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アイデスの憂鬱  作者: 森住千紘
Proof of buds : 1
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 Fetal movement 〜 胎動 〜

 何か一つの事が動き出すと連動して他の何かも動き出す。


 一つだけで完結するモノなんて無いのだし、それは当然とも言えるのだけれど、世の中というのは、ほんの些細なきっかけで事が大きく動くというのはままあるものなのだな、という事を私は深く実感した。


 公式戦が差し迫った四月第三週の終わり。

 悪魔の誘惑か、天使の慈悲か、思いもよらぬ贈り物が私の元に届けられた。嬉しく無い訳では無いけれど、正直複雑な気分だった。今これを手にした所で、現状が劇的に変わらない限り、あまり意味のない様に思えたからだ。


 明けて第四週の頭。その昼休み。

 私は昼食を早々に済まし、いつもの面々に断りを入れて席を立つ。今まで一度も立ち入った事のない図書室へ向かう足取りは軽いとは言えない。けれど、これは通らないといけない関所の様なもの、と自分に言い聞かせる。

 蓋をして考えない様にするのは得意な方だと自負するけれど、不透明な事に蓋をし続けるには限度があるのだ、私ってヤツは。まったく難儀な性格である。


 思っていたより人はいたのだけれど、図書室という場所柄か室内は森閑としていた。部屋をぐるりと回した目が閲覧席に向く。その窓際の一角に目当ての人を見つけ、ゆっくりとそちらに向かった。


 右手で頬杖をつきながら、分厚い本に目を落とす姿は様になっている。私の気配を感じたのか、荻野美羽はそっと顔を上げた。


「あら、意外に早かったのね」荻野はそっと手元の本を閉じ、背筋を伸ばす。 

「いえ、先輩を待たす訳にはいかないと思いまして」彼女の強い視線からつい目を逸らし、頬を掻く。

「また、心にもない事を。貴女の言葉とは思えないわね」荻野は愉しそうに口元を上げた。「まあ、良いわ。とりあえず座りなさいな」

「はい、失礼します」頭を下げ、彼女の隣に腰掛けた。


 この日の女帝は、髪を藤色のシュシュでポニィテイルに纏めていた。制服姿は何度か見たけれど、場所が図書室だからか、グラウンドで見る彼女と同一人物とは思えないほど、纏う雰囲気が違って見えた。


「それで、私に話とは?」荻野は凛とした目を向ける。

「単刀直入にききますけど、何で私が選ばれたんですか?」


 悪魔の優しさ、天使の気まぐれ。

 そう。私は選ばれていた。公式戦の登録メンバの二十五人の中の一人として。


 ただ、腑に落ちない点の方が遥かに多く、いや、それしかない。自分なりの予想はあるけれど、その実を荻野に聞いておきたかった。おそらく彼女は何か知っていると思ったからだ。


「私が推薦したから」一呼吸おいて、荻野は片手を口元に持っていき小さく笑った。「推薦というより、脅しね」

「はあ」肩を落とすのと同時に溜息が漏れる。「そんな事じゃないかと思ってましたよ。今までの一連の流れの中で私が選ばれる理由なんて見つかりませんもん。それで、どうしてなんです?」

「まったく、底意地が悪いわね、本当に。どうせ解っているのでしょう?」

「予想はありますよ。でも、それはあくまでも予想ですから。私そこまで自分の意見に自信なんて持てませんよ」


 誰とは言わないけれど少しだけ皮肉を込める。


「本当に性格悪いわね、貴女」言葉とは裏腹に荻野は嬉しそうだった。「貴女を推薦した理由。それは貴女が捕手だから」 

「捕手だったら他にもっと良い子がいるじゃないですか」私は少しおちゃらけて言う。


 荻野の凍てつく視線が私に刺さる。


「……実りの無い会話に付き合う程私は暇じゃないわ」

「すいません」素直に頭を下げる。


 私に向けた視線を逸らさないまま荻野は小さく息を吐いた。


「まあ、そこまで危惧している訳ではないのだけれどね」荻野は僅かに表情を緩める。「けれど、現状の人材は少ない。体調管理には気を遣っているけれど、悪いタイミングというものはあるし、最悪の場合を想定しておいて損はないから」


 おそらく、荻野が出場しなかった場合の事を言っているのだろうと解釈。現状、その場合のファーストチョイスは関谷だろう。藤野も悪くはないけれど、高校に入ってのコンバートなので、経験値の面で不安があるという判断。本人が乗り気でないのもあるのかもしれない。となると、やはり、私のメンバ入りは何らかの理由でこの二人が崩れた時の保険という事か。なので、そのままを口にした。


「私は保険という事ですか」

「まあ、そう」荻野は頷き、挑戦的な目を向ける。「貴女ならどんなに崩れた試合だとしても、最低限の捕手の務めはこなせるでしょう?」

「その時が来るのなら応えたいとは思います」

「楽しみね」荻野は口元を上げた。「他にききたい事は?」


 何かあったかな、と思考を回らす。ふと、らしくないという単語が浮かんだ。

 私の知る荻野美羽はまさに女帝。暴君ではない事は解ったけれど、女王は女王。彼女の影響力と信頼は揺るぎなく、今のチームの要ではある事は確か。本人もその自覚があるからか、やはり振る舞いは王のそれ。

 ただ、私の人選に関して言えば、それはらしくない。

 危機管理というのなら、まあ納得は出来る範囲ではあるのだけれど、それにしても、少し慎重過ぎやしないかと思う。そもそも控えの心配などする必要無い。体調不良だろうが何だろうが、出る者は出る。本人が決断し出場し続ければ良いだけの話だ。私の知る女帝はそうするだろうとも思う。そんな強さを併せ持っているからこそ、彼女は女帝なのだ。

 ならば、何故彼女はそんな選択をしたのだろうか。先ず考えられる事は……。


「荻野先輩、もしかしてどこか痛めてます?」


 荻野は目を丸くした。口元に手をやり肩を震わせる。声を殺して笑っている様だった。感情を制御し口を開く。


「それは、貴女の希望かしら」悪戯な光を浮かべ目尻が下がる。さも愉しそうだ。「メンバに入ったら、今度は虎視眈々《こしたんたん》とその椅子を奪おうとするのね」

「いや、ちょっと、何言ってるんですか」思考の飛躍がここまで来ると、流石に脱帽する。まあ、帽子なんてかぶっていないけれど。私は白い目を女帝に向ける。「さっき私似た様な事言って釘刺されたんですけど。荻野先輩の今の言葉もあんまり変わらないですよね」

「そんな事言ったかしら」荻野は口元に人差し指を添え、目線を上げる。すぐに呆れを滲ませた溜息。「まったく、貴女って子は、本当に……」


 ですよねえ、解ってます。女帝の特権、”私は良いけれど、貴女はダメ理論”。しかも反撃さえされる始末。内心諦観の念が湧き、密かに溜息。

 荻野は脚を組み替え、頬杖をついた。


「まあ、冗談はそれ位にして、なぜそう思ったのか訊きましょうか」その目に挑戦的な光が宿る。


 吐き出す言葉は不敬とも取られかねない。私は腹に力を入れ息を飲み込む。


「らしくないからです。まだ短いですけど私の知っている荻野先輩なら、保険なんて考えない。全て自分でその責任を負おうとする筈。にも拘らず、私を無理やりねじ込み保険とした。それは何故か。自分が出られない状況があるかもしれないからだと推測しました」


 ちらりと荻野の顔色を伺う。先程と何ら変わりない挑戦的な表情だった。その口元が僅かに上がる。


「成る程、それで怪我でもしているのではないか、と」 

「ええ」私は頷く。

「まあ、良いセンいっているけれど、残念ながらハズレ。私はどこも痛めてなんかいないし、怪我なんて無縁よ」

「じゃあ、なんで……」

「だから、言ったじゃない。保険だと」荻野は小さく息を吐き出し肩を落とした。「可能性くらいは貴女だって考えていたのではないの? それとも、私の怪我というのも今後の布石なのかしら」


 この人は何を言っているんだろう。そんな困惑が顔に出ていたのか、荻野は僅かに驚きの表情を見せた。


「貴女、本当に気付いていないの?」

「何がです?」

「もう少し、頭の回る子だと思っていたのだけれど……」荻野はそこで言葉を止めた。何かに気付き、窓の外に首を向け、独り言の様に呟いた。「そういえば、言っていなかったわね。まあ、確かにそれでは辿り着けないか」

「いや、だから、何がです?」荻野の藤色のシュシュを目が追う。


 二人しかいないのに置いてきぼり。状況が全く解らない。

 荻野は顔を戻し、普段の凛とした雰囲気を纏う。組んだ足の上に両手を重ねて背を伸ばす。


「四ノ宮が髪を切った。その理由は聞いているわね」

「え、ええ」私は頷く。

「春季リーグは公式戦。提出後ではそう簡単に登録メンバの追加は出来ないのよ。大屋先生は背番号は登録メンバにしか与えないつもりなの。試合に関しては、その登録メンバの中から選ぶ形になる。仮に全員に背番号が与えられるのなら出る出ないは別にしてそこからの選出となるから、ここまでの強硬策に出なくても良かったのだけれども、ね。だから、何としても貴女をメンバに捻じ込まなければならなかった」

「はあ」


 杏樹の行動と、公式戦のメンバ選定。繋がりそうで、繋がらなく、いまいち呑み込めなかった。故に曖昧な返答になった。


「先輩達が築き上げた、鳴海大葉山としてのリーグでの地位を私達の代で凋落ちょうらくさせる訳にはいかない。藤野はキャッチングの技術は良いけれど、捕手としての経験値が足りない。関谷は打撃はまあまあ、でも、捕手としては三流ね。今、二年でキャッチャとして信頼出来る子がいないから、私の中では貴女が二番手。だから捻じ込んだ」


 おいおい、まさかの飴かよ。これまでに無く必死で喜びを押し隠す。


「あ、ありがとうございます」感情を落ち着け、話の行き先を探す。「で、でもですよ。いくら私を入れたとして、出る出ないは監督が決める事ですよね。荻野先輩が出続ければ、私なんていなくても……」

「こんなに勘の悪い子だったのかしら」荻野は窓の外に目をやり溜息を吐いた。

「でも……」

「でももだってもないわ。今私は語られなかった断片を貴女に提示した。そこから考えてみなさいな」


 正直面倒くさい、と思ってしまった。回りくどいやり方は好みではないのだけれど、女帝に逆らうよりはマシ。考えを巡らす。


 私が選ばれた理由は、保険であり、控えに信頼がないから。けれど、その問題は荻野が出場し続ければ解決する。にも拘らず私を強引に捻じ込む選択をした。

 それは、荻野が出場しない事が現実として有り得るからだ。

 その理由は怪我や不調では無い。だとしたら何だ。発想の向きを変えてみる。

 あえて出場しないという選択。その場合に起こりうる事としたら、まあ、それは想像に難くない惨劇。


 もしや……。 


「……関谷に引導を渡すつもりですか?」


 荻野の顔色を窺いながらも、私は確信しつつあった。これまでの出来事を統合すると導き出される答え。おそらく、私の推論はそこまで的外れではないだろう。

 荻野は何も言わなかった。ただ、顎をしゃくり先を促す。


「荻野先輩ともあろう方が、公式戦でそんな博打打つんですか? それで私に尻拭いをしろと。立て直すのなら、荻野先輩がやった方が……」

「私はね、合理的な性格なの。私達が引退した後の事も考えての結論」荻野は再び挑戦的な表情を浮かべる。「それとも、荷が重いと、放り投げるのかしら。私に楯突いた狂犬の貴女が」

「な、何も、やらないなんて誰も言ってないですよ」私は一息吐いて笑みを浮かべる。「それと、狂犬はやめてもらえませんか。印象が悪くなる」

「今更何を言うのかしら。それにもう周知の事実じゃない」荻野は口元を上げる。「私達が引退した後の二枚の内の一枚を今から教育してあげようというのだから、光栄に思いなさい」

「いや、それは嬉しいですけど……」


 そこまで言って固まった。あれ。何かおかしくないか。そんなに簡単に事が運ぶ程、今の状況は楽観出来るものでは無い筈だ。そもそもだ。おかしくなった大元の問題は何も解決していない。いくら関谷の実力を晒したとして、選ぶのは監督だ。今関谷が至らないという事は、この先伸び代があるという事でもある。私達は一年生だ。長期的な目で見れば、今は雌伏しふくの時、些細な問題になりはしないだろうか。


「荻野先輩」私は女帝の名を呼ぶ。「私を評価して貰って有難いんですけど、やはり、決めるのは監督。私が選ばれるとは到底思えないんですけど……」


 荻野は口元を上げた。その眼は酷く冷たい。


「先程、私は合理的な性格だと言ったわよね。曖昧な未来に賭けるなんて、阿呆な事しないわ」

「どういう事です? 曖昧な未来?」

「まあ、この先は貴女の目で見定める事ね。私は提示出来る事は提示した。貴女は、今自分の出来る事をすべきではないかしら。メンバに選ばれたのは事実。その責務はしっかりと負いなさいな」


 荻野はそう言って席を立った。

 立つ鳥跡を濁さず。女帝は何も言わずその場を後にした。

 森閑とした陽だまりに私は一人残され、昼休みの終わりを告げるチャイムがなるまで、その場で困惑の表情を浮かべていた。

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