So eat pomegranate on your own will 〜 故に自ら望んでザクロを食べる 〜
青い空にまばらに雲が浮かんでいる。
外野フェンスの向こうには緑が重なり、山の稜線と高圧電線。
ダイヤモンドの端から眺める新しい世界は、これまでとは違ってやけに鮮やかだ。
ここが、この場所が、これからの私のいるべき所で、そのずっと先にある約束の地へと続いている。私がその地に降り立つ為には、厳しい競争に勝たねばならない。真っ当な勝負をする為の第一歩が、今ここから始まる。
前提として、今このグラウンドにいる者の中に手を抜いている者は誰一人としていない。そんな中で、新入生組、今日初めてチームを組んだ私達が五点のリード。
それがどう反映してくるか。
これまでの経験からまだ余裕とするのか、焦りとなってプレッシャーを感じるのか。
私は綾の球を受けながら、ネクストに佇む一番バッターを横目で見る。
彼女の目は綾の挙動から離れない。
「ラスト」私は声を上げる。
綾の球を取るのと同時に、二塁へ。
悠希がベースにタッチして、ゆっくりと投げ返す。綾の手元に球が返って来た。
それを見て、私は息を吸い込む。
「一回、締まっていこう!」
グラウンドに私達の声がこだまする。
一番バッターがボックスの手前で丁寧にお辞儀をした。
「よろしくお願いします」
左のボックスに入り、ゆったりと構える。
プレイの掛け声。
グラウンドを包む空気が瞬時に変わる。
一番中堅手、千家知沙。
二年生。一年時からレギュラとして出場。俊足巧打、ミートゾーンは広く、見極めもしっかりしている。フォアボールよりは自身のバットで、という、一番としてはやや積極的な気質。
ざっくりとした情報は笹川、藤野の両先輩から聞いてはいる。けれど、事前情報はあくまで補足材料の一つ。実際に対峙して得られた物と擦り合わせて、初めてデータ足り得る。
横目で窺えば、特に緊張している様はない。自然体。
様子見をしたい所ではあるけれど、綾の要求には応えなければならない。
なので、初球から攻める事にした。
ベースの角を掠めるスライダー。
本人はスライダーと言い張るけれど、私にはカットボールという認識。甘めのインコースから更に左バッターの内に食い込むコース。
直球と認識して手を出せば、引っ掛ける。
けれど、初回は見る事に徹しているのか手を出す気配はなかった。
ストライクのコールを聞きながら、散らして反応を見るかと思い、次は外角高めにストレート。
これもゾーンギリギリを攻める。
ボールになったら、綾の所為にしよう。
けれど、そこは香坂綾だった。少し内に入って来たけれど、概ね私の要求通りの球が来た。
千家は変わらず目だけで追う。
二球で追い込んだ。綾の言い分を受けるのであれば三球勝負。
緩急という程の差がある訳ではないけれど、二球とも直球系で攻めたので次はカーブ。
膝下ギリギリに落ちれば良い。
ボールになったら綾の所為、という魔法の言葉で強気に攻める。
追い込まれている為に、球が出た瞬間に千家の体が反応した。緩い球が来ると読んでいたのか、タイミングは合わせている。
けれど、合わせただけで、腕は動かなかった。
バッターアウトのコール。
「なるほど」
去り際に千家はそう呟いた。
端から見る事に徹した、と捉えるべきか。果たして、二番バッターに耳打ちをしている。烏合の衆じみた一年生であれ、まずは情報。雑な攻めはしないという事かな、と予想。と同時に、見る事に徹するならばカットで逃げなかったのは何故だろう、という疑問も湧いた。と、まあ初っ端からこれでは先が思いやられる。保留にして次。
二番も見る事に徹するのかな、と思う。綾の球種、球筋をチームで共有してからの反撃でもまだ間に合うと考えているのかも知れない。もしくは一、二番で確かめて三番から勝負に出るか。
考えられる展開は無数にある。
けれど、ここは先輩方には申し訳ないけれど、こちらも実力を試させて貰う。
二番二塁手、小澤結衣。
小柄な右打ちの三年生。今風の打てる二番、というか、元はクリンナップだったそうだ。大家采配によって二番に移行。小柄ではあるけれど体躯はしっかりしている、長打があるのも納得出来る。
となれば、試す相手としては申し分ない。一応外野には長打警戒の旨を伝えておく。
初球はアウトローにストレート。おそらくは見て来るだろう。カウントは稼いでおきたいけれど、ボールになっても良いので厳しいコースを要求する。
小澤は初級から踏み込んだ。けれど、ボールと判断したのか手は出さなかった。
「ストライク」
大屋のコールを聞き流し、小澤は笑った。
「ふうん」ちらと私に目を向けた。「狙ってやってるの?」
「偶々ですよ」
「そうなんだ」
小澤の目は綾に向く。どことなく嬉しそうだった。
二球目は、内からゾーンに切れ込むスライダー。
これは要求通りにいかず端からゾーンに入っていた所為で、小澤は手を出すも、三塁線を切れてファールとなった。
再び簡単に追い込んだ。次は見せ球、あわよくば振ってくれれば儲けもの、で外角のゾーンギリギリ外にカーブを落としたい。けれど、ボール球の要求はおそらく綾は首を振る。まったく、難儀な制約だ。まあ、打たれればそんな事も言ってられなくもなる、今は彼女の望みに応えよう。
軽く悩んだ末、変化球は低めが基本、というセオリーに反する内角高めへのスライダーを選択。綾の制球、カウント、打者の性質。それらを含めて打たせる。長打を打てる小澤なら手を出すコース。故にそこにスライダー。
綾がモーションに入り、文句無しのコースに球が来た。
乾いた音を出して、打球が上がる。
「サード」
一葉がファールゾーンで難なく捕球。
思惑通り、ポイントをずらせた。内心拳を握り、これでツーアウト。出だしとしては申し分ない。ただ、ここからはクリンナップ。より慎重にと、今一度引き締める。
三番三塁手、持田葉子。
典型的な右のプルヒッター。打力を買われてスタメン入り。
この手の打者は、私としては比較的やりやすいタイプ。そこそこの身長があって、筋肉質。腕が長いので、外角に苦手意識はなさそう。逆を言えば内は苦手かも、と分析。
初手はインコース、膝下にストレート。
初球打ち。
然程内角に苦手意識はない様だ。けれど、細かいバットコントロールは無い様で、ギリギリを突いたストレートを打ち返すも、ショート正面。
難なく悠希が捌いてスリーアウト。立ち上がりは上々。
ただ、まだ初回で、皆が球筋を見ている、と考えた方が良さそうだ。まだまだ、手探りの状態というのを肝に銘じる。
戻って来た綾とグラブを重ねる。
「ナイピ」
「ナイスリード」綾はくつくつと笑った。「ほんとに三球勝負したね」
「あんたがやれって言ったんだろうに」
「まあ、そうだけどさ、場面によってボール球のサイン出るかと思ってたから」
「出して良いなら、次から出すよ」
「アンちがそう判断するなら、別に良いよ。あれさ、カウントフルで使おうとするキャッチャーいるじゃん。私それが嫌でね。何でストライク取れるのに、ボール球投げなきゃいけないのって思うのよ」
「……あんたはも少し配球の勉強をしろ。三球勝負ってのが相手にバレれば、読みの選択肢ひとつ減るじゃんか。そうなると打たれる確率は上がる訳で……」私は眉間を抑える。「そういう話は前もってしとけよう」
このやろう。
コミュニケーション不足が織りなす素敵な結果。もとい、単に綾の口数が少ない所為か。言葉にしなきゃ解らないよ、なんて茶番をやる気は毛頭もない。けれど、近々対策を講じねば、と頭の片隅にそっと置いておく。
「ああ、そうそう、アンちさ」
「今度は何?」プロテクタだけ脱いで、ベンチに腰を落ち着ける。
「何でシュート使わない?」
「え? 見るに徹してたみたいだから、あえて見せなくて良いかなって。まあ、あとは香坂の変化球にどれ位で合わせられるのかを見たかった、てのもある」
「ああ、そゆことか」
「投げたかった?」
「いや、単純に不思議だっただけ」綾は二回に入るグラウンドを眺める。「そうか。ここはもう私の知ってる場所じゃないんだなあ」
「うん?」
「いやさ」綾は遠い目をした。「環はフルカウント使うわ、初回から満遍なく要求するわだったから」
「そりゃそうでしょ。私と環は違うもん」
「そうなんだよなあ。試合でアンちと組んで漸く実感した」綾はゆっくりと頷く。「全て任せる。アンチの思う様にやってよ」
「……丸投げはやめろ」私は溜息を吐く。「一人で組み立てるより、二人の方が選択肢は増えるでしょう? バッテリーなんだからさ」
「つっても、私が言える事なんて」
「だから勉強しろと言ってんの」私はグラウンドを指さした。「とりあえず先輩の投球を見なさいよ」
グラウンドでは二回が始まろうとしていた。
先頭の悠希がバッターボックスに入る。
園川の放った球は綺麗な放物線を描く。
初球のカーブはストライク。
初回よりテンポの早いサイン交換から、第二投。
悠希がのけぞるも判定はストライク。
ギアが上がったのか、初回よりも力のあるストレート。
早くも追い込まれた。
サインに頷く園川。すぐに始動。
続けて直球。けれど、これはボールの判定。悠希は余裕を持って見送ったので、完全に外れていたのだろう。
しかし、彼女の顔色は冴えない。
初回とは何かが違う。寧ろ、こちらが本当の園川か。立ち上がりの悪さ故に、私達は五点取れたという事なのか。だとしたら、これは幸運ととるべきか、それとも絶望と捉えるべきか。
「あ」綾が小さく声を発した。「首振った」
マウンド上の園川は渋い表情でホームを見ていた。
そしてもう一度、首を振った。そして溜息混じりの様な顔で頷く。
どうも妙だ、と思った。
確かに投手としては場面や調子によって投げたくない球もあるだろう。けれど、園川から感じるコレジャナイ感は何なんだろう。
モーションに入り、放たれる。
それは酷く緩慢な放物線を描き……。
「キャッチ落してる!」
皆が叫ぶ。
体勢を崩され空振った悠希は身を翻しファースト目指して駆け出した。
けれど、捕手の対応には一分の隙も無く、球はファーストに送られワンナウト。
戻って来る悠希を横目に、私はグラウンドを注視する。
バッテリー間で何らかのミスがあったと思ったからだ。それは何か。
苦虫を噛み潰したような園川と、溜息を吐く様な仕草の捕手。彼女は片手すら上げなかった。対応を見るに非は投手にあると言いたげな捕手の立ち振る舞い。半ば暴投気味の球。投手の独断、もしくはサインミスか。確かに落差のある良い変化球ではあったのだけれども。
いや、それよりもだ。
ベンチに戻って来た悠希に手招きする。
「何あれ?」
「多分、あれが笹川先輩の言っていた決め球のカーブなんだろうな。直球の後のあれは流石にきつい。直球もなんか速くなってるし」
「今後は狙い球絞った方が良さそうだね」
「うん」悠希は頷きながらも拳を握り締める。「くそう、これが高校レベルか」
守備に関しては本腰を入れて来た、と捉えるべきだろう。初回のままという事は無いとは思っていたけれど、これは中々厳しい。
あっという間に早苗は追い込まれていた。
ストライク先行の攻めるピッチング。初回のボール続きはどこに行ったのか。
やはり、と思う。
園川から離れた球は、大きく宙を舞い、早苗のバットの下をするりと抜けた。
先程の落差の大きいスローカーブと直球のコンビネーションが園川の武器であり生命線だ。
ただ、期待せずにはいられない事もある。
一葉なら打ち崩せるのでは、という期待。
今の所大まかな二択だ。ここに小さく変化する球を混ぜられると厳しいけれど、この二択なら一葉ならやってくれる、そんな気がした。
相変わらず力みの無いフォーム。真剣な眼差しの一葉の顔が映る。
初球はカーブ。これはゾーンを外れる。
一葉はそれを難なく見送る。今のは前の回にも投げていた普通のカーブ。緩い球が二つになったとしても、彼女なら合わせられる、と期待してしまう。
園川がモーションに入る。
ここで、スローカーブ。緩・緩と来た。
一葉でも僅かに崩される。打席で見ればより遅く感じるのだろう。けれど、なんとか食らい付きバットを当てた。乾いた音を立てて、ボールが後ろに飛ぶ。
崩されつつも、タイミングだけは合わせてくるあたり、やはり一葉はすごい。もう、私の知っている彼女の面影はどこにも無い。
再びボックスに立ち、ルーティンをこなす。僅かに口元が上がっている。
園川がモーションに入る。
一葉のバットが僅かに上がる。重心が後ろに下がり、ヘッドが上がる。
一葉の読み勝ちだった。
二者の選んだ球はストレート。
一方は球速差で打ち取ろうと考え、もう一方はそれを見越す。
一葉の読みは当たった。急、は読み当てた。
けれど、ミートしたはずのボールは鈍い音を立ててサード前方に転がった。
一葉はファーストに走りながら、天を仰ぐ。
打ち損じた? 一葉が?
俄には信じられない思いを抱きつつも、目の前にあるのが現実。打ち損じたのが事実。
塁審をしていた上級生が手を上げる。
呆気ない幕引き。攻撃の終わり。
切り替えろ。
私達は私達の仕事をしなければならない。
「行こう」私は綾を促す。
これで良い、と心のどこかで思う私がいる。
レベルが高い場所を望んでいたのは事実。それが現実になった所で打ちひしがれる謂れはない。寧ろモチベーションに変わる。
たとえ、そこが少しおかしいのだとしても、私達は望んでこの場所にいるのだ。ここにいる事を後悔なんてする訳はない。




