30話 夜空の下の温もり
自由時間まで、隼人たちは自分たちの部屋でくつろいでいた。
「いやー楽しみだなー。とうとう告白するんだろ?」
聖也はずっとにやにやしている。
温泉から帰ってきた後、隼人は聖也と雄介に雫と一緒に自由時間を過ごすことになったことを伝えた。
それからは、自由時間どうするかの話で持ち切りになった。
「僕まで緊張してきたなぁ」
雄介は「後は、自分の気持ちを伝えるだけだよ」と応援の言葉をかける。
「本当はこっそりついて行って、様子を見てみたいんだけどなぁー。俺はそういう無粋なことはしないから」
聖也は、少し自慢っぽく言う。
「俺らは美味しいデザートがあるっていうお店に行ってるから。まぁ、日菜の要望なんだけどな。だから俺らと鉢合わせることはないはず」
「多分、聖也たちとは別方面だから、それは大丈夫なはず……」
「そうなのか。で、どのあたりを散策するんだ?変なところは行っちゃだめだぞ?」
「『変なところ』ってなんだよ」
「まだ隼人は『お子様』だからね」
隼人には聖也の言っていることがよく分からないが、何となく恥ずかしくなった。
***
「これから自由時間です。危ないので予め指定した範囲内で行動してください。また、22時までにはこの旅館に戻るように」
先生からの注意の後、生徒たちはばらばらと動き始めた。
「赤羽君……」
雫は周り生徒の目を気にして、隼人に声をかけた。
「どこに行く?」
「少し時間はかかるんだけど、ここに行ってみない?」
隼人は地図を指した。
「ここ、星が見やすいんだって。せっかく都会から離れてきたからさ」
「じゃあ、そうしよっか」
2人は生徒がぞろぞろと外に出ていくのに紛れた。
***
緊張気味だった2人は、いつの間にか物理の話で盛り上がっていた。
だいぶ長い道のりだったが、目的地まですぐのところにきていた。
「この山道を登ったところだよ」
少し急な坂道を登ると、開けた土地になっていた。
そして空を見上げると、想像を絶する光の粒が散りばめられたように輝いている。
「きれい……」
雫は思わず声を漏らした。
こういう星空は、本や写真で見たことはあった。
それもきれいだと思ったが、こうして実際に見るのでは、美しさが断然違う。
隼人も言葉を失ったまま、ずっと空を見上げていた。
2人は近くにあったベンチに腰をかけた。
「想像以上にきれいで驚いた。今の東京じゃ、シリウスみたいに明るい星しか見えないからね」
「そうね……昔の東京はもっと見えていたみたいだけれど」
とても心地よい時間が流れた。
この流れに身を委ねてしまいたい、隼人がそう思っていた時、雫がぽつり
「少し寒いね……」
と呟いた。
「俺のマフラー貸そうか?」
「それは悪いから……あ、もう少しそっち……寄ってもいい?」
そう言って雫は、隼人から受け取ったマフラーを自分と隼人の首に巻いた。
隼人は雫の顔が見られなかった。
心臓の音が雫に聞こえまいと気持ちを落ち着かせようとする隼人の意に反して、雫が寄り添うことでさらに鼓動は速まる。
寒さなど既に感じなくなっていた。
このままでは胸が張り裂けるかもしれない、と思った。
「あのさ、雫……」
隼人はゆっくりと口を開いた。
「俺、親が殺されて、社会的にも冷たい視線を向けられて……ずっと孤独を感じてたんだ。でもそんなとき、雫と話して、正直、救われた。だから一緒にいられることが嬉しくて……」
雫はずっと足元を見ながら、黙って聞いていた。
「でも、最近までその気持ちの意味に気付いてなかったんだ……。俺は……、俺は雫のことが好きだったんだ。だから、その……俺と付き合ってほしい……」
そう言いながら雫の方を向いた次の瞬間、柔らかい温もりが唇に触れた。
隼人が状況を呑み込めない内に、雫は再びうつむきながら、
「これが私の答え……」
とだけぽつりと言った。
隼人は雫を抱きしめた。
雫の温もり、匂い、感触を全て感じたかった。
雫も何も言わずに、隼人の背中に手を回した。
***
帰り道、2人は言葉をほとんど交わさなかった。
ただただ手をつないだまま歩く。
それだけでも幸せだった。
そんな幸せな時間はあっという間に過ぎる。
「もうすぐ、旅館だね」
隼人がそう言うと2人は、息を合わせたように手を離した。
こうしている姿を他の生徒に見られるのは恥ずかしい。
左手が急に冷え、寒かったことを思い出す。
「私、隼人のこと好き」
隼人は不意をつかれた。
「ちゃんと言葉で伝えてなかったから……」
雫の顔がうっすらと赤らむ。
それが寒いせいなのか、恥ずかしいからなのか分からない程度に。
隼人は照れくさそうに
「名前……」
と呟く。
「いつもみんがいる時は『赤羽君』って言うけど、俺は学校でも『隼人』って呼ばれた方が嬉しい。……もう恋人同士……なんだから……」
言っている途中から恥ずかしくなり、最後はほとんど独り言のようになっていた。
雫も目を合わせないで、ゆっくりと頷いた。
***
予想通り、聖也の第一声は
「どうだったよ?」
だった。
聖也には、失敗はないという確信があったが、旅館に戻った後の隼人の様子から、それはより強い確信へと変わった。
「まぁ、答えは聞かなくても分かるけどな」
「赤羽君、良かったね!」
隼人は恥ずかしい気持ちを抑えるのに精一杯だった。
「色々と聞きたいことはあるんだけどな、一回3人で浴場行こうぜ?短いけど、まだ閉まるまで時間あるし、少し落ち着いてからの方が、隼人も話しやすいだろ?」
浴場にはほとんど生徒がいなかった。
どの生徒も自由時間の門限ギリギリに帰って来て、そのまま部屋に設置されているシャワーを利用しているのだった。
隼人たちにようにわざわざ浴場まで足を運ぶのは珍しい。
「あまり長く浸かれないし、人はほとんどいないみたいだね」
「逆に周り気にせず入れるからいいかもな」
3人は体を流した後、またゆっくりと湯船に入った。
「そういえば、2人は自由時間、どうしてたの?なんか美味しいもの食べに行くって言ってたけど」
「うん、僕と黒崎君、澤井さんはお店巡りをしたんだ。途中から僕と黒崎君は腹いっぱいになって帰ろうって話をしたんだけど、澤井さんはまだ食べられるって言って。結局3つくらい回ったんだ」
「いや、ほんと、日菜のどこに食べ物入ってるんだって思った。でも色々と甘いもの食べられたし、楽しかったぜ」
その後は、隼人の話になった。
部屋に帰ってから、と言っていた聖也本人が待ちきれなくなったのだ。
隼人はゆらゆらと揺れる水面を眺めながら、話した。
「え、キスまでしたの?ひゅー」
「そんな言うなよ、恥ずかしいから……」
「天音さんが赤羽君のことが好きなのはずっと前から気付いていたけど、天音さんからね……」
「え?雫、俺のこと好きだったの?」
聖也と雄介は互いの顔を見合わせてから笑った。
「いやあれは誰だって気付くだろ。隼人くらいなもんよ。気付かないのは。鈍感さんだからしょうがない、か」
けらけらと笑いながら、
「じゃなきゃ、こんなに告白しろだのなんだの、言わねーよ。やっすーも俺も」
と言った。
聖也の馬鹿にするような態度にむっとした表情を見せるが、本心では応援してくれている聖也に感謝していた。
3人が浴場から部屋に戻る時、数人の生徒が廊下で喋っていた。
すっと通り過ぎたのでよく分からなかったが、「お化けが出た」というような言葉が聞こえた。
「こういう科学の時代でも、お化けの話ってなくならないのが不思議だよな」
隼人は2人にそう言うと、
「そういえば、今日、同じような話聞いたな。自由時間で言ったお店に他の生徒もいたんだけど、そういう話してた気がする」
聖也は思い出しながら話した。
「修学旅行だからそういう怪談でもしてたんじゃない?いないと分かってても怖いからな、そういう話」
「そういえば、隼人、物理とかできる割に、そういう話は苦手だったよな。でもこれからデートとかでお化け屋敷行くかもしれないだろ?」
「やめてくれよ……」
隼人は苦笑いした。
怪談は昔よりは慣れていたが、お化け屋敷だけはどうしても無理だった。
「でも、日菜も今日、タクシーの中で、人らしきものを見たって言ってなかったっけ?見間違いだってことになってたけど」
雄介は昼間のタクシーでのやり取りを思い出していた。
「お、確かにそんなこと言ってた気がする。やっぱり何かあるのかな?」
「とりあえず、今日は早く寝よう。色々と疲れたし……」
聖也は隼人の顔を見て、いつものようないたずらっ子の、にやっとした笑みを浮かべた。
「そうだよな、隼人はずーっと告白のことで緊張してたもんな。そしてめでたく、『雫』と付き合うことになっただもんな」
聖也は隼人の真似をして「雫」と言って見せた。
「だから、からかうのはやめてくれって……」
そういう隼人の顔は嬉しそうだった。