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アイデスの憂鬱  作者: 森住千紘
Proof of buds : 1
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 Branch point 〜 分岐点 〜

 窓の外では、やや傾いた午後の陽差しが降り注いでいる。

 けれど、校舎北側の階段には差し込む陽は乏しく、人通りも少ない事も相まって、酷く薄暗い。密談するにはもってこいではあるのだけれど。


 放課になり部室へ向かう迄の僅かな空白、招かれざる客により私は、そんな学校内の僻地へ誘われた。

 薄暗い階段を登り、この時間は人気の少ない特別教室棟の廊下の片隅に落ち着いた。

 窓から階下を眺めると、すぐ先に部室棟が見えた。成る程、教室と部室の間という事でこの場所が選ばれたのか、とどうでも良い事を勝手に納得する。


「そんなに気になる? 大丈夫だって、時間はかからないから」部活に遅れる事を私が心配していると受け取ったのか、招かれざる客、関谷みなみは苦笑混じりに言った。


「そう。で、何? 話って」


 みなみは酷く申し訳なさそうに眉根を寄せる。苦笑じみた笑みを浮かべ、窓辺に寄った。ちらと部室棟に目を落とし、それが私に戻る。


「思う事は皆あるよね」みなみはそう切り出した。「こうゆう事言うのはホント心苦しいんだけどさ、やっぱりチームの為だから」


 みなみは目を瞑り、顔の前で手を合わせた。


「斑目さん、ごめん。辞退してくれない?」

「は?」


 コイツは何を言ってるんだ、とまたしても理解が追いつかない。説明を求む、と口に出す前に、みなみの差し出した手の平によって私の言葉は遮られる。


「選ばれて嬉しいのはわかるし、こんな事、簡単に受け入れられないのもわかる。でも、でもだよ? やっぱりチームの事考えたらさ、正直斑目さんより良い子がいると思うの。私達は勝つ為にここにいるじゃない、だったらさ、その為に最も効率的な方法を取るべきだと思うんだ。例えば、どんな投手でも対応出来る子とか、複数のポジションをこなせる子とか、その点、斑目さんは……」


 確かに、私は捕手一筋。まあ、小学校の低学年時にはちょこっと内野もやっていた事はあるけれど、そんなものは遠い過去だ。自分の中では、最もプライオリティが高くチームに貢献出来る事が捕手という認識。打撃に関しても、見極めや走塁に関しては多少の自負があるとは言え、単純に力が足りない所為で飛ばないコースというものが確実にある。だから、捕手という自分のアイデンティティを剥奪された場合、私なんてただ足の速いちんちくりん、貢献出来る事は限られよう。だから、みなみの言う事はある意味的を射てはいる。既に彼女の中で私がその様な認識になっているからこそ、そういう言葉が出てくるのだろうな、とも思うのだけれども。


 ただし、一部事実が紛れ込んでいるとしても、それは歪んだ現実だ。

 荻野に認められたという事実が少しばかり首をもたげ、私を後押しする。反撃の狼煙。


「確かにびっくりしたよ、選ばれた事にはさ。でも選んだのは監督であって……」

「私、聞いちゃったんだよね」みなみは憐れみに満ちた目をする。「なんか、荻野さんの推薦なんだってね。監督もさ、困惑してたよ。主力からのお願いをムゲに出来ないしって。でも、それっておかしいよね。なんかコネみたいでさ」


 お前が言うか、という言葉が口から溢れるのを何とか堪え、冷静に。


「でも、決めたのは監督でしょ。使えないって監督が判断すれば、私は選ばれなかった訳だし」

「はああ」みなみはあからさまに溜息を吐いた。「斑目さん、凄い自信だよね。それってつまり、自分が使えるって言ってる訳でしょ?」

「な」


 まあ、そう取れなくもないけれど、根本が間違ってるんだってば、そう言いたいのを我慢する。

 藤野が零していた様にコイツは議論が出来ない相手。きっと何を言っても無駄だ。荻野のお墨付きを胸に抱き、適当にやり過ごすかと判断。


「少し冷静に考えてみて?」みなみは僅かに軽蔑の色を滲ませ諭す様な言葉を吐く。「荻野さんが何を考えているのかは知らないけど、夏にはいなくなっちゃうの。後を託されるのは私達。ならさ、少しでも三年生が抜けた穴を補強すべき。今の二年生はちょっとアレじゃない。だから一年生に経験を積ませるべきだと思うの。でさ、斑目さんは、まだ外野手に馴染んでないじゃん。だから、メンバ入りは見送って欲しいかなって」


 一体全体、何をどの様に見ればそういう結論に辿り着くのか。これまでも一緒にブルペンに入っているし、そもそも私は外野練に参加した事実もない。にも拘らず、既にみなみの中では私は外野手という扱い。私に興味がないとは言え、あまりにも視野狭窄ではなかろうか。


 腑が煮えたぎり水分が蒸発して消炭になる様な気分。

 流石の私でも、消し炭まで来ると感情がほんの少しだけ零れ落ちる。反撃。


「ならさ、関谷が自分で監督に言えば良いんじゃない? 私は自分の性格上、無理ですって言いたくないから」


 みなみは私の言葉を聞き、僅かに眉間に皺を寄せた。


「あのさ、斑目さん。私が監督に何か言うって事がどういう事だか解ってる? 私が言うって事は、監督の選択が間違いですって言っている様なものじゃない。今回の件は、荻野さんが言い出した事だとしても、決めたのは監督なんだから、私からは言うべきじゃない。何で解らないかなあ」焦れて、苛立ちを滲ませながらみなみは首を傾げる。「だから、辞退してって言ってるの」


 みなみはじっと私を見つめる。私も見つめ返す。何の色も載せずに、ただ空虚を見つめるが如く。実際空虚なのだ。苛立ちは形を潜め、虚しさに変わっていた。同じ場所に立っていないので、彼女の言葉は重さを伴わない。鳴るだけで、響かない。

 暫く見つめ合った後、みなみから目を逸らした。溜息と共に、肩を落とす。


「メンバ提出まであんまり時間がないみたいだから、なるべく早くお願いね」


 私の肩をぽんと叩き、みなみはその場から去っていった。

 最早決定事項なのだ、彼女の中では。


 経験というのなら一年生の誰がメンバ入りしても問題はない。元々、選ばれるなんて思っていなかったので、そうすべきだと思えるのなら辞退する事は苦では無い。

 ただ、全てではないにせよ私は知っている。私を選んだ荻野の意図を。例えそれがなくとも、現状を考えるのなら私は辞退はしない。メンバに入っていれば、最悪の事態を回避出来る可能性があるし、何より私自身の経験にもなる。と、まあ、これは私の至極個人的な見解。


 私は面倒臭いという気持ちと、どこか煮え切らない思いに満たされたまま、ゆっくりと部室に向かう。その道すがら、みなみの事を考えた。何故彼女は私にあんな事を言ったのだろう。


 単純に私の事が気に入らないからだろうか。いや、おそらくそれは無い。もしそうなら、普段からもっと当たりがきついだろう。私の印象通り、眼中に無い、という方がしっくり来る。彼女の中では、序列で言えば私は最下位に近い筈だ。


 では、何故か。みなみの言葉が甦り思い至った。

 おそらく、彼女の言葉通りなのだろう。彼女は本気でそう思っているだけなのだ。彼女の中の事実が、彼女にそう言わせる。彼女の現実では、私は既に外野手で、非力な打者なのだ。そう考えると納得もする。使えない者をメンバには選ばない。辞退を進めるのも得心がいく。


 教室棟を抜け、渡り廊下に差し掛かる。昇降口までは後僅かだ。幸い荷物は持っているから、そのまま部室へ行ける。靴を履き替え、屋外に出た。校舎に遮られ陽は降って来ない。下校する人達とは反対方向に足を向ける。校舎の影を抜け、陽の降る中庭に差し掛かった時、私は自身に充満するどこか煮え切らない思いの端っこに触れた。


 現状、関谷みなみに対し、苛立ちを感じているのは事実。

 何故こうも会話が出来ないのかという思い。それは見ている現実が違うからだ。

 もしそれが同じ物として一致したのなら、きっと彼女を今とは違う目で見る事が出来るだろう。私はそう見る事が出来るとして、問題は彼女だ。今まで見ていた現実が間違いだったと認識したら、彼女はどうなってしまうのか。

 あっさり認めるのか、それとも抗うのか。

 後者だった場合、もう何も出来やしないだろう。ダメならダメで、それを認め、次なる一歩を踏み出せば良い。けれど、それが出来ずにその場で足踏みを続けるのなら、その先に成長はない。

 おそらく、みなみにそれは望めないだろう。行き着いた結論が正しいのであれば、彼女は使い物にならなくなる可能性が高い。少し角度が違う考え方をするだけで、世界は彩りを変えるというのに、凝り固まった視野がそれをさせない。事実を突きつけたところで、本人がそれを受け入れない限り、本人の見る景色はきっと何も変わらない。少し背を押すだけで、変われるならば、私は喜んでその背を押すだろう。

 けれど、きっとその手は払われる。ほんの少しだ。ほんの少し考え方を変えられるならば、違った景色が見れるというのに。


 勿体無い。そんな言葉が頭の中に形成される。

 おそらく、私は心のどこかでみなみを認めている部分があるのだろう。私より一回り大きな身体、方向はこの際考えないとして、自分を信じて疑わない精神。彼女の良い部分は確実にあって、それがいずれチームの為に役立つと思っている強かな自分がいる。性格に難があるから、という理由で彼女を切るのは簡単だ。けれど、何とかとハサミは使いようと言うじゃないか。こんな彼女であっても、使い道はあると思っている。


 例え歪であっても、収まれる場所があるのにも拘らず、収まろうとしない。これまでの場所にしがみ付き続けるのなら、居場所がなくなってしまうのに。


 だから、勿体無い。

 だから、煮え切らない。


 図らずも、私の中でみなみの認識が新たな輪郭を伴った。ポジティブに捉えるなら、これは良い事だ。けれど、感情に流されて答えを出すよりははだいぶマシといった程度。

 自分の中で結論が出ようとも現実は何も変わってはいないのだから。


 部室棟のある敷地に入り暫く進んだ。

 運動部の部室棟は大きく分けて二棟あり、校舎側が屋内の運動部、奥に屋外の運動部。その中で、更に男女で別れている。

 女子野球部の部室は裏門に近い建物の最端。

 奥の棟の角を折れ、裏門が見通せる位置まで来た。あとはこの道を直進すれば右手に部室。

 丁度私が角を曲がった時に、部室の扉が開き、ユニフォーム姿の何人かが出て来た。その中にはみなみもいた。


 少しだけホッとする。別に気まずくはないけれど、多数いる中で再び詰められるのは流石に勘弁して貰いたい。

 彼女達の背が木陰に消えるのを確認して、歩みを早めた。


 扉には手作りの”着替え中”の木札。

 左右に目を振り誰もいないのを確認してからノックをする。返事を受けてからそっと扉を開け、身体を滑り込ませた。


 内部は中程から奥にかけて対面になる様にロッカーが並び、その背と両側の壁に沿う様にコの字形に長椅子が置かれている。着替えるのは主に奥のスペースで、いきなり扉が開いても着替えが見える心配が無い様に工夫されている。部員全員が入り切れる程部屋は大きくないので、現状、学年別に入り時間が設定されていた。私が来た時はまだ一年生の時間ではあったのだけれど。


 私が入るなり、正面の長椅子に座っていた二年生の目が一斉にこちらに向いた。

 さっと目を巡らせる。

 ロッカーの背に設えられた長椅子に制服姿の三人の二年生。

 これまであまり会話した事のない先輩。ロッカーへの通路を挟んで右側、こちらも制服のまま一人千家知沙が、左手に挟んだ文庫に目を落としている。

 そして左側。何故か既にユニフォームに着替えて仰向けに寝そべっている誰か。アイマスクをして足を組んでいる。髪と身体付きから上条祥子ではないかと推測する。

 何で? という疑問も、目の前にいた二年生からの言葉で掻き消された。


「やっぱり、春から選ばれるだけあって余裕あるんだね」その言葉に友好的な響きは一切無かった。

「斑目だっけ。藤野の後輩なんだってね。まあ、知り合いがいるといないとでは、気の持ちようも違うよね。そりゃ、ノビノビ出来るわ」嘲笑。

「今頃あんたの同級生が必死にグラウンド慣らしているってのに、のんびりしてるんだね」


 あれ? これ、絡まれている?


 おいおい、まじかよ。ここでもこんな低レヴェルな事起こるのかよ、とうんざりする思いが頭を駆け巡る。後輩イジメとまでは言わないけれど、そんなもの労力の無駄。そんな事する暇があるなら、自分の事に使った方が余程有意義だ、と私は常々思っていた。

 故に少し軽蔑。

 けれど、私は空気を読める乙女。ここは素直な後輩を演じる。


「すいません。少し所用で遅れました。すぐ支度しますので、失礼します」腰から頭を下げ、行動に移す。


 ロッカールームに入ろうと三人の前を通り過ぎた時、誰かの足が伸びる。一瞬強行突破も考えたけれど、一応相手は先輩。立てる事も必要なので立ち止まる。


「ええと、何でしょう?」極力、感情を押し殺し、緩やかな表情を浮かべる。

「聞いたんだわ」正面右端にいた二年生が言う。


 名前は杉原すぎはらだったかな、と頭の薬箪笥を引っ掻き回す。確か控えの二塁手だった筈。

 杉原は嘲りの滲む表情を浮かべた。


「お前さ、荻野さんの推薦でメンバ入りしたんだろ? 藤野の後輩って事で、荻野さんに取り入った結果のメンバ入り。いやあ、姑息な手を使うなあってさ」


 内心溜息。

 成る程。ここにいる先輩三人は、所謂監督派閥の人間か。おそらくみなみの偏った意見と同調しているだろうし、言い返したところでこちらに分はないかと更に溜息。ここはしらばっくれるしかないかと判断。


「そうなんですか? 初めて聞きましたけど」悪い心が顔を出す。攻めよう。「杉原先輩、今の話って本当なんですか? 私推薦されてたんですね。いやあ、そうですか、代表に選ばれた先輩に推薦されたのは、素直に嬉しいです」


 一瞬三人とも目を丸くしていた。けれど、すぐに眉間に皺がよる。あら、少しやり過ぎたかしら、なんて思う間も無く、言葉が降る。


「よくもまあ、そんな事言えるな、お前」杉原は立ち上がる。彼女の右手が私の肩に。「自分で取り入ったくせに、白々しい」


 成る程。

 私が荻野に擦り寄った結果、彼女が私を推薦したという流れになっているのか。随分とまあ、都合の良い解釈だこと。まあ、それは現状の二分化を鑑みれば仕方の無い事なので、さらりと流せる。問題は、この状況。杉原は利き手で私の肩を掴んでいる。些細な事かもしれないけれど、利き手を危険な目に合わせるのは少しばかり意識が低いのではないか。

 故に、杉原はその程度、更に私の中での評価が下がる。


 あまり敵は作りたくはないのだけれど、折角レヴェルの高い所を望んでやって来たのだ、その場所に相応しくない者とはパンを分け合う事は出来まいよ。

 やむなしか、と内心首を振り、外面にはとびきりの笑顔を浮かべる。


「杉原先輩」私の左肩に乗った彼女の手に、自身の左手を重ねる。


 インドラの矢じみた言葉が私の口から迸るその前に、部屋は更なる言葉で静寂に沈む。


「うるせえよ」


 その掠れた声が誰のものか一瞬解らなかった。けれど、確実にこの部室にいる者の声。音の方向にいるのはただ一人。寝そべるユニフォーム姿。

 身体を微動だにせず、寝転がったまま彼女は言葉を続ける。


「別に誰が選ばれようが、どうでも良いじゃんか。私らは自分のプレイに集中するモンだろ?」

「し、祥子さん……」杉原からか細い声が溢れた。

「スギさあ」今度は反対の右から声が飛ぶ。千家は文庫に目を落としたまま淡々と続けた。「私と組みたいって言ってるけど、そんな事してるようじゃ、絶対無理」

「知沙」消え入りそうな弱々しい声。「違うの。だってそうじゃない。コネみたいのが蔓延するのはさ……」

「祥子さんも言っていたでしょ? 私らは自分のプレイに集中すれば良い。周りの事を考えるのは別の人がやる事」千家は漸く顔を上げた。その視線は冷たく、私の肩に注がれる。「スギがそういう事をしたいのなら止めないけど」


 杉原は目を左右に動かしこの場の正解を模索する。力を入れたくてもそれが出来ないのが、肩越しに伝わってくる。まあ、その通りだ。同情なんてしない。自業自得だ。


「斑目ぇ」上条が掠れた声を張り上げた。「さっさと準備しなよ。遅れるとミウの雷が落ちるぜ」

「はい」上条に返事を返し、そっと杉原の手を振り解く。「すいません、失礼します」


 私はロッカールームに滑り込む。

 落胆と僥倖。


 杉原の様な意識の人間もいれば、上条や千家の様な人間もいる。後者の意識で満たされれば、このチームは強くなれる。

 ただ、現状はその意識の統一さえ出来ない始末。

 これが公式戦を目の前にしたチームの現状。監督、同級生と抱える問題は斯くも多い。それでも結果はすぐ先にある。その結果がどう転がるのかを、この時の私はまだ知らない。

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