儘プリンセス、結城碧は勝手知る者としてその実力を惜しみなく吐き出していた。

 扇の要という玉座につき、小柄な王女はどこからそんな言葉が出るのかと思う程に辛辣な刃が下々を襲う。


「杉原ぁ、お前代われ。今のでアウト取れないんじゃ話になんねぇ」


 内野連携の時間帯。

 ワンナウト、ランナ・一塁の想定。一塁ランナは常に盗塁を狙っているシチュエーション。実践形式として、投手が投げ、打者は各自の判断で行動する。

 碧はこれ迄守備練にはあまり参加していなかった。ブルペンで一年生の面倒を見る事が多かった為だ。足にはそこそこ自信のある私は、グラウンドでの碧に興味もあったので一塁ランナーを名乗り出ていた。


 唖然とした。


 大して私と体格に差がある訳でもないのにも拘らず、二塁への送球は雲泥の差。コントロールに差は然程ない。違いがあるのは速さ。単純な肩の力。送球だけに絞るのであれば、荻野以上かもしれない。


 投手は湊、打者は杏樹でバントはほぼ無し。ランナーが走る事を見越している所為か速い球を投げ込む。湊には特にクセも無く分が悪いとは言えなくもないけれど、その状況下で走れる事こそ武器になる。

 そう思って神経を研ぎ澄ましていたのだけれど。

 セカンドのカバーが遅れなかったら確実にアウトだった。唖然としながら立ち上がり帰塁する。背後で舌打ちが聞こえた。続いて恨みがましい声。


「まだアウト三つ取ってないけど?」

「アウト取ってから物言えよ」碧は吐き捨てる。「今ので取れないんじゃ、お前いらねえわ」


 一塁ベンチ横でネットに打ち込む一葉に碧は声を飛ばす。


「一葉、代わりに入ってよ」

「は、はい」僅かに気まずそうな表情を浮かべ一葉は、そそくさとバットを片付ける。


 帰塁した私とすれ違う。その間際呟く様に言う。


「勝負、琥珀ちゃん」その横顔には既に気まずさは欠片も無かった。

「オッケ」


 そう返した私ではあるけれど勝算など微塵もない。普通に走ってはダメだ。湊のモーションを盗むか、リードを大きくするかしないと勝ち目は無い。かといって、後者の場合、僅かな隙を突いてファーストで刺される可能性もある。割と詰んでいる。それ程ミドリの存在感が重くのしかかる。


 ベースに着くと苛立たしげな目線を向けながら背後を通ろうとする杉原が目に入った。苛立つ位なら出来る様になれば良いと思うのだけれど、彼女の場合感情が勝ってしまうのだろうな、と分析。感情も大事だとは思うけれど、冷静さは失ってはならないと自戒する。


 先程より半歩リードを広げ、集中。

 湊が目線を切り、始動した瞬間に土を蹴る。

 良いスタート。

 つい横目で球を確認する。

 高めに逸れた。

 更に加速。

 滑り込む。

 けれど、ベースと爪先の間に一葉のグラブ。


「私の勝ち」一葉が口元を上げる。


 今のでアウトか。

 立ち上がり碧を見る。大き過ぎる壁は真実だ。


「おい、コハク。お前今こっちチラ見したろ」ホーム上で碧が怒声を上げる。「そんな余裕あんのかお前には」


 塁上で刺され、言葉でも刺される。


「すいません、ミドリ先輩」素直に謝り一塁に帰塁。


 この日はファーストに就いていた坂巻が慰めの言葉をかけてくれる。


「アレじゃなきゃセーフだよなあ」ちらりと王女に目を向ける。

「いえ、アレでもセーフにならなきゃダメですよ」私は苦笑。

「相変わらず気が強いなあ」坂巻は乾いた笑い。「ま、アレから盗めるなら、大抵の捕手からは盗めるんだろうけど」

「ですね」私は溜息。「今の私には走る事位しか出来ません。磨くに越した事ないっすよ」

「また大袈裟な」

「いやいや、痛感してますから。自分の力の無さを」 


 四月初旬の紅白戦において私は安打を放った。ミートにはそこそこ自信はあった。そして結果も出した。

 けれど、それは夢幻。

 相手が園川だったから、と言うと彼女には悪い気もするのだけれど、実際その通りなのだ。

 言葉を選ばないで言うのなら、園川クラスの投手なら内野の頭を越せる。けれど、湊や上条、笹川といった力のある球を投げる投手になると、自分の想像以上に飛距離が伸びない。特に湊の様な揺れる力強い球との相性は最悪だった。芯から少しでも外れると、まあ飛ばない。打撃は筋力が全てではないと思っていたけれど、自分が思っていた以上に私には足らないものが多過ぎた様だ。

 単純な筋力不足に始まり、体幹の弱さ、足腰の脆弱さと、元々その弱点は解っていたのだけれど、まさかここまで顕になるとは思っていなかった。想像していた”私”はまさに夢幻だった。


 ゴリマッチョになるのは嫌だ。日焼けするのも嫌だ。乙女である事を捨てる事は出来ない、と頑に思っていたのだけれど、そんな事言っていられる立場では無い事を痛感した。

 捕手である事が最優先である事には変わりは無い。けれどそれを打てないままでいる事の免罪符にしたくはない。

 だから、この頃の私はフィジカルの強化を真剣に取り組む様になっていた。

 これには碧の言葉が後押しした。

 いつかの打撃練をこなした後彼女は言い放つ。


 ——力の無さ実感した?


 ——最低限の筋力はつけろよ。


 ——杏樹はゴリマッチョだが、乙女だろ。


 確かにその通り。

 目から鱗。いや、ちょっと考えれば解る事なのだけれど、何故か碧の言葉はすんなりと私に染み込む。元々悪い印象では無かった所為か、実力を垣間見た後は尊敬の眼差しに変わっていた。

 まあ、それが落とし穴だった訳なのだけれど。


 ——飄々としてて、時に意地悪。揚げ足取りの上、割と我が儘。


 藤野の言葉は正確だった。

 師事しようと碧に寄り添おうとする私に彼女は満更でもない顔をした。

 けれど、少しベクトルがズレていた。実際親身になって細かく教えてくれるのだけれど、それ以上に難題を吹っかけてくるのだ。やれ、あまり甘く無いクリームパンが食べたいだの、美味なるプロテインをご所望だ、だの、野球とあまり関係ない課題が常に付き纏う。

 これは本当に自身の成長に必要な物だろうか、と思い悩む事暫し。関係ないよね、と言う答えに行き着く。けれど断る術を知らない私は、粛々《しゅくしゅく》と碧の指示に従っていた。

 何せ、野球関連の彼女の言葉は正鵠を射ているのだから。

 腹立たしくもあり尊敬に値する我が儘プリンセス。この時の私の印象はこれに尽きる。


 空が薄紫に染まる。

 結局、この日碧から完璧に盗めたのは一回だけ。その他は野手側のミスを除けば彼女の送球が若干逸れた二回と散々な結果。自分の力の無さと、彼女の凄さを実感した一日。学年が違うとは言え、越えるべき壁は斯くも高い。


 全体練習後、既に日課になりつつあるフィジカル強化に勤しむ為にトレーニングルームに向かう。足取りは重い。現実を突き付けられたのだ、当然ではある。

 これ迄そこそこやれていたという自信の強みまでも粉微塵になってしまった。

 けれど、これで良い。挑戦者である事を辞めたらそこが終点。終点を目指せどもそこに行き着くのを良しとはしない。常に陽に向かって蔦を伸ばす雑草で良い。伸び代を自覚し、道も開かれている。ならば進むだけなのだから。


「いやいや、ミドリ先輩には驚いた。一個上とは思えないや」一葉が頭の後ろで手を組みながらしみじみと語る。


 彼女もまた筋力の底上げを課題にしているので、ここ最近は共にトレーニングルームに直行していた。仲間がいるのは斯くも心強い物である。


「まあねえ」私は頷く。「これで無茶振りがなければ、言う事無いんだけど」


 一葉が私の肩を突つく。彼女の目線は後ろに向いている。

 お約束である。


「ギリギリ出来る事を言っているつもりだけどなあ」背後に忍び寄っていた我が儘プリンセスは私に抱き付き体重をかける。

「……重い」

「ちょうど良いじゃん。筋トレするんだろ? 足腰は大事なのは解ってるよなあ」

「……ええ、もちろんですとも」碧を引き摺りながら、なんとか答える。「だから、歩いてるじゃないですか」

「悪くない」

「は?」

「や、だから、今日の走りは悪くなかった」


 碧は無茶振りこそすれど、ちゃんと飴もくれる。良いものは良い、悪いものは悪いと言ってくれる。こんなだから、突き離せない。

 歩みを止めて僅かに顔を傾ける。


「つっても、ほぼ全部ミドリ先輩に刺されましたけど?」

「そりゃ、私だもん、刺すよ。ただ、毎回ああもギリギリってのは一年にしては良いよって事」碧はすっと私から離れた。「コハクはどうしたい?」

「何がです?」私は肩を回し尋ねる。

「目指す所。どういうプレイヤが理想なのかなと思ってさ。色々いるじゃん。長打が売り、守備で貢献、小技を極める、とかさ。まあ、どの道最低限の身体はなくちゃいけないけど、その先は自分がどうしたいかによるだろ」

「そうすね、私は……」暫し黙考。答えは既に出ている。その再確認の時間。「今のまま、ですかね」

「消極的だなあ」碧は呆れ混じりに言う。

「違いますよ。総合的に考えた結果ですって。身体が大きければ長打打てる様に、とか思いますけど、自分の長所考えたら、打って走ってのアベレージ型ですもん」

「そんなにマッチョは嫌か」

「別にそう言う訳じゃ無いですけど……」と言いつつ首を振る。「いや、やっぱ嫌ですね、と言うかミドリ先輩は私をマッチョにしたいんですか? 何なの? 嫌がらせ?」

「長打打てるに越した事ないじゃん」碧はそう言いつつも悪い笑み。

「これは嫌がらせ、ですよね」一葉が冷静な指摘。

「半分はね」碧は悪びれる風もなく答える。

「あのねえ」私は溜息。「私で遊ばないで下さいよう。まあ、確かに大きいの打てれば良いですけど、人には向き不向きが……」

「お前、阿呆だなあ。まだ何も決まってないじゃん」碧はからりと言った。「私らまだ高校生だぜ? なりたい自分があるのは良い事だけど、まだ何者でもないし、何者でもなれる。自分はこうだって決めつけないで、色々やってみれば良い」

「確かにそうですね。でも、私がホームラン打つの想像できます?」

「いや、無理」

「即答かよ」一応ツッコんでおく。「まあ、でしょうね、という感想しか出ないすけどね」

「でも、だからと言って、絶対無理って訳じゃないだろ。可能性狭めるなよ」碧は小さく肩を竦め口元を上げる。「でもまあ、お前はそれで良いんだろうな。自分の持っているもの解ってるみたいだし」

「そうすよ。ゴリマッチョになって、素早さを失うのはなんか違う。私らの世代はゴリマッチョ多いすからね。私までそうなったら、バランス悪いでしょ」

「一端の口ききやがって」碧は鼻で笑い、私の額を指で弾く。「大して変わんねえよ。でもまあ私が言いたいのはネガティブな感情で可能性に蓋すんのは良くないって事だから」

「それは解りましたよ。それで……」額を抑えつつ、私は碧を窺う。「ミドリ先輩は何の用です? トレーニング付き合ってくれるんですか? それとも唯のかまってちゃん?」


 ぷふ、と隣で一葉が吹き出す。


「おい、一葉。なんで今笑った?」

「い、いやあ、ワタシ、ワラッテナイデスヨ」

「ほらあ」ここぞとばかりに碧に言う。「もうみんな知ってるんすよ。ミドリ先輩がかまってちゃんなのを」

「違います。これは後輩の面倒を見てるんです」

「ムキになって反論するあたりが、もうね」私は一葉に同意を求める。


 同意したい。けれど立場上中々にハードルが高いそれをこなすのを諦めた一葉はすっと私から目を逸らした。

 逃げたな、このやろう。


「で? 本当のところは何です?」再び碧に尋ねる。

「凹んでるかなと思ってね、励ましに来た」 

「そりゃ、どうも」

「お前、信じてないな」そう言って碧は私の頬を掴む。


 私は碧の手を掴み、頬から引き剥がす。


「い、痛ったいなあ。もう物理禁止。パワハラで訴えますよ?」頬をさすり目を細める。

「仲、良いですなあ」一葉がしみじみと言う。手元に湯呑みの幻覚さえ見える。

「同じ捕手だしさ、慕ってくれてるの解るから、気にかけてやってんのに口が減らねえなあ、コイツは」碧は悪態をつく。


 不意をつく飴は卑怯なり。

 照れを隠す為に顔を背ける。


「さっきも言ったけど、お前らはまだ何者でもない」改まって碧は言う。「この先何にでもなれる。けれど、自分が何者であるかを知る必要もある訳だ」

「はあ」


 いきなりの真面目な雰囲気に私と一葉の声が重なる。私達二人を交互に見つめ碧は不敵に笑った。


「はい、注目」碧は人差し指を立て左右に振った。「そんな二人に朗報です。取り敢えずの輪郭を見つけましょう」

「?」


 おもちゃを前にした子猫の様に、私と一葉は同時に首を傾げた。


「コハクはある程度輪郭が定まってるのは解った。一葉は?」

「私もありますよ、そういうの」

「ほう」碧は手の平を向け、一葉を促す。


 居住まいを正し、一葉は少し照れながら言葉を紡ぐ。


「えっとですね、私は四番でありたい。まあ、正直打順なんてどうでも良いんですけど、こいつならやってくれると言う期待に応えると言いますか……」

「なるほど」碧は頷く。「確かに一葉は、得点圏に強いよな」


 碧は一人納得しながら歩き出す。私達を追い抜き少し行った所で身を翻す。


「二人のスタイルは解った。他のヤツらも、葉山ここに来てるんだ、ぼんやりと決まってるんだろうし」碧は再び不敵に笑い人差し指を突き出した。「ならば、それを証明したまえよ」

「?」


 またしても首を傾げる。

 証明? 日々練習で曝け出していると思う。まあ、私は散々な結果ではあるけれど、一葉はそれなりに形にしていると思う。

 そんな私達の疑問に対する答え。


「来週末、片瀬熊ノ森との練習試合が決まったよ。まあ、コハクはメンバに入ってるとは言え、試合には出ていなから立場としては一葉と同じ。自分が何者なのか。何者になりたいのか。クソ野郎の所為で少し遅れたけど、お前らが戦力になり得る事を証明しな」 

「……と、言うと?」一葉が恐る恐る尋ねる。

「うん」碧は頷く。「片瀬熊ノ森戦、メインで出るのは一、二年だ」


 暗く閉ざされた暗所に閉じ込められていた私達。

 闇は切り裂かれ漸く日の目を浴びた。けれど、それはまだそこにいるだけの事。いるだけでは意味はない。自分達が何者であるのか。それを声に出す時が来た。


 私達はまだ何者でもない。陽を浴び育った後、それがどのような色形なのかはまだ解らない。

 いずれ花開く蕾の証明。

 私達は花咲ける乙女なのだから。

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