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アイデスの憂鬱  作者: 森住千紘
Proof of buds : 1
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  The beet of the beginning 〜 始まりの鼓動 〜

 鋭い打球が一、二塁間を抜けた。


 右翼手が深めに守備位置をとっていた為、ギリギリセーフ。

 それだけ打球は速く、右翼手の対応も良かった。



「ナイバッチ」



 ベンチからの声に一塁上で妙が片手を上げて応えた。

 初球打ちだった。

 長打を警戒したアウトローへのストレートを無理やり引っ張った。まさに力技。こういう事も出来るという彼女なりの自己主張。


 力の無い私はスタンディングオベイション。


 ノーアウトのランナーが出た。園川の球種、軌道については、チーム内での共有を既に終えている。それを踏まえて、次の展開を考える。

 五番の薫がちらとベンチに顔を向けた。


 ここは最低でも進塁打が欲しい。最も最悪なのが二重殺。手堅くバントかな、と自分なりの攻め方を模索してみるけれど、打てる薫には打って出て欲しい。

 私の希望はどうやら指揮官に届いた様だ。妙の走塁に関しての情報が無いので、賭けといえば賭けではあるけれど、笹川はエンドランを選択。

 直球系ならそのまま打ちにいって良い。バッテリーは内野ゴロで二重殺を狙うだろうから、おそらくツーシーム。妙は走っているので、引っ掛けてもライナーやポップフライにしなければ進塁打にはなる。園川の変化球は球速が無いので、ランナー一塁の状況では盗塁を警戒して選択される確率は低い。仮に来たとしたら、薫は見逃し、盗塁成功に持ってゆく。それでノーアウト二塁からリスタート。


 後はどのタイミングで仕掛けるか、なのだけれど、バッテリィ組に在籍していた笹川は相手の力量を知っている。下手に仕掛けても餌食にされるだけ、と先ずは相手の出方を窺う。


 直球系が二球続き、カウントは1-1。相手もランナーを警戒しているのか、今の所変化球は無い。最悪は外される事なのだけれど、笹川はそれは無いと踏んだのか、このタイミングで仕掛ける。


 薫はニッコリと笑ってメットの鍔を触る。特に不安な表情は無い。丸みを帯びた身体に、垂直にバットが立つ。穏やかな薫の表情はこの時ばかりは引き締まる。


 園川のクイックから球が出る。

 妙は思いの外素晴らしいスタートを切る。

 相手は直球勝負。

 薫は躊躇無く振りに出る。

 春空の下、澄んだ金属音。

 振り抜いた薫の打球は、横っ飛びで喰らいついた坂巻のグラブのすっぽりと収まった。

 片足で着地し、悠々と一塁ベースを踏む。

 最悪の二重殺。

 天を仰ぎながらベンチに戻って来た二人とすれ違う。



「抜けた、と思ったのですが」肩を落としながら薫は自身のバットを片付ける。

「あれは相手を褒めるべきだよ」労う言葉を掛ける。



 私の経験則で言うなら、普通ならばあの打球は一、二塁間を抜けている。ほぼ坂巻の身体能力に負けたと捉えるべきだろうな、と思う。

 その時々での各々のプレイの共有、拙い部分を補う身体能力。現状は未完成だとしても、確かに結果論だけ見れば、効率的であり、固い。


 笹川が大屋に選手の交代を伝えていた。

 元々次の回から、美弥か志津のどちらかが出る予定だった。最悪の結末で、ランナーなしの状態になった為、繰り上げて代打からの出場になった。


 若干緊張気味の美弥は、ちら、とベンチに目をやってから、ゆっくりと右打席に入った。

 特に指示はない。

 のびのびとやれば良い。初打席なんてそんなものだ。



「肩、楽にして」私はネクストから声を掛けた。



 美弥はちら、とこちらに目を向け微笑んだ。

 園川がモーションに入り、放物線となって球が来る。

 美弥は泳がされつつも、何とか食らいつき、バットの先を当てた。

 微妙な音を立てて、ボールはファーストのファールゾーンに転がった。

 園川のスローカーブを初見で当てた。これ迄二番を打っていた事からも、美弥も目は良い。しかもちゃんと待てる打者。個性こそ、周りには劣るけれど、技術はここにいてもおかしくないレヴェル。


 けれど。

 緩の後の急には対応出来ずに振り遅れる。勢いのないボールがバックネットの端に飛ぶ。

 次のインコースの球に体をのけぞらせる。

 カウント、ワンボール、ツーストライク。

 二球続いた速球。締めはカーブだろう。

 予想通りの放物線。

 美弥のバットは空を切る。

 バッターアウトのコール、と共に守備が入れ替わる。

 美弥と並んでベンチに戻る。



「カーブって言っても全然別物だよ」

「厄介だよね、ほんと」私も頷く。



 落差の大きいスローカーブと、普通のカーブ。これにツーシームとストレートが加わる。立ち上がりの不安定さと精度のばらつきはあるにせよ、良い投手だと思う。

 ただ、手も足も出ないという程ではない。こちらが早打ちしている所為でその影に隠れがちではあるのだけれど、制球は並。緩急で上手く躱されているけれど、速さも球威も並の域を出ない。次の回で私達は二巡目が終わる。目も慣れて、上位陣は対応出来るだろう、とも思う。


 問題はこちらの守備だ。

 今の所、バントヒットのみという結果ではある。けれど、それは”見る”という決め事があった上で成り立つ結果なのだろう。その決め事という制約が破棄されたであろう今回以降、真の意味で実力が試される。


 綾の投球練習に合わせて、ネクストサークルで園川がバットを振っている。

 次打者が投手だからと言って油断など毛頭もなかった。

 ただ、相手が園川で、前の回を良い形で凌いだという事実があった。流れというものは確実に存在する。背中を押す流れは、彼女達に微笑む。


 悪い球ではなかった。綾は所謂いわゆる失投という物が極端に少ないピッチャーだ。なので、そもそも悪い球は中々無い。引っ掛けさせ、内野ゴロで打ち取る布石を打ち、確かにその通りに事は進んだ。進んだのだけれど。

 左打ちの園川はインコースのシュートを引っ掛けた。打球はセカンド前方でワンバウンド。変な回転が掛かっていたのか、グラウンドが要因かは解らないけれどイレギュラした。早苗は反応出来なかった。何とか追いつくも、園川は悠々と走り抜けていた。

 皆が声を掛け合う。イレギュラは仕方ない。

 ただ、不運と片付けるにしては嫌な予感が付き纏う。考え過ぎ、思い込みだとは解っていても、不穏さは拭えない。前の回から続く追い込まれているといった雰囲気がそうさせるのかも知れない。


 私は内心頭を振り、冷静さを取り戻す。

 大丈夫、こんな事で惑わされたりはしない。マウンドを見れば、死んだ魚の様な目をした乙女が普段と何ら変わらず佇んでいる。



「お願いしまーす」



 口調とは裏腹なきちんとした礼をして次打者が右打席に入る。

 ちら、と顔がこちらに向き、白い歯が見える。

 仄かに日焼けした肌に、後ろで二つに結んだチョコレイト色の髪。薄い二重の目尻が上がっている所為かキツく見える顔立ち。その割に、口から覗く八重歯はチャーミング。

 二、三年生チーム、唯一のスタメンの一年生。夏目なつめみなとは眉根を寄せて苦笑した。



「私もそっちだったかな」バットを掲げて上体を捻る。「荻野パイセンがいるからこっちに残ったけど、悪くないね、あんたら」


 初対面で上からとは、こいつ何様、というのが湊に対しての最初の印象だった。だから私も、皮肉を込めて返してやる。


「それはどうも。一年生唯一のスタメンの期待の星にそう言われて嫌な気分になる人なんていやしませんからねえ」

「お、見た目と違って、言うねえ、文学少女」


 こいつ何様から、こいつ絶対泣かすに変わった瞬間だ。


「褒め言葉として貰っておくよ」 



 私の言葉に小さな笑みを返し、湊は投手に意識を向けた。

 彼女の全身から余計なものが抜け落ちてゆく。少し上体を捻り、やや後ろでバットを構えたまま静止。

 凛とした雰囲気が立ち昇り、周囲の空気が変わる。


 成る程、と思う。

 同じ一年生ではある。けれど、紅白戦とは言え、二、三年生チームに所属し現レギュラを差し置いての出場。纏う空気に違和感はない。いるべくして、ここにいる。


 湊に目線を置きつつ、ランナーを確認。

 上条程のリードは無い。無いけれど、盗塁を無警戒ともいかない。前の回の上条のワンプレイで私達をどう判断しているのかに確信が持てない。

 セオリーで考えるならバントもある。斜め前の乙女が打てる者であるなら、エンドランもあり得る。データが少ない中での対戦は選択肢の幅が大きくて判断に困るなあ、なんて事を思う。


 とまあ、何を考えようとも、ランナー一塁という状況が覆る訳でも無いので、初球は様子見でアウトローの角を狙う。

 綾は目だけでランナーを牽制してから、セットへ。

 クイックから直球が来る。

 湊がタイミングを合わせ、反応する。

 けれど、バットは動かなかった。



「ボール」



 嘘でしょ、と思い、後ろを振り返りたくなる衝動に駆られた。けれど、審判はグラウンドでの唯一神。逆らうのはダメ、ゼッタイ。ちらと湊を見ると、何らかの不満があるのか、はたまた目付きの所為か、苛立っている様な表情に見えた。 


 次はストライクが欲しい。欲を言えば引っ掛けて内野ゴロゲッツーが理想。なら、インコースのゾーンにシュート。

 根元に当たれ、と毒づきながらサインを送る。

 私は目を疑う。

 初めて綾は首を振った。

 左右の違いはあるけれど、先の園川はシュートを引っ掛けてイレギュラで出塁。それが首を振る原因か、と思い、インコースのスライダーを選択した。


 私としては引っ掛けさせてゲッツー狙い。走ったとしてもスライダーならまだ許容範囲。

 そんな理由だったのだけれど、綾は再び首を振る。


 まあ、打席が逆なので、インコースへのスライダーは、園川が引っ掛けた球と変化的には同じになる。だから嫌なのか。となると、緩い変化球?

 今まで首を振らなかった奴が、ここでその選択はしないだろう。何かあったのだろうか。まさかトラブル。あまり使いたくはなかったけれど致し方無し。



「すいません、タイムをお願いします」


 大屋は若干面倒臭そうに両手を広げた。

 紅白戦でタイムを要求するなとでも言いたいのだろうか。そんなん知った事か、と掃き溜めに吐き捨て、私はマウンドに向かう。内野陣も怪訝な顔付きで集まって来る。


「なになに、どうしたの?」一葉が口火を切った。「豆でも潰れた?」

「まじで、どっか悪くした?」私もミットで口元を隠しながらきく。

「……ストライク」

「は?」

「いや、だからさ、あれストライクでしょ」普段と変わらぬ口調で普段言わない言葉を綾は吐いた。

「まあ、私もそう思ったけど、で? 首振った理由は?」

「二、三ミリ内側に投げ込んでやろうと思って」

「ッおま……」


 こいつは、と思った。表には出ていないけれど、怒っているのか? 

 なんか新鮮。野球に関しては普段からあまり感情を出さない奴ではあったけれど、火が着く場所はあったらしい。大抵の事では自己主張しない代わりに、コントロールに関してだけは一家言あるという事か。


「そんなん出来んのかよ、お前すげえな」妙が素直に感心する。

「まさか」綾は笑う。「気持ちの問題」

「おい」私は白い目を向ける。

「いや、流石にそこまでのコントロールは無理だけどさ、同じとこに投げて、ほら、ボールって言ってみろよ、って言いたい」


 吹き抜ける春風。


「綾ちゃん、結構良い性格してんね」一葉はグラブの中でくつくつと笑う。

「お前、それで打たれたらどうすんのさ。……まあ良いや、解った。次はそれで良いよ」私は一息吐いて纏める。「ノーアウト、ランナー一塁。盗塁、エンドランの可能性、ゲッツー連携、各自頭に入れとく。あと、月島、イレギュラは仕方ない。もし気に病んでるなら、華麗なゲッツーで見返そう。つうか、私が見たいわ、華麗なゲッツー」

「そうだ、気にすんな」綾が相槌を打った。「私は、あんたらがいなけりゃアウトを取れないんだからなあ」

「……お前がそれを言う?」


 さっきめっちゃ自己中発言したよな、って言葉はこの際呑み込んでやった。


「じゃあそゆことで……」

「せっかくだし。アレやろうぜ?」妙がニヤリと笑う。「小さく跳ねて返事するやつ」

「ああ、どっかの高校がやってたやつね、甲子園で」一葉が補足する。

「それそれ」妙が嬉しそうに頷く。「じゃ、斑目」

「オッケ」私も頷く。「ランナー一塁、バッターはよく解らんけど、雰囲気あるやつ。気、抜かないで集中、守ろう」

「おう」


 掛け声と共に小さくジャンプ。皆それぞれの位置に散らばる。

 私も定位置に戻り頭を下げた。


「タイム、ありがとうございました」


 一度、グラウンドを見てから、腰を下ろした。

 プレイ、の声。


「やっぱ、そっちだったか」湊がボソリと言う。「私もアレやりたい」 



 なに言ってんだこの娘は、という思いに蓋をして、うん、聞かなかった事にしようと華麗に流す。

 切り替え切り替え。

 配球は決まってはいるけれど、一応のサインを出す。

 綾が頷く。

 湊は先の発言が無かったかの様に凛とする。

 再びランナーを目で刺してから、セット。

 同じコースに球が来る。

 あのやろう、ほんとに同じコースに投げてきやがる。



「ボール」 



 やっぱり、きわどいよなあ、と思いながらも、現実を受け入れる。

 ツーボール。

 綾も多分解っているのだろう。だから、次のサインには首を振らなかった。

 インコースのシュート。

 湊は手を出さなかった。

 それが決まり、カウント、ツーボール、ワンストライク。

 引っ掛けさせる布石を再構築。

 次はインハイにストレート。カウントが悪くなるけれど、これはボールで良い。

 速球を見せてからの、シンカーでおしめえだ。


 見事にゾーンの隅ギリギリに外れる。

 そのストレートに湊は完璧にタイミングを合わせて来た。

 少しオープン目に踏み込み、振り抜いた。

 良い音を鳴らして白球はサードの頭上を通り抜ける。

 綺麗な弧を描いた打球は、僅かにスライスしてレフト線ギリギリに落ちた。強い回転が掛かった打球は、跳ねてファールゾーンに転がる。


 その間に園川はホームに帰り、湊は悠々と二塁を陥れた。初得点を捧げるタイムリーツーベース。

 ギリギリだったとは言え、ボール球をよくもまあフェアゾーンに入れたよ。純粋な技術勝負で負けた。これはあちらを褒めるべきだ。


 これで一巡。

 割と最悪のタイミングで上位に回った。

 けれど、これで良い。

 今の私達がどこまで通用するかがこれから解る。

 僅かな笑みを浮かべて千家がボックスに入る。

 初回となんら違わない雰囲気。それが逆にプレッシャーに感じる。

 そう、この緊張感。これぞ勝負。

 新たな相棒に、私はサインを送る。


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