28話 眠れぬ夜
久しぶりの投稿です。なかなか更新できずにいますが、完結は必ずしたいと思っているので、気長にお待ちいただけると嬉しいです。
旅館は今ではほとんど見ることがない、瓦屋根の大きな建物で、庭や外から見える廊下も風情がある。
歴史の教科書でしか見られないような建物に、バスから降りる生徒は思わずぽかんと口を開けて、その全体を見上げる。
それから興奮気味の声で友人と話したり、端末で写真を撮ったりが始まる。
確かに美しいと、隼人は思った。
普段は機能性に優れた、全く無駄のない建造物に囲まれて暮らしていて、それは人々の生活を豊かにした。
しかしその「無駄」の中にこそ、人を惹きつける魅力があるように感じる。
旅館に入ると、ロボットが出迎えをした。
さっき感動した風情が台無しなようにも思えるのだが、ここに限らず、現在はどこの観光地も主にロボットが管理している。
これも都心の人口集中の結果である。
ほとんど人が来ない郊外近くの土地で、旅館を切り盛りしていくのが大変なのだ。
ロボットによる旅館内の説明の後、それぞれが割り振られた部屋に移動を始めた。
隼人が聖也と一緒に向かおうとすると、後ろから雄介の声がした。
「ちょっと待って。部屋の鍵は僕が持ってるから、先に行ってもいいけどまだ開いてないよ?」
「あ、生体認証とかタッチパネルとかじゃないのか、ここは。鍵なんてめっちゃ久しぶりに見たわ」
聖也は雄介の持っている鍵に触れた。
鍵は部屋の番号が刻まれた直方体のガラスにチェーンで繋がれていた。
隼人もすっかり鍵があることを忘れていた。
隼人たちの部屋は3人部屋だが、あと2人が泊まるとしても十分なほど広かった。
他に宿泊する客がいないので、大きめの部屋をいくつも利用することができたのだ。
「おー!快適そうじゃん。なんかこの独特な匂いも新鮮だし、ほら見ろよ!窓の外。あんな近くに山があるぜ?」
聖也はだいぶ興奮している。
隼人と雄介も荷物を部屋の端に置くと、窓の方に向かった。
「少し窓を開けてみようか」
そう言って雄介が窓を開けると、すーっと冷たい風が3人の頬を撫でた。
風に乗って運ばれる木々の生い茂った香りは、体中を浄化してくれるような、そんな気分にさせる。
隼人は遠くの空を見ながら、何もかも忘れてこういう場所で静かに暮らせたら、どれほど良いかという思いがこみ上げて来るのに気付いた。
それからそっと目を瞑った。
「お昼は食堂で食べるみたいだから、遅れないように準備しようか」
雄介に言われて、隼人と聖也は軽く荷物を整理すると、3人で食堂に向かった。
食堂の前は既に多くの生徒で溢れていて、3人は自分たちのクラスのテーブルを見つけるのが大変だった。
テーブルの上には昼食がずらりと並んでいる。
全員が席に着くと、校長の挨拶、生活指導の先生からの注意と続く。
空腹の状態で昼食を目の前に、長い話が続くのはなかなかの苦痛である。
昼食にありついてから、夜の就寝時間まではあっという間に過ぎた。
バスで観光名所巡りながら美味しいものを食べ、露天風呂付きの浴場に入り、豪華な夕食。
全てが日常を忘れさせる夢のような一日だった。
消灯後、隼人がゆっくりと眠りに入ろうとした時、聖也がおいと声をかけてきた。
「うん?どうした?」
「どうしたも何もこれからが本番だろうが」
「本番?何のこと?」
「恋バナに決まってるじゃんか!特に隼人は3日目の夜に告白すんだろ?」
「は?いや、まぁ、そのつもりだけど……」
隼人は今日ずっと雫と言葉を交わすことができなかった。
雫を目の前にすると、どうも緊張して上手く話せない。
3日目のことが自然に意識されてしまうのだ。
「じゃあ話そうぜ?」
「でも雄介寝てるし、迷惑だろ」
「赤羽君、僕はちゃんと起きているよ?」
隼人は雄介の「ちゃんと」という言葉に、雄介もその気でいることを悟った。
「な?やっすーも起きてるってよ?」
「分かったよ。でも何話せばいいんだよ」
「そうだなー、天音さんの好きなところとか?」
隼人は考えた。
そもそも自分が雫を好きになった理由はなんだろうか。
物理好きなところ、普段のおとなしさの中に眠る優しさと強さ、時々見せる笑顔……。
そうやって幾つも思いつくけれど、確かに今思いついたことは好きな部分だけれど、何か違う。
(……そうか)
隼人は思いついたように言う。
「俺は雫が好きなんだ」
「それは知ってるよ。だからどういう……」
「うん、だから『雫』という人間が好きなんだ。部分とかとういうのはない。そういった部分は、あくまで雫の一種の見方であって、雫じゃないんだ」
「うーん、どういうこと?」
「なるほどね」
今度は雄介が話し始めた。
「赤羽君の今の話は、量子力学と似ているね。ある状態があって、その物理量を観測するのは、その状態の射影を見ているようなもので、状態そのものではない。もう少し別のたとえだと、2次元の世界の住人が3次元の球をどう認識するか。2次元の人にとって球は、時に点で、時に円に見える。でも決して球そのものは見えない。他にはプラトンの洞窟の……」
「分かった、分かった」
聖也は雄介の話を遮った。
「なんかこの高校の人はどうも、学問的にしたがるような気がするんだよなー。でも何となく今ので隼人の気持ちが分かった気がするよ」
その後も誰がいいだの、好みは何だの話していたが、雄介が「明日もあるから」と言って、3人は寝ることにした。
虫の声だけが静かに聞こえる。
***
修学旅行では観光地を巡るだけが目的なのではなく、勉強合宿も兼ねている。
2日目は何人かのグループに分かれ、集中的に勉強に取り組むのがメインだった。
メンバーはクラスに関わらずランダムに分けられる。
隼人にとってはあまり知らない人とグループになったが、あの事件をきっかけに校内では隼人の名前は多くの人に知られていた。
今回の勉強会でも、どこか自分が遠ざけられているような気がしていたが、あまり意識せずに、淡々とやるべきことをこなすのに徹した。
それよりも隼人が気になっているのが明日のことである。
明日の3日目、夜の自由時間にどうやって雫を誘おうか、そのことがずっと頭をぐるぐると巡っていた。
3日目は主に、予め決めた班で観光地を訪れる。
その予め決めた班の中に雫がいるのだ。
誘うとなれば、その過程のどこかのタイミングである。
(やっぱり聖也とやっすーの協力が必要かな……)
聖也と雄介も、隼人と同じ班だった。
2人に協力を仰ぐのは恥ずかしいが、それ以外に思い浮かばなかった。
隼人は既に課題を終えていた。
教科書を開いてそこに視線を向けているが、別に読んでいる訳ではなかった。
分けられたグループの生徒も、隼人に少しずつ話しかけるようになっていた。
と言っても勉強の質問くらいなもので、隼人も丁寧に答えるのだが、それ以上の親しみを持とうとはしなかった。
夕食を終えて部屋に戻る時、隼人は聖也と雄介に協力をお願いした。
2人は笑顔で、――むしろ聖也の場合はにやにやして――快諾した。
「まぁ、お願いされるまでもなく、そういう雰囲気を作ろうかなとは思ってたんだけどな」
聖也は隼人の肩をポンポン叩きながら言う。
隼人と雫の班が同じなのも聖也の策略だった。
班は男子と女子、それぞれ3人程度で自由に組んだ後、男子の組と女子の組のペアをくじ引きで決定する。
このくじを担当する人に聖也は根回しして、雫と同じ班になるようにしていたのだ。
全ては聖也の計画の内である。
「俺の努力を無駄にしないでくれよー?」
聖也は冗談っぽく隼人に言う。
「分かってるよ」
この日、隼人はあまり眠れなかった。




