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アイデスの憂鬱  作者: 森住千紘
Proof of buds : 1
30/128

 Go ahead with will, 〜 願うなら進めばいい 〜

 燻る様な曇天を切り裂く一条の光。


 中沢明日香という天才と共に歩み、針の穴を通す様な制球の香坂綾と試合を作った。夏目湊という暴れ馬の手綱を取って、青山圭のハイクオリティを目の当たりにした。

 けれど。

 そのどれよりも、この日の上条祥子は別次元の輝きを見せた。

 アイマスクを取り払った、仄かな赤みが残る腫れぼったい目。掠れた声。何があったのかは聞かなかったけれど、その風貌とは裏腹の、どこか清々とした佇まいに、彼女の本質を見た様な気がした。


 普段は飄々とした陽気な彼女。

 それは表向き変わってはいないけれど、内包される質が違うと直感が訴える。

 これまで何度かブルペンで彼女の球を見たけれど、それとは別物。自己証明とばかりに、今の自分を映し出す。


 私と大差無い小柄な体躯を大きく使い、天性のバネを存分にしならせる。柔らかい身体は溜めた力を寸分逃さずに、リリースの一点に全てを乗せる。

 弾かれた球は一直線に、相棒である荻野の元へ。

 単純な速さだけで言うのなら、湊の方が速いだろう。綺麗な回転と言う意味では圭に軍配が上がる。細かい制球なら綾の方が上だとは思うけれど、上条の直球はその誰よりも打たれないと瞬時に思った。

 回転数の桁が違う、というのは些か言い過ぎかもしれないけれど、それに納得してしまう様な稀に見るストレート。

 そのストレートを軸に、カットボールとスライダー。そして伝家の宝刀チェンジアップ。

 部内がどんな問題を孕んでいようとも、彼女が投げれば勝ったと思える位、上条祥子は一人異質な威厳を漂わせる。 

 荻野が女帝であるならば、上条は女帝の掲げる一振りの槍。女帝が振れば、その輝きは更に増すのだろう。そんな事を妄想していた。


 だから、私は耳を疑ったのだ。

 たとえ、相手がどの様な者であっても、王は王の振る舞いをするべきだ。それが王たる者の在るべく姿だと私は思う。


 明けて翌日。

 青天に真白な雲が僅かに浮かぶ、少しだけ肌寒さの残る正午前。

 私にとって高校生活始めての公式戦。


 白ベースの生地に黒で縁取られた鮮やかな群青色の校名の筆記体。同じ群青のアンダーとソックス、帽子を纏い、出場こそ皆無だとしても、その開幕の時を待っていた。


 改めて考えてみれば、どうにも違和感があったのは事実だった。

 強豪と呼ばれる高校ではあったので、男女共に野球部専用のバスがあり、試合会場である都内の高校までそれで向かった。その車内には、初戦の試合前だというのに、緊張感というのだろうか、それがあまり感じられなかった。入りとしてはあまりよろしくない空気だな、と私は車窓を眺めながら思っていた。


 会場に着き、アップを始めた所で違和感が更に増す。

 車内で感じた緩みの様な空気はやはり現実で、大半の者が緊張感に欠けていた。その中でも、普段通りの雰囲気を纏う者はいて、少しばかり私は安堵。

 ただ、その雰囲気を漂わす荻野達は試合前のアップにしては軽すぎる印象。宛ら自分達は試合には出ないとでもいう様に。


 集合がかけられベンチ前に集まった。

 大屋監督代行の口からスターティングメンバの発表。

 そして私は耳を疑い、違和感の正体に触れると共に私の予感は現実になった。

 発表されたメンバに荻野達の名前は無く、騒つく私達を前に、大屋は試合の方針を説明する。


「今日の相手は、三部から上がって来たばかりのチームです。正直力の差はあるでしょう。別に相手に合わせている訳ではありません。チームの要がいなくとも勝てる状況を作る事が目的です。いつどこで何が起こるか解らない。そんな時の為に備えるというのがこの試合の目的です」大屋はちらりと荻野に目をやる。「まあ、もしも、なんて事は無いけれど、荻野も上条もいる。今日出場する皆はのびのびやれば良い」


 大屋は親指を立て、白い歯を見せた。


「私は出ませんよ」


 和んだ雰囲気を壊す一言。


「……荻野」大屋は目を細めた。「決めるのは僕だけど?」

「今日の目的を考えれば、どの様な状況になったとしても、私達が出るべきでは無いと思います。違いますか?」

「言い出したのは君だろう? 責任は取って貰わなきゃいけない。自分の尻拭いは自分でする。そういうものでは?」

「それを言うのなら、相手へのリスペクトを欠いた大屋先生にも言える事ではないですか? 私は先生の発言を聞いて、提言しただけです。嬉しそうにそれは良い、と呑み込んだのは先生ではないですか」

「荻野、言葉には気を付けなくてはいけない」大屋は表情を緩める。「周りに誤解される表現になっている。僕は常に相手へのリスペクトを忘れてはいない。うちの子は優秀だ。だから誰が出ても相手に対し失礼にはならないさ」

「なら、大丈夫ですね、私達が出なくても」荻野は優雅に笑う。その笑みを浮かべたまま、自身を取り囲むチームメイトを見廻した。「貴女達にも選手としてのプライドがあるでしょう? 私達がいなくても勝てる。その事を証明して頂戴」


 演技かもしれないけれど、私は荻野の声に誠意を感じとる。

 試合前のテンションがそうさせるのか、それとも邪な希望を見たのか、返って来る声は力強い。大屋と荻野の間に生まれた僅かな剣呑な雰囲気は女帝の一声で掻き消えた。


 この後シートノックに移りその後試合開始という運び。皆がグラウンドに散る中、不意に荻野と目があった。彼女は不敵に口元を上げた。

 私はこの日の正捕手を務める関谷みなみの背後にまわり、女帝の隣に。彼女はグラウンドを見据えたまま、少しだけ顔を傾け私の耳元で囁いた。


「まあ、見てなさい」


 私は背筋に冷たいものを感じる。

 まさか、全て荻野の策だとでもいうのだろうか。まあ、彼女ならやりかねないだろうし、それをするだけの信頼はある。そうだとして、目的はやはり、現状を陽の下に晒す事だろうか。なんとなく向かう方向は解っているのに着地点が不透明。そんな気持ち悪さを感じる。

 私達の向かうべく場所はどこなのだろう。ただ、何かが動き出したのは確かな様だった。


 シートノックが終わり相手チームと入れ替わる。先攻は私達なので、相手のノックが終われば試合開始となる。

 ベンチから出て、バックネット裏に目を向けた。屋根が設られた申し訳程度の観覧席ではなく、その前、よりバックネットに近い位置にメンバ漏れした一年生が並んでいた。


 一年生でメンバ入りしたのは五人。背番号順に、湊、みなみ、圭、杏樹、そして私。残りがバックネット裏を居場所としていた。

 綾と目が合う。何故か満面の笑みで手を振ってやがる。内情に興味ないやつは幸せなものだと悪態を吐きたくもなる。仕方なしに私も片手をあげる。あまり勝手な行動をしていると、いつかの様に絡まれる恐れもあるので、早々とベンチに引っ込んだ。

 ベンチ内の端に制服姿のマネージャが記録員として入っている。その傍に顔を出し、改めてメンバ表をみる。


 紅白戦の時とは少々変わっている。荻野と上条が出ないのだから仕方の無い事ではあるけれど。驚くべきポイントとしては、杏樹がスタメンに抜擢されている事か。

 あとは、先発が園川ではなく青山圭である事を除けば、まあ予想通りといえばそう。


 一番は中堅手千家。二番二塁手小澤。三番三塁手で杏樹が入り、四番には荻野の代わりに、

一塁手で坂巻。五番が捕手で関谷みなみ。

 六番右翼手、大島おおしま芙美ふみ。紅白戦には出ていなかったけれど、三年生のこの人が右翼手のレギュラ。

 そして七番左翼手で多嶋たじま美奈子みなこ。こちらも三年生で、左翼手のレギュラ。

 八番遊撃手、新川。最後九番投手で青山圭。


 公式戦であっても何故か監督の方針は変わらず、指名打者は適用せずに投手である圭が打席に立つ。これに拘る意図が読めない。

 意図が読めないといえば、少し違うのだけれど、妙に引っ掛かる事がある。


 些細な事ではあるのだけれど背番号に関して。

 硬式女子には固定番号制は導入されていない。1から99までの好きな番号を付けられるのだけれど、今回のリーグにおいてレギュラの背番号は、男子と同じくポジションに準ずる形、サブに関してもベンチ入り上限の25の中で割り振られていた。なので、エースの上条は1番、荻野は2番を付けている。

 これに関しては、チーム毎に矜持の様な物があるらしく、エースが1番を背負う高校は多いので外から見れば、別段不思議ではない。


 けれど、鳴海大葉山の伝統としてはその限りではなかった。まあ、大屋監督代行の身になって考えるのならば、過去との決別という風にも取れるので、一応の納得は出来るのだけれど、これまで、ある程度好きな番号を選べた事を鑑みれば、些か窮屈さを感じずにはいられない、とは藤野の言。


 蛇足ではあるけれど、湊が11番、みなみが12番、圭が18番、杏樹はスタメンではあるけれど、一年生だからか24番。私は最後尾の25番。


 ベンチの片隅に戻り腰を下ろす。眺めは試合のそれ。不本意と言えば嘘にはなるけれど、右往左往しながらもこの場所まではやって来た。


 上半身を濃淡の青のコントラストで彩ったユニフォーム。垢抜けているのにも拘らず、しっかりとした体躯の乙女達がグラウンドで声を上げている。彼我の差を感じつつも私の目は自然とマウンドに向かう。

 この春から、つまりは去年の秋期リーグを勝ち抜き、二部まで上がってきたチーム。ここ数年で力を付けた新進気鋭の志水館しすいかん大学。


 企業、大学、高校とカテゴリの違うチームが混ざり合う春秋リーグではあるけれど、幾ら下のカテゴリから上がって来たばかりだと言って下に見るのは間違っている。昨季三部にいようと、経験では私達のそれを上回っている。私の思惑を肯定するかの様に、マウンドにいる細身の乙女のクオリティは高い。

 荻野達が出れば負けるとは思えないけれど、出なくても勝てるとは到底思えなかった。

 荻野達のポテンシャル自体が高いというのもあるけれど、ノックを見て志水館の練度の高さも窺えた。何より、マウンドに集まる内野陣の表情が物語っている。皆それぞれが同じ意思のもと、同じ目標に向かっている。チームとしてあるべき姿だ。

 それに比べ、私達には不穏な空気が流れている。特にこの試合においては纏め役が乏しい。不安にもなるだろう。


 薄暗い先行きを匂わせつつ、私の高校生活での初めての公式戦の幕は上がった。


 予感めいたものは予感でしかないないのかも、と私が思い直す程度には、試合の入りは良好なものだった。考えてみれば不安の種は守備にある訳で、攻撃に関して言えば水物という事を除けばその信頼性は高い。


 志水館のエース門脇かどわきの二球目を、千家は涼しい顔でレフト前に運んだ。

 続く小澤も初球をヒッティング。ピッチャの横を抜けセンター前へ。たった三球でランナ・一、二塁。得点圏にランナを置いてクリンナップへ。

 杏樹が右打席に入り、バットを掲げる。公式戦初打席。心なしか強張っている様な気がしないでもないけれど、そこは杏樹。ストレートに狙いを絞りフルスイング。左中間を打ち抜くツーベース。千家がホームを踏む。

 ランナー二塁三塁で四番を迎え、この日の要を担う坂巻は見事にその役目を果たした。

 センター前に弾き返し、小澤が還り追加点。

 続くみなみも、外角を逆らわずに振り抜きライト前へ、杏樹が還って来た。

 未だアウト一つも献上せずにランナー一、二塁。

 タイムがかかり、内野陣がマウンドに集まる。初回だとしても連打で三失点。一回流れをリセットする為には悪くない。


 途切れた流れはこちらに不利に働いた。

 六番の大島は慎重になり過ぎたのか、三球目を引っ掛けショート正面への凡打。打球の足が速かった所為もあり、サード封殺からのファーストへのダブルプレイで、ツーアウトランナー二塁へ移行。

 七番多嶋は粘ったものの、変化球にタイミングを崩された後の直球で三振。

 相手エースは目を覚まし、こちらは尻切れトンボ。とは言え、初回で三点のリードは文句無しの結果。普通ならば、ではあるけれど。


 私達は守備に不安を抱えている。三点がどれほどのアドバンテージなのかは、相手データのない段階では判断が出来なかった。


 試される守備。

 私は最前列まで行き、マウンドに目を向ける。


 口を真一文字に結び、春の陽光が縁無しの眼鏡に反射する。

 その奥に刺す様な冷たい眼。ロジンの白粉が舞い、糸を引く様な直球がミットに届く。


「お手並み拝見、だな」隣に来た湊が口元を上げた。

「お前、断ったんだって?」


 この日、初めに先発を命じられたのは湊だったそうだ。けれど、湊はそれを断るという暴挙に出た。色々言い訳を塗りたくり、結果圭にお鉢が回ったらしい。


「私は信頼出来るヤツにしか投げねえよ」湊はちらと視線を流す。「ミウさんとか、アンちとかね」

「信頼、ね」乾いた笑いが漏れる。「荻野先輩はともかく、私は文句言わないからだろう?」

「ちょっと違う」湊は指を振る。「私の意を汲んでくれてる、が正解」

「そうしなきゃ、投げないだろうが、お前は」


 私に慣れたからなのか、初対面辺りにあった気遣いは日に日に形を潜め、この頃では湊はブルペンにおいても、気が乗らないとかで投げない球種がある日が多くなっていた。練習なんだから一通り試せば良いものを、と思うのだけれど、隣にいるコイツは頑として首を縦に振らない。したがって、文句を垂れつつも、こちらが折れる羽目になる。蓋を開けて中を覗いてみれば、当初の印象に逆戻り、ホント面倒なヤツだ。


「そりゃそうさ。私の事は私が一番解ってる。気分の乗らない球投げても打たれるだけじゃんか」

「だから、どんな時でも最低限のクオリティを出せる様にしろよ、って言ってんじゃん。調子の良し悪しで選択肢狭めてどうすんのさ」

「まあ、それはそう」湊は素直に頷く。「だから、それは今後の課題だな」

「解ってんだったら、実行しろよな」疲れに似た何かが溜息と共に漏れた。 

「解ってるって」湊は顎をしゃくる。「始まるよ。建前上の未来のバッテリィの初陣が」


 圧巻といえば、あながち間違いでは無い。

 それ程、青山圭の投球は、相手を呑み込んだ。初見で彼女のストレートを見たバッターは皆目を丸くした。その残像があるうちに、変化球で踊らされ、アウトを献上する。


 無駄球も無く、球数すら抑えた、この上ない立ち上がり。

 流れる様に時間が過ぎ、あっという間に一回の攻防は幕を閉じたのだった。

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