2-3
朝から、ずっとふわふわして、ずっとそわそわしていた。
卒業式が始まるまでに弥生と会えなかったから、本人を気持ちを改めて確認することは出来なかった。でも、昨日の様子を見る限りだと、否定的な感情の方が大きそうだ。
依頼はやらないと行けないけど、本人が嫌がっているのだとしたら、無理矢理教室に連れていくのも違う気がする。
どちらを優先するべきか。立場上、前者であるのは間違いないはずだけど―。
卒業式の間もそんな感じのまま、心ここにあらずの状態だった。時折、ふと我に返りながら、式の流れに置いて行かれないように、そこだけは気をつけて、なんとか卒業式を乗りきった。
そのあとは、教室にもどって最後のホームルームをしてから終わりの予定だったけど、その間に弥生と会うことも、見かけることも出来なかった。
とりあえず、終わったらダメ元でも声だけかけてみよう。それでだめだったら、そう伝えるしかない。
「わかった。じゃあ、適当なタイミングで声かけて?」
ホームルームを終えてから、弥生の元へ向かうと、一応教室には来てくれると言ってくれた。
楓ちゃんの頼みなら、と渋々だったけれど、来てくれるだけでもよかった。
その後、どう答えるのかまでは聞かなかった。
ホームルームが始める前にこうへいくんから、
『俺が声をかけたら教室まで連れてきてほしい』
と伝えられていた。どこかのタイミングのこうへいくんが私に声をかけてきたら、弥生を教室に連れていく。という流れになっていた。
この後は、下級生の作ってくれる花のアーチをくぐってグラウンドに出た後、そのままその下級生や同級生、家族と色々な思い出話に花を咲かせながら、ささやかなお別れをする。
私もグラウンドに出たあとは、友人や家族と雑談しながら、この中学校での思い出に浸る。
思い出はないはずだし、来たことも見たことも今日が初めてなのに、なんだか寂しく感じる。覚えていないはずの思い出で胸がいっぱいなような、物悲しい気持ちにもなる。
この感情は楓さんのものなのだろうか。楓さんの思いが、私を通して伝わってきているのだろうか。不思議な感覚だけど、でも楓さんにとって素敵な思い出だったんだろう、ということも分かった気がした。
そんな風にして時間を過ごしていると、こうへいくんが、私に合図を出したのが見えた。私が気づいたのが分かると、校舎の中へ入っていった。正直危うく見落とすところだった。
少し離れたところにいた弥生にこそっと耳打ちしてから、私も、忘れ物をした、と家族に言って校舎の中へ入った。
「忘れ物は、ちょっと無理あったんじゃない?」
教室へ向かう廊下で、弥生はそういって笑っていた。
「確かに、そうだったかも」
卒業式の日になったら、もう学校に荷物なんて残っていないかもしれない。学校に戻る理由としては弱かったかもしれない。なにかあらぬ誤解を受けてはいないだろうか・・・。
まぁ、大丈夫か。
流石にもう誰もいない。3年生の教室は1階で、上の階からは物音はせず、聞こえてくるのはグラウンドにいるみんなの声くらいだ。それでもここから見える、すぐそこの場所にいる人たちの声は、案外に聞こえないものなんだな、と思う。まるで別世界だ、というのは大袈裟かもしれないけど。
程なく目的の教室に到着した。まだ彼は来ていなかった。
少し雑談してから、私だけ廊下へ出て彼が来るのを待つことにした。
少し待っても彼はやってこなかった。
どこで何をしてるんだ?わざわざ呼び出しておいて待たせるなんて、どういうことなんだ?
私は廊下から教室の中をのぞき込んでみる。弥生が一人でただ教室の黒板を見つめていた。黒板は色とりどりのチョークで、卒業を祝う落書きで埋め尽くされている。
年齢よりも大人びた印象の弥生は、なんだかその制服がコスプレのようにも見えたり、だから教室にいる姿はなんだか不釣り合いな気もしたり。そんな教室を眺めながら、その光景になんか見覚えがあるような、デジャブの様な、違和感もある気がしていた。
ふとこちらをみた弥生と目が合った。彼女は無邪気な笑顔で手を振っていた。咄嗟に振り返しながらさっきまでと違う、ちょっと子供みたいな彼女のギャップに私はドキッとしてしまった。
私はそっと教室を離れた。違和感の理由を探すためというのが主だけど、彼女に見とれてしまう前にそこから離れてしまいたかったのだ。なんなんだろうこの感覚は。自分でもびっくりだった。
しばらく廊下をうろうろしていた。時々時間を確認しながら。こうへいくんは来ないし、さっきの違和感の理由も見つからないし、なんだか私の方が落ち着かなかった。
私は、彼女を教室まで連れてきたら、帰ってしまっても大丈夫ということになっていた。彼も、告白のシーンを見られるのは恥ずかしいのだろう。
最初はそうしようかとも思ったけど、とはいえ答えまで聞きたいという、下世話な野次馬根性の様なものもあったりなかったり。
そんなことを考えながら5分くらい経って、ようやくやってきた。待っている時の5分はやけに長く感じる。来てくれなかったら、またややこしい話にもなるし。
「遅くない?何してたの?」
自然と語気が強くなってしまう。弥生を待たせているのに、ということもあるし、わざわざ弥生を連れてきたのに、という思いとあったりしたから。しかしこうへいくんは、申し訳なさそうに、ごめん、と言って目を逸らしているだけで、それ以上何も言ってくれなかった。
色々言いたいこともあったけど、ここで私たちが話していても意味はないし、とりあえず早く教室へ入る様に促すと、彼は申し訳なさそうに頷いてから入っていった。
こうへいくんが教室へ入っていく姿を見届けると、そっと隣の教室へと移動する。
そういえば、よく考えたら、告白をする、ことまでが依頼の内容だった。ちゃんと彼が伝える所まで見届けないと行けない。帰っていい、って言われて帰る訳には、そもそもいかなかったのだ。
とはいえ、ただ待っている時間は長い。さっき、彼を待っている時もそうだったけど、待っている側は思っていたよりも時間が長く感じる。
親から携帯を持ってきてもらっていたけど、楓さんの頃はまだガラケーで、ネットが見られるといってもかなり見づらい。スマホって便利なんだな、としみじみと思った。
とりあえず、教室の中を色々見て周りながら、何か考えごとでもしていようかな。まぁ、意識してすることではないのかもしれないけど
ふと、彼が告白に失敗したときのことが、頭に真っ先に浮かんできた。どうしてだろう。”私”は成功してほしいと思っているはずなんだけど・・・。
弥生の様子だと、断ってもおかしくはない気がしていた。さっきの反応も、渋々って感じだったし。だから、そういう状況を想定をしておく必要もあるのかもしれない・・・?
まぁ、目的は告白させる、だから別にいいのか?
でも、それだと後味悪いなぁ、と思いながら、どこかでそうなることを期待している様な自分もいるような気もしていた
なんなんだろう、この感覚・・・。
違うことを考えよう、って思っても、こんな時に限って何も浮かんでこない。むしろ”そんなこと”を考えてしまったせいで、他のことが思い浮かべられなかった。私はなんとか無い頭を振り絞って、何かを頭に思い浮かべようとする。
考えないと、いや考えたい。
そんなこと思っていると、ふと、私はあることに気づいてしまった。
私はどうやって元の世界へ戻るのだろう?
依頼には期限がある、という説明があった。だけど戻り方までは教えてもらっていなかった。そこまで私も気が回らなかったし。
『必要予定日数』だっけ?それを過ぎたら勝手に戻れるのならば、最短で2日、長くて7日だったか、その日数が経つのを待っていれば良いのだろうか。
でももし、指定された場所に行かなければいけない、とか、ちゃんとした手順を踏まないといけない、とかあるとしたら、私にはお手上げだった。何のヒントもないここでは方法を探しようがない。
そうなったら、私はずっとこの時代で生きていかなければいけないのか。そうしたらどうなってしまうんだろう。今はまだこちらに来たばかりだから違和感しかないけれど、慣れてくれば普通に過ごせるようになるのかな。
なら、別に変わらないのかな。良いのか悪いのかわからないけど。まぁ、説明していなかった須藤さんにも問題はあったわけだし、私だけの問題ではないし―。
そんなこと考えていると、ガラガラと音が聞こえた気がした。廊下の方か?告白が終わった?いや誰かが”間違って”入ってしまったのかも?それならまずい。
そうなのだとしたら廊下を歩く音で気づくとは思うけれど、悩んでいる時間もないから慌てて廊下に出ようとすると、目の前を男子生徒が駆け抜けていった。
「こうへいくん?どこいくの?」
後ろ姿でわかった。私の声が廊下中に響き渡る。他に人がいなくて物音もしないから、かなり音が反響した。その声に少し先にいたこうへいくんはビクッとしてその場で立ち止まった。
少し俯きがちに思える、そんな背中を見ただけで、どういう結果だったのか、嫌な想像をしてしまうけど・・・。
「どう、したの?」
でもあえて聞いてみる。こういう時は、察っされる方がつらいのではないのだろうか。
・・・というよりは、他にどうやって声をかければよいのか、咄嗟には浮かんでくれなかった、だけなのだけれど。
「話せなかった」
「え?」
少しの間の後、ぼそりと聞こえてきた。背中越しだったけど、だけどちゃんと聞こえた。
想定外の答えかもしれないし想定内の答えだったかもしれない。
どちらにしても、まだ私の依頼は完了していなかった。
「やっぱ、ダメだ。俺言えないよ」
私が何て返そうか悩んでいる間に、更に弱弱しい言葉を投げてくる。その背中には悲壮感が漂っているのが見て取れる。
ふと気配がして振り返ってみると、教室の中から弥生が心配そうに顔をのぞかせていた。私は、大丈夫、と口を動かして頷くと、伝わったのか彼女は不安そうだったけど、ゆっくり頷いてからまた中に戻っていった。
「ちょっとまって!」
気がついたらまた歩き出そうとしているこうへいくんを呼び止める。だけどどう声をかければいいのかわからなくて、咄嗟に言葉が出てきてくれない。
「だいじょうぶだよ。教室戻ろう?」
まるで先生が生徒を諭してるみたいだって、自分でも思う。どうにか彼を教室に連れ戻さないと、と悩んだうえで出たのは、そんなありきたりな言葉だけだった。
こうへいくんは後ろを向いたまま黙っていた。
2人の間には、少しの間静かな時間が流れる。
私がまた、どう声をかけるべきか言葉に詰まっていると、
「無理だよ」
ポツリとこうへいくんは呟いた。
「え」
「言おうとしても、上手く声が出てくれないんだ。ごめん」
ごめん、と言われても―。
出しかけた言葉をぐっと飲みこむ。
「そんなこと言わないでさ。言ってみないとわかんないじゃん」
そう口にしながら、本当にそう思ってるのかと、疑う様な感情が湧いて出た。自分のもののはずなのに、誰かがささやいている様な、おかしな感覚だった。
だから、そのあと開きかけた口を慌てて閉じた。このまま思ってもないことを口走ってしまうと思ったからだった。
「ね、弥生も待ってるし、戻ろ?」
今の私には、彼を説得するにはどうすればよいのか分からなかった。こんな時に、私の頭に都合よく良いフレーズが降って・・・なんてこともあるわけなく。
でも、黙って背を向けたまま首を横に降る。
「ごめん、水野さんにはかえでから謝っておいて」
こうへいくんは、項垂れてまた歩き出そうとしてしまう。
「いい加減にしなよ!」
私は咄嗟に、彼を引き止めるために叫んだ。傍から見たら怒っているようとも取れるような強くて、大きな、声で言葉だった。だからか彼は驚いて立ち止まってこちらを振り向いた。2人の視線がぶつかる。
「あんたが、こうへいが、フラれようが、フラれまいが、別にどっちだっていいけどさ」
"こうへい"は一瞬、ムッとしたような表情をしたけど何も言い返さない。
「弥生のこと考えた?困ってて、悩んでて。だけど来てくれたんだよ?そんな弥生の気持ちは?こんな大切に日に呼び出されて、でさ、何も言われないまま、唐突に教室に1人にされてさ。私だったら、もう何が何だかわかんないよ」
私は思いをぶつけていく。1度話し出したら、どんどん言葉が溢れてきた。こうへいは何も言わないままだ。
「私だって、こうへいが言うから、頼まれたから、弥生のこと連れてきたんだよ?人の気も知らないでさ。告白するのがこわいなら、せめて、自分で謝りなさいよ」
強く言い過ぎてしまったかもしれない。と一瞬だけ我に返る。
それはこうへいが、困ったように何か言いかけてはやめて、ということを繰り返していることが、わかったからだ。
「ちゃんと話してきて。もし、もしもダメだったら、その時は、愚痴ぐらいなら、聞いてあげるし」
取り繕うようにそう続けたが、続けながらその自分の言葉が恥ずかしく思えてきて、なんだか動揺してしまった。
ダメだったら、なんて例えは良くなかった、という認識も出来ないほどだ。
慌ててその後、また別の言葉でどう続けようか焦っていたが、
「・・・わかった」
こうへいはこっちをみて照れくさそうに笑いながらそういった。だからか、少し安心出来た気がした。
「早く戻って。弥生、待ちくたびれてるよ」
なに笑ってるのよ、とか色々文句言ってやろうと思ったけど、なんだか自分まで照れくさくなってなってきて、誤魔化すようにそう言って目線を逸らした。
というか、今のやりとり、弥生にも聞こえてたよね・・・。なんて、余計なことも頭をよぎってしまった。
それから少しの間を置いてから彼は、
「ありがとう」
と、私を通り過ぎて教室へ戻っていった。
ちゃんと笑いかけたつもりだったけど、上手く笑えていただろうか。私は少し涙ぐんでいた目を拭った。
こうへいくんがまた教室に入っていくのを見届けた。
結果的に、ここで待機しているのは正解だった。私がいなかったら、彼はあのまま告白は出来ないまま帰ってしまっていたかもしれない。つまり依頼は失敗で、実際の過去ではそうなっていたのだろう。
だから私と、彼にとっては良かった、ってことでいいのかな?わかんないけど。
そのまま教室の前まで移動して、2人が話しているところをこっそり眺めていた。
その様子を見ながら、なんかこの雰囲気、初めてじゃないな、と感じた。既視感のようなものがある。そう思いながら、朝見た夢を思い出す。
似たような光景に思える。もしかして正夢?あ、でも夢の中では弥生の場所にいるのが私だったかもしれないし、正夢とは違うのか。
でも、多分さっき違和感を抱いた理由はこれだったんじゃないだろうか。
そんな事を考えつつ、なんだかまた別の違和感を覚えていた。さっきの私は一体誰の感情の言葉で話していたんだろう、と。
自分でもよく分からない。というのも私自身も、今思い返してみた時に気が付いたくらいだから。そうやって考えてみると、私なら言わないだろうな、ってことも結構言っていたから。だから違和感があるのだと思う。
でも、その時は何の違和感もなく口から発していた。話している途中で気づいてもいい気がするけど、何も思わなかった。別に乗り移られていた感じでもない。その感覚を知っているの訳ではないのだけど・・・。
それに全部は思い出せていないけど、 覚えている言葉には、私ではない別の誰かの感情が乗っている様な気もする。でもそれって誰の・・・。
あ、もしかして―。
その時、急に目眩がしてきた。頭が痛いし、視界もおかしい。なんだかよくわからないけど、”やばいな”ということだけは直感的に理解できた。
疲れたのかな。
慣れないことをしたせいかもしれない。とてもだるくて、とりあえず横になりたかった。
一応音をたてないように、こっそり別の部屋へ移動する。本当はそんな気を使ってる余裕なんてないんだけど。
その場に座り込んでいた私は、立ち上がるのもしんどいまま、なるべくこっそり、なんて意識しなくても、ゆっくり壁沿いに隣の教室に入っていった。
なんとか這うように椅子を使って机によじ登った。2つ並んだ机を繋げて、その上に横になる。流石に体全部は乗り切らないし、硬いから痛かったけど、それでもだいぶ楽になった。
寝ている場合じゃないし、誰かに見られたらまずいってことはわかっていたけど、他の方法を考える余裕がない。
閉じてしまった目を開くことに気も回らなくなって、気が付いたら意識を失うように眠りに落ちていた・・・。