私の耳は彼を見つける為に聴いている
私の耳は彼の声を聴いた。
私の耳は彼の心を聴いた。
私の耳は彼の全てを聴いた。
「おはよう。今日も君は可愛いね」
今日も彼は私に言ってくれた。
いつもの優しい笑顔で私だけに言ってくれた。
そんな私は彼の為に笑うの。
「本当に君は素直だね」
彼はそう言って私を撫でてくれるの。
そんな彼の優しい手に私は嬉しくて、もっと触って欲しくておねだりするの。
「君は甘えん坊だね」
彼はそう言いながら嬉しそうに撫でてくれるの。
この瞬間が私の幸せ。
彼と私。
二人だけの世界。
「君といると時間を忘れてしまうよ」
彼はそう言って笑うの。
今日は終わりだっていう合図の言葉。
「また明日ね」
彼はそう言って学校へと向かう。
私はこの瞬間が一番嫌いなの。
彼と一緒に過ごす時間が終わるから。
私は彼と一緒に学校へ行きたくなるけど、それは無理。
彼に迷惑をかけることは分かっているから。
だから私は彼が見えなくなるまでお見送りするの。
彼の背中に大好きだよと伝えながら。
彼の足音を耳で聴きながら。
彼の鼻歌を耳で聴きながら。
◇
次の日の朝。
いつものように彼を待つの。
でも、彼は来てくれなかった。
その次の日も、また次の日も来てくれなかった。
私はずっと彼を待ち続けたけど彼は来ない。
彼に会いたいのに彼の姿は何処にもない。
寂しいよ。
会いたいよ。
「嘘だろう? ずっと待っていたのか? ごめんな。学校の行事が忙しかったんだ。」
彼は久し振りに私を見て心配そうに言った。
私は彼にいつものように笑って見せた。
それなのに彼は笑わない。
私は彼に撫でて欲しくておねだりをした。
「君が満足するまで撫でるよ。だから元気を出して」
彼がそう言うから私は元気だよって言うの。
そして、あなたが側にいれば大丈夫だよって言うの。
そんな私を彼は笑顔で撫でてくれた。
いつもの彼の顔だ。
嬉しいな。
幸せだな。
そして私は、、、
彼の声を耳で聴きながら。
彼の心音を耳で聴きながら。
彼の手が私を撫でる音を耳で聴きながら。
◇◇
「危ないよ」
「えっ」
私が目を開けると男性が私の腕を引いてくれた。
私はいつの間にか道の真ん中に立っていた。
その道を通る車から、私を守るように男性は私の腕を引いてくれた。
「道の真ん中に立ってるなんて危ないだろう?」
「あっありがとうございます」
私を助けてくれた男性は、スーツを綺麗に着こなしてとても格好いい、大人の人だ。
そんな人に助けられた私はドキドキしていた。
「君は高校生?」
「そうです。高校一年生です」
「そうなんだね。あの日の俺を思い出すよ」
「あの日?」
「うん。あの子のお陰で毎日が楽しかったあの日だよ」
「あの子? 恋人ですか?」
「違うけど、そう言ってもいいくらいかな?」
男性はハニカミながら言った。
「彼女とはどうなったんですか?」
「いきなりいなくなったんだ」
「彼女にまた会いたいですか?」
「そうだね。会えるのなら会いたいね。彼女に」
男性はそう言って、苦笑いを私に見せてくれた。
彼女とはヒドイ別れ方をしたのだろうか?
「学校は大丈夫?」
「えっ」
私は男性がつけている腕時計を見て焦る。
「遅刻しちゃいます」
「急いで。あっ待って」
「はい?」
男性は私を呼び止め、頭に手を乗せて撫でてくれた。
私は男性の手のお陰で気持ちが落ち着く。
「落ち着いて。焦って事故にでもあったら困るからね」
「大丈夫ですよ」
「そうだね。だったらまた明日、ここで会えたらいいね」
「そうですね。また明日。私が無事なのか確認に来て下さい」
「そうだね。それならまた明日、会おうよ」
「はい。約束ですよ」
「うん、約束だ。いってらっしゃい、気を付けてね」
「いってきます」
男性はそう言って私に手を振って見送ってくれた。
私は走りながら学校へ向かう。
途中、後ろを振り返ると男性は私をまだ見ていた。
そんな男性が気になりながらも私は学校へと走った。
友達には男性の話はしなかった。
男性のことは私だけの秘密にしたかった。
私達の出会いは二人の秘密にしたかった。
◇◇◇
次の日の朝、私は男性と出会った道で男性を待った。
それなのに男性は来ない。
学校を遅刻する時間になっても来なかった。
「嘘つき」
私は誰にも聞こえない声で呟いた。
そして学校へ遅刻して行き、それからいつものように一日を過ごして家へ続く道を一人で歩く。
「あっ、やっと会えた」
私が朝、男性を待っていた道で、昨日助けてくれた男性が嬉しそうに笑って近寄ってきた。
「どちら様ですか?」
「あれ? 怒ってる?」
「怒ってません。朝の約束を守らなかった誰かさんには怒っていませんよ」
「ごめんね。朝はいきなり会社の呼び出しで、早く出勤しなくてはいけなくなってしまったんだよ」
男性は申し訳なさそうに謝ってきた。
「元気なら良かったです」
「えっ」
「あなたが無事ならいいんです」
「それは俺の台詞だよ」
男性はそう言って私の頭を撫でた。
「もっと、お願い」
「えっ」
「もっと撫でて」
私がそう言うと男性は仕方ないなと言いながらも、嬉しそうに笑って撫でてくれた。
どうしてだろう?
男性に撫でられて嬉しい私。
「君はあの子に似てるよ」
「あの日の彼女ですか?」
「そう。あの子も撫でられるのが好きだったんだよ」
「だってあなたの手は落ち着かせてくれるからですよ」
「俺にはそんな力はないよ」
「あなたはそう思っていても私はそう思います。私が彼女に似ているのなら、彼女もそう思っていたと思いますよ」
「君とあの子は似ている所もあるけど全然違うよ」
「えっ」
「君にはあの子の気持ちは分からないと思うよ」
男性に冷たく言われた。
私、嫌われた?
どうしよう?
私は不安になりながら男性の顔を確認する為に、撫でられている頭を少し上に上げて見つめた。
「そんな顔をしないで」
「えっ」
「傷つけたならごめん。でも、あの子の気持ちは俺も分からないままだからね」
「私も勝手に決めつけてごめんなさい」
「いいや、俺が悪いんだよ」
「えっ」
「さあ、帰ろうか。これ以上ここにいると周りの目が気になるよ」
私は高校の制服姿。
男性はスーツ姿。
私達はどんな風に見えているのだろう?
男性は私をどんな風に見ているのだろう?
「また会えますか?」
「どうだろう? 俺はあの子の事が懐かしくなってこの道を久し振りに通っただけなんだ。だからまた会えるなんて約束はできないよ」
「そうなんですね」
「ごめんね。君をあの子のように待たせたくはないんだよ」
「待たせる?」
「そうだよ。あの子はいつもあの塀の上で待っていたんだ」
「塀の上で?」
「そう。あの子は猫だから塀の上で俺が来るのを尻尾を左右に振りながら待っていたんだよ」
「彼女って猫ちゃんだったの?」
「彼女っていうか、あの子がメスなのかも分からないんだよ」
猫?
男性の言っていたあの子は猫ちゃんだったの?
私は猫ちゃんに似ているってことなの?
「私はその猫ちゃんに似ているの?」
「うん。あの子は俺が撫でると、もっと撫でてと俺の手に頭を押し付けてくるんだ」
「私そんなことはしてないわよ」
「もっと撫でてと言ったのは同じだろう?」
「猫ちゃんは言葉にはしていないでしょう?」
「そうだけど、そんな風に聞こえたんだよ」
「あなたの耳には猫ちゃんの声が聴こえたのね。そんな猫ちゃんのいた場所に行ってみたいな」
「いいよ」
それから私は猫ちゃんがいた近くの公園の、私の身長でちょうど良い高さの座れる塀へ着き、塀を撫でた。
とても懐かしく思えるのはどうしてだろう?
私はその塀に座ってみる。
「ねぇ、撫でて」
「うん」
彼は私の頭を優しく撫でてくれる。
「覚えてるよ」
「何を?」
「あなたの声も、あなたの心音も、あなたの手が私を撫でる音も、あなたの足音も、あなたの鼻歌も」
「えっ」
「聴いてるよ。あなたの声も心も。全てを」
「君ってあの子なの?」
「そうみたい、、、。ねぇ、あなたに伝えたいことがあるの」
「何?」
「あの日からずっと大好きだよ」
「いつも待たせてごめんね。俺もあの日から大好きだよ」
彼は嬉しそうにあの日と変わらない笑顔を見せて言ってくれた。
私は耳で聴いている
彼の声を
彼の心を
彼の全てを
私の耳は彼を見つける為に聴いている。
でも今は私だけの為に囁くあなたの声を耳で聴いている。
「待たせてごめんね。愛してるよ」
私は彼から撫でられている頭を少しだけ上げて彼を見つめて言ったの。
今度は私が彼を待たせたからね。
読んでいただき、誠にありがとうございます。
楽しんで読んでいただけたら幸いです。