The curtain rises 〜 夏の幕開け 〜
ごめんあそばせ、と上陸した台風によって日程が一日ずれ、諮らずとも手に入った調整日は私達にとっては少なくないアドバンテージとなった。
既に動き出している夏にも拘らず、私達の中にある不安要素は根強く残っている。
絶望的な状況では無いにせよ、かといって楽観視出来ない程度のそれに、皆表面には出さずとも苦笑いじみた感情を抱えている。
あるものは、それを何とかチベーションに還元し、またあるものはどこ吹く風。そしてあるものは不安に駆られ慌てふためく。
私は例の如く第三者である。
不安の中心の荻野の不調に関しては、割と楽観的。彼女なら自分でどうにかするだろう、と思わせる人柄ないし実績をこれまで見せ付けられているのだ、心配なぞするものか、そんな心境。
私の懸念の大半は湊の不調。
夏を目の前にして発症した、突発性の乱調。それは開幕した今でもその名残が見受けられる。
なんだかんだ言ったとて、現状、彼女は三番手。以降のメンツに不安があるかと言えばそうでは無いけれど、戦力と見做された彼女が、普段使い出来ないとなると、それは不安にもなる。
と、まあ、ここら辺は建前で、私の本心としては、友人としての心配、というのが大半を占めている。
勝ち気で飄々とした吊り目八重歯の落ち込む姿を見せられれば、いくら私だって心は騒めく。捕手という立場をすっ飛ばして心配にもなるというものだ。原因がよく解らない、というのも不安に拍車を掛けている、というのもあるのだけれど。
雨の残り香は多少は残っているものの、午後の空には晴れ間が除き、周囲からは喧しい程の蝉の音。
雰囲気こそホームのそれに似ているけれど、非なる如し。
葉山とは違うけれど、似た様な夏の風物詩に包まれた山間の球場に私達はいる。
動き出した足の向かう直ぐ先に私達の初陣が待ち構えている。
先刻、第三試合が終わりを迎え、若干の緊張感を孕みつつ私達は始動した。
主将の坂巻を先頭に戦さ場に足を踏み入れる面々。
チーム内に不安を抱えているとは言え、青褪めた表情をするものは誰一人としていない。
入れ替わりで、泥に塗れたユニフォームとすれ違った。
一様に表情は崩れ、頬には涙の跡。チームメイトに肩を支えられている乙女もいる。
そうなのだ。既に結果が出てしまったチームはある。言葉では解っていたとて、実際に目にする事で実感はより強固となる。
分かれ目と言うのなら、それはすぐ前にある。
全てが決まる本番を前にして、様々な感情が私の中で渦巻いている。その欠片が溜め息じみた一息となって少しだけ溢れ落ちた。
透かさず尻に衝撃が走る。
「なんで試合前に溜め息なんてついてんだよ。辛気くせえなあ」腕は空いているのにも拘らず、蹴飛ばしたのだろう。相変わらずの体幹故に、碧は脚一本で己が身体を支えながら片頬を上げた。
「公式戦ですよ? 物理禁止!」ダメ絶対、と私は指でペケ印を作る。
「いやあ、晴れて良かったよ。若干蒸し暑いのは勘弁だけど」碧は僅かに雲が残る空を見上げた。
「話逸らしてんじゃねえ」
「別にさ、コハクが心配したところでどうにかなる問題じゃなくね? っつうか、そういうの含めて自分でなんとかするのが、ここでの最低限じゃねえの? それが出来ないで、プレッシャなりなんなりで潰れんなら、そこまでだったんだよ。別に潰れた所で死ぬ訳じゃ無いんだし、道なんて山ほどあるだろ」碧は周囲に目を回す。「私らを取り巻く、この山々の様にさ」
「……ドヤ顔されても、大してうまく無いんすけど」
「……ちょっと道化を気取ってみたら、すぐこれだよ」碧は肩を竦める。「ま、言った通り、今心配した所でどうにもならねえよ。するなら自分の心配でもしてろよ、その心配性を拗らせて皆を巻き込む癖をさあ」
碧が言うのは、常桜戦での私のやらかしだろう。
あれ以来、私にはそんなレッテルが付き纏っている。
そんな事ないもん、と言ってやりたい所だけれど、あながち間違いではないと私自身が認めている為、そう強く言い切れないのが辛い所ではある。
球場の屋内に入り、前を行く碧に声を掛けた。
「ミドリちゃんは緊張とかないんすか?」
「ない、と言えば嘘だなあ」
「あら素直。珍しい。また台風でも……」
「私は常に素直なんだが?」ちら、と振り返り、碧はニヤリと笑った。「試合前なんだ、幾ら私だってフラットとは言い難い。どうしても期待やら感情の昂りはあるし、最悪もほんの少し頭の片隅にある。でもだからってそれで掻き乱される事はない。やる事は決まってるんだから」
この初戦のスタメンは既に発表されていた。
順延で生じた昨日の調整と、この日の午前の調整を見て、監督である理香が出した答え。苦渋の決断とも、最適解ともいえる様なそれ。
要である荻野の不調、その代役としての抜擢。
攻撃での役割、女帝に掛かる期待を、この日は我が儘プリンセスが全て背負う事になった。守備でのそれは無いので、碧がマスクを被るという訳では無いのだけれど。
理香を含め、皆から寄せられる期待を感じない碧ではない。
それこそ大山級のプレッシャだろう。けれど、そこは我が儘プリンセス、口ではああ言うけれど、誰に対してもその片鱗を見せはしないのだろう。
「流石っすねえ……」
「まあ、そこら辺はキャリア、経験の差だよ。この手のプレッシャとの付き合い方を知ってるってだけ。今お前が慌てふためくのなら、その、どうしてそうなってるのか、の部分を消化出来れば次は慌てないだろ? つまりはそゆこと。解ってるヤツは皆そうしてる。別に私が特別ではないのよ」
「……いや、特別だろ」
碧はそう言うけれど、そう簡単に事を遂行出来る訳ではない。
メンタルの強度や、モチベ等、様々な要素が重なり合ってのその人の心持ちなのだ、皆が冷静に自分を客観視出来る訳でもないだろうに。
だからこそ、それを簡単に言い切れてしまう碧は特別だと私は思うのだ。
「……つうか、今する話じゃねえなあ」そう言って碧は笑う。「さっきも言ったけど、心配した所で、って話だよ。答えの出ない問題をウダウダ考えるより、今しか出来ない、得られない経験を吸収すべきじゃねえの?」
おそらくは偶然なのだろう。
碧が言い切ると同時に、私達はベンチに足を踏み入れた。
室内灯の緩い光源に照らされた通路とは違い、私の目には夏の午後の陽射しを受けるグラウンドが飛び込んで来る。
それはやけに眩しく、そして大きな開放感を伴うもので、碧の言葉を後押しする様に明るさに満ち溢れていた。
暗がりに差し込む光の様に見えたそれに、小さな事で躓いてんじゃねえ、世界は広いんだよ、と言われている様に感じた。
だいぶお花畑的な発想だとは思うけれど、致し方なし。
いい意味で呑まれたと言ってもいい。
私が抱える心配を、碧の言葉で上書きするのには十分だったのだから。
「ほれぇ、きびきび動けぇ」手を叩きながら、言葉とは正反対の気怠気な態度で理香が皆を促した。「時間限られてんだ、無駄にすんなよ」
解っていますとばかりに、返ってくる声は力強く、そして行動は機敏。
ベンチ内の整理整頓は筒が無く終わりを迎え、いざグラウンドに。試合前の最後の調整に皆がそれぞれの場所に駆け出してゆく。
私もまたプロテクタに身を包み、未だ近寄り難い雰囲気を醸し出す女帝の背後に。
余程の事が無い限り守備での出場はないと踏んだのか、碧もまた、ノッカーの理香のアシスタントとばかりに、私達の傍に。
先程の気怠い雰囲気はどこに行ったのか、理香が纏うは、かつての査定期間のそれ。言葉同様、鋭い打球が各地を襲撃する。
「キャッチ!」
叫びにも似た声と共に、アレこれってピッチャゴロじゃね? とばかりの打球が転がる。
女帝は不調さを微塵も感じさせない俊敏な動きで飛び出し、球を掬い、ファーストを射抜く。
「おっし、守備は問題ないみたいだなあ」
理香の言葉に頷きを返すと、荻野は傍にいた私の耳元で苦笑する。
「”は”の部分が気になるわね」
「また、答え難い事を……」小さな乾いた笑いと共に、いつも通りを心がけて私は返答する。
先の常桜戦で私の舞い上がりを懸念した女帝の如く、普段通りを演出する。
必要以上の気遣いは返って負担になるものだ。
不調というのなら、本人が一番解っている。そしてそれを本人が自ら克服するのが常、そういう場所だからこそ、周りは普段通りであるべきだと、私は思う。
それを意識してという訳ではないのだろうけれど、グラウンドでは普段の光景が広がっている。
普段通りの流麗な動きで、千家が球に追い付き身体を捻る。
完璧なタイミングで、二塁で小澤が受け取り一塁へ。
三塁線ギリギリの強い打球にも臆せず、塩原は難なくそれを掴むと、その小柄な身体から想像し難い強い送球が一塁に向かう。
センターの深い位置でも、坂巻が颯爽と落下地点に入り掴み取り、ノーバウンドの球を二塁に返す。
新川も、多嶋も危うい所は何一つなく、普段通りの安定さ。
最後に宮森がファンブルして、理香に怒鳴られるまでがワンセットなのも普段通り。
最後の調整としては、満足のいくリザルト。
手早く機材を片し引き上げると、入れ替わりで、グレィ地のユニフォームがグラウンドに散って行く。それらを横目に、私達はベンチ前に集まった。
「遥ぁ、試合中はやってくれるなよ?」理香が悪そうな顔で言う。
「わ、解ってますよう」宮森は目を逸らし頬を掻く。
周囲から失笑じみたそれが溢れる。
少し砕けた雰囲気が、意識せざるを得ない初戦、という凝り固まったものを解してゆく。
チームは更に普段に近付く。
「さて」理香が一度取り繕い、居住まいを正した。「事前情報で舞い上がってるヤツいないよなあ?」
理香の問い掛けに、皆が真摯に頷く。
映像は手には入らなかったのだけれど、相手チームの情報は既にチーム内で共有されている。
けれど、それはあくまで憶測の域を出ないので、確たるものではない。それでもどこか安堵した空気になってしまうのだから、理香の釘刺しはこの場ではベストな選択だとは思う。
島根県立本川本総合高校。
十年程前に近隣の二校が合併して出来た、歴史的には新しい部類に入る高校。
そして、今年度が女子野球部創設の年でもある。
公表されている登録メンバで擦り合わせもしたけれど、つまりは、一年生だけという生まれたてのチーム。
経験という観点からすれば、創部初年度から公式戦に出場出来るのは恵まれた環境であると言える。
「聞けば、野球部立ち上げを公開して近隣から募ったって話。一年生だけだと言っても、中には熊ノ森のちびっ娘達の様な規格外が紛れているかもしれない。練度、という意味ではウチに部があるかもしれないけど、気を抜けば喰われる可能性だってある。慢心すんな、相手には敬意を表せ。そして自分達の出来る事を忠実にこなす。よろしい?」
皆の声が重なり、一つの音となった。
高水準で安定する士気。満足げにそれを見つめる指導陣。
その僅かな隙間を縫って碧が片手を掲げた。
「別に、否定する訳じゃないんだけど……」
「何?」理香が面倒臭そうな目を碧に向ける。折角いい感じに纏まったのに、何をするか、そんな目だった。
「有坂や水木みたいな化け物いた?」
理香はすうっと目を逸らした。
「これまでのリザルトでも特に目立った娘は見られない。実際のプレイ見てもいないよね?」
「ああもう」理香は肩を落とす。「身も蓋もない事言うなよ。……正直な感想を言えば、アンタの言う通り。うまい娘はいるけど、対チームと考えるなら脅威では無いよ」
理香は一息吐いた。
「でもだからって、楽な相手と見るのは違うだろ?」
「別にそんなんじゃないよ、リカちゃん」碧が言う。
「だからぁ、こういう場でちゃん付けはやめろって」理香は溜め息を吐く。
二の句を続けようとした理香を碧は遮り、先を続ける。
「リスペクトは必要なのは解ってる。けど過度な対応はこっちのペースを乱す。いつも通りで良いんじゃない?」碧は何かに気付いたのだろう、ニヤリと笑った。「なるほど、そういう……。あれか、リカちゃん自身が緊張してるのか」
理香は口を真一文字に結んだ。微かに肩が震えている。
「あら、図星?」さも楽しそうに碧が言う。
理香は何度目かの溜め息。
「……あのなあ、私だって人の子。個人的には初陣なの。コーチ的な立場なら公式戦はあるけど、監督としては初めて。そりゃ緊張もするし、慎重にもなる」理香は盛大に肩を落とした。「ミドリ。お前、ホントにさあ、全部バラしてくれちゃって、どうすんの、コレ。私の立場、地に落ちたじゃんか」
そこかよ、と思わないでも無い私ではある。
とは言え、おそらくコレはナチュラルに出来上がった茶番なのだろう。
いくら強者の自負があれど、初戦という緊張はある訳で、一応の普段を取り戻したチームにさらなる普段を蔓延させる為の一手。緊張を解すと言うのならまさに最適解。
碧ならやりかねないと思う。
「まあ、警戒はするけど、過度の意識は取っ払って貰って結構。普段通り私達の野球をしよう」
理香の言葉に再び皆の声が重なった。
「取り敢えず、相手さんのシート終わるまで各自調整」理香が言う。「んで、バッテリィ組は残って」
散らばる乙女達を横目に、ベンチ前に残った私達。佇む乙女を見流し理香は口を開く。
「コレは舐めた発言では無い」そう前置きして理香は一旦グラウンドに目を向けた。「実際のプレイを見た感じ悪くは無いけど、やっぱり差はある。状況の推移にもよるけれど、当初の予定通り、翔子は四回まで。残りは圭に任せる。不運が重なる事もある、二人とも、そこはしっかり心に刻んで、試合に臨む事。オッケイ?」
圭が無言で頷く。
「もち」上条も頷く。「で、私はどうすれば良いんすかね」
「うん?」理香は首を傾げる。
「次を考えて無い訳じゃ無いでしょう? いや、舐めてる訳じゃ無いすよ。ウチの守備考えたら、今日は打たせて取った方が良いのかなって」
「……初耳なのだけれど」やや白い目をしながら荻野が言った。
「実際に相手見て出した結論だからなあ」
「バッティングなんて見ていないじゃないの」
「ミウだって解ってるだろ? 守備の動き見れば大体練度は想像出来るじゃん。試合において常に全力ってのは美しいし、潔い。んで、そうあるべきだとも思う。けど、現実的では無いよ。現実考えるなら、温存すべき。今日の相手に全力傾けて、明日の洛陽戦で本気出せなかった、じゃあ私は納得出来ない」
「それは流石に傲慢だわ」荻野はポロリと零した。「でも、解らなくはない」
一度頷いた荻野は、理香に意見を求める様に目を向けた。
「お前、打たせる事出来んの?」理香は至極冷静に尋ねた。「香坂みたいな繊細な投球出来んだろうに。打たれるのと打たせるのは違う。流石にそれは相手に対してリスペクトに欠けてるよ。普段の翔子で次を考えた結果が四回って事。全部計算済み。自分で考えてくれた事は嬉しいけど、小細工しなくても大丈夫だよ、そこは私を信用してくれ」
「と、いう事ね、カミ」荻野は笑う。
「ふうん」上条は不貞腐れる事も無く、素直に頷いた。「なら私は私のすべき事をしますかね」
「ああ、ただな」理香が頬を掻く。「打たれんのは仕方ないけど、不用意な四球だけはやめてくれよ? 私はそこだけが不安だ」
「確かに」横にいた谷教諭が盛大に頷いた。「上条は良い球投げるけど、制球がアレだから」
「アレってなんすか、谷先生ぃ」ゆらりと傾いた上条の顔には満面の笑みが張り付いている。
「そんな顔されてもさあ」谷教諭は苦笑する。「前より良くなってるけど、逆球はまだある。それが今の上条なんだから、それを踏まえての投球って事。な、荻野」
「ええ」荻野は頷くと上条に目を向けた。「制球に重きを置く、勢いに重きを置く。そんな話前にしたわよね。貴女はその時出来る事に全力で取り組めば良い。フォローするのは捕手の役目よ。ねえ、斑目?」
突然話を振られ、あたふたしながら何度も私は頷いた。
「は、はい、まさにその通りです」
「……貴女、話聞いていたの? 何、その慌てぶりは」
「い、いえ、私の立ち入るようなお話ではないかな、とか思ってまして。まさか私に話が振られるなんて……」
「まったく、貴女って娘は本当に……」
そう言って、荻野は溜め息を一つ。
「……相変わらずミウはラメちゃんイジりが好きだよなあ」上条は白い目を向ける。
なるほど、ただのお戯れだったか。
だとしても、何か言うべきか、と思い言葉を探していると、エース達は颯爽と茶番には区切りをつけ、最後の調整へとベンチから出て行ってしまった。
「放置プレイとは、コレいかに……」
私の呟きを聞いたか聞かぬか、圭が私の脇腹を肘で突いた。
「ちょっと付き合え」圭は外に向けて顎をしゃくった。
「お、おお」
グラウンドからは乙女達の華やかでありつつも真摯な声が届く。
私は圭の背後を歩きつつ、それを横目におさめる。圭の声が普段に比べて若干硬いと感じ、コイツにも緊張という概念があるのだなあ、なんて事を思いながら。
暫しの時を経て、あるべき形へとグラウンドが再構成されてゆく。
両チーム共最終調整を終え、その時を待つ凪の様な時間。審判団がグラウンドの再調整をするのを横目に、キャッチボールに勤しむ者、バットを振りイメージを同調させる者、試合への入り方は人それぞれ。
そんな中、散らばる乙女達に声が届く。
その声を聞き、それぞれが手にしていた物を片し、再びベンチ前に集まった。
「もう間も無く試合開始なんだけど、まずは来て下さった方々に挨拶とお礼」理香は少し身体を捻り、後方へ首を上げる。
私達のいる三塁側のベンチ横の上部。
兵庫県という場所が場所だけに、流石に友人はごく僅かではあるのだけれど、選手の保護者を含めた観覧者が陣取っている。
加えて。
陽射しを受けての大所帯の金管楽器が放つ煌めきはなんと荘厳な事だろう。
残念な事に、鳴海大葉山の男子野球部は県大会ベスト8という結果となった為、そちらに予定を組まれていた吹奏楽部の大半と有志のチアが急遽合流。予定とは裏腹に、吹部含めた応援団のフルメンバが所狭しと壇上に並んでいる。
大会は私達だけのものではない。
もちろんメインを張るのは私達選手なのだけれど、それを支える方々あっての私達、礼を尽くさねば示しがつかないだろう。加えて、これだけのバックアップがある事は、これまでの実績ありきなのだ。不甲斐ない試合を見せる事は出来ないという、最低限の境界線、強豪故のプレッシャはこの様な所からもやって来る。
主将の坂巻を先頭にそちらに移動し、ベンチ入りの二十五人が横並びに向き直る。
その上方、今回外れたメンバが観覧席の吹部の目の前で同じ様に向き直る。
「遠い所、応援有難うございます。これまで積んで来た研鑽を全て発揮出来る様に、皆一丸となって試合に臨みます。応援、よろしくお願いします!」
一瞬の間を置いて。
「お願いします!」
皆の声が重なり、部員全員の頭が下がった。
垂れた頭の上に、盛大な拍手が降り注ぐ。
続いた坂巻の声で皆が再びベンチ前に集まる。
集まった乙女に目を流し、改めて理香が口を開いた。
「普段している事を、普段のクオリティで再現する。そうすれば、自ずと結果はついて来る。だから雰囲気に呑まれんなよ? 緊張は仕方ないけど、ここまで歩んで来れた自分を信じろ。お前らなら、やれるよ」
そう言うと理香は一歩引いて、傍に佇んでいた乙女を促した。
「葉子、何か言えよ」
「え? 私?」
突然指名され、驚きで持田葉子は目を丸くした。
かつての紅白戦、絶望色に染まった顔でベンチに戻って行った乙女。
最後の選抜から零れ落ちた唯一人の三年生の彼女。
驚きで目は泳いではいるけれど、かつての色褪せた表情は今はない。彼女は自分の意志で選択したからだ。
結果が出た後、彼女はチームのサポートに回る事を決意し、その役に全力を傾けた。
今までとは違う役柄に四苦八苦しつつも、彼女の表情は充実したものに変わっていった。憑き物が落ちた、とも言える清々としたそれ。そんな彼女は、この日スコアラとしてここにいる。
「じゃ、じゃあ……、皆、私を決勝まで連れて行って?」
数人から笑いが零れた。
けれど、そこには悪意の欠片は微塵もなく、とても和やかなもの。
「何ヒロインぶってんのさ。もっちーの為なんかヤだよ」上条が悪戯な笑みを浮かべる。
「任せなさいな」荻野が優雅に笑う。
バッテリィの相反する答えが重なり、持田は曖昧な笑みを浮かべる。
「……えっと、どっち?」
「だから……」
再び重なるバッテリィの声。
互いに目を合わし苦笑すると、今度はチーム内に笑いが溢れた。
試合前としてはこれ以上無いであろう良い雰囲気に包まれる。
「トウコ、纏めて臨もう」
理香の声掛けで、若干和やかだった空気が引き締まる。
「では……」坂巻は一旦咳払いをした後で、すうっと首を上げた。「上の子達も近くに」
坂巻の言葉を合図に私達はベンチ横の観覧席の柵の前へ。
今回メンバ外になった乙女達が近寄り柵越しに眼下を見守る。
坂巻を中心に取り囲む様にして、二十四人が円となって肩を組んだ。
一人中心にいる坂巻は一度深呼吸する。
彼女の大きな肩が上下する。
「振り返ってみれば良かった、なんて今は思えない。それだけの事がついこないだまでにあった。けれど、私達は私達として、今ここにいる。思う事は人それぞれだけど、きっと向かう先は同じだと私は思う。短いけれどこのメンバで色々な事を共有したから。だから、このメンバでどこまでも行きたい、それが私の今の気持ち」
「そうね、それは私もそう」荻野が答える。
「私が言うのもアレだけど、こうなってホントに良かった。だからこそ、行ける所まで行こうぜ?」上条の声は力強い。
「私が戻ったんだ、行くよなあ?」宮森が首を左右に傾け同意を求める。
「ミヤがやらかさなければね」新川の言葉で三年生が笑い出す。
「そこら辺も私がフォローするから」塩原が目尻を下げる。
「ナツはサードじゃん。ミヤの介護くらいなら私で十分」
「ザワさん、介護て……」小澤の言葉に宮森が憤慨する仕草を見せる。
「色々あった。けれど、それらを含めて私達。良い事も悪い事も、これまで培った物全て曝け出して、私達を表現しましょう」
荻野の言葉に、力強い返事と共に皆が大きく頷いた。
「では、トウコ、頼むわね」
荻野の促しに、坂巻は頷く。
深呼吸。
再び彼女の肩が上下する。
坂巻の左手が胸のロゴに触れる。
「私達は未だ頂点を知らない。けれど、それは今手の届く所にあるだろう。だからこそ手を伸ばそう、掴み取り、葉山の歴史に名を残そう」坂巻は円の中心から皆を眺め回す。大きく息を吸い、表情が締まる。「恐れるものは何もない。私達こそ頂にふさわしい。己が信念を胸に抱き、手を取り合って頂点まで駆け抜けろ!」坂巻の左腕が勢いよく垂直に伸び、人差し指が天を指す。「行くぞ!」
「おおッ!」
皆の声が重なり響き、頂を目指し皆の指が天に伸びる。




