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アイデスの憂鬱  作者: 森住千紘
Proof of buds : 1
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 Different day 〜 違う日 〜

 細い雨粒がさらさらと落ちる。

 夜半から降り出した雨は、日中まで続く模様と天気予報は伝えていた。


 鳴海大葉山には男女両方に硬式野球部があり、男子もまた強豪と呼べる程度には実績がある。故に、雨天時の室内練習は混み合う為、時間帯を分けての共同利用。一方がトレーニングルーム。もう一方が室内練習場。

 施設の充実ぶりには感謝しなければならない。その点は他校に比べて大きなアドバンテージ足り得るだろう。中には設備もままならないまま発足した部もあると聞く。故にこの恵まれた環境を享受するに値する事を証明しなければ、この場所にいる事は出来ない。初めてこの場所を訪れた時、そう思うと同時にプレッシャも感じたものだ。


 暫定的な立ち位置が決定したあの日から一週間程が経っていた。

 代わり映えしない日々は、慣れるという点では効果的に働き、私もまた理不尽ながらもこの生活に馴染み始めていた。


 春雨の舞う早朝。室内練習は初めてではあったのだけれど、この日もまた、欠ける事なく同じ面子が顔を揃えていた。同じではあるけれど、確かな違和感。衝撃と共に何かが動き出す予感を私は感じていた。


 この日の割り振りは、女子がトレーニングルーム。

 仄かに芳る甘い香り。ストレッチをしながら、男子の後ではこうはなるまいなんて事を考えていると、入り口近くで騒めき。何事かと首を傾け、目を見開く。

 一瞬脳裏を過ったのは、誰、という単語。すぐにデータを照合し認識に至る。言葉は出ずとも、口は半開きになり固まった。


「し、四ノ宮……?」妙が私と同じ状況にありながら、なんとか声に出した。


 初日に大屋監督代行に釘を刺された彼女。反発し一年生側に回った彼女。それでも妙は、ムシャクシャした、という理由で空き時間を利用して髪を切った。色はそのままではあったけれど。綺麗に整えられた茶色のショートから覗く切長の目は困惑の色に染まっていた。


 入り口で佇む四ノ宮杏樹に、皆が目を向け困惑のあまり声を失くす。

 視線を受け止め、杏樹は苦笑する。言い訳じみた言葉が口から漏れる。


「いやあ、季節も季節だし、鬱陶しくてねえ、あはは……」


 春の陽光に煌めく艶のある髪の美少女はもういない。そこにいたのはただの美少女。杏樹の艶やかな髪は影も形も無くなっていた。

 ベリィショートすら飛び越えた、坊主一歩手前の頭を少し掻き、わずかに照れた様にはにかむ杏樹。皆が掛ける言葉を選んでいるうちに彼女は一人動き出す。


 この頃になると一年生グループでも、関係性が浮き彫りになりつつあった。あの日悠希が放った言葉は波紋を呼び、一丸と思っていた集団に亀裂を生じさせた。私と悠希の間では事務的な会話しか成立せず、同じ一年生であるのにも拘らず疎遠な状況。

 その悠希は同じクラスという事でみなみと行動を共にする様になり、早苗を交えて、監督派の上級生と共にいる事が多くなっていた。


 一方私は特に代わり映えなく、一葉と杏樹、綾と行動する事が多い。綾は同じクラス、同じポジションという事で湊と一緒にいる事も多く、必然的に私達の輪の中に湊がいる事も増えた。妙と薫、志津と美弥、そして圭。この五人は中立の立場を取っている。まあ、圭に関してはそういう関係性にはまるで興味がないからではあるのだろうけれど。


 他者からの視線慣れした杏樹は、最初こそ自身に向けられる好奇の目に僅かに引き気味ではあったのだけれど華麗に流し、普段通り私達の元にやって来た。


「ま、また、バッサリやったねえ」一葉が目元を引き攣らせながら言う。

「まあね」杏樹は苦笑。「仕方なかった、と言えなくもないのよねえ」

「仕方ない?」湊がきく。「アイロンで焦げた?」

「それならまだマシよ、ミナっち」杏樹は溜息を吐き、上目遣いで辺りを窺う。「詳しい事は、お昼に話すよ」 

「お、おお?」若干首を傾げながら、湊は頷く。


 事故、ではないのだろうな、と私は思う。これは杏樹本人の決断の末の結果、と捉えるべきだろう。本人の言う様にお昼には答えが解る、ならば今はそっとしておこうと、私は黙々とストレッチに勤しんだ。


 力を出し惜しみする様な微妙な雨脚のまま午前中が過ぎ去った。曇天は僅かに明るく、放課後には上がるかな、という私の予想もそう的外れではないだろう。

 それでも、今はまだ窓の外では細い雨粒が降り続けている。

 私のクラスの窓際の隅。一葉の席がある場所で私達は固まっている。机を寄せ合い、簡単なランチテーブルをこしらえ、そこでの昼食。食事もまたトレーニングという事で、兄仕様の栄養全振り華やかさ皆無の弁当を食した後、些細なご褒美とばかり、いちご牛乳を片手に本題に入る。


「で、どうしたの」私が口火を切る。

「ああねえ」預けていた背を椅子から離し、杏樹は机に両肘を付いた。


 彼女を取り囲む、私、一葉、綾、湊とそれぞれに目を向け、小さく溜息を吐く。僅かな間を置いて杏樹は語り出す。


「あの日さ、私が犠牲になるって話になったじゃん」

「神崎先輩の家での話だよね」一葉が捕捉した。「そう言えば、あれからその話出てなかったよね?」


 一葉は皆に言葉を向けた。

 確かに、と各々が言葉を零し頷く。


「まあ、ね」杏樹は窓の外に目を向ける。「あの後、荻野先輩から連絡来てさ、申し訳ないけど、少し様子を見て欲しいって。で、何が起ころうとも、極力その事を外には出さないで欲しいと言われてね」

「なんか、力の入れどこ違くない?」湊が抹茶オレを吸い込む。

「まあ、確かにね」杏樹は力無く笑う。「でもさ、荻野先輩の狙いは間違ってなかったとは思うよ。あれから約一週間、大屋先生と一対一で練習したんだけどさ……」

「え、まじ?」その場の全員が揃う。

「まじ」杏樹は頷く。

「いつよ?」私はきく。


 基本放課後の部活の時間帯は個別全体含め皆グラウンドにいる。居残りの自主練もあるのだけれど、誰かしら共にいるはずだ。その間に一対一の時間が作れるとは思えなかった。


「大体は早朝かな。朝練の前とか、最寄りまで車で来てさ」 

「おいおい、まじかよう」私は天を仰ぐ。

「すげえなあ」呆れ混じりに湊が綾に同意を求めた。

「私なら断るね。朝練だけでも起きるのしんどい」

「お前はゲームしてないで、早く寝りゃあいいんだよ」一応白い目で突っ込んでおく。すぐに杏樹に顔を戻し先を促す。「そんで?」

「最初はどういうプレイヤを目指すのか、から始まって、バッティング理論になって、フォームチェックとかになってさ。まあ、そこら辺まではまだギリギリ許容範囲だったんだけどね」

「ちょい待ち、話の腰折って悪いんだけどさ、どこでやってたのよ」


 どうでもいい事かとも思ってのだけれど、興味というか心配というか、そんな物が勝って口を出さずにはいられなかった。


「大屋先生の家」

「は?」


 またしても皆の口が開いたまま固定された。


「と、言っても、庭だけどね。結構大きな家で、庭も広くてね。正直行きたくはなかったけどさ」杏樹は苦笑した。「そんで、練習が終わると、最寄りのバス停まで車で送ってくれた。丁度、家と学校の真ん中位だったから、まあそこまで負担にはならなかったんだけど」

「な、なんつうか……」

「熱心というよりは、異常だね」一葉も引いているのを隠そうともしない。

「バレたらどうするつもりだったんだろ」私は思ったままの事を口にした。

「アンちゃん、そこだよ」杏樹が言う。「荻野先輩は始めからそこに目をつけてたの。正直褒められた物じゃない事は解ってるし、最悪の想定と、その対処も考慮されてたけどね。多分前例があって確信してたんだと思う。当事者の私がいうのもアレだけどさ、これって異常だよね。皆を纏める監督が一人の生徒に付きっ切りって。だからそこが弱点になるって考えたんだろうね」

「だから、犠牲、か。でもなあ……」私の眉間に皺が寄る。


 荻野の考えは理解は出来る。けれど、あまりにもリスキではないだろうか。信頼関係すら築けていないうちに二人きりになるというのは。そもそも、だ。自ら火中に飛び込むのなら、まだ良い。仕方なしとは言え、これでは犠牲ではなく生贄。苦肉の策というのは解るけれど、人道的という意味では疑問符が付く。

 私が頭を悩ませる傍ら、当事者は納得済みという事なのか、話を続ける。


「まあ、私もこんなに早くこうなるなんて思ってなかったけどさ。だから、結構怖かったよ、家に行くって解った時は。でも、逆にこう考えた。もしここで何かあるのなら、この人は社会的に終わるんだなって」

「アンジュ、それは違う」湊が机を軽く叩いた。「アンジュがそこまで身を犠牲にする必要なんて無い。そもそもが、権力を使った暴挙。悪いのはあっちだろ」

「ミナっちありがと」杏樹は微笑む。「確かにミナっちのいう通り。でももう終わった事だから」

「?」強張った体から力が抜け、湊は首を傾げた。

「三、四日前位かな、こう言われた」杏樹は大屋の口真似をする。「君はエトワールになれる。これからの女子野球には、女子野球ならではの付加価値が必要だ。僕ならそれを伸ばしてあげられる。一緒に頑張っていこう」

「うざっ」湊が吐き捨てる。「なんでそこだけフランス語」

「何が?」綾がきいた。

「エトワールってフランス語で星って意味なんだよ。あとバレエの最高位の称号だったりもする。普通そんな単語出てこないだろ」湊は鼻で嗤う。「そもそも伸ばすって何を伸ばすんだよ」

「正直な事言うとさ」杏樹は僅かに肩を竦めた。「大屋先生の言う事全部が間違いだったとは思わないんだよね」

「へ?」またしても皆で困惑顔。


 まさか、杏樹もそちら側に。私達の顔にその思いがありありと浮き出ていたのか、杏樹は慌てて否定した。


「いやいやいや、違うよ?」杏樹はキッパリと否定して、自分の胸に手を置いた。「私は、こちら側」


 安堵しつつも、訝しみは消え去りはしない。


「えっと、説明を」片手を差し出し、杏樹を促す。

「女子野球ならではの付加価値って部分。ちょっと前からさ、美しすぎる〇〇って言葉が使われ出したじゃない。あれ嫌いだったのね。例えば美しすぎる野球選手。なんかさ、”野球選手にしては”ってニュアンスがある様に思えてね。私の偏見だけどさ」

 まあ、捉え方によってはそう言う解釈も出来なくもない。受け取り方は人それぞれだ。と、それは良いとして、そこからどう派生するのだろう。


「でもさ、それってきっと良い事なんだよね。エンターテイメントとして見るのなら、そういう見せ方もアリかって思う様になった。まあ、アイドルになり過ぎて競技としての本質を失うのは違うけど、女子なりの見せ方はあっても良いのかなって思う様になったの」 

「スカウトの豪雨の中を歩いて来た杏樹ならではの意見だよね」一葉は口元を上げる。「まあ、個人的にはそういう見せ方は好きじゃないけど、そういう事を組み入れているにも拘らず女子プロが低迷してるのを考えると、そうも言ってらんないのかもね」

「まあね」杏樹は頷く。「私はそう考えてるから、大屋先生の言葉にはある程度頷けたんだけど、その話以降、先生の雰囲気が変わった気がした。いや、確実に変わった」


 杏樹は確信を話す前に皆に目を向けた。暗に覚悟を求めている様にも見えた。私は頷き彼女を促す。


「それまで、野球の話がメインだったのに、そこに女子の在り方みたいなものが混ざり始めて、君は野球選手と女子高生を両立しなさい、に変わっていった。私服はこういうのはどうだろうか、とか、知り合いに記者がいるから特集組んでもらおうか、とか。これは違うなって思った時、私気付いちゃった。先生が私を見る目、それって、今まで私をアイドル視してた人達の目と同じだって。いや、それ以上か……」

「……」


 聞かなきゃ良かった、と思う反面、聞いて良かったと思う自分もいた。印象は悪くなった、というより、”気持ちが悪い”まで落下した。今までの大屋語録の信憑性を失う事実。まあ、元々そんなものはなかったのだけれど。それらを横に置いても、健全がデフォルトの世の中において明らかに行き過ぎな行動だとは思う。


「まあ、先生の目は杏樹の印象に過ぎないから、そこは考えないとしても、ちょっとまずいよね」一葉は腕を組み口を結ぶ。何かに気付き慌てて言葉を継ぐ。「あ、違う違う。杏樹の見る目は正しいと思う。けど、証拠にはならないよねって意味で」

「大丈夫、解ってるよ、イッチ」杏樹は微笑む。その表情が僅かに歪んだ。「でさ、一昨日、髪は切らなくて良いって言われた。君にはその方が似合うからって」


 私達は皆両肩をさする。妙な寒気が襲って来たから。


「まじで、気色悪いな」湊が吐き捨てる。「私ら、プレイヤだぞ。野球する為にここにいるんだろ」

「そう」杏樹は頷く。「初めは切れとか言っておいてさ、趣旨がブレてる。そこは本当にムカついた。だから、色々な物を断ち切る為に切ったの。一応事前に荻野先輩には伝えて判断を仰いだけどね」

「って事は、荻野先輩も了承済み?」確認の為にきいた。

「うん。ただ、そこまでしなくてもって若干引かれたけどね」


 女帝を引かせるとは、この乙女は中々にやりおる、なんて事を思う。


「じゃあ、四ノ宮自身は大屋先生と決別したって事だね」一つづつ確認する。杏樹が肯定するのを見てから次に。「荻野先輩が了承したって事は、この後で何か動くのかな」

「どうかな、そこは何にも言ってなかったな。ただ、ごめんなさい、とありがとうは貰ったよ」

「まあ、どのみち私達は静観するしかないんじゃない」一葉は椅子にもたれかかる。「今まで聞いた話からすれば、先生を追放してはい終了って訳でもなさそうだし。それに公式戦も近いしさ。ま、うちらは出れるか解らないけどね」


 動き出す予感。


 それが良い方なのか悪い方なのかは解らない。ただ、停滞していた掃き溜めの様な時間は少しずつ変わり始めていた。

 私達の前途を祝福する様に雨脚は弱まり始めている。ただ、雲の切れ目はまだ無く、陽の帯は地面には届いていなかったのだけれど。

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