Worst split 〜 最悪の分裂 〜
麗かな春の午後だというのに張り詰めた空気で息苦しい。
表面上の穏やかさを保ちながらも、漂う雰囲気は険悪のそれ。立ち入る事の出来ない対立に、静観するしか術はなかった。
「期待、ねえ」上条が不敵に笑った。「まあ、誰でもこの時期は期待されるてるんだよ。でも、実力が露呈し始めて、その期待が間違いだった事に気付いた時、その人はどう思うんだろうねえ」
「やだなあ、私は期待を裏切りませんよう」
「いや、だからさ、その自信はどこから来るのさ」上条は呆れ気味にきいた。
「自信?」みなみは首を傾げた。「自信も何も、こなしてるじゃないですか」
「は?」上条の表情が固まった。
声に出さずとも、おそらく、この場にいた皆が同じ事を思っただろう。
「あんた、青山の球弾いてたよね?」
「はあ」みなみはうんざりした素振りで小さく溜息を吐いた。「それはさっきも言いましたけれど、あんなクソボール、捕る必要ないじゃないですか。試合なら、まず要求しませんし」
「……」上条は僅かに天を仰いだ。「じゃあさ、試合中に暴投されたらどうすんの。要求しないとしても、ああいう球が来る時はあるだろうに」
「それは、私の責任では無いですよね。それに、そんなノーコン、ここにはいないでしょ?」
ポジティブ!
理想論でしか語らない頭お花畑か、コイツは。開いた口が塞がらない。まあ、開けてはいないけれど。
流石の上条も荻野に助けを求める様に顔を傾けた。珍しく女帝は一瞬嫌そうな表情を見せ、渋々口を開いた。
「でもそれで、パスボールしたら元も子もないのではないかしら」
「だから、それは私の責任ではないですってば」みなみは悪びれる風もなく言う。「記録も暴投な訳ですし」
「それで試合が決まる事もあるのではなくて? というより、捕手なら決して後ろに逸らさないという気概が欲しいものだけれど」かの女帝ですら、呆れ半ば、乾いた笑いが出ていた。
「まあ、そうゆう場面なら、逸らしませんよ」みなみは目線を上に向ける。おそらくその場を想像しているのだろう。小さく頷く。「うん、逸らしません」
「だから……」その自信は云々と続けたかったのだろうけれど、無駄だと判断した上条は力無く首を振った。冷めた光が目に宿る。「ならさ、証明して見せてよ」
「何をですかあ?」
「逸らさないって事」ぽつりと言って上条は首を傾けた。「青山、さっきの球投げてよ」
「え?」圭は眉根を寄せるも、エースからのお願いを断れる訳もなく、渋々頷いた。
圭は溜息混じりの息を残しマウンドへ向かう。こちらに背を向けた瞬間舌打ちしたのを私は見逃さなかった。
「逸らすなよ。弾くのも無し」上条は睨む様な眼差しでみなみを見上げ、口元を上げた。「出来るんだろう?」
「勿論」みなみは頷くと、マスクを着けベースの後ろに移動した。
荻野の横に上条が並び、レーンを挟み、反対側に私と湊が並ぶ。
圭はマウンドの足場を慣らし、ロジンパックの白い粉を春風に舞わす。
「どうぞ」
みなみは声を出し、ミットを構えた。
圭がセットに入り、左腕を振る。
弧を描く軌道から、球が滑る。
球は。
若干のぎこちなさはあるもののミットに収まった。
みなみは立ち上がり、圭に球を投げ返した。
「だから、捕れるんですよ」マスクを外し、勝ち誇った様に口元を曲げ、首を上条に傾けた。「やっかみはやめて下さいよ、上条先輩」
上条の眉根に皺が寄る。明らかな苛立ち。荒々しく彼女の右手が自分のグラブを掴み、左手を引き抜いた。
まずい、キレる、と瞬時に思う。
足を踏み出そうとした所を、荻野が身体を入れて遮った。
「何をする気?」淡々とした声。けれど、女帝の表情にはどこか安堵の色があった。
「……いや」張っていた肩を上条は落とした。小さく呟く。「ごめん、ミウ」
荻野はぽんと上条の肩を叩いただけで何も言わなかった。上条を庇う様に一歩前に出て、みなみに顔を向けた。
「捕れるなら、捕りなさいな。青山の練習にもならないし、何より出来る事をしないのは怠慢だわ」
「荻野先輩ともあろう方が、そんな事言うんですか?」みなみは少しムッとした様だった。「使えない球を投げる事自体、無駄じゃないですか」
荻野は試合の時に見せた様な、凛とした眼差しを向けた。凛とした凍える様な眼。
「無駄かどうかは貴女が決める事じゃないわ」女帝はみなみに対して初めて刺す様な言葉を放った。何かに気付き、その眼が逸れる。「あら?」
荻野の目線は私達の後方に向けられていた。それを追い、振り向くとブルペンの入り口の柱の影に新川が佇んでいた。
自分の存在が漸く認識されたのが解り、新川は申し訳なさそうにこちらにやって来た。
「大屋先生が全体練習始めるって」新川はグラウンドの方に顔を向けた。
「そう」荻野は小さく頷いた。「だ、そうよ。取り敢えず、一旦片しましょう」
荻野の声掛けで、皆一斉に動き出した。
全体練習の後で再び使うとしても区切りは区切り。来た時と同じ形に戻すのが礼儀である。
バッテリィ組では、私と綾が別メニュウだ。なので、用具の片しは引き受ける事にした。綾達がまだ戻って来ていないので、暫くここで待つ事を伝え、他の皆には先に行って貰う事にした。
私が防具を脱いでいると、最後に残ったみなみが近寄って来た。
「斑目さん、捕手だったんだから解ると思うんだけどさ」みなみは防具に目を落とす。「プロテクタとかレガースのベルトが緩んでるのがあったからさ、直してくれると助かるんだ」
私が言葉を出す前に、みなみは、よろしくー、とひらりと片手を振って、上級生達の背に向かって駆けて行った。
私は天を仰ぐ。
迸る激情に呑まれ、地面に右手を叩きつけたい気分。けれど私は先の読める乙女。後悔しかない未来は選択しない。
アイツ、ヤベえ、と半ば語彙を失った感想が頭の中を巡回する。
理解不能だ。どの様な思考回路を持ってすれば、斯様な結論が叩き出せるのだろう。他に考える事があるというのにも拘らず、私の頭の中はそれでいっぱいだった。納得はいかずとも機材の綻びは事実で、語彙を失いつつも律儀にメンテナンスに勤しんでいると、外周に出ていた綾達が戻って来た。補修を終わらせ、簡単に現状を伝え笹川達と別れると、私達は体作りに勤しむ為グラウンドの片隅へと向かった。
結局蓋を開けてみれば、湊、圭、杏樹、みなみの四人以外の一年生が体作りを命じられた。考えない様にしていたのだけれど、いざその場所に立ってみると、昨日の試合の意味はあったのだろうか、という思いが頭の中を駆け巡る。
そんな思いを抱えながら、指定の場所に着くと、既にメニュウは始まっていた。
監督役として、藤野がストップウォッチを片手に声を出していた。彼女の元に行き、指示を仰ぐ。新川が苦言を呈してくれたのにも拘らず、課されたメニュウに変更はなかった。うんざりする気持ちが顔を出す。けれど、指示がある以上こなさねばなるまい。ここで反発したところで立場は一層悪くなるだけだと思い、渋々こなす。
メリットが少ないと解っているからか、モチベもあがらず、それは苦行の体を為していた。時間よ過ぎろと念じながら終えた時、本来ある筈の達成感はやはり皆無だった。
長めのインターバル。息を整える私の元に、悠希がやって来た。その後ろに何故か困り顔の早苗。
悠希は私の横に腰を下ろすと唐突に言った。
「聞いたよ」悠希は僅かに眉根を寄せていた。
「何が?」
「昨日呼び出されたんだって?」
「あ、ああ、まあね」私は頷く。
「って事はさ、斑目もそっち側って事だよね」
「え?」
そっち側ってどっち側? そんな陽気な返しが出来る雰囲気ではなかった。悠希は至極真面目な表情を浮かべていた。
「私も聞いたんだ。荻野先輩達が野球部の乗っ取りを考えているって」
「はあ?」
何々、ドユコト? 私は目が点になる。口も開いたまま固まる。
「確かにさ、大屋監督にはよく解らない部分があるのは確か。でも指示は結構まともだと思うんだよ。私はレヴェルの高いところでプレイしたいから、ハードな練習でも問題ない。けどさ、今部内では、それに反発する人達とで二分されてるんでしょ。あんまり言いたくないけどさ、いくら荻野先輩が凄い人だからと言ったって、高校生じゃん。指導者としては信用出来なくない? それに夏にはいなくなっちゃう訳だし、ってのが私の意見」悠希はふう、と溜息にも似た息を吐いた。「斑目って結構現実主義だと思ってたけど、違うの?」
「ちょ、ちょい待ち」私は手の平を掲げ、考える時間を稼ぐ。
部内が二分されているのは事前に聞いていたので問題は無い。ただ、その亀裂がここまで大きいとは予想していなかったし、大屋肯定派の間にそんな話が浸透していた事も初めて知った。
「まあ、別に誰が何を考えていようが良いんだけどさ」悠希は言葉を続ける。「いくら斑目でも、私達の足を引っ張る様な事はしないで欲しい。それだけ」
言いたい事を言い終えると、悠希は立ち上がり、踵を返した。早苗が申し訳なさそうに小さく手の平を合わせる。謝罪、だろうか。だとすれば、これは何に対してだろう。悠希の言い方なのか、考え方を含めた振る舞い自体なのか。
おいおい、まじかよ。二日目にして、私達一年生も分断されるのか。頭がクラクラする。勝利するという目的が更に遠ざかってゆく。そこに手を伸ばす前に、こなさなければならない事がなんと多い事か。
一人途方に暮れる私に、今度は一葉が寄って来た。
「赤坂はなんて?」
「私達の足を引っ張るなって。なんか思ってた以上に大事になってるみたい」
「そだねえ。私も似た様な事言われたもん」
「え?」力無く首を傾ける。
「荻野先輩達の離反がどうたらって話でしょ? 先の内野練の時にさ、誘われたっていうか、釘を刺されたというか、ね」
「……力入れるのそこじゃないでしょうに。デマ流してまでする事?」
乾いた笑いが溢れた。
そんな私の姿を見て、一葉は肩を竦めると目線を上にし両手の平を上げた。
「まあ、これは私の分析だから、あまり信用されても困るんだけど」一葉はそう前置きする。「荻野離反説の噂の大元は、新たにレギュラに抜擢された、もしくはその候補になった人達じゃないかな。真意はともかく、漸く手に入ったレギュラを剥奪されたくは無いもんね。荻野先輩達が大屋監督を毛嫌いしているのを皆解ってるみたいだし」
「ああ、そゆこと。悪役に仕立て上げておけば、そこは牽制は出来るか」
「じゃないかなって、他の先輩の話を聞いて思っただけ」一葉は笑みを表情に貼り付けたまま、言葉を吐く。「少し考えれば、そんな事罷り通る訳ないのにねえ。ホントくだらない」
「金田一に一票、だな」
「そりゃどうも」一葉は小首を傾げ微笑む。「きっとね、監督派の中の半分位はフェアじゃないと気付いてるんだと思うな。でも、気付いていても、折角手に入った今の地位は捨てたく無いから、荻野先輩達に同意するのは躊躇われる」
「ポジションだろうがレギュラだろうが、自分の力で取らなけりゃ納得いかなくない?」
「私は同意するけど、中にはどんな手を使ってでもそれが欲しいと思う輩はいるんだよ」
一葉は遠い目をした。
おそらくは経験談。中学時代に似た様な出来事があったのだろう。あまり触れて欲しくないだろうと思い、相槌だけ打つ。
「まったくさ、公式戦も近いってのに、何やってるんだかねえ」呆れが滲む声で、一葉は他人事の様に言った。すぐに切り替えきく。「で、そっちはどうだったの? バッテリィ組」
「ああぁ」
うんざりした声が私の口から漏れる。手短にブルペンであった一連の事を一葉に話した。
「ふうん。中々面白い子じゃん」一葉は嗤う。「そういう子がさ、現実知った時どうなるのかな。安物のタンブラみたいに、メンタルが粉々に砕けるかもよ?」
「金田一、言い方よ」私は力無く笑う。
「フェアな環境なら、そうはなってないんだから自業自得じゃない。寧ろ、そういうヤツは一回どん底まで落ちなければ解らないものだって。だから一度砕ければいい」一葉はシートノックの始まったグラウンドに目を向けた。「本来ならさ、一番上手いやつがポジション取れば皆納得する。勝てなかった時も、それなら仕方ないって思える。素直に自分達の力不足だ、ってね。そんな当たり前の事が通らない所なんてすぐに崩壊する。正直迷惑な話だけど、幸い私達は一年生だから、痛みを乗り越える時間はある。まあ、なんとかなるでしょ」
「金田一さあ、そんな楽天家だったっけ?」
「一度どん底まで落ちるとさ、一周回ってポジティブな考え方に変わるんだよね。色々考え巡らせて危機回避のシナリオを作ったって、世の中って自分が考えている以上に自分に構ってくれないんだ」
「?」一葉の言葉をうまく呑み込めない私は首を傾げる。「どゆことよ」
「なるようになるって事。どうにも出来ない事はどうにも出来ないし、どうにか出来る事はどうにか出来る。その都度何かしら考える事は必要だけど、自分が思っているより、物事って単純なんだよ。だからさ」一葉はグラウンドを見つめ、不敵に笑う。「崩壊は近いよ」
崩壊とは何を指すのだろう。
今の体制が壊れるという事だろうか。それならば構わないと思う。今この状況が異常なのだ。それが壊れるのであれば願ったり叶ったり。ただ、再生された時、元の形にちゃんと戻るのだろうか。
それは異形ではないのだろうか。歪んだ現実が崩壊した後に生まれる新世界が、美しく均整の取れたものである保証はない。世界を作る私達の大半が歪んでいる。世界を支える支柱がなくなったからといって、歪みがなくなる訳ではない。それはつまり、歪んだまま再生されるという事では無いだろうか。
おそらく崩壊後もきっと困難が待ち受けている、そんな予感が私を包む。
輝かしい未来は、鉛色の雲の遥か上。
私はまだ地べたに這いずっている。見えかけた光は夢幻。真なる光は、未だ手の届かない遥か中空にある。
光降る場所に立たなければ、約束の地への道は開かれない。
前途は多難。けれど、私は私の目的の為に舞い上がらなければならない。それが私の選んだ道なのだから。
約束の地で、彼女達に胸を張って会えるように。




