第9話 現実を知るとき
「よし、行くか」
目の前に立つ門を見て、俺はそう言った。
やっと、やっとクエストに行ける。
盗難事件から三日が経ち、俺は今日念願のクエストを受けた。
クエストの場所は、オルダムを出ないといけない。
南門から出て、東へ行く。
そこにあるバルカムの森という場所が、今から俺が向かう場所だ。
ようやく、この街から出られる。
別に、この街が嫌いなわけじゃない。
ただ、もっと広い世界を見てみたかった。
俺はゆっくりと門をくぐる。
門をくぐる途中、なぜか門番に睨まれたが、悪い事は何もしていないためスルー。
くぐり終えると、そこには一面平原の世界が広がっていた。
外壁の上から外の景色を見ることは多々あったが、上から見るのとは何かが違う。
「……最高」
嬉しかった。
今、ようやく、俺はあの世界とさよならをできた気がする。
あの世界が、街が嫌いだった。
不規則に並んでいるだけの建物。
昼夜鳴り止まない車の騒音。
あの世界が、俺は大嫌いだった。
でも、俺はもうあの世界とはさよならしたのだ。
これからは、この世界で強く生きていくのだ。
俺は地図を片手に、街道の端を歩く。
辺りは一面草原。木も何も無い。
風が吹く度に、草が軽く揺れる。
空には雲が所々にあって、最高の冒険日和と言えよう。
魔物が出ないか心配ではあるが、この辺りに魔物は生息していないらしい。
これから向かうバルカムの森にはゴブリンが生息しているとか。
この街道は人通りも多いため、よく荷馬車が通る。
オルダムの人――というか、多分世界の人はフレンドリーな人が多い。
横を通る度にあいさつされる。
一時間ほど歩くと、視界に木々が映り始める。
そして――、
「着いた……よな?」
地図を見るに、ここがバルカムの森だ。
それに、入り口と思われる場所には、
『バルカムの森へようこそ!』
と書かれた大きな看板まである。
「……」
動物園かよ。
魔物いるんだろ?危険なんだろ?
なんだこの楽しそうな看板は。雰囲気が台無しじゃないか。
「……ま、いいか」
看板のことは気にせず、森へ入った。
********************
森の中は至ってごく普通の、どこにでもあるような森だった。木がめちゃくちゃ高いわけでも、変な霧があるわけでもない。ただの森。
どこからか聞こえてくる鳥の囀りが、森の中で響き渡る。少し不気味だ。
元の世界では森なんてもの、小中の自然教室ぐらいでしか行ったことがなかった。だから少し、ワクワクしてる。が、俺は同時に緊張と恐怖も持ち合わせている。
この森には主にゴブリンが生息しており、新米冒険者の多くが初めてのクエストでやってくる場所だそうだ。
ここはゴブリンの住処と言われるほど多くのゴブリン生息している。
いつどこから襲ってきてもおかしくない。
俺は残った借金でナイフを二本とリュックを手に入れた。
ナイフ――こんな物、料理でしか使ったことがない。
よく研がれていて、軽く振れば食材なんてあっという間に真っ二つにしてしまうほどだ。俺が今まで知っていたナイフとは一味も二味も違う。人だってあっさり斬れそうだ。
これが、本物のナイフ。
もしゴブリンが襲ってきたりしたら、その時は応戦、または逃げるかの二択だ。
正直、戦うつもりはない。
ナイフはもしものためだ。
それに、ナイフは攻撃面だけでなく、生活面でもいろいろと使えて便利だ。持っておいて損はない。
今回、俺が受けた初めてのクエストは、
【バルカムの森の薬草採取】だ。
手に入れる薬草は、シュガイツ草という薬草。
紫色の葉をしていて先端が丸くなって四つに分かれている。
という形状をしているらしい。
回復のポーションに使われる薬草で、価値はそこまで高くないが、あればあるほどいいと言っていた。
この薬草を五十本持ち帰るのが依頼内容だ。
難易度は初心者向け。だが、薬屋の人は欲しがる。だから依頼した。そして、俺はその依頼を受けた。
依頼された量より多く持っていけば、その分、追加報酬が出るらしい。
依頼を受けるということは、依頼主と一時的な契約を交わしたようなものだ。
お金あげるから、薬草採ってきて。
薬草採ってくるから、お金ちょうだい。
という感じだ。
途中で諦めることもできるが、その場合中断料を取られる。協会側としては、依頼主――市民達からの信頼を失いたくない。
信頼を失えば、依頼が来なくなったり、その他支援などを受けられなくなる。だから、依頼中断の場合はそれ相応のお金を払わされる。
あまりにキャンセル量が多いと、冒険者ランク――等級が下がったりもする。
そうすることで、少しでも依頼中断を減らそうということだ。
だが、背に腹は変えられず中断する冒険者もいる。
今日、俺もその一人になるかも知れない。
俺は手に持っているチュガイツ草の描かれた紙を見る。
集団で咲いている花らしく、一つ見つければ周りにたくさんあるらしい。
たくさんと言っても、お花畑のようなたくさんじゃない。
周りに何本生えているだけ。
繁殖量は微妙なところだそうだ。場所によるらしい。
花粉を風で飛ばしたり、蜜を吸いに来た虫に花粉を付けることで、子孫を残しているとか。
なんかそういうの、中学の理科でやったな……。なんて言うんだっけ、そういう方法を使ったやり方。思い出せない。いや、そもそも覚えてない。
森に入ってからニ時間ほど経過したが、未だに見つからない。
まだ朝だし、時間はたっぷりある。焦る必要はない。
このクエストは日付変更までに依頼された物を協会に持って行けば依頼完了となる。
まあ、どれだけ遅くても夕方には帰るけど。
バイトは休んだ。
ソレーヌもすぐにオッケーしてくれた。
……なぜだろう、絶対に反対されると思ったのに。
セラにも言ったが、何も言わなかった。
タイトに言ったら、ゴブリンについて教えてくれた。
話を聞く限り、俺の知っているゴブリンと全くと言っていいほど同じだった。
魔物の中では最弱らしい。
タイトは朝飯前と言っていた。目を瞑ってでもやれるとか。
地面に生えている草をよく観察し、チュガイツ草ではないかを確かめる。
下を向いて目を凝らす。かなり神経を使う。結構疲れるし、腰も痛い。
ザ・初級クエストと聞いて受けたが、初めてがこれとは……。先が思いやられる。
「これは……違う。これも……違う。これは……ただの草」
そう言いながら、次へ次へと草を見ていく。
地面ばかり見ていたらダメだ。
ゴブリンにも気を付けなければいけない。
ゴブリンを警戒しつつ、薬草を探す。
ここら辺には無いのかもな……。
移動するか。
そう思い、俺はさらに奥へと進んでいく。
方角はわかる。だから迷う心配はない。
森を進む途中、邪魔な木の枝や蜘蛛の巣などはナイフで切ることで通りやすくした。
ナイフの一本は右手に、ニ本目は腰にある。腰にあるのは、一応隠しているつもりだ。隠し刀的な。
「虫は勘弁して……」
この世界の虫は、俺の知る虫と何か違いがあるのだろうか。
魔法を使ったり、無駄に大きかったり、見たこともないような姿形をしたものがたくさんいたりとか。
地球も、昔はでかい虫が当たり前だったみたいな話を聞いたことがある。酸素濃度が高かったからって言ってた気がする。
でかいのだけはやめて欲しい。冗談抜きで気絶します。
「無いな……。もう少し進んで――」
――ザザッ。
突然、前方にある茂みが音を立てて揺れた。草ずれの音だ。
俺はすぐさまナイフを構え、茂みに目をやる。
「……」
音はすぐにしなくなった。
ゴブリン?魔物?動物?虫?人?
何かはわからない。
風かも知れない。
近づくか?
いや、生物だったら何だろうと危ない。
道を変えるか、確認するか。
……ちょっとだけ。そう、ちょっとだけだ。
たとえゴブリンだろうと、俺なら逃げ切れるだろう。なんたって、最弱魔物のゴブリンだからな。
俺はゆっくりと茂みに近づく。
息を殺しながら、足音を消し、動きは最小限に抑える。
落ち着け。落ち着け。落ち着け。
バクバクとなり続けて止まない心臓の鼓動を抑えようと、心の中でそう唱える。
茂みに着くと、その隙間から少しだけ顔を出す。
……いた。
――ゴブリンだ。
全身が抹茶色で、体長は1メートルほど。鋭い目つきに尖った八重歯。
背中に棍棒のような太い棒状の何かを持っている。
集団行動はしておらず、一人のようだ。
周囲をぐるぐると歩き回っている。
俺が漫画やラノベで見てきたゴブリンそのものだった。容姿は完璧だ。あとは女を襲うか襲わないか。
ゴブリンはガルルルと小さな声を出し、辺りを見回している。
鼻をスンスンと鳴らし、何かを匂っている。
飯でも探してるのか?
よだれを垂らしているから、腹でも空いているのだろう。
ゴブリンはどうでもいい。
そう思い、俺はこの場から離れようと――、
――バキッ!
音が鳴った。それも、俺の真下で。
足元には、俺が来る途中に切っていた木の枝があった。
それを、踏んでしまった。
ゴブリンはその音を聞いた瞬間、音の方向へとすぐに振り向いた。
俺は急いでその場に縮こまる。
茂みのおかげで、俺の姿までは見えない。
ただ――。
ゴブリンはゆっくりと、こちらに向かってやってきた。
一歩一歩慎重に、相手に気付かれないように。
どうする?
このままじっとしているか?
この場から逃げるか?
走って逃げるか?
バレないよう、ゆっくり逃げるか?
どうする。
どうするのがいい。
どうするのが正解だ。
何をしても、ゴブリンに気付かれる未来しかない。
なら、問題は逃げ切れるかどうかだ。
逃げるにしても、方角がわからなくなったらまずい。
更に奥――深い所まで行って、ゴブリンの巣でも見つけたら、俺は終わりだ。
ああ、やばい。もう、すぐそこまで来てる。
頭がうまく働いてくれない。
呼吸は乱れ、心臓の鼓動は速くなる一方だ。
全身が熱い。熱でもあるのだろうか。
ダメだ。考えが思いつかない。
案が出ない。何もわからない。
なら――、
――逃げる!
俺はその場に立つと、全速力で走り出した。
全身の力を足に集中させ、出せる限り最大の速度で森の中を駆ける。
方角を見失わないよう、かつ、転ばないよう、獣道をひたすら走る。
後ろを振り返りたいが、振り返ると木々の枝に当たってしまう。
ゴブリンはついてきているだろうか。
それとも、諦めたりしてくれただろうか。
わからない。
でも――。
俺は一旦止まり、後ろを見る。
念のため、左右も確認する。
…………いない。
「いない。いないぞ」
ハアハア、と荒い息遣いでそう言う。
そこまで走っていないのに、こんなに汗が出ている。
逃げ切った。
……逃げ、切れた。
そう安堵しながら振り返った。
――その時だ。
「な、なんで……」
振り返ると、そこにはゴブリンがいた。
ガルルル、と威嚇するようにこちらを見ている。
別のやつか?それとも、同じやつか?
容姿は同じだ。背中にある棒も同じ。
多分、同じやつだ。
……俺より先にここに来たってことだよな?
先に回って、ここまで?
嘘だろ?
なら、俺より速い。
呼吸も乱れていない。
100メートルくらいは走ったはずだ。
俺の息はこんなに上がってるってのに……。
また逃げるか?
……いや、また追い抜かされるのがオチだ。
次は後ろから追いかけてくるかも知れない。そしたら終わりだ。
なら――、
――殺るしかない!
俺はゴブリン目掛けて勢いよく走ると、甲高い声をあげてナイフを振るう。
難なく避けられるも、俺は攻める。
乱雑にナイフを振り回す。
狙いはもろちんゴブリン。
当たればいい。当たればいい……。
右に振って、左に振って、突き立てて――。
それを何度も繰り返す。
だが、ゴブリンには擦りもしない。
ナイフがゴブリンへと迫った瞬間、ゴブリンは後ろや横へ軽くジャンプすることで、ナイフをあっさりと躱す。
結構、真面目に振っている――攻撃しているはずなのに、あっさりと避けられる。
読まれてる。見切られてる。
「くそッ、クソっ、クソッ……!」
なんで、なんで当たらない。
当たれよ。
当たれ、当たれ、当たれ、当たれ、当たれ、当たれ、当たれ、当たれ、当たれ、当たれ、当たれ、当たれ、当たれ、当たれ、当たれ!
当たれって!
1ミリも、少しも、擦りもしない。
すると突然、防戦一方だった戦況が変化した。
ゴブリンが俺の攻撃を躱した瞬間、右手で勢いよくナイフを奪い取った。
全力で握っていたはずのナイフが、いとも簡単に奪われる。
「あっ……」
ナイフで攻撃してくるのかと思いきや、ゴブリンはナイフを後ろへ投げ捨てた。
「クソ……!」
俺は腰に隠していたナイフを取り出し、刃をゴブリンに向ける。
どうする。攻撃はダメだ。今度取られたら後がない。
どうする。どうすれば――、
――と、考えている暇はなかった。
ゴブリンが背中に持っていた棍棒を手に持った。
やばい。あれは、やばい。
足が速い――つまり、筋力値が高い。
多分俺より強い。
もしあれが当たったら――。
また逃げようと、振り返ろうとした。
――その時。
ゴブリンが、棍棒を振るった。
咄嗟の判断だった。
避けるのは無理だとわかっていた。
いや、そんな事を考えている暇はなかった。
反射神経で自分の身を守ろうと、両手で顔を隠した。
その時、棍棒が持っていたナイフに当たった。
運良く攻撃を防ぐことはできた。だが、振り下ろされた棍棒の威力までは殺せなかった。
俺は後ろに思い切り尻餅をついた。
棍棒に当たったナイフは、どこかへと飛んでいった。
「……にげ、にげないと……」
ナイフが――武器がもう無い。
拳でなんて、絶対無理だ。
あのゴブリン、俺より圧倒的に身体能力が高い。
何をやっても負ける。
なら、選択肢は一つしかない。
俺は慌ててその場から逃げようと――、
――あれ、身体が……。
身体が動かない。
力が入らない。
震えてる。
硬直してる。
言うことを聞いてくれない。
動かないと、逃げないと、ダメなのに。
死んじゃうのに。
なんで。
動けよ。
動け。
言うこと聞けよ。
聞かなきゃ、死ぬんだぞ?
俺、殺されるんだぞ?
ここで、終わっちゃうんだぞ?
俺は右手を広げ、ゴブリンに向ける。
「何か……出ろ……」
そう、こういうピンチの時は、何か特別なチカラに目覚めるはずだ。
強力な魔法が使えるようになったり、伝説の剣が出てきたりするもんだろ?
そういうのあるだろ?
テンプレ的なやつ、あるだろ?
「何か、出ろって……」
協会の魔道具じゃ測れないようなチカラ、俺にもあるんだろ?
技術はステータスに表示されないって言ってたもんなぁ。
それに、ほら。俺が強すぎて魔道具が壊れた、みたいなのあるかも知れないじゃん。
バグとかいろいろあるだろ?
だから――、
「何か出ろよ……!」
なんで、なんで出ない。
出ろよ。出てくれよ。
「ファイヤー……!」
実は最強でしたとか、異能持ちでしたとか、あるだろ?
「ウォーター……!」
異世界って、そういうもんだろ?
強くて、ヒロインにチヤホヤされて、かっこよくて……なんだろ?
「ウィンド……!」
……なんだ?じゃあ、あれか?
俺のスキルは死に戻り的なやつなのか?
死んだらまたリセットされて、リスタートってやつなのか?
死ねば、またやり直せるのか?
「ライトニング……!」
……いや、それはないわ。
……なんか、股ら辺があったかいなぁ。
「アースショック……!」
で、泣いて、漏らして、そして死ぬってか。
俺の異世界生活は、ここで終わりってか。
「アイスショット……!」
頼む。頼むから。
なんでもいい。なんでもいいんだ。
何か、何か――。
「パワー……!」
……。……。……。
「何か出ろって……ッ!
異世界だろ……!
剣と魔法の異世界なんだろ……っ!」
何も出ない。
なんで出てくれない。
出るはずだろ?
異世界人って、チート持ちなんだろ?
俺は異世界人だ。地球という名の星にある日本という国からやってきた。
魔法はイメージが大切なんだろ?やってるさ。水ができるイメージとか、火ができるイメージとかさ。右手に力も込めてる。
そろそろ魔力出るんだろ?
魔法使えるようになるんだろ?
覚醒するんだろ?
魔力無しなんて、嘘だろ?
何かの間違いだろ?
俺は最強なんだろ?強いんだろ?
なのに、思いつく魔法をどれだけ詠唱しようが、何ひとつ出てくれない。
「何なんだよ……」
……。……。……。
……嫌だ、死にたくない。
怖い。怖いよ。
死にたくないよ。
誰か、助けてよ。
当然誰かの声がして、偶然通りかかった冒険者に助けてもらうみたいな展開、あるだろ?
覚醒しないなら、何か俺が助かる展開、あるだろ?
「……だって、だって俺、主人公だもんなぁ。
俺が、俺が弱いはずないだろ!
俺は主人公だ!異世界から来た、特別な存在なんだ!選ばれたんだよ!
お前なんか一瞬だからな!息を吐くように殺せるんだからな!
だから、だから何か出ろよ……!」
認めない。認めない。
認めてたまるか。こんな、こんなの。
「なんでっ、出ないんだよぉ……っ」
認めたくないんだ。
認めたら、認めてしまったら、俺は――。
ゴブリンはゆっくりと俺に近づいてくる。
それに、数も増えてきている。仲間がいた。
前からだけじゃない。左右からもどんどん湧いてくる。
茂みの揺れる音と共に、抹茶色の頭が見え、顔を出す。
武器は棍棒だけじゃなく、古びた剣や盾、槍も持っている。
ゴブリンって、最弱なんだよな?
弱いって、雑魚だって、言ってたもんな?
誰でも勝てるって言ってたよな?
朝飯前なんだろ?
目瞑ってても勝てるんだろ?
無理だ。
勝てない。勝てっこない。勝てるわけがない。
こんなの、無理だ。
チャンスすらない。
タイマンでも無理だ。
動けない、逃げれない、戦えない。
……俺、何もできないんだな。
まあ、そうだよな。
俺にそんなチカラあるわけないよな。
ずっと逃げてんだから。
ハッ。運良く泥棒捕まえて、金手に入れて、イキって一人で敵に突っ込んでいく?
バカにも程があるだろ。
「……せっかくチャンス、もらったのになぁ……」
ゴブリンの持つ棍棒が大きく振りかぶられ、俺の頭に振り下ろされる。
抵抗なんてできなかった。
身体が動かないのに、避けるなんてできるわけがない。
痛かった。
けど、痛いなんて言う時間はなかった。
今まで、頭をぶつけたりしたことはある。
物が当たったり、ゲンコツされたり。
その比じゃなかった。
視界がゆっくりと狭まる。
段々と周りの音が聞こえづらくなり、心臓の鼓動だけが確かに聞こえた。
身体が落ちていく。地面に、身体が倒れる。
恐怖も怒りも、何もかもがわからなくなっていく。
焦りも悲しみも、全部無くなって――。
そして、俺の意識は落ちた。
意識が落ちる前に、一つ思ったことがある。
――俺、これより痛いの知ってる気がする。
********************
マヒトがゴブリンにより気絶させられた後――。
一つの冒険者パーティが、バルカムの森の近くまで来ていた。
バルカムの森に来たわけではない。
帝都周辺でのクエスト――その帰り道だった。
馬車の荷台に男女が二人、御者席にも男女が二人――計四人で構成せれた冒険者パーティだ。
「ねえ、なんかバルカムの森うるさくないか?」
御者席に座っている女性――シェリカが、隣で手綱を持ってる男性――アゼルに確認した。
「ん?……いや、全く聞こえん」
アゼルは森に目をやり、じっと見つめるとそう言った。
耳を澄まそうと、何も聞こえてこない。
シェリカの耳の良さは折り紙付きだ。
それは、パーティの全員が知っていることだ。
だから、アゼルはその言葉をあっさり信じた。
「なあ、オルティス。バルカムの森でゴブリンどもが騒いでるらしいぞ」
アゼルは荷台で横になっている男性――オルティスに念のため報告した。
それを聞いたオルティスは眠そうに起き上がる。
「別にほっといていいだろ」
「でも、珍しくないか?」
バルカムの森でゴブリン達が騒ぐのは珍しいことだった。
ゴブリンは大きな獲物が獲れた時、祝いのために騒ぐ習性がある。両手を天に突き上げ、大声で叫ぶのだ。
それは冒険者なら、誰もが知っていることだ。
今回はそのせいでうるさいのだろうと、この場にいる全員が思っていた。
「何かいいもんでも見つけたんじゃねえの?」
「それ、気になりますね。あの森にそんな物は無いと思うんですけど……」
オルティスの前に腰を下ろしていた女性――リリアが興味を示す。
「なら、オマエらで行ってこいよ。オレは眠いから寝る」
「みんなで行こうぜ、何かあった時用に」
アゼルの提案に、リリアとシェリカは賛成のようだ。
「……戦闘はオマエらがやれよ?」
「わかった」
馬車を安全な場所に止めると、四人は森へ入る。
特にこれと言った警戒はしなかった。
バルカムの森が初心者向けの森だということは、全員知っていることだし、ゴブリンなんてあっという間に倒すだけの実力は備えている。朝飯前だ。目を瞑ってでも倒せる自信がある。
「あっちの方だな」
シェリカが音のする方へと指を差す。
街の中を歩くかのように、無防備で無警戒な歩み。
平然と歩く。
かなり深く奥まで進む。
道中、ゴブリンに遭遇することはなかった。
本来なら、とっくに遭遇していてもおかしくない。だが、ゴブリンは辺りにおらず、気配すら感じない。
それはつまり、この森のゴブリン全員が一つの場所に集まっていることになる。
「なんかワクワクしてきたな」
アゼルは先程からずっと奥が気になって仕方がない様子。
それに対してリリアは、何かあるのでは、と気を引き締める。
しばらく歩くと、そこにはゴブリンの巣があった。
ボロボロになった古小屋がいくつもある。
近くには木で作られた椅子のような物もある。ゴブリンの手作りだろう。椅子の高さはバラバラだし、脚の部分は所々抜けている。
ゴブリンたちは古小屋の外で円を描くように集まって騒いでいた。
オルティスたちは茂みの影からゴブリンの様子を見る。
「あの中心に、何かあるな」
「どうする?もうやっちゃうか?」
「アゼルとシェリカで行ってこーい」
「シェリカだけでよくないか?」
アゼルの提案に、オルティスは頷いた。
「……そうだな」
オルティスがそう言うと、シェリカが頷いた。
「シェリカ、やり過ぎないように」
リリアが注意を促す。
シェリカは再び頷くと、勢いよく飛び出した。
「――〈火球あれ〉!」
飛び出した途端、そう言って指パッチンする。
すると、右手に持っていた杖が光を放ち、シェリカの傍に六つの火球が現れた。
現れた火球は全て、近くにあったボロ小屋に直撃した。
火は物から物へ一気に広がり、辺りは炎に包まれた。
「おい、シェリカ!森の中でそんなでかい火起こすな!」
後ろの茂みからシェリカを見ていたアゼルたちが怒る。
「ああ、ごめん!忘れてた!」
森で大きな火を扱うのは危ない。
木々に燃え移れば、たちまち山火事と化してしまうからだ。
だが、ゴブリンたちは燃える小屋を見て大騒ぎ。
即座に武器を手に取り、シェリカに向かってきた。
「オルティス!わたしは火を消すからゴブリン頼んだぞ!」
シェリカがそう言うと、めんどくさそうにオルティスがゴブリンの前にゆっくりと出た。
鞘から刀身を抜き、構える。
「おらよっと!」
そう言って、軽く剣を振り、ゴブリンたちを薙ぎ払う。
ゴブリンたちは一撃で絶命。
その後も、オルティスの一撃で残りの全員息絶えた。
「火は?」
剣を鞘に納めながら、オルティスはシェリカに尋ねた。
「なんとか……。水は苦手なんだぞ……」
苦手な水魔法の行使に疲弊したシェリカが荒い息遣いでそう言う。
燃えていた小屋は完全に鎮火されており、山火事の心配はないようだ。
「気を付けろよ?オマエは抜けてるところがあるんだから」
ゴブリンたちが片付いたところで、オルティスたちはお目当てのものへ近寄る。
先程、ゴブリンたちが囲んでいたものだ。
それは――、
「おい、――人間だぞ」
そこには、ヒトリの少年がいた。
気絶しており、全裸でうつ伏せになっている。
身長は165センチ程度。黒髪。特にこれといった特徴はない。
オルティスは少年に近付くと、近くにあった脱ぎ捨てられた少年の物と思わしき服を弄り、中から冒険者カードを取り出す。
「おっ、冒険者カードだ。ええっと、名前は……」
取り出した冒険者カードを見る。
「ハヤミ・マヒト……。こいつか、手紙でベルゼスさんが言ってたのって」
「ああ。あの――」
「それなら、今調べたらどうだ?」
リリアの言葉を遮り、アゼルがそう言った。
「……そうですね。やってみます」
そう言うと、リリアはマヒトの身体に右手を伸ばし、鑑定を始めた。
********************
「どうだった?」
マヒトの鑑定を終えたリリアが立ち上がる。
「何も引っかからないです。断定は難しいです。ただ……」
「ん?どうかしたのか?」
「……彼、おかしい」
リリアは眉をひそめる。
「おかしい?」
「魔力を感じません」
「ほんとだ。こいつのステータス、魔力値ゼロだぜ。ヤベェな。てか他の数値も低すぎだろ」
マヒトのステータスを見たアゼルが感心するように言った。
「……制約持ちってことですよね……。魔力に関する制約なんて……」
「……まっ、黒じゃないならいいだろ。不確定だが……。
オルダムは自由の街だからな。
今はひとまず、歓迎するぜ、ハヤミ・マヒト」
********************
あの日のことは、今も鮮明に覚えている。
俺の人生が変わった日――狂った日の始まりだ。
中二の秋。思春期真っ只中の時期だ。
ネットで期間限定配信されていた異世界アニメを観た。
異世界モノを観るのは、この日が初めてだった。
暇つぶし程度のつもりで観た。
そして気が付けば、最終話だった。
一言で言うなら、面白かった。
自分でもよくわからないくらい熱狂した。
ハマりにハマって、原作本を買って、何度も何度も読み返して、また別の異世界モノを読んで――。
異世界モノが大好きになっていた。
主人公最強――この設定に、一番惹かれた。
ハーレムもよかったけど、主人公最強が一番好きだった。
誰も倒せないような相手を一瞬で倒す。
どんなに強かろうと、それは刹那の話でしかない。
本気なんて出した日には、世界が激しく揺れる。
楽にお金を稼いで、恋して、面白おかしく生きて――。
そんな生活に憧れた。
二次元と三次元の区別ができなくなったのも、この時からだった。
なんせ、主人公がみんな自分と同じような世界の出身だったから、余計に感情移入してしまった。
やりたい事もない。できる事もない。
勉強はもう嫌だ。どれだけやっても結果は変わらない。寧ろ落ちていく。
将来のことなんて、考えてるだけで気分が悪くなる。
目の前は真っ暗で、真っ白だ。
退屈な日々を彩ってくれたのは、異世界だった。
俺もこんな所に行きたい。
そう、強く思った。
こんな世界で楽しく生きて、――幸せになりたい。
そう、強く願った。
でも、そんな願いは叶わなかった。
気付けば、現実を見る時間が来た。
中三の冬、高校受験がやってきた。
受験勉強なんて、これっぽっちもやってない。
志望校なんてない。高校だって、働きたくなかったから行くだけ。
志望校は適当に決めた。
そして試験当日、俺は何もできなかった。
当たり前だ。何もしなかったんだから。
逃げて、現実から逃げて――。
異世界という名の非現実に縋り付いたのだから。
その結果だ。
前期後期の私立受験に落ち、残るは公立受験のみとなった。
この時、俺はまた何もしなかった。
何もしたくなかった。
やる気が出なかった。
親にはもちろん怒られた。数え切れないほどの罵詈雑言を浴びせられた。
でも、それでも、俺は何もしなかった。
「あ、落ちた……」
公立高校合格発表の日。
合格者の番号が書かれた看板を見ながら、俺は呟いた。
どうでもよかった…………のだろう。
家に帰って、親に落ちたと伝える。
それだけだ。
そして次の日から、ニートとしての生活が始まった。
ニートになってからも、異世界モノばかり観ていた。
何があっても、異世界モノは面白かった。
俺は、自分が輝ける世界に行きたかった。
みんなに頼られて、尊敬される――そんな世界で生きたかった。
それが俺の望んだ、異世界生活だった――。
この時点で、文字は簡単なのは読めるようになりました。