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アイデスの憂鬱  作者: 森住千紘
Proof of buds : 1
17/128

 Miscalculation  〜 誤算 〜

 同点で迎えた四回の裏。


 先頭は七番の新川。試すには嫌なバッターではある。というか、嫌なバッターしかいないと言うのが本音だ。

 まさか、試合の最中に、ぶつけ本番で新しい試みを講じる事になるとは思いもしなかった。何事も経験。当たって砕けろの精神で臨むのみ。まあ、砕けるのは御免被りたいのだけれど。

 何事にも順番というものはある。もう少し早く意見交換が出来ていたのなら攻撃中に、と考えても後の祭り。それでも、不安よりも勝負を優先するあたり、私もまた勝負師だなあなんて事を思ってみたりもする。回初めの投球練習では試さなかった。ぶつけ本番は恐いけれど、事前情報はなるべく与えたくはない。

 と、いう訳で、いざ実践。


 シュートは前の回に見ているので、まあ、なんとかなる。スライダーは未見。とはいえ、力任せに投げたら尋常じゃないくらい変化しました、なんて事はないだろうと見積もる。

 そもそも、綾曰く、シュートとスライダーは空振りを取る球ではないそうだ。握りを変えるだけで、あとはストレートと同じ様に投げるだけ。結果、ストレートに近い球速で変化は乏しくなる。ストレートだと勘違いさせる事が出来れば、芯は外れゴロの山を築ける訳で、まだ身体が出来てない時期に、肩や肘に負担を掛けてまで曲げなくても良いんじゃね、という結論に辿り着いたのだそうだ。

 死んだ魚の様な目をしたあのやろうは、妙な所で先を見据えてやがる。

 そんな事も聞いていたので、ぶつけ本番でもなんとかなると踏んだ。


 本人も懸念していた様に、コントロールが覚束ないのは事実だろうから、出会い頭を除けば修正し易い初球に持ってくる事にした。

 サイン交換を済まし、綾がモーションに入る。

 フォームからは力が籠っている感じは伝わってこないけれど、指先から離れた球は以前のものとは確実に違う。

 けれど。

 低めだけれど、真ん中かよ。

 まあ、変化球だから良いけれど。

 絶好球、とは言わないけれど、やはり新川は反応した。したのだけれど、寸での所でバットを止めた。


 ストライクのコール。

 ううん、情報量が多いなあ、なんて事を思う。

 まず、スライダー。うん、もうこれはスライダーじゃないね。カットボールだね、と半ば呆れる私。球速も変化の始まりもまずまず。全く、嬉しい誤算だ。

 そしてもう一つ。

 確かに強いストレートは新川には見せてはいない。なので、初球変化球を待っていて振り遅れるのはまあ解る。解るのだけれど、新川のそれに諦めた様なニュアンスを感じた。ここで手を出した所で、良い結果が出るとは思えない、だから見送った。そんな感じだろうか。

 試合をしている以上、どんなことも起こる可能性がある。だから、柔軟に対応すべきなのだけれど、新川のそれは自信を持っていた答えが間違いでしたとでもいう様な戸惑いが出ていた。


 何だろう。この違和感は。これまでとは何かが違う。

 それを見極める為には、やはり情報。一旦考えを頭の片隅に追いやり二球目。

 今度は絶対ストライクにしようと、アウトローよりボール半個内側にシンカーを落とす。

 球速差に泳いで、凡打を希望。

 あのやろう。

 ほんとに綾は何と戦っているんだか。

 またしてもギリギリのコースに入れてきた。

 けれど、新川はそれに反応した。きっちり、変化球にタイミングを合わせたスイング。ただ、コースが外に寄りすぎた所為か、バットの先で引っ掛けてしまう。

 振り抜いた所で、打球はピッチャー正面に転がり、綾が難なく捌いてワンナウトゲット。


 おお、久々に幸先の良い立ち上がり。セオリー通りの先頭を切る。

 良いんでないの? なんて思っていると、大屋から代打が告げられた。

 園川はここで交代。

 代わりに打席に入って来たのは、私達と同じ一年生だった。


 決して羨ましい訳ではない。

 同い年の割に程良く出る所は出ている体躯。浅黒い肌に黒目がちな瞳。悠希と同系統の愛嬌のある齧歯類系の顔立ちが僅かにはにかむ。

 ペコリとお辞儀をして、右バッターボックスに入る。

 関谷せきたにみなみは、私より一回り大きくメリハリのある体を大きく伸ばした。

 ややオープン気味のスタンス。バットは長く持っている。長距離ヒッターかなと分析。


 データは無いけれど、インコースが好きそうだなと思い、普通のシュートを膝下に。

 早速手を出して来た。

 力任せに引っ張ったものの、三塁線をはみ出しベンチの端にぶつかるファール。

 ならば次はインハイギリギリに外れるストレート。見せ球なのでそれで良い。

 みなみも目は良い様で、タイミングを計っただけで見送った。

 カウントは1−1

 ここからテンポ良く。

 アウトローにカーブ。希望は凡打か、見送ってストライク。

 これまた絶妙なコースに綾は投げ込む。

 みなみは若干崩されつつも反応しバットを当てる。ボールは一塁線を切ってファール。

 上々の結果。

 これで1−2。追い込んだ。

 すぐに勝負する。綾は嫌がるかなと思いつつも、責任は私にあると開き直り、僅かにミットを内側に構えやけくそシュートを要求する。

 微かに綾は口元を上げつつも、頷きモーションへ。

 若干高いけれど、球筋はインコースに入って来る。

 みなみのスウィングはタイミング的にはバッチリではあるけれど、私は内心確信していた。


 根元に当たる鈍い音。

 三塁線をなぞる様な打球も、一葉によって華麗な捌かれる。

 ナイスサード、からのツーアウトの声が内野にこだまする。人差し指と小指を立てて私も声を張る。

 さてさて、続いてもまた同じ一年生。

 本日二度目の対戦。一打席目はタイムリーを打たれている。ここは抑えたいぞ、と妙なプライドが顔を覗かせる。


「お願いしまーす」


 一打席目と何も変わらない、口調とは裏腹の礼儀正しいお辞儀をして、湊が右打席に入る。

 ああ、そういえば、こいつは私の泣かせる奴リストに入っていたんだったなと思い出す。

まあ、そんなリストは無いんだけれども。なんてったって、私は柔和な乙女なのだから。


 でもまあ、初球位は良いかななんて、私の中の悪魔が囁く。

 なので、初球はやけくそシュートをインコースに。

 綾は頷く。

 テイクバックの浅いフォームから球が来る。

 やや高いけれど、コースは申し分無い。

 先程の新川同様な感じで、湊はやや振り遅れ、三塁線に転がるファール。


「ってえぇ」言いながら湊は右手をぷらぷらと振る。


 どうやら、根元に当たった様だ。

 ザマアミロ、とは言わないし、思ってもない。ゼッタイ。

 とはいえ、初見で当てて来るのは流石。けれど、あの振り遅れは、綾の球速の所為では無いだろう。綾は速球投手では無い。早いシュートだろうが、高が知れている。変化球待ちにしてもどうにも妙だ。


「スミ、やめたん?」湊は言った。

「スミ?」私は首を傾げる。おっと、私語は厳禁だったっけ。

「そうそう。正確なコントロールがあるからこそ、ゾーンの角狙ってたんだろ?」


 まあ、確かに狙ってはいたけれど。

 荻野の言葉が蘇る。


 ——バッテリーは打たせない為に存在するのだもの。


 それはそうだろう。当たり前の事だ。

 上条の言葉が蘇る。


 ——コントロール良過ぎなのも問題だよなあ。


 問題なんかあるのか? 制球がなくては話にならない。あって余るものでは無いと思う。


「確かにさ」湊は言う。「狙えるなら狙うわな。だって打ち難いもんな、ギリギリはさ。でもさ。狙えてしまうが故に狙うとなると、こっちとしては……」

「夏目」大屋が口を挟んだ。


 おお、ついに大目玉か、と背筋が伸びる。

 不貞腐れながらも謝罪するだろうと勝手に思っていた私は耳を疑った。湊の口から出たのは、正反対の言葉だった。


「何すか?」一旦ボックスから離れ、目付きの悪く見える目がその存在感を増す。


 妙な空気が立ち込める。自然と私も二人の方に顔を向ける。


「私語は慎めと言った筈だけど」口調は穏やかではあるけれど、大屋の目は笑っていない。

sdeleni(スデェラニィ)は重要でしょう。ただ雑談してる訳じゃないすよ」


 スでら……? 

 聞いた事の無い音だけれども、何か発音がそれっぽい。


「スデラ……」大屋は一瞬考える様な仕草をする。

「……えっと、なんだっけな。ああ、そうそう、コミュニケーションすよ、チェコ語で」湊は申し訳なさそうに言った後、語気を強める。「大体何すか、そんなに一年生に野球をされたく無いんすか?」

「何を言ってるのか理解に苦しむね」大屋は肩を竦める。「紅白戦とは言え、試合は試合。皆が今の実力を発揮している結果じゃないか」

「じゃあ、私の一打席目のカウントも公平だったと? 初球と二球目、アレ入ってましたよね? 元より公平な試合じゃ無いからこそ、なるべくそこに近づけないと、何の意味もないっすよ。だから皆してアドバイスを送ってたって言うのに、それを私語? あんた何言ってんだ」


 お、穏やかじゃないねえ。こいつ、真っ向から審判に噛み付いたぞ、と、異形を見ている心持ちを覚える。

 二人のやり取りに常ならざるものを感じたのか、二、三年生チームの数名が近寄って来た。


「夏目、目上の方に対する言葉遣いではないのでは?」荻野が湊の肩に手を置く。


 湊はその手をそっと振り解き、小さく首を振った。どこか宥めている様な表情に見える。振り返り、大屋に人差し指を向ける。


「あんたがウチでなら、えっと、何だ……、そう、ハイレヴェル。ハイレヴェルな野球が出来るって言うから、親に無理言ってこっちに来たって言うのに、これの何処がvysoka (ヴイソカ) uroven(ウゥロヴェン)なんだよ」

「……それは君の考えに基づくものだろう?」大屋は溜息混じりに言った。「何を持ってハイレヴェルとするのか、君は本当に解っているのか? 後進国のヨーロッパにいた君が」

「明らかな誤審、意味不明な警告がvyso……、ハイレヴェルのいしずえになるとも思わないけど?」


 こいつよく解らん奴だなあ、と周囲の緊張とは無縁の事を私は考えていた。英語よりチェコ語が先に出て来る割に”礎”などという普段遣いしない言葉が平然と出て来るあたりが。


「夏目」坂巻が取り持とうと、割って入る。「今は試合中。思う事があったとしても、流石に言い過ぎ」


 湊は口を真一文字に結び、小さく唸る。


「大屋先生」坂巻は落ち着いた声を出した。「今は試合中ですし、蟠りの解消の場は試合後に設けるという事で、どうでしょう」

「……」大屋は暫し考え、口を開いた。「まあ、君達が続けたいというのなら一向に構いやしない」

「ありがとうございます」坂巻は姿勢正しく頭を下げた。顔を上げ、場を見渡す。「と、いう事で、試合続行だ。仕切り直しという訳じゃ無いけど、今一度、気を取り直していこう」


 坂巻は言葉の最後に両手を叩き、それを合図に皆が元の位置に戻ってゆく。

 ふと湊に目を向ければ、ベンチに戻る坂巻の背に頭を下げていた。何なんだ、こいつは。口が悪いわりに態度はちゃんとしている。ほんと、よく解らないヤツだ。

 彼女自身の事のもそうだけれど、噛み付かれた大屋があっさり引いたのも気にはなる。

 けれど、それらは一旦置いておいて、試合だ。

 湊が最後に言おうとしていた言葉。


 ——こっちとしては……。


 散らばっていた、数々のファクタが固まり像を成してゆく。

 そういう事か。

 捉えられていたのは綾ではなかった。狙われていたのは私。私の配球だった。

 考えてみればどうという事もない。

 まあ、半分位は綾にも責任があるのだろうけれど、と逃げ道を用意。綾の制球力が産んだ結果とも言える。そりゃあ、そうでしょ、と心の内で弁明を試みる。ゾーンの四隅にピンポイントで投げ込める投手がいるなら、狙わない捕手はポンコツだろうに。


 この日の私の配球は基本際どい所ばかりで、綾もまた失投をしていない。上級生には綾の制球力が露見していたみたいなので、どの様なカウントになろうとも、コースは四隅のどれか。直球と変化球の速度差は然程脅威にはならないので、絞るのは楽な部類。新川にしろ、湊にしろ振り遅れたのは、四隅に来なかった事に驚いたからだ。確かに私はほぼ全て四隅ギリギリを要求したし、綾は綾で多少外れはしたけれど甘く入った球は一球も無かった。それはつまりデータ的に信用に値したという事。


 そう。私は打たれるべくして、打たれたのだ。


 先輩達は、私にそれを気付かそうと、色々話し掛けてくれていた。解ってしまえば、数々の会話が的を射ていた事に気付く。

 マスクで隠れていて良かった。きっと頬がほんのり赤くなっているだろうよ。

 私は小さく首を振る。

 ある意味、ここで本当に振り出しに戻った。

 どこか雰囲気が変わった私を察し、湊は肩の荷が降りたと安堵じみた一息。


「気付いたみたいだな、その様子だとさ。これで、真っ向から打ち合えるなあ」バットを回しながら彼女は笑う。

「……ありがとう」少々恥じらいを自覚しつつも感謝の意を述べる。「ただ、これで本当にノーデータ。そう簡単に打てると思うなよ?」

「むしろ歓迎。純粋な勝負。これでこそ野球だろ」

「後で泣いても知らんよ」 

「言うねえ、文学少女」


 そう言って湊は口元を上げた。ちらりと見える八重歯がチャーミング。

 切り替えて、思考を加速させる。

 何も四隅を使えなくなった訳ではない。そもそも、やけくそ系変化球が加わった時点で、それまでの配球は使い難くはなっていた。割と問題ない。

 カウント0−1からのリスタート。

 湊の前の打席はインハイの際どいボール球を強引にフェアゾーンに持っていった。

 強気にインハイ勝負でも良かったのだけれど、強いストレートは打たれているし、シュートも今見せた。インハイにやけくそシュートと言うのも頭に浮かんだけれど、次は対角線を採用。

 アウトローにやけくそスライダー。大して逃げはしないけれど、一応打者からは離れていく球。ボール球で良い。追いかけて、引っ掛ければ儲け物。

 綾は頷き、球が来る。

 コースは良いけれど、高さはダメだ。低めを要求したのに、来た球は高め。

 もちろん湊は振りに行く。

 金属バットの奏でる素敵な音。

 打球は右中間に飛ぶ。

 ただ、芯では捉えられなかった様で、打球は然程勢いがつかず、何とか薫の守備範囲内に収まった。


 これでチェンジ。

 危なげなかったとは言えないけれど、何とか零に抑えられた。

 確かに配球が解れば、打ち易いは打ち易い。けれど、だからと言って皆が皆打てる訳ではない。コースが際どければ際どい程、引っ掛けたり、打ち損じが多くなる。確かに良いバッターだらけで、気を遣う場面が殆どではある。けれど、その瀬戸際感に私は手応えを感じ、やはり楽しいと思ってしまう。

 敵は強い方が良い。

 相手が強ければ強い程、私もまた、その領域に足をかけられるのだから。

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