And, wear a contour 〜 そして、輪郭を纏う 〜
「ボールバック」
繊細なのに外野まで届く通る声。その掛け声で、それぞれが定位置に着く。足元をならす者、体を捻る者、各々のやり方で試合に臨む。
二、三年生は、己が足でそれぞれの戦場に立つ。迎撃体制は整っている、そんな余裕のある表情を皆が浮かべていた。少なくとも私にはそう見えた。
先頭打者の赤坂悠希がちょこんと頭を下げ、左のボックスに足を踏み入れる。
大屋監督代行の手が挙がる。
「プレイ」
心の中でサイレンが鳴り響き、私達の初めの一歩が踏み出される。
打者に涼しい目を向け、マウンド上の右腕はゆっくりと左足を引いた。
振りかぶり。
そのすらりとした細身の体の影に右腕が収まる。
前に出るグラブ。
やや遅れて、体の奥から突然右腕が出る。
オーバスーローから放たれた球が小気味良い音をたててミットに収まった。
けれど、判定はボール。
笹川が言っていた様に立ち上がりは良く無いらしい。微妙な表情を浮かべる園川の横顔。球を受け、足元をならす。
間をおかずモーションに入る。
左打席に入る悠希から見て、外角に大き外れるボール球。
園川は表情には出さないけれど、挙動に焦りが滲む。帽子を弄り、執拗に足元をならす。
私は隣に座らせた薫に耳打ちする。
「どうみる?」
「一球目はストライクの要求だったのでしょう。けれど外れた。二球目も外れたので次は入れたいでしょうな」
ちら、と悠希がベンチを見た。
指揮官がいない試合なので、暫定の現場指揮官となった笹川が任せる、とサインを送る。
一、二番の二人には笹川が園川の特徴を細かく教えている筈。ならば各々の判断を見ようという事なのだろう。
ツーボール。
捕手目線としてもここはストライクが欲しい。私なら待球も視野に入れるけれど、ストライク欲しさに甘く入る可能性は捨て切れない。打撃にある程度の自信があるのなら、狙うのはアリだ。
園川の手から離れたボールは大きな弧を描いて宙を舞う。
始動した悠希の身体がふわりと泳ぐ。
ストライクを取りに来た。そこまでは良かったのだけれど、それがまさかのスローカーブ。
悠希は足を踏み出した後、何とか粘り、辛うじてバットを当てた。
鈍い音がして、ボールは三塁側にある私達のベンチの近くに転がった。
「なるほど」薫はマウンドに目を向けたまま言った。「あれが園川先輩の決め球のカーブですな。故に驚いた顔を一瞬しました」
薫はよく見ている。
ほんの一瞬、園川は目を見開いた。
まさか、当てるとは思わなかったのだろう。何しろ、悠希は完全に崩されていた様に見えたから。
データが無いとは言え、どこの馬の骨とも知らない一年に当てられた。捕手の性格次第ではあるけれど、上級生としての矜持があるなら、カーブに自信があるなら、次も同じ球で空振りを狙うだろう、と私は予想。
甲高い音がした。
思っていたよりも捕手は冷静だったらしい。そして投手も、その決断に異論はなかった様だ。
けれど。
元より直球に絞っていた悠希は、バットを振り抜き、レフト前に落とした。
バラバラではあるけれど、ベンチは盛り上がる。
右のバッターボックス手前で、早苗がベンチに目を向けている。お手並み拝見と、悠希と同じく任せるのサイン。
口元を少しだけ上げ、了解、とメットに触れる。
早苗はわざとらしくバントの構え。
思ったよりも、園川のクイックは早かったけれど、それ以上に悠希のスタートは良かった。
けれど、楽々セーフといかない所で、高校野球のレベルを知った。
あれだけ良いスタートを切りながら、間一髪セーフ。奪った本人も塁上で驚いている。
羨ましい、あの肩が。と少し個人的な事を考える。
それはさておき、お膳立ては整った。落ちる場所次第で一点だ。
園川の表情が落ち着いて見えた。安打からの盗塁で、早くも目覚めたらしい。
クイックからの速球が見事にゾーンに決まる。
ふと塁上を見ると、悠希はかなり大胆なリードをしていた。
エンドランを狙うと言ってはいたけれど、リスキー過ぎやしないか、という考えが頭をよぎった。あの捕手が見逃す筈はないと思った瞬間、園川の牽制が入る。
けれど、悠希は余裕を持って帰塁していた。そして私達に向けて口元を上げた。
何だろう。塁上で何かが起こっている?
あからさまに園川の表情が翳る。
クイックからの一投を早苗は弾き返す。勢いの付いた打球はショートに転がった。
やけに大回りでショートが捕球しスローイン。深い位置から矢の様な送球がファーストに向かう。
けれど、どこか腑に落ちない一連の流れの所為か、早苗の足の方が文字通り一歩早く、ファーストベースを踏み抜いた。
遊撃手が申し訳なさそうに片手をあげる。
園川は苦笑しながらも手の平を返す。
ぎこちない?
先程知った高校レベル。それを基準とすれば、早苗の打球はただのショートゴロだ。にも拘らず、グラウンドにおける状況は、ノーアウト、一塁三塁。
やはり何かが起こっている。
「あのショート、慣れてないですな」薫が言った。
私は合点した。
「ああ、そういう事。コンバートされた人なのか」
「多分」薫は頷く。「しかも、元外野手か何かで、内野経験が少ないのかも」
「だからか。赤坂はそれを見抜いて」
「ですな。ショート一筋の彼女であれば、見抜けぬ訳もありますまい」
園川の苦笑はやらかした遊撃手に対してでは無く、この状況に対してなのだろう。監督代行の手前、元のポジションで出場すれば、明確な反意の表明になる。遣り切れない。当人達の燻る思いは私にも伝わって来る。こんなの何も良いところが無い。だからと言って、慮っても仕方が無い。今の現状が間違いだと悟らせる為にも、私達は勝たなければならない。
「金田一」
私は身を乗り出し、ネクストで伸びをする一葉に声をかけた。
一葉は片目を瞑り、親指を立てた。
サインは打て以外に無い。
バットを弄びながらゆったりとした動きで主審を担う大屋監督代行の後ろをぐるりと周り、左バッターボックスへ。
そこには私の知っている文学少女の姿はなかった。
普段の物腰柔らかな表情からは甘さが消えている。けれど口元は僅かに上がり、その目がグラウンド全体を見回す。
バッターボックスに入り、バットを右手で一回、二回と回転させてから背を逸らし、左肩にそっとのせる。
直立不動のまま、顔だけが相手投手に向いている。
ぱっと見、弛緩した覇気の無い構え。良く言えば力の抜け切った構え、とも言えるけれど、相手からすれば舐められていると捉えられるかもしれない。
こんなだったか、と私は過去に思いを寄せる。記憶にある彼女は、他と大差ない凡庸な印象。
園川がモーションに入る。
少しだけタイミングを計った重心移動をして、目が球を追うだけ。
緩いカーブはストライクのコール。
浮かんだ表情は打席に入った時のまま。一葉を知っている私ですら、どこか不気味に映る。対戦している先輩達はきっとそれ以上の感覚を味わっているのだろう。
それ故に警戒した所為か、続いた球はボールだった。外れた、というよりも外したという感じ。
一葉は躊躇なく見送っている。
肩にバットを乗せ、微動だにしない。
ただ目だけが投手を射抜く。
一葉に対しての三球目。直球が彼女の膝下に収まる。ストライクのコール。
カウントは1-2。
投手有利のカウントではある。実際私があの場にいたら、どう判断するのだろう。不気味さ故に様子を見るのか、勝負するか。
決め球があれば、ボールになっても構わないコースであわよくば空振りを狙う、そんな所か。
いや、その場の空気を感じなければ判断出来そうにない。
それだけ、今のバッターボックスの周囲には異様な空気が漂っている。
短めのサイン交換が交わされ、園川がモーションに入った。
クイックの摺り足、体に隠れる右腕。
大きく振り降ろされる右手から弾かれたボールがゆったりとした弧を描く。
一葉は解っていたとばかりに、その緩い球にタイミングを合わせていた。
やたら鈍い音がして、ボールは一塁側のファウルゾーンに転がった。
体を戻す一瞬、一葉は笑った。
再びバッタボックスに入り、最初と同じ挙動。
バットを二回ししてから背を逸らす。そして静かに左肩に。
微動だにしない自然体。
五球目。
バッテリーの選んだ選択肢を、彼女は軽々と粉砕した。
綺麗な金属音を響かせて、鋭い打球が左中間、センター寄りに飛ぶ。
中堅手の反応は流石で、打った瞬間に動き出している。
けれど。
反応と動き出しで得たアドバンテージをより良い結果にする為に、無理をしたのが裏目に出た。ワンバウンドで捕球すればまだ傷跡は少なかった。逆手で伸ばしたグラブに打球は僅かに届かず後方に抜けた。
結果、左中間を切り裂いた、走者一掃タイムリースリーベース。
三塁上でユニフォームを叩く一葉の顔が上がる。帰塁した二人を迎え、湧き上がるベンチの中の私と目が合った。
一葉は少し恥ずかしそうに、少し不服そうに、こっそりと親指を上げた。
私は大袈裟に親指を立てて、彼女に返す。
相手のミス絡みで結果として三塁打となった。彼女が不服に思うのは解らなくはない。けれど、一度見ただけのカーブを真芯で掬い、いとも簡単に安打とする。恐るるべきは、彼女のミート力と、取り巻く状況を苦にしない精神力。
なるほど。これが、名門で四番を打っていた者の自己証明か。
相手バッテリーの表情を見るに、失投を打たれた訳では無いのだろう。
単純な事だ。
相手バッテリーより、一葉の方が勝っていただけ。決め球が決め球にならなかっただけ。
ただ、その現状を認められるか、そうで無いかが、勝負の分かれ目。
私は続けと、妙を見遣る。
彼女もまた、左バッタボックスに入り、一様とは真逆の動の構え。バットを高々と掲げ、相手投手を挑発する様な鋭い目線。
園川がセットに入った。
放たれた直球は、綺麗な放物線に変わる。
妙は外角を逆らわずに振り抜き、打球はレフト線に舞う。
あらかじめ、下がっていた左翼手が追い付き難なく捕球する。と同時に、バックホーム。
ネクストに入っていた薫の指示で一葉は内側にスライディング。
ベースタッチと同時にストライクの返球がミットに届いた。
こちらのデータが無いとしても出来過ぎだ。初回に三点は大きい。これでより余裕を持って守備につける。まあ、香坂綾には関係ないのだろうけれど。
「ナイバッチー」
悠希と早苗がベンチに戻って来た一様を迎える。
三人でハイタッチ。
その後ろに妙が戻って来た。
「ナイス、犠牲フライ」一葉が振り向き、身長差のある妙にもハイタッチ。
「引っ張ってもよかったんだけどな」少し不服そうな妙。「確実な方を選んだだけ」
その妙を一葉が見上げる。
「やっぱり、あんたは私の後ろだ。私には出来ない事をあんたはやってのける」
「はあ?」妙は怪訝な顔をする。
「私はさ、そうそう長打は打てないんだ。だから、私を返してくれる奴が後ろにいて欲しい」一葉は妙の肩に手を置いた。「あんたはそれが出来る。頼むぜ、五番」
「……おい」妙は一葉の頬を両手で挟んだ。「嫌味か? 喧嘩なら買うぞ、おい」
一葉は眉間に皺を寄せる妙の両手を引き剥がすと、力無く笑った。
「いやいや、さっきのはカウントしちゃダメだって。一人は返せたけどあれは単打だよ。ミス絡みの上、外野の対応がもたついていたのもあって、運よくスリーになっただけ」
「……まあ、確かに」妙は外野に目を向けた。「センターが欲出さなければ……ってそこは良いんだよ。つうか、打てない自覚あんのになんでお前が四番で、私が五番なんだよ」
一葉は今度は不敵な笑みを浮かべる。
「あんた、得点圏打率いくつ?」
「はあ? ちゃんとしたの見た事ないけど、三割は超えてるけど?」
「私は六割。だから、私が四番に座っていた方が点が取れる。けどさ、私では私で終わらせる事が出来ないんだよ」一葉は妙を指さした。「だから、あんたが私を返せ。そすればもう一点。そうだろう?」
一葉はくるりと身を翻し、頭の後ろで手を組んだ。
「ま、全ては監督が決める事だけどね」
そう言いながら、一葉は私の隣にやって来た。
「お、お疲れ、金田一」物言いたげな妙を横目で見つつ、私は労いの言葉と手の平を差し出す。
「おつかれ」手の平を合わせ腰掛ける。「情報通りで良かったよ」
「カーブ待ってたの?」
「まあ、待ってたと言えば待ってたになるのかな? 何が来ようと打つ気だったから」
「何でも?」
「うん。直球も変化球も一回見たから、あそこで勝負に行ったし」
なるほど。途中でルーティンを挟んだのはそう言う意味か。
「エラー絡みとは言え、スリーなんて久々。中々に気持ちがいいものだねえ」一葉は口元を上げた。「いやあ、良かった良かった」
「やっぱ、金田一変わったよ」私は本心からの感想を告げた。
「そうかな。でもまあ、スポ少とは別世界だったからね、相模原は。そういう意味では変わったのかも」一葉は目尻を下げて笑みを浮かべた。「今度は琥珀ちゃんの番だね」
一葉の指差す方を見ると、申し訳なさそうな表情でベンチに戻って来る薫の姿。
次ネクストに入るのは私だ。ゆっくりと立ち上がる。
「じゃあ、私もさくっと出て四ノ宮に返してもらいますか」
「任せろ、アンちゃん」後ろで会話を聞いていた杏樹が拳をあげる。
「何とも、心強いね」
杏樹に笑みを返し用意をする。
ああは言ったものの、現在ツーアウト。キャッチャレガースのままネクストに向かう。メットを被り自分のバット探していると、薫に声をかけられた。
「アンちゃん殿、アンちゃん殿」
もう良いや何でも、という気になり、呼び方は華麗にスルーして、顔を向けた。
「何?」
「笹川先輩に聞いた所、サードもコンバート組ですな。藤野先輩が出たら、狙ってみませんか?」
「狙うって、セーフティ?」薫の仕草から、そう尋ねた。
「ええ。初回のツーアウトからですし、そこまで警戒されてないかと」
「確かに。オッケ解った。やれるだけやってみるよ」
「頼みましたぞ。自分はやらかしたんで……」
「やらかしたって……」
正直な事を言えば、一葉と話していた私は薫の打席をよく見ていなかった。
「ショート、サード、あとファーストもコンバート。で、セカンドは本職。内角来たんで引っ張ったらセカンドの正面行っちゃいました」
「解った。頭に入れとくよ」
薫との会話を終えて、私はネクストに入る。
藤野のカウントは既に2-2。
彼女の場合は相手側にもデータがあるからやり易いのかもしれない。
ただ、個人対個人ではやり易いのかもしれないけれど、入学したての一年生に三点取られたとい
う現実を相手バッテリーがどう受け止めているか、だ。
知っている相手だから気が楽になるのか、はたまた、警戒するのか。
私の知っている藤野紫穂はいやらしいバッターだ。
それが変わっていないのなら。
「ボール、フォア」大屋が僅かに不機嫌な声で宣告した。
藤野はちらと私に視線をよこし一塁に向かう。
私は、フォローにきた一葉の助けを借りながらレガースを交換する。
両腕にキャッチャーレガースを抱えた一葉が小さく親指を立てた。
頷く事で彼女に返し、バッターボックスに向かう。
「アンちゃんガンバー」
ネクストで控える美少女が屈託のない笑みで送り出してくれた。
私は振り返り口元をあげる。
大屋監督代行の後ろを回り、左バッターボックスへ。
「お願いします」と、一礼してボックスに入る。
ルーティンという程でも無いけれど、始めに軽く足場を鳴らして、背伸び。次にバットを担いで二回縦に振る。
バットを担ごうと上げた所で、捕手から小声で話しかけられた。
「あなたは、何で長袖着ているの?」ちらとネクストにも目をやる。「あの子もだけど」
四月の頭とは言え、この日の気温は例年に比べればやや高かった。その所為か、確かに皆七分や半袖で長袖人口は私と杏樹、それと投手陣位なものだった。
別にアンダーは何着ても良いじゃない、と思い正直に口にした。
「日焼けしたくないんですよね」
「そう」
そっけない返答。
けれど直ぐに、私の返答が地雷を踏んだ事に気付かされた。偶々なのかもしれないけれど。
初球。
アンサーボールとして、顔すれすれのクソボール。
思わずのけぞり、たたらを踏んだ。
「あら、ごめんなさい」僅かに嘲笑の混じった謝罪の言葉。
まずい、と身体が冷える。
私の一言は逆鱗に触れたらしい。
野球、しようよ。心の中で笑みを作って語りかけてみる。
もちろん、私の心の声がバッテリィに届く事は無く、厳しいコースにストライクが決まる。
ああ、私の高校生活の初打席がこんな事になるなんて、そんな事を思おうにも、対戦相手は待ってくれない訳で、切り替える前に球が来た。
蓄積された経験なのか、私の頭はボールの判定を下した。だから見送ったのだけれど。
「ストライク」
無情な宣告が響く。
つい、振り向きたくなる衝動を抑え、一呼吸。審判の言う事は、ゼッタイ。
追い込まれてしまった。
とは言え、このカウントなら、ボール球でも空振りを取れれば御の字。
カーブだろうな、と私は予測。
園川のカーブはかなり遅い。遅い分変化は大きいのだけれど、その変化の始まりは早い。明日香のスライダーに慣れている私なら、なんとか追える。
やるならここだ。
ストレートが来たら、当たって砕けろ。
結局は運頼み。
園川のモーション始動と同時に、ボックス前部に移動。狙うは三塁線上、捕手と三塁手どちらが処理するか判断に迷う絶妙な所。目は投手に、体は気持ち一塁に。バットを寝かせ、球の出を待つ。
けれど、私の読みは外れ、バッテリーが選んだ球はストレート。
ええい、ままよと、バットを当てた。
と同時に走り出す。読みが外れた時点で球の行方なんて知らないさ。私は一塁に向かって走るだけ。
ただそれだけを思い一塁を駆け抜ける。ワンテンポ遅れて捕球音。私は小さく拳を握る。くるりと反転し、ベースについてレガースを一塁コーチャに入っていた美弥に渡した。
「ナイバン」受け取りながら美弥が微笑む。「アンち、バントうまいね」
「読みは外れたけどね」
ツーアウト、ツーストライクからのセーフティ。藤野は私がバントの姿勢を取った途端にスタートし、虚をつかれた三塁手は不慣れもあって一歩目が僅かに遅れた。それが私がセーフになった理由。
手慣れた三塁手なら確実にアウト。
微妙な気分ではある。
けれど、結果はオールライト。
右のバッターボックスに入る杏樹に向けて拳を突き出す。
ニヤリ、と白い歯をみせ、杏樹は親指を立てた。
私はリードを取りつつ、横目で杏樹を視界に入れた。
やはりというべきか、捕手と何やら会話をしている。きっと、私と同じ事を言われているのだろう。まったく、何なんだよ。野球しようよ。
可憐な見た目とは裏腹な、十パーセント代の体脂肪率が紡ぎ出す、何とも豪快なフォーム。
掲げたバットをくるくる回し、メジャーリーガかよ、と突っ込みたくなる。
けれど、これはこれで、良いプレッシャになるのでは、と思う。
データは無い。バッテリーにしてみれば、ツーアウトと言えども、本日二回目のピンチだ。
勝ち負けに拘るなら、歩かせて九番と勝負ってのも私ならアリだ。けれど、上級生の矜持がそうはさせないだろう。それに、私達はどうも、あの捕手に疎まれているみたいだし。勝負だろうなあ、と思っていると、美少女から出るはずのない声が飛び出て来た。
「どっセーい」
と同時に乾いた金属音。
舞い上がった白球はぐんぐん伸びてセンターを超えた。
おいおい、すげえな美少女、なんて事を思いながら、打球の行方を横目で見ながら進塁する私。サードコーチャーの志津がグルングルンと手を回している。
ネクストの綾がスライディングの位置を提示している。
滑り込み、右手でタッチ。まさかの五点目。
「ナイラン」綾がハイタッチを求めている。
「すごいなあ、四ノ宮は」綾と手を合わせ、二塁でVサインをしている杏樹に目を向けた。
「特に声が」綾はツボに入ったのか、笑いを堪えながらバッターボックスに向かう。
「続きなよ?」
私は綾の背に声を掛け、ベンチに戻る。
「ナイラン、琥珀ちゃん」
ハイタッチを求める一葉に掌を返し、私は呼吸を落ち着かせながら、防具の準備に取り掛かる。
少し遅れてグラブを抱えて一葉が来た。
「狙った?」
「ああ、セーフティ? 佐倉に言われてさ。でもまさかツーストライクからになるとは思わなかった」
「いい奇襲だったと思うよ」
「カーブだと思ってたんだけどね」
「まあ、当てた者勝ちの状況だよね、あれは。だから琥珀ちゃんの勝ち」一葉はちらとグラウンドに目を向けた。「綾ちゃんは負けか」
どうやら綾は三振した様だ。の割にスッキリした顔をしている。
まったく、あのやろう。
「私行くね」一葉はそう言って、サードに向かって飛び出した。
メットとバットを片付ける綾に言う。
「まさか、打者デビューの方が先とは」
「驚いて、手も足も出なかったよ」
「で、三振かよ」
「当たんなかったなあ」自分のグラブを嵌めて綾は口元をあげる。「まあ、私の仕事はこれからだから」
私は綾の肩に手を回した。
「さあて、私達のお時間だ。よろしく頼むぜ? 新しい相棒」




