Not, I’m here on my own will 〜 私達は自分の意志でここにいる 〜
「いーよ、私外野で」
三つ編みにした毛先を指で弄びながら、四ノ宮杏樹はそう言った。
不機嫌でも、何か押し込めている訳でもない、屈託のない笑顔。あっさりと受け入れた彼女に肩透かしを喰らったのは私の方だった。
「え、良いの? サードなんでしょ、やりたいの」
「うーん。まあ、サードやってたよ。でも空いてたからだし」
聞けば、杏樹は何とも器用な選手だった。
器用故に、チーム事情でポジションが幾度となく変わったそうだ。彼女の凄い点は、その度に猛練習でそれを本職までに昇華させたという所。
ふわふわした外見と口調は彼女の嗜好が出ているだけであって、中身は別物だった。
私と同様、彼女もまた長袖のアンダーを着込んでいた。一点だけ違うのは彼女は最近のスキニータイプでは無くゆとりのあるそれ。
雑談の折に何となしに聞くと、体のラインを見せたくない、と彼女は言う。
「いやあ、だってさ、女子の腕じゃないんだよね」
杏樹は苦笑しながら袖を捲った。そこにあったのは脂肪のかけらすらない締まった腕。
過去の練習の賜物というか、彼女曰く後遺症なのだそうだけれど、ストイックに理想を求めた結果、体脂肪率が十パーセント前半代の身体になったらしい。
飛ばす力のある理由がこれで判明した。フリーの時に疑問ではあった。あの細い体のどこにあんな力が眠っているのだろうかと。
いやいや、全くもって羨ましい事この上ない。
「と、言うわけで、金田一、サードやれる?」
「致し方無し、か」一葉は肩を竦めた。「まさか、またサードをやる日が来るとはねえ。でも今日だけだよ?」
「解ってる。これからは競争だからね」
ポジション問題は取り敢えず解決。
次に打順。
「赤坂、一番はお任せって言ってたけど、目は?」笹川がきいた。
「目?」悠希は首を傾げた。
「選球眼」笹川はちらりと反対側のベンチに目を向けた。「多分あっちの先発は、園川で来ると思う。彼女立ち上がり悪いから、見れる子が一番が良い」
「そういう事ですか……」悠希は僅かに苦虫を噛んだ様な顔をした。
「残念ながら、ユウは打って出るタイプですよ」早苗が苦笑しながら言った。「安打率は悪くないと思うんですけどね」
「なるほどね、ミート力はある、と」笹川はちらりと藤野に目を向けた。
「ううん、じゃ、斑目、あんたは? クラブで私がいた頃は一番だったよね?」
「私? ううん……」確かに選球眼にはそれなりに自信はある。あるけれど。「私、今日はキャッチに集中したいんで、後ろの方が良いんですけど」
「そう」笹川は悠希の肩に手を添えた。「じゃ、赤坂、打って出て」
「が、合点承知」
「でも、さっき言った様に、立ち上がり悪いから、判断厳しくね」
「了解です」
「二番は……」
「それなら早苗でお願いしたいんですけど……」悠希は恐る恐る口にした。
「理由聞いても?」
「エンドランのタイミング解ってるから。私が出塁して、盗塁。その後にエンドランってのが私達の十八番だったんです」
「ふうん、異存がある人、いる? いなければ月島に任せるけど……」笹川は周りに目を配る。「いないようね。じゃ、月島よろしく」
「はい」早苗は小さく頷き、悠希に笑みを向けた。
「で、クリンナップか……」笹川はどうしたもんだ、と腕を組んだ。「正直誰を置いても良いんだけど、皆一長一短なのよねえ」
「もう、この際じゃんけんで良いんじゃない?」諦めが勝ったのか身も蓋もない事を藤野は言い出した。
「……やりたい人」
仕方無しに笹川が手を挙げて促す。
妙と一葉が真っ先に手を挙げた。ついで薫が小さく、釣られる様に杏樹が手を挙げた。
「じゃ、四人でじゃんけん」
「あ、自分は四番じゃなくて良いです」薫が言う。「自分が思うに、四番は妙ちゃんかイッチが適切かなと。自分が思うにイッチが三番、妙ちゃんが四番」
薫はキャラクタこそ個性的ではあるけれど、野球IQはかなり高い。先のフリーを見れば私もそうするかな、なんて事を思ったりもする。
「まあ、良いんじゃない」一葉が頭の後ろで手を組みながら言った。ちらりと妙に目を向ける。「お手並み拝見」
「お前が出ればプラス一点だけどな」
「返せるならね」とびきりの笑顔を向ける。
「絶対ホーム踏ませっからな。覚悟しろよ?」
「覚悟? 何のさ」一葉は笑う。「皆の事よく知らないし、今日は何番でも良いよ」
「はあ」笹川が頭を抱えながら溜息をついた。「じゃあ、そういう事で。で、言い出しっぺの佐倉が五番?」
「と言うよりもですね。自分が次の一番と言う考え方です。一、二番が出て、イッチと妙ちゃんで塁上を限りなく空にする。その後、自分が再び一番の役割を果たします。ですから、自分の次は小技がきく方、その後は繋げるのが上手い方が良いかと」
「なるほどね」笹川が頷く。「じゃあ、六番は藤だね」
「そう言う事なら……」藤野は渋々といった顔で頷いた。
「オッケ。で七番は……」笹川は取り囲む皆に目を向けた。
「斑目で良いじゃん」藤野が言った。「こいつ、飛ばせないけど、打率は良いから」
「そうですなあ。シノミーには次の四番を任せたいので」薫は頷く。「アンバー殿、捕手と打撃の両立は厳しいですが、よろしいか?」
「いや、良いけどさ……」久しぶりに聞いたよあだ名の語源を、と私は苦笑する。「アンバーはやめてよ」
「アンちゃんだよ?」人垣の中から片桐志津が顔を出す。
「おお、アンちゃん」薫が両手を合わす。「では、そう呼ばせて頂きますれば」
「じゃあ、斑目が七番」全て吹っ切ったのか、笹川は進行役に舞い戻る。「香坂は?」
「打撃は得意じゃないです。あ、バントはまあそこそこ」
硬式女子には指名打者が適用される。チームによって使う使わないはそれぞれではあるのだけれど、この試合、投手の打撃能力も見たいという意図が込められ、指名打者は導入されない事が通達されていた。ある物は使え精神の私としては、少し腑に落ちない部分もある。指名打者に打撃全振りの選手を起用すれば、単純に攻撃力が増し勝利は近くなるだろう。と、まあ、紅白戦は査定の意味も含まれる、なのでそれも致し方無しかなと納得する。
「そう。じゃ、香坂が九番と。それで……」笹川は杏樹に目を向けた。「あんたが八番と」
「自分達で何とか塁を埋めるんで、シノミーはお掃除してくれると嬉しいですな」
「オッケー、かおちん」杏樹は親指と人差し指で丸を作った。
「じゃあ、打順はこれで良いかな」
笹川がまとめに入ろうと皆を見回す。
すると、藤野が小さく手を挙げた。
「ちょっと良いかな」藤野は名を呼ばれていない二人を呼んだ。「私と交代で片桐と三上も出よう」
「藤野先輩、良いんですか?」三上美祢が藤野の顔を窺う。
「まあ、ずっと出いていたいってのはさ、皆思う事。でもさ、私達はチームで、私は君達の先輩。後輩に場を作るのも先輩の役目だと思うし、何よりこれからに向けて、経験を積ませたいからね。で、どうかな?」
「私は元々二番打ってたんで問題ないですよ」三上が賛同した。
「私は……、がんばります」片桐は自信無さげではあるけれど、胸の前で拳を握った。
「よし」藤野は二人に笑みを向け大きく頷いた。
笹川はそんな藤野を肘でつついた。
「良いの?」
「私の考えはさっき言ったよ。ユキこそ良いの?」
「私は、ほら、本調子じゃないから……」
「笹川先輩」私は堪らずに口を挟む。「先輩もどこかで投げましょうよ。さっき見ましたけど、球は悪くないです。余計な事考えないで、思い切り投げれば良いんですよ。私がどんな球だって捕りますから」
「そうすよ」綾が相槌を打つ。「捉まる気はさらさら無いすけど、私だって疲れますし、打たれる時もありますって。投手ひとりってしんどいんすよね」
微妙に面倒臭いと聞こえるのは、私の早合点だろうか。けれど、綾の言い分は軒並み賛成。私だって捉えさせるつもりは無いにせよ、保険は必要だと思う。何なら薫だっている。
「はあ」笹川は何度目かの溜息を吐いた。「解った。肩は作っておくから」
「時にはがむしゃらってのも大事な事だよ」藤野は笹川に笑みを向けた。その後一息。円になって座る面々に強い表情を見せた。「まあ、取り敢えずスタメンは決まったし、あとはそれぞれが自分の仕事をこなす。私達を見せよう」
藤野の締めに、初めて皆の声が重なった。
「おし。じゃあ、メンバ表出して来る」そう言って笹川は立ち上がった。
彼女の後ろ姿を見送りながらその時を待つ。その間に即興で攻守のブロックサインを決めた。
大屋監督代行の下で二、三言葉が交わされ、笹川が戻って来た。けれど、予想はしていた通りと、彼女の表情は芳しく無かった。
皆の待つ所まで来て、やはり溜息。
「予想通り、先発は園川だったけど……」メンバ表を差し出す。
覗き込んだ藤野の表情は笹川と似たものとなった。
「少し弄られてるけどレギュラメンバだね。」
当たり前だけれど、あちらも手を抜く謂れは無い。立たされている立場は、一年だろうが、二、三年だろうが変わりはない。瀬戸際に立たされているのは、何も私達だけでは無い。
けれど個人的にはレギュラメンバで良かったと思う。現状の鳴海大葉山の力を見る事が出来る。ただし、それは私が知らないから言える事であって、知っている者からすれば、置かれている状況も鑑みて公式戦のそれと何ら変わりのないもの。だからか二人の先輩の表情は暗い。知っているからだ。その力を。
「これって、ベストメンバなんですか?」一葉が声をかけた。その顔に翳りは一欠片もない。
「そう、今のね」藤野が頷いた。
「なるほどお」一葉は笑みを浮かべる。「なら、自分達の力を知るには絶好の相手、って事ですね」
「あんたは、レギュラを知らないから、そんな事言えるんだよ」笹川が言う。
「いやいや、そんな事は解ってたじゃあないですか。もちろん勝ちに行きますけど、勝とうが負けようが、私達同じチームじゃないですか。もし私達が善戦すれば、否応にもチームとしての戦力は上がる。勝つのが目的って言うあの監督の言葉を信じるなら、私達は戦力に他ならない」
一葉の言葉を受けて妙が継いだ。
「まあ、ウチらが勝って、現状が変わらないのなら、あの監督の勝つと言う目標は達成出来ないんじゃないすかね」
「伊園の言う通りですよ」私も割って入る。「勝つ為の最善を選ぶなら、しっかりと今を見定めるべきなんですよ。それぞれがどうしたいのか、何をすべきで、今持ってる物がどうチームに還元されるのか。そこを蔑ろにするなら、勝ちには手なんか届かない」
「怖い物知らずが今は利点、か」藤野は呟く様に言った。
「私はあんたらが少し羨ましいよ」笹川は力無く笑った。「もう良いや、野球しよう。今がおかしいのは一旦置いてさ」
「笹川先輩、何言ってるんです」一葉はとびきりの笑みを見せる。「私達は野球する為にここにいるんじゃないですか。だからですね……」
一葉はちらりと私に目を向けた。
何となく彼女の意図が解った。”野球”をするのだ。私達が今出来る野球を。そしてその結果の勝利を手にする為に。だからその言葉を継いだ。
「サクッと相手の特徴教えてもらっても良いですか?」
「オッケ、プレイまで時間がないから簡単にね」藤野はメンバ表を笹川から受け取り、見やすい様に椅子の上に置いた。「まず先発の園川だけど……」
藤野の視線は一塁ベンチ前でキャッチボールに勤しむ細身の投手に向けられる。
大まかな持ち球と投手としての性格辺りが簡潔に語られる。有り無しで言えば、有った方が良いという程度の情報。事前情報として頭の片隅に置いておいて、あとは実際に対峙してから、そんな風に藤野は締める。負けたくは無い。けれど、情報開示には罪悪感がある、そんな微妙な表情を二人の先輩は浮かべていた。
私達は上級生を知らない。山道を転がるが如く、様々なインタフェイスをすっ飛ばして、気付けば紅白戦。一部の有名人を除き、上級生の名前すら覚束ない。仲間としての印象が希薄だ。寧ろ未だ無い。だから、罪悪感も何もあった物では無い。けれど、藤野達は違う。どこかチームメイトに対して裏切っている様な心持ちになるのだろう。
「やっぱ、言いたく無いすか?」
「何が?」藤野が聞き返す。
私は藤野の耳元で声を抑える。
「いや、ほら、本来藤ちゃん達は向こうにいる訳でしょ、本来は実力を見る為の紅白戦なのに、私が煽った物だから……」
「斑目……」藤野は溜息を吐いた。「今、あんたがそれを言う?」
「まあ、そうなんだけど」私は、一、二番に更に細かい情報を語る笹川に目を向ける。「二人の顔見てると、ちょっと空気読まなさ過ぎだったかな、と」
「あんたの煽りに乗ったのは私達。実際少しおかしいのは確か。ここでの結果が良い方向に進む為に一躍買うなら、まあ問題ない。それに」藤野は相手ベンチ前の先発投手に目を向ける。「上に行けばデータは録られる。データがあったから負けましたなんてのは、理由にならない。ここはそういう所だし、私達がこっちにいる事に意味、向こうは織り込み済み、って事。らしくない、そんな事気にするタマじゃなかったでしょ、あんたは」
まったくもう、そう言って藤野は苦笑を浮かべ、私の背中を叩いた。
「……なら、良いけど」
それが本心。後々私の所為で彼女達の立場が危うくなるのは、流石に申し訳ない。懸念が払拭された、とは言わないけれど、本人が言うのだ、この話はここまでだ。
「じゃ、お言葉に甘えて……」
そう言った私は、レギュラメンバの情報の催促をする。少しでも勝ちを手繰り寄せられる様に。
私は、私達は自ら選択した結果ここにいる。その選択が間違いで無かった、と後で笑える様に、今周囲に立ち込めている不穏な空気を取り払う為に、最初の一歩を誤る訳にはいかない。
私達が私達である為に。




