第6話 盗難
「あ、ああ、ああああああ……。ああああ、ああああああ……」
震えた声を上げながら、俺は呻く。
「だ、大丈夫かい?マヒト」
セラが心配そうに俺の背中をさすりながらそう言った。
床に両膝を落とし、両手でモップの柄を持つことでなんとか身体を支えている。
全身に力が入らない。
それほどまでに、事態は深刻だ。
力が入らないだけじゃない。
精神的にもかなりヤバい。
元々、鬱気質な俺だ。精神は貧弱の極みと言っていいだろう。
そんな俺に、あってはならない事態が発生した。
今後の生活を――人生を大きく左右する出来事。
それは、つい八時間ほど前に起きた――。
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あー、今日もバイトか……。
昨日が休みだった分、今日は憂鬱だ。
休み明けの仕事が嫌な社会人の気持ちが少しわかった気がする。
眠たい。もう一時間でいいから寝たい。
そんなことを考えながら、俺はソレーヌの店へと向かっていた。
時刻は早朝5時過ぎ。辺りはまだ少し暗い。
ソレーヌの掃除店の朝は早い。
早朝5時半から店前の道掃除が始まる。
朝が早いのはキツいが、その分終わるのも早いため、なんとかやっていけている。
終わるのは大体16時くらい。
そろそろ労働なんとかに訴えたいところだが、この仕事無くして俺の異世界生活は始まらない。
お金は着々と貯まりつつある。だが、まだ武器を買える金額ではない。
何か、こう、どでかいイベントでも起きれば、今すぐクエストに行けるんだけどな。
街はまだ静かだ。聞こえる音は鳥の囀りだけ。
本格的に動き始めるのは、いつも7時過ぎくらい。
俺は人通りの少ない中央通りを、とぼとぼ歩いていた。
夜はあんなにうるさい所(酒場付近)が、ここまで静かなのは少し変な感じだ。森の中にでもいる気分だ。
ここは音楽でも聴いて、また今日も頑張ろ……。
「……ん?」
後ろから、足音が聞こえてきた。
音の切り替えが速い。
歩く時の音じゃない。
走ってる。
こんな時間に誰だろう。
かわいい子かな。
顔でも見てみようと思い、後ろへ振り返ろうとした。
その時だ――。
「うわっと……」
ぶつかった。
思い切りぶつかったわけではない。
軽く肩が当たった程度だ。
急いでいたのだろうか。
相手は何も言わず、そのまま走り去って行った。
茶色のロングコートにフード。顔はもちろん、性別すらわからなかった。
けど、俺にはわかるぞ。
「あの匂い、多分女だな」
あの瞬きするほどの短い時間でも、俺は相手の匂いを嗅ぎ、性別を見分けていた。
「……ただの変態じゃねぇか」
くそ。ヒロインが未だに出てこないからこんな事に。
セラはヒロイン候補だが、所詮は候補でしかない。
早く出てきて欲しいものだ、絶世の美女。
俺はいつでも準備万端だってのによ。
「……そろそろ犯罪に手を染めそうだ……」
この前だって、タイトやウドル、ファールと一緒に女風呂を覗きに行ってしまった。
結局お目当てのものは見れなかった挙句、警官にバレて一夜逃げ回ったのち、フォルトとファールと契約を交わし、タイトを売った。
そのせいでタイトとしばらく会ってないのはまた別のお話。
一人で済ませようにも材料が無い。
お店に行こうにも金が無い。
そろそろ俺も限界だ。
そのせいで、息子は毎朝毎晩うるさい。俺とは正反対だ。
「音楽でも聴いて、心をリフレッシュしなければ……」
俺はポケットに手を入れ、イヤホンを取り出そうと――、
「――あれ、無い」
ポケットには、何も入っていなかった。
イヤホンだけじゃない。ミュージックプレイヤーも無い。
朝はあった。宿を出る前にちゃんと確認した。
宿を出る前にあって、今は無い。
……落とした?
そう思い、急いで来た道を戻るが、何も落ちていなかった。
それはつまり――、
「……と、盗られた……?え、嘘だろ?
さっきの奴、スッた……?」
あいつしかいない。
あの時――ぶつかった時にスッたんだ。
「嘘、だろ……。ど、どうしよう……。俺の、俺の宝物が……」
盗られた。
俺の宝物が。
俺の一番大事な物が。
どんなに辛い時も、肌身離さず持ち歩いて、いつも一緒にいた俺の親友が。
怒られた時も、受験に落ちた時も、異世界に来た時も、ずっと一緒だった相棒が。
「あ、ああ……。あああああ、あああ、ああ……」
俺はその場で膝を抱え込む。
返せよ。
俺のだ。俺んだ。
どこだ。どこにいる。
見つけて、取り返して……。
身長は170前後。
多分、女。
茶色いフード付きのロングコート。茶色の靴。
これといった特徴は無い。
性別は予想でしかないし、服は変えればいいだけの話だ。身長も大して役に立たないだろう。
これじゃあ、捕まえるのは難しい。
盗人は盗んだ物を売って金を得る。
質屋に行けばあるかも知れない。
……いや、異世界の人たちが別世界の代物なんて理解できるわけがない。
買い取ってすらくれないだろう。
買い取れないとなると、することは二つ。
捨てられるか、腹いせでぶっ壊すな。
それはダメだ。どっちもダメだ。
あれには俺の心を安定させる――言わば、精神安定剤的な役割がある。
異世界来てからだって、辛い日は音楽という癒しでなんとか耐えてきた。
俺の異世界生活はまだ一章の途中。プロローグと言っても過言ではない。
そんな序盤に相棒を失って、俺はこれからやっていけるか?
否、無理だ。
「と、とりあえず、今日は土下座してバイトを休もう。それから――」
「――やあマヒト、何してるの?」
突如、俺の名を呼ぶ声がした。
その声の主は、セラだ。
下を向いていた俺の顔を、覗き込むように見てきた。
「もう、時間過ぎてるよ?ソレーヌに怒られるじゃ――」
「――助けてください、セラ様あぁぁあああ!」
俺はセラに泣きついた。
「ど、どうしたのさ」
俺の突拍子もない行動に、セラは驚きながらも話を聞いてくれた。
********************
「なるほどねぇ。で、その精神安定剤を奪われたと……。
君、それって変な薬か何かじゃないだろうね?」
話を聞いたセラは、俺に対して疑いの眼差しを向けきた。
「違います……」
「ならいいけど……。その盗られた……ミューなんとかを、取り戻せばいいんだね?」
「はい……。その通りです……」
気の無い返事をする。
それを見たセラはため息を吐いた。
「でも、それ売れない品なんでしょ?なら、ゴミ箱行きだろうねぇ」
そうだよな。
売れない品なんて捨てるよな。
「……じゃあ、ちょっと今から冒険者協会行ってきます」
そう言って、俺は冒険者協会のある方へと歩き出す。
「え、なんで協会に行くのさ」
セラは慌てて俺の手を掴み、引き止める。
「こうなったら、クエストとして依頼してきます」
そう、これは奥の手だ。
ここには金さえ出せば協力してくれる輩はごまんといる。
探し物のクエストだ。
初心者向けのクエストではあるが、報酬が多ければ上級者だろうが喜んで受けてくれるはずだ。
冒険者になる奴は、大体、金目当てだからな。
「ち、ちなみに、報酬は?」
「とりあえず、100万ミリン。足りなければ、200万ミリン。それでも足りなければ、また100万ずつプラスしていきます」
冒険者協会では、全ての人がクエストを依頼することができる。市民はもちろん、貴族や警察などもだ。
それは、冒険者も同じだ。
冒険者とて、いち一般人。
冒険者になったからと言って、クエストが依頼できないわけではない。
報酬さえ出せるのであれば、誰でも依頼することができる。
「100万!?やや、やめときなよ!そんな大金持ってないだろ!?」
セラは俺の袖を強く引っ張る。
「お金ぐらい借りれますよ」
真剣な顔つきでそう言う。
「そんなことしたら殺されちゃうよ!」
「相棒が無いなら死んだも同然です。離してください」
俺は再び協会へと歩き出す。
「わかった!わかったよ、手伝うから!一回落ち着けって!」
俺は歩みを止めた。
セラは冒険者としての経験はそこまでらしいが、実力はある。
バイトの時も、俺との体力差を見ればそれはわかる。
なら、ここは頼もう。
「で、何をすればいいんだい?」
「……とりあえず、この街の質屋を確認したいです。
それで見つからなければ、本人を探します。
それすらダメだった場合、ゴミ箱を探します。
それもダメだったら、協会でクエストとして依頼します」
協会への依頼は、最終手段ということになった。
セラも、それだけはやめた方がいい、としつこかったので、本当にやめた方がいいのだろう。
けど、いざと言うときにはやるからな。
やるぞ、俺は。
「協力してくれそうな人がいたら、頼んでもらっていいですか?報酬は、飯奢りってことで」
無償で協力してくれる親切な人は、 そうそういないだろう。
今の俺にできるのは、飯を奢ることくらいだ。
「了解。それじゃあ、僕は東の方から回るよ。君は、西から」
セラは東から、俺は西から質屋を回ることに。
「わかった」
俺達は、走り出した。
********************
「……あった?」
両膝に手をつき、荒い息遣いをしながら、俺はセラに訊く。
「……無いね」
額についた汗を拭い、セラはそう言った。
こちらも同様、無かった。
盗まれてから三時間が経過した。
質屋の可能性はもう無いだろう。
なら、次はーー、
「本人、探すか……」
さっきも言ったが、これと言った特徴は無い。多分、女。服や匂いはどうにでもなる。
結構、詰んでるな……。
「協力してくれそうな人は?」
探している途中、手伝ってくれそうな人がいたら、頼んで欲しいとセラに言っていた。
俺は見つけられなかったが……。
「まあ、数人ね。僕の知り合いだよ」
「そっか……」
数人。
もっと増えるだろうか。
増えるのは嬉しい。人手が増えれば、それだけ見つかりやすくなるだろうし、捜索時間も縮まる。
けど、その分俺の金が無くなる。
貯金は数人に一食分を奢る程度ならあるが、ニ桁超えたらキツい。
「……そんなことは、言ってらんねぇよな」
あれは金なんかじゃ買えない。
あれは俺にとって必要不可欠な物だ。
失くすことは許されない。俺が許さない。
そのためなら、金なんていくらでも使ってやる。
「そう言えば、さっきちょっとした情報を手に入れたんだ」
顎に手を当て考え事をしていた俺に、セラがそう言った。
「情報?」
「ああ。最近、強盗とかスリとか、そういう系の被害が増えてるらしいんだ。ベルゼスさんたちも警戒してるらしいけど、未だに捕まってないんだって」
……あ、そう言えば、前にハンデリィでベルゼスさんがそんな事言ってたな。
五件目だ、魔道具だ、って。
「なあ、それって、姿を消すとかっていうやつか?」
「うん。君も聞いてたのかい?」
やっぱり。
なら、俺の相棒を盗ったのは同じ奴か?
……いや、賊の可能性もあるな。
だとしたら、仲間かもな。
「その泥棒は一人で動いているらしい。あと、君も知っている通り、姿を消す。多分、魔道具だ」
俺の考えは、即座に否定された。
「姿を消すは厄介すぎるだろ……」
姿を消す。
いわゆる、透明人間的なのだろう。
トカゲみたいに周りの色に溶け込む――擬態って線もあるな。
まあ、どちらにしろ。
「何か策あったりするか?
俺、魔法とか全然わかんないんだよ」
セラは4級冒険者だから、タイトたちよりもランクが上――つまり、知識や経験は豊富なはずだ。
セラはしばらく考え込むと、ハッと何か思いついたような顔になった。
「いいかい、マヒト。
魔道具ってのは、強力な魔法を使うとその分だけ自身の魔力を持っていかれる。
体内の魔力が減ると、人は激しい眠気と脱力感に見舞われ、気絶する。最悪の場合、髪が白くなったりもする。
姿を消す魔法――かなり魔力消費が激しいはずだ。
つまり、よっぽどの魔力量の持ち主じゃない限り、長時間は使えない。
平均レベルでも数十秒使えたらいい方だ。
数十秒となると、その間に逃げてもすぐにバレて終わりだ。
ということは――」
「――姿を消した後、近くの物陰に隠れる」
結論は俺が言った。
ここまで話を聞いていれば、俺でもわかる。
「そう。まあ、魔力量がそこまで多くないっていうのが前提だけどね。
だから、もし次そいつが現れた時は、姿を消した後、その場を探せばいい。見つからなくても、時間制限だからすぐに姿を現すはずだ」
「なるほど……。そいつ今どこにいるかわかる?」
「いや、そこまではわからなかった。でも、そう遠くないうちにまた犯行に及ぶと思うよ」
……どうするべきか。
今探すか、次現れるのを待つか。
二つに一つだ。
前者のメリットは、見つかった場合、俺の相棒は概ね返ってくると見ていいだろう。
それに、多分まだこの街のどこかに潜んでいるだろうから、隈なく探せば見つかるはずだ。見つからなくても、何かしらの情報は得られるだろう。
デメリットは、人手と時間だ。
手伝ってくれる人は少ないし、この広い街だ、かなり時間が掛かる。
見つかる可能性も低い。
後者のメリットは、人手と時間の問題がなくなることだ。
ベルゼスさん率いる冒険者や警察が力になってくれるだろうし、わざわざ自分の足で探す必要もなくなる。
デメリットは、この街からいなくなる可能性だ。
最近、街の警備はかなり厳しくなっている。この街で盗みがやりづらくなって、別の街に場所を移すかも知れない。そうなると、俺の相棒は返ってこないだろう。
「…………今、探すか」
とりあえず、今日一日探してみよう。
それで見つからなければ、後者の――次現れるまで待つ、にすることにしよう。
「とりあえず、夕方まででいいから手伝ってくれないか?」
俺は隣で水を飲んでいたセラにそう尋ねる。
「いいよ。今日は手伝うって決めてるしね。晩ご飯、楽しみにしてるよー」
「それじゃあ、他に手伝ってもらってる人にも夕方まで探すように言って――」
「ーーおい、お前ら、何しとる?」
あ……。
背後から、ただならぬ威圧感と共に、ソレーヌの声がした。
俺とセラは肩をブルブルと振るわせながら、恐る恐る振り返る。
振り返ると、ソレーヌの顔を見る。
この表情、怒ってる?……いや、怒っている顔ではないな。
どちらかと言えば、いつも通りの表情だ。
だが、まだ残暑が残るこの国で、この空間だけが冬のように感じられるほど寒いのは、一体どうしてだろう。
氷魔法でも使っているのだろうか。
そう思うほど、背筋が凍っていた。
俺とセラは目を合わせる。
『おい、どうすんだよこれ』
『知らないよ。元はと言えば、君が始めたんだからね!』
『丸投げかよ!手伝うって言ったよな!?』
『……言ってないよ。君の聞き間違いじゃないかな?』
『はあ!?何言ってやがんだ、てめぇ!飯奢らねえぞ!』
『そんなことよりも、今はソレーヌをどうにかしようよ!』
こんな会話を、目だけで行う。(睨み合ってるだけ)
まあ、セラには手伝ってもらったから、恩でも返すか……。
「ばあちゃんさん。これには深い事情があります。話を最後まで聞いてくれると助かります」
「ほぉ、聞くだけ聞こうか。言い訳とやらを」
どうやら、話は聞いてくれるようだ。
なら、ここでどれだけ俺が悪くないかを証明しなければならない。
セラは何も言わない。
ここはお前に任せる――そんな顔をしている。
「えー、朝は店の近くまで来ました」
「――――」
「……はい、そこまではいつも通りでした」
「――――」
「……その時、突然ぶつかってきたフードを被った多分女に俺の宝物をスられました」
「――――」
「…………だから、そいつを探してました」
「――――」
「……」
「――――」
「すいません、セラに脅されてました」
「はあ!?何言ってんの!?
ねえ、何言ってんの!?
違うから!ソレーヌ違うから!」
突然の裏切りに、セラは慌ててソレーヌを宥めようとする。
「ちょっとマヒト!話が違うじゃないか!?」
「ばあちゃん、俺、セラに『調子乗んな殺すぞカスが』って脅されて」
「やめろ、やめてって!ほんとにやめて!」
セラは涙目になって俺の身体を掴み、前後に揺らしてきた。
「……はぁ。別に怒っとらんよ」
ソレーヌは、万円の笑みでそう言った。
嘘つけ。
絶対怒ってる。
普段笑わない奴が、怒りそうな場面で笑顔とか、サイコパスなのか。
「サボった分、しっかり働いてもらうぞい」
ソレーヌは店の方へと振り返り、歩き始める。
「いや、ばあちゃん。俺の大事な相棒が盗まれたから――」
「――戻るぞ、早よ来い」
怒ってる。絶対怒ってる。
何だよこの威圧感。あの鋭い目つき。気温を忘れるほどの冷たい声音。
潰されそうだ。ちびりそうだ。
流石、国に抵抗し街を造った人の一人だ。
老後だろうが関係ない。
レベル、経験、全てが段違いだ。
これが上級者の威圧というやつか。
「いや、でも――」
「早よ来い。潰すぞ」
「はいッ!本日もよろしくお願いします!」
俺はその場で敬礼をする。
ダメだ。あの目はダメだ!やる奴の目だ!
相棒見つかる前に、俺が死んじゃう。
俺が死んだら、元も子もない。
だから今は――、
「セラさん、頼むから今日だけでも探すの手伝ってください」
俺はセラの耳元で、ソレーヌには聞こえない程度の声で頼んだ。
セラはそれを聞いてため息を吐くと、
「……えぇ。まあ、いいけ――」
「――セラ、お前も来い」
「はいッ!喜んでッ!」
セラは裏返ったような高い声を上げ、謎の敬礼をすると、急いでソレーヌの元まで駆け寄った。
……あの距離で聞こえてたのか……。
どんな聴力してるんだよ、あの人。
これじゃあ、探す人がいない。
セラに協力してくてるって人たちも、セラの指示がなければ動けないだろうし。
次、現れるまで待つしかないのか?
ウドルたちにでも頼むか?
……やめておこう。金で済む話じゃなくなる。
他に頼れる人もいない。
こうなったら、最終手段に出るしか――、
「ガキ、早よ来い」
「ただ今っ!」
そして、俺とセラは店へと戻り、仕事を始めた。
********************
そして、時間は今へと戻る。
相棒が盗まれてから、十時間ほどが経過した。
空を見れば、黒い背景に散りばめられた白い星々が見え、大きな月がこの世界を遥か遠い天から見守っている――夜空だ。
俺とセラは、サボった分の掃除+別の掃除で、心と身体はヘロヘロだ。
セラはなんとかやれているが、俺は相棒を心配するあまり、心はとうの昔に折れていた。
その上、長時間の肉体労働――限界だ。
俺は床にバタリと倒れる。
「マヒト……。お墓はちゃんと作ってあげるからね……っ」
右手で口を押さえ、溢れる涙を堪えながら、セラは悲しそうに言った。
「死ぬ前提で話すのやめてもらっていいですか……」
掠れた声でそう言うと、俺はゆっくりと立ち上がる――が、足に力が入らず、立つのは諦め、その場に腰を下ろした。
そろそろヤバい。
俺、ほんとに死ぬかも。
飲まず食わずで九時間を超える長時間労働。
ブラックだ。
金さえ貯まればすぐにやめてやる、こんな店。
「ほい、水だ。五分やるから、休憩しろ」
ソレーヌは店の奥から顔を出すと、水の入った革袋――水筒を投げ渡してきた。
俺は残りの力を振り絞り犬のようにジャンプ。
キャッチすると、ごくごくと喉を鳴らしながら一気に飲み干し、その場に再び横になる。
「あー、生き返ったー」
「まるで飼い犬みたいだね。……って、僕の分が無いじゃないか!?」
セラは空になった水筒を頭上に持ち上げ、少しでもと試みる――が、一滴も出てこず、その場に倒れた。
「セラ、お墓はちゃんと作ってやるからな……っ」
「調子乗んな殺すぞカスが」
「すいません」
土下座でもやろうと思ったが、起き上がる力も出ず、その場で即座に謝罪した。
……あれ、今の言葉どこかで――。
「――ういっす。邪魔するぞ」
低い声と共に店のドアが開き、外から人が入ってきた。
ベルゼスだ。
「お、なに二人仲良く寝転んでんだ?」
横になっていた俺とセラを見て、ベルゼスは不思議そうに訊いてきた。
「助けてください!俺達殺されちゃう!!」
「そうだよ!これ以上は廃人になっちゃう!!」
今にも消えそうなほど掠れた声で、俺とセラはベルゼスに主張する。
「んなこと言われてもなぁ……。それより、ソレーヌのやつはいるか?」
なんだ、助けに来てくれたわけじゃないのか。
てっきり、俺たちのひどい有様を見た街の人が通報でもしたのかと思った。
「ソレーヌ〜。ベルゼスさん来たよー」
「ベルゼス?何の用だい?」
ソレーヌは店の奥から姿を現すと、カウンターの近くにある椅子に腰を下ろした。
「よお、ソレーヌ。今日はちと確認に来たんだ」
「確認じゃと?」
「最近、空き巣やスリが増えていている。知ってるだろ?オマエ確か、高価なもん持ってただろ?昔の――」
「ああ、確かにあるな。それがどうした?」
「巡回だ。それと、何か被害は出てないか?」
「うちの店は、今のところ問題ないぞ。ただ――」
ソレーヌは視線を床へとずらす――が、そこに見ようとした者の姿はなく――、
「ーーベルゼスさん!俺の相棒が!俺の、俺の相棒が盗られたんだ!」
それ――俺は涙目になりながら、ベルゼスの腰にしがみつく。
「盗られた?いつだ」
「今朝!今日の朝!スられたんだ!」
「今朝か……。なら多分、同じ奴だろう。奴は早朝と夜中に犯行を行うことが多い」
「今すぐは捕まえられなの?」
セラは起き上がると、そう訊いた。
「できるもんならやってるさ。けどな……」
「姿を消すっていう魔道具のせいで?」
「そうなんだよ。あれは厄介だぜ」
やっぱり、魔道具の件か。
なら、ここは。
俺はセラに目をやると、それに気付いたセラは説明を始めた。
「マヒトにはさっき言ったんだけど――」
「あー、あれだろ?あの魔道具は魔力消費量が多いから長時間は使えない」
と、セラの説明は始める前に終わってしまった。
どうやら、ゼルベスたちもわかっていたらしい。
まあ、俺たちよりも多く経験を積んでる人が気付かないわけないか。
「種がわかってるのに、捕まえれないんすか?」
種がわかるのなら、待ち伏せでもすればすぐに解決するはずだ。
だが、犯人は未だに捕まっていない。
「そうだ、種はわかってる。だが、捕まえられない。
まだ種を隠してる可能性が高い」
「今までは待ち伏せしてたの?」
「いや、警備員が見つけてから追っていた。奴は隠れたりってのはあまりしねぇんだよ」
「逃げられるのは、足が速すぎるとかじゃないですよね?」
「それはないと思うぜ。奴はそこまで速くない。けど、逃げられちまう」
もう一つの種……。
これがわからなければ、捕まえることはできないだろう。
「魔道具以外の可能性は?」
「それもねぇわけじゃねぇが、その線は今のところ薄いな」
二つ目の種が魔道具の可能性は低いと。
二つも持っているとなると、相当な魔力量の持ち主じゃないか?
一つ目でもかなり魔力を吸われるって話だし……。
「実際に見てみた方が早いかもね。特徴とかってあるの?」
「全身をロングコートで覆っているからなぁ。身長も微妙なところだしな」
「あれ多分女ですよ」
「え、そうなのか?」
「確信はないですけど……匂いで」
今朝、肩がぶつかった瞬間に花のような匂いがした。
あんな匂いを放つのは、女性だけだ。……多分。
「変態」
セラが蔑みの目を向けてくる。
「ちち、違ぇよ!」
「ずっと相手がいなかった人って、こんなのになるんだね」
「女か……。わかった、一応気をつけよう。
それと、次は追うだけじゃなく、奴のちょっとした動きにも目を見張るよう言っておこう」
「そうっすね」
ベルゼス意見に、俺とセラは同意した。
「話は終わったか?」
と、ここで蚊帳の外になっていたソレーヌが入ってきた。
眉間にしわを寄せており、不機嫌だということがわかる。
「とりあえずはな。悪いな、時間もらって――」
バンッ!!!
という音が店中に響き渡り、この場にいた全員が音の放たれた方へと顔を向けた。
ドアが勢いよく開かれた音だ。
一人の男性が、慌てた様子で店に飛び込んでくると――、
「――盗人が現れました!!」
そう、言い放った。